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2011年6月 7日 (火)

スヴェトリン・ルセヴ&中川賢一 デュオ・リサイタル @白寿ホール 6/3 ②

小さな「F.A.E.」ソナタについての評価に、思いがけずも文字数を使ってしまったが、ここからはもう少しレッジェーロに論じていくつもりなので、ご安心を願いたい。といっても、私は先の記事で、「F.A.E.」ソナタ1曲を論じたつもりはなく、今回のスヴェトリン・ルセヴのとった表現の特徴をたっぷりと写し取ったつもりでいる。それが済んでしまえば、仕事の収まりも早いはずであるし、無駄にふかく突っ込んでいく必要もないわけだ。

また、ルセヴの表現については、前回のリサイタルについてのレヴューもわりによく書けており(自分で言うのもナンだが)、参考にしていただきたいと思う。

さて、ルセヴは今回、「F.A.E.」を含むブラームスのソナタをすべて演奏した。これらの3曲は互いに個性的な作品であり、1番は「F.A.E.」と同じような時期に、そして、2番と3番はブラームスにとって縁のふかい、スイス、トゥーン湖畔の小村で、それほど隔たらない時期に書かれた。1番はたおやかな「雨の歌」の主題に象徴される、詩情ゆたかな作品であり、第2番はベートーベン的なシンプリシティと構造の凝縮した作品、そして、最後の第3番は技巧性の華やかさを大胆に織り込んだスケールの大きな作品と来ている。

【ハーモニクスのリアリティ、鴉の主題】

これらのうち、第3番がルセヴにとってピッタリな作品であることは言うまでもない。既に述べたような表現のつよさを伸びやかに生かし、よく練られた構想で、その効果を完全に使いきる。第1楽章ではバッハの宗教曲のコラールのような部分を、悠々と歌う部分が印象的だ。あとでこの記憶を呼び覚まし、そこから注ぎ落ちてくるような、煌めくような重音を出す部分の神々しさは一聴に値する。以前の記事にも書いたが、ルセヴのつくるハーモニクスは1つ1つの声部に意志があるようで、あたかも1人で室内楽をやっているような印象があって面白い。これほど見事なハーモニクスの演奏は、余人ではチェロのジャン=ギアン・ケラスが同じように見事にやったぐらいで、なかなか耳にできるものではない。

この作品の演奏では、後半のアダージョとプレスト・アジタートの対比も見事である。

余談であるが、みなさんは信時潔の『沙羅』という声楽曲をご存じだろうか。そこに狂言の謡を模した歌いくちが面白い『鴉』というナンバーがある。ブラームスの第3楽章に出てくるテーマが実は、この歌の最後の「大おそどり、鴉」の部分とよく似ており、私はこの曲を聴く度に、こころのなかで「大おそどり、鴉」と歌ってしまうのである。それはともかく、第4楽章のロンド主題は、実は、この鴉のテーマ(と私が勝手に呼んでいるもの)をバラバラにして、再構築したものではなかろうか。

ブラームスのヴァイオリン・ソナタは1番も2番も、3つの楽章で構成されるが、この第3番のみは4楽章構成になっている。しかし、鴉のテーマを共有した雌雄一対の楽章として後半2楽章を捉えれば、ブラームスは尊崇するベートーベンと同じように、機能や主題を凝縮させることで、実質的には3つの楽章で作品を書いたとも解釈できる。ルセヴも多分、そのように考えているのではなかろうか。第3楽章と第4楽章はほぼ続け、さりげなく関連性を際立たせることで、後半2楽章をぐっと自由に、スケールの大きなものにしているのは個性的な解釈である。これらの楽章は単独では、それぞれにどこか素っ気ない印象を残すが、ルセヴのような方法をとれば、ぐっと構えが大きくなるだろう。彼の発する逞しく、息の長い表現が、「大おそどり、鴉」のクラスタ化されたテーマを密着させ、その正体を見つけやすくする。

ただし、これは結果的にそうなるということであって、ルセヴは作品のもつ構造をごく自然になぞってみたにすぎないだろう。

【第1番】

第1番は、やはり第3楽章のカンタービレの美しさが印象的である。それまでの2楽章をやや太い線で描いたせいであろうか、徹底的に声にこだわり抜いた終楽章の演奏は、ベルカントの気品に満ちたラインや歌い方が、こころに響いてくる。

【ヴィブラートによってつくるフォルム】

しかし、白眉は第2番の演奏だ。私の意見では、3つのソナタのなかではもっとも短い、この第2番こそがいちばんの難物である。これはブラームスの作品としては、シンプルさにシフトした作品である。第1番は、それなりに丹念にカンタービレを紡いでやれば、まず悪い演奏になりようがない。第3番は、技巧と構想さえしっかりしていれば、つまり、いちど表現が固まってしまえば、そんなに苦労することはないだろう。しかし、第2番のみは、1回1回の演奏が本当に難しく、一回的なのだ。ブラームスの作品では、このようにシンプルさに徹した作品ほど難しいものはないのである。交響曲では、第3番がそうだ。

この作品の難しいところは、それだけではない。この作品では、響きが千切れるとでも言いたくなるような、いわば「ワープする」構造が随所にあり、これらがある種、クラスタ的に組み合わされている。そのため、下手にやると響きに脈絡がなくなり、きれぎれで、詩情も何もない作品と化してしまうのである。私の好きなヴァイオリニスト、アンティエ・ヴァイトハースによるリンクの録音など、その悪い例である。

ルセヴはこれらのクラスタ・ピースの間に隠れている粘着力、もしくは、関係性を煮詰めて、組織として仕上げている。その成功の秘密をはっきりと語る能力が私にはないが、1つだけ気づいたことは、ヴィブラートを豊富に使っていることである。この作品に限らないが、ルセヴは意外に豊富なヴィブラートを使い、作品を大胆に彩ることで作品の味わいを効果的に高めている。

近年、ピリオド研究などの成果を踏まえて、ノン・ヴィブラート・ベースの清らかな響きが主流となり、特にドイツやオーストリア、英国では、このトレンドが広く浸透しているようである。例えば、ベルリンのハンス・アイスラー音大の教授であるヴァイトハースなどは、こうした演奏法によって作品の質をブラッシュ・アップすることにかけては、世界じゅうを見回しても、特に優れた方法をもっているものと思われる。ところが、ジェーラール・プーレのように、フランスの権威的なヴァイオリニストの演奏を聴くと、意外に、この潮流からは自由である。そして、ルセヴもまた、プーレの側にちかい演奏をしている。

ブラームスは「ドイツ音楽」の潮流のなかにも位置づけられるが、ほぼウィーンの作曲家といって間違いではないと思う。いずれにしても、現在の独墺的な演奏伝統において蓋然性が高いとされる演奏(ヴィブラートはかなり抑制的)が正統的と見做されるなかで、ルセヴは、それとは異なった方向で受け継がれた演奏伝統のほうからアプローチをかけているようにみえる。ノン・ヴィブラート・ベースは変わらぬとしても、(必要性に応じた)ヴィブラートのゆたかさによって楽曲の味わいを引き出すことに迷いがなく、積極的なのである。

もっとも「演奏伝統」についての学識に関しては、私はまったくもって無知である。だが、ルセヴは他のヴァイオリニストよりも、大胆にヴィブラートを用いて、表現を膨らませることでしか成り立たない表現をとっているのは確かだ。彼のような確固とした信念をもたないヴァイオリニストならば、かえって、(時代の潮流に敢えて逆らうような)彼のような演奏はできないにちがいない。「伝統」の正統性はともかくとしても、ソナタ第2番の演奏において、ルセヴは彼の受け継ぐものからみて正しいと思われる表現をとり、そして、それは実際に、作品にとって不可欠な表現であったように思われる。私の感動のなかには、このように、時代のなかで自らの信念を貫くという、ルセヴの態度の鋭さも含まれていた。

【もののふ的な演奏】

ルセヴの演奏を聴いて、私は何度も「サムライ」「もののふ」というキーワードを思いついた。今回の演奏は、そのキーワードで締め括ることができそうである。

彼が何らかの理由で・・・もちろん、仙台におけるコンペティションの素晴らしい思い出もあることであろうが、他のアーティストよりも、日本を大事に思ってくれていることは間違いがないところだろう。その証拠に、多くのアーティストやカンパニーが日本での活動を、今もって忌避しているその時でさえ、彼は我々の友人として振る舞い、ここ1か月あまりの間、立派な行動をとってくれたからである。

だが、それというのも、実は、彼が日本の「もののふ」の精神につよい共感を抱いているせいではないかと思わないこともなかった。彼が日本に来て、ブラームスをやりたいと思ったことの理由も、そこにあるのではないかと思う。つまり、彼が自分自身、「もののふ」の魂で表現をしたいと思った場合、一体、どんなレパートリーが相応しいかと考えたときに、真っ先に浮かんだのがブラームスだったのではなかろうか。自分が日本人のこころで演奏すること、それ以上に、我々を勇気づけることはないと彼は知っていたのではないか。

もちろん、いま書いたことはすべて私の想像の産物であり、ルセヴが本当に「もののふ」に興味をもっているのか、また、そのこととブラームス演奏に関係を見出しているのかどうか、そのことを確信するだけのいかなる情報も、私は持ち合わせていない。しかし、ヒューマニズムの観点からは批判点もあるにはせよ、「もののふ」の魂は、こと芸術的な表現に対しては大きな示唆を与えることも確かである。音楽に限らず、絵画や芸術、舞踊などの分野で、「もののふ」の魂について考えることは大いに意義があり、例えば、ダンサーの勅使河原三郎(昨今、欧州ではオペラの演出でも活躍している)について語るときにも、このキーワードが有効である。

①の記事に書いたように、ブラームスは嫉妬ぶかく、独占欲がある。しかし、これを言い替えれば、武士の「一所懸命」という言葉にも通じる魂が見え隠れするのではなかろうか。武士の潔さについては、昨今、強調されるところだが、同時に、武士は粘りづよく、執念ぶかいという特質も併せもっている。家康の勝利は、正にそのようなところで語られる。彼らはひとつのこと、義理や礼、そして、土地などに大いにこだわる。しかし、家康はもっとスケールの大きなものにこだわった。ルセヴが命がけの表現をやったという風に書いたが、その命がけとは単に潔いというだけではなく、このような執念ぶかさにも根が張っているわけである。

【命がけのリサイタル】

音楽ジャーナリストの渡辺和氏のブログによれば、この日、共演した中川賢一は周知のように、宮城県出身であるが、3月11日にも仙台にいて、一時、連絡がつかずに周囲の人たちを心配させたということだ。結果的には無事だったわけだが、罷り間違えば、このリサイタルは無伴奏になっていたかもしれないわけである。そして、ルセヴもまた、仙台に縁のあるアーティストであり、その縁が「本物」であることは、先に書いたような1ヶ月ちかい間の行動からも明らかであろう。彼らがやった命がけの表現は、単に音楽表現の必然性だけからくるものではなかった可能性がある。

それかあらぬか、前回の演奏よりも、中川の伴奏は濃密であり、ブラームスの緻密なテクスチャーを、ルセヴにも負けないような逞しさで堂々と描き出していた。しかし、これはどちらかといえば、ピアニストとして、ブラームスに対して並々ならぬ共感を抱いていることからくるものだったように思える。先日の野平一郎といい、中川といい、後期ロマン派の末期以降、現代につづく音楽に心酔している技術系のピアニストにとって、ブラームスとは何よりも、自分たちのことを試すことができる大事な素材なのであろう。

こうした様々な要素が、このリサイタルを特別なものにした。もちろん、ルセヴは凄いヴァイオリニストだ。もしも私が1人だけ、ヴァイオリンの神さまを選ぶとすれば、オーギュスタン・デュメイをを選ぶ。それに並ぶ双璧を探せと言われれば、ライナー・キュッヒルを据えるだろう。その下に5人衆を置くとすれば、フランク=ペーター・ツィンマーマン、レオニダス・カヴァコス、クリスティアン・テツラフ、アナ・チュマチェンコ、そして、ルセヴを候補に挙げる。それぐらい、ルセヴは高級な可能性をもったヴァイオリニストであり、世界的にみても稀な才能をもっているのは明白である。それだから、ルセヴのリサイタルが素晴らしいのは当然だ。しかし、そのうえに、さらに上積みがあったのである。

最後に、そうした表現を受け止めるために活躍した、ホールの素晴らしさについても書いておきたい。白寿ホールは以前から、何度か足を運んでいたが、その良さをはっきりと認識するには至っていなかった。しかし、ルセヴ&中川によるがっしりした表現を、これまたガッチリと受け止めたホールの響きの堅固さは、前日、ホロデンコを受け止めきれなかった朝日ホールと比べても、圧倒的に素晴らしかった。代々木公園駅にちかい、さほどメジャーではない、リクライニング・コンサートなどがときどき話題になる程度のニッチな会場であるが、室内楽やピアノ、特にスピントのつよい表現には最適のホールとして、みなさんに紹介しておきたいと思う。

それにしても、スヴェトリン・ルセヴといっても、まだ日本では通りが悪いようだ。しかし、少なくとも私のページをみてくれた人たちには、その名前を是非とも憶えていただきたい。否、別に憶えてもらわなくても結構だが、その場合、私のありがたい読者諸兄は大きな損をすることになろう。是非、次回を狙っていただきたいと思う。百聞は一見にしかず!

【プログラム】 2011年6月3日

1、ブラームス ヴァイオリン・ソナタ第1番

2、ブラームス 「F.A.E.ソナタ」よりスケルッツォ

3、ブラームス ヴァイオリン・ソナタ第2番

4、ブラームス ヴァイオリン・ソナタ第3番

 (pf:中川 賢一)

 於:白寿ホール

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