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2011年6月 1日 (水)

ヴィオラスペース2011 コンサートⅢ ヴィオラ・ヴィオラ・ヴィオラ 5/29 ③

この記事を書くと、今年のヴィオラスペースともお別れということになる。しかし、最後の2曲は特に、批評的な言葉を弄する必要はあるまい。理屈抜きで、「こりゃあいい!」というべき世界である。

まず、1984年生まれとまだ20代の作曲家、マックス・クニゲの作品である。『アキレウスとアイアスと私』と題される作品は、独奏にヴィオラを指定した協奏的作品で、バックも4群のヴィオラ・オーケストラで構成される。アムステルダムにもあるヴィオラ・フェスティヴァルでプレミエが出され、今井信子の独奏で初演されたらしい。

この「私」とは古典ギリシア神話の英雄、オデュッセウスのことで、彼の視点を通して語られる冒険譚が作品の主題となり、9つの部分で構成される。しかし、例えば、あのキュイキュイいうだけのサウンドが、どうして「メネラオス亭での親切なもてなし」になるのかなど、はっきりとはわからない作品である。ひとつひとつのエピソードはシンボリックに捉えられ、いつもよそ者的なオデュッセウスの心象風景を断片的に写し取っているかのようにも見える。最後、「3番目の夢:海」の場景だけは引いては返す波の響きや、マーロフが彷徨いながら奏でるカモメの鳴き声によって、はっきり具体的であった。

ほぼ全員が参加するヴィオラ・アンサンブルは、なんともはや壮観である。このメンバーで、あれほど凝縮した、組織だった響きをつくれるのは、ある意味、ヴィオラ・アンサンブルならではのことであるかもしれない。ただ整然とまとまっているだけではなく、それらが響きのうえでどんと重く仕上がっている感じがいいのである。独奏は協奏曲のソリストいう感じではなく、この巨大な幻想のなかに仕掛けられた、ほんの僅かな真実を映す鏡。だが、謙虚な今井の目を通してみると、むしろ、その周囲のほうに真実があるという感じもする。

最後はテレマンの『4つのヴィオラの協奏曲』(原曲はヴァイオリン)を、上よりは若干、小さい編成とはいえ、ほとんどのヴィオラ奏者が参加して大ユニゾンで演奏する祝祭的なフィナーレとなった。これこそは本当になにも考えずに、ヴィオラでできた、ふかふかな(?)ベッドで横になっているような感覚である。聴いているほうも楽しいが、弾いているほうはもっと楽しかったのではなかろうか。

今回のヴィオラスペースを振り返ってみると、いくつかの一貫したテーマがあった。1つはもちろん、20周年を記念したアニヴァーサリー性である。最後のヴィオラ・アンサンブルのほか、誕生日や記念日に関する作品、初めてヴィオラが独奏楽器として想定された作品(テレマン)が演奏され、このイベントの記念日にふさわしい作品が選ばれていた。しかし、周知のとおり、この年をお祝いごとだけで通り過ぎることは無論、できるはずがないのである。我々を襲った未曾有の天災に寄せて、いくつかの「悲歌」が演奏されたことも忘れてはならない。

そして、3つ目のテーマはアジアである。もちろん、日本を含むアジア。上海と韓国から代表的なヴィオラの教育者も呼んで、ミニ・コンサート『今井信子とアジアン・フレンズ』も準備された。日本の藤倉大、そして、中国の作曲家、さらに、東洋的な要素が含まれている作品(ベリオなど)が、多分、意図的に選ばれている。

最後のキーは、やはり「ヴィオラスペース」である。教育と実践の結合、あまり話題にならないヴィオラのレパートリーの紹介と、さらなる拡張。新しい軸であるコンペティションの存在。そして、偉大なる今井信子の存在。こうした要素は、このイベントの場合、常に意識的に生かされているのであり、それは今年も例外ではなかった。意義ぶかさ、面白さ・・・そして、このイベントを飾るスローガン「ヴィオラ…それはにんげんを奏でる楽器だ」に象徴されるように、なんといっても人間が主役であること。

日本には、そして、世界には、本当に優れたヴィオリストがたくさんいて、彼らは演奏が素晴らしいだけではなく、人間的にとても魅力的なのである。コンペティションのとき、ザルツブルクの名教師、トーマス・リーヴル氏は、「ここにはポリティクス(政治)がない」ということを強調したが、その言葉は多分、まったくの本心であると信じるに値するだろう。なぜなら、このイベントがヴィオリストによる祭典である「ヴィオラスペース」のなかでおこなわれているからだ。冗談めいているが、ヴィオリストに・・・そして、ヴィオラを愛する者に悪い人間はいるはずがないというのが私の揺るぎない意見である。例外は、自分ぐらいのものだ。

人間(ヴィオラ)の、人間(ヴィオラ)による、人間(ヴィオラ)のためのイベント・・・それがヴィオラスペースである。この宇宙のなかに、政治の入り込む余地などない。

来年は、2回目のコンペティションが開かれる。前回以上にイベントが盛り上がるために、なにが必要かを考えてみた。

1、地域やイベントを支えるコミュニティとの連携の強化

2、より魅力的なコンテスタントを集めること

3、情報発信の積極性

特に、私は第一の要素が重要ではないかと思った。なぜなら、このイベントに積極的に関心を寄せる人たちは、前回のコンペティションでは、まだまだ少数であったからだ。最後の記者会見にしても、訪れる記者の数も限定的、寄せられる質問も少なかった。多分、私ほど、このイベントに関心を寄せている記者はいなかったと豪語してもいい。質問の内容をみても、彼らは今井信子にしか興味がないようだった。

ところで、仙台や浜松のコンペティションに私が関心が寄せているのは、地元密着という意味で、非常に成功している例だと思うからである。ボランティアがたくさん参加し、地元のファミリーがホストとなってコンテスタントたちを受け容れ、地元の人たちがたくさんコンペティションを見守る体制ができている。浜松などはヤマハがあるからだろうが、地元企業のサポートも厚い。それに加え、充実したインターネット配信技術のおかげで、オール・ジャパンで見守れるイベントになっているのが大きいだろう。

東京国際ヴィオラコンクールは、その点で、まだまだコンテンツの素晴らしさに追いついていない部分がある。自治体などの補助のない、小規模なコンペティションであるから無理もないところだが、資金や人的リソースをかけないで、このような部分を補強していく知恵はまだまだ豊富に残っていると思われる。その点、参考になるのは八王子のカサド・コンクールであろう。しかし、来年のことをいうと鬼が笑うという。コンペティションをサポートするのはテレビマン・ユニオンの頭のいい人たちで、私が口をはさむまでもないことだろうと思っているし、必ずや、前回よりも良いコンペティションになると信じて、来年を待ちたい。

【プログラム】 2011年5月29日

1、ストラヴィンスキー 悲歌

 (va:鈴木 康浩)

2、シューマン 幻想小曲集

 (va:青木 篤子 pf:野平 一郎)

3、ブラームス ホルン三重奏曲(hr → va)

 (vn:セルゲイ・マーロフ va:鈴木 学 pf:野平 一郎)

4、クレンゲル 12のチェロのための賛歌(→ for 8 viola)

5、シュニトケ 弦楽三重奏曲

 (vn:原田 幸一郎 va:菅沼 準二 vc:原田 禎夫)

6、クニゲ アキレウスとアイアスと私

        ~ソロ・ヴィオラとヴィオラ・オーケストラのための

7、テレマン 4つのヴァイオリンのための協奏曲(vn → va)

 於:紀尾井ホール

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コメント

 もう一つだけコメントさせて下さい。

 最後のテレマンは聴いていて、この幸福な瞬間がこの曲が永遠に続いてくれることを願わずにはいられませんでした。
 また来年この幸せが訪れることを祈るばかりです。もうすでに待ち遠しいです。

 今年のヴィオラスペースでは、演奏者サイドでは次世代に引き継ごうという強い意志と、実際に確実に次世代に引き継がれつつあることを感じました。ただ、固定ファンはいるもののもっと聴衆を増やす努力が必要でしょう。特にミニコンサートで空席が目立つ状況は非常にもったいないです。我々もヴィオラ教の布教に力を入れなければなりません。

も一つおまけに。

細かいですが、クニゲのオーケストラパートは3つではなく4つに別れるのかと思われます。

ミニ・コンサートもそうですし、コンペティションの予選はもとより、本選も、日本人の進出がなかったせいか、とても寂しいものでした。

それを変えるには、序列や知名度などで判断しがちな日本人の価値観を改めることからスタートせねばならず、我々にとってはとても困難な道と思わざるを得ません。しかし、コンペティションに関しては、例えば古屋さんのような、日本人コンテスタントの奮起は即効性があるでしょう。運営側にもより以上の努力とアイディアがなければならないし、そのうえで、私たちに協力できることがあれば、やるべきだと思います。

当面のところ、私はこうした場で、イベントの素晴らしさを訴えていければと考えているところです。

ご指摘の間違いについては、訂正しました。

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