2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ

« ヴィオラスペース2011 コンサートⅡ ヘルテンシュタイン&マーロフ 5/28 ① | トップページ | ヴィオラスペース2011 コンサートⅢ ヴィオラ・ヴィオラ・ヴィオラ 5/29 ① »

2011年5月29日 (日)

ヴィオラスペース2011 ミニ・コンサートⅢ マーロフ&ヘルテンシュタイン 5/29

ヴィオラ・スペースのミニ・コンサートは、これが最後となる。トリは、コンペティション入賞組のセルゲイ・マーロフとファイト・ヘルテンシュタインのジョイント・リサイタルであったが、この2人は本当によいものをもっている。このヴィオラスペースという優れたイベントのファミリーとなるには、本当に相応しい2人である。来年のコンペティションでも、彼らに負けず劣らずの素晴らしい素材に出会えることを期待している。

さて、まずは、マーロフがバッハの無伴奏チェロ組曲第5番を演奏した。視覚的なプレゼンテーションとしては、ジャケットを脱ぎ、紫色のシャツを着て、若干、ポップな雰囲気である。楽器がヴィオラということもあるが、演奏はいささかレッジェーロ気味(軽い)。テンポもやや速めで、現代的な解釈だ。とはいえ、それは作品のイメージをぶち壊すほど極端ではない。それどころか、フレージングや音色はこの上もなく丹念に練られており、序盤から聴きごたえがあったが、その点で特に素晴らしかったのはアルマンドで、ヴァイオリンよりも音色が深く、チェロよりは機動性に優れるというヴィオラの特徴を生かし、美しくもコクのあるカンタービレをごく自然な呼吸感で引き出していた。

マーロフの特徴はその屈託のない、茶目っ気ある演奏姿勢と、安定して張りのある艶やかな音色である。これらの良さに導かれる形で、特に耳を惹いたのはサラバンドの演奏である。マーロフは1つ1つのフレーズを噛みしめるようにしながら、それらの綜合を巧みに構築してみせる。その手法は終盤、ガヴォット以降、3つのパートをヴァリュエーション的に描くという奇知を導くことにも役立った。マーロフの楽器は鳴りも素晴らしく、決してチェロに引けをとらない密度があって、フロアも大満足であっただろう。

つづいて、ヘルテンシュタインがフランクのヴァイオリン・ソナタを演奏した。序盤はやや硬さが感じられ、特に響きの面で上ずってしまったり、無駄に渦を巻くような回りくどさがあって、彼の持ち味である実直な歌ごころが阻害されていた。ルバートもややきつすぎて、不自然な感じがする。そのほか、この第1楽章では、ガチガチに構造的なフランクの作品だけに、もっと思いきった飛躍がなくてはならないが、その点、ヘルテンシュタインには課題があった。

これが改善したのは第2楽章の中間以降であり、あるところから吹っ切れたようになって、俄然、表現に潤いが生まれてきたものである。第3楽章のレチタティーボでは、彼の持ち味である緻密な構造把握の感覚を、あくまでも率直に表出するという良さが、楽曲の複雑な変容を平易なものに感じさせ、個性的な演奏になっていた。その感覚は第4楽章ではさらに大胆に用いられ、表現をより高度なレヴェルに引き上げる牽引力となる。師匠である今井信子の録音を聴くと、もっと繊細に優しく歌い込んでいるが、ヘルテンシュタインの表現はその劣化コピーとはならず、ずっと力強くて堂々としている。第1楽章で失敗していたルバートの感覚もずっと柔らかく、自然に溶け込んでいた。

伴奏は、野平一郎。独往系の音楽、特にベートーベンでは鍵盤を均質に叩きすぎて、あまりに几帳面すぎるきらいもある奏者だが、初めからボルトが2、3本抜いてあるようなフランス音楽では、その気質がかえって強かに作用するようだ。このフランクの楽曲におけるサポートは、あとで述べるブラームスのときとあわせて、非常に印象的である。

最後は、マーロフ&ヘルテンシュタインが共演して、ヴィエニャフスキの『エチュード・カプリース』の1-2曲目を演奏した。ヴァイオリン二重奏、あるいは、ヴィオラ二重奏として演奏することが多いが、1番ではファーストのマーロフがヴァイオリンをもち、セカンドのヘルテンシュタインはヴィオラというトリッキーな形になった(2番ではヴィオラ二重奏)。ただ、これが実によい。マーロフはヴァイオリンをもっても、ヴィオラのこころを忘れない。その深い音色は、誠実なヘルテンシュタインのヴィオラにはよく溶ける。すると、ヴァイオリンの華がヴィオラの大樹の前で、ひときわ美しく開き、一方、ヴィオラの地味な音色がヴァイオリンの華やかさに刺激されて、色鮮やかに花開くというわけだ。

マーロフのアイディアか、2人はあるテーマをもって演奏していた。すなわち、第1曲ではマーロフが女性を口説くオトコ役となって、あの手この手でヴィオラの「彼女」に語りかけるが、なかなか相手はこころを開いてくれない。ところが、オトコがヴィオラをもって、彼女の後ろにつくと、愛はたちまち成就して、素晴らしいハーモニーが浮かび上がる。下からのマーロフの支えが本当に誠実で、彼の内面的な成長を印象づけている。マイナー・コードに乗って静かに踊る2人の姿は、幸福そのものである。

アジタート・エ・ヴィゴローソ(力強く、情熱的に)の部分を通り、もとの優しいアンサンブルに戻ったとき、それは単なる音楽表現ではないことに気づいた。すなわち、それは彼らなりにイメージした愛の成就に寄せて表現された、聴き手へのちょっとした感謝の気持ちを表しているのであり、その謙虚な想いに接して、私は素直に嬉しかった。このヴィエニャフスキの小品はシンプルで、ちっぽけな作品であるが、若い彼らにとっては感情移入のしやすい面もあるのか、等身大の無理のない表現がかえってこころを打ったものである。

コンペティションを縁にして、こうして東京でフィーチャーされた2人であるが、最初にも書いたが、本当に素晴らしい若者たちである。こんなに素敵な、愛すべき若者が世の中にはいるのである。そんなことを感じるだけでも、本当に充実した時間を過ごした。だが、彼らはもっと愛されるべきではなかろうか。マーロフなどは結果が出なかったとはいえ、仙台のコンペティションにも参加しており、日本との縁もひときわ深いわけだが、未だに、どのオーケストラにもお呼びがかかっていないのは残念な限りである。

私の・・・否、私たちの声が、日本の各オーケストラまで届くといいのだが…。

【プログラム】 2011年5月29日

1、バッハ 無伴奏チェロ組曲第5番

 (va:セルゲイ・マーロフ)

2、フランク ヴァイオリン・ソナタ

 (va:ファイト・ヘルテンシュタイン pf:野平 一郎)

3、ヴィエニャフスキ エチュード・カプリース より

                        op.18-1、2

 (vn/va:マーロフ va:ヘルテンシュタイン)

 於:紀尾井ホール              

« ヴィオラスペース2011 コンサートⅡ ヘルテンシュタイン&マーロフ 5/28 ① | トップページ | ヴィオラスペース2011 コンサートⅢ ヴィオラ・ヴィオラ・ヴィオラ 5/29 ① »

室内楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/543421/51803468

この記事へのトラックバック一覧です: ヴィオラスペース2011 ミニ・コンサートⅢ マーロフ&ヘルテンシュタイン 5/29:

« ヴィオラスペース2011 コンサートⅡ ヘルテンシュタイン&マーロフ 5/28 ① | トップページ | ヴィオラスペース2011 コンサートⅢ ヴィオラ・ヴィオラ・ヴィオラ 5/29 ① »

ツイッター

  • ツイッター

最近のコメント