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2011年6月 3日 (金)

ヴァディム・ホロデンコ  ピアノ・リサイタル 【メトネル&プロコフィエフ】 仙台国際音楽コンクール Winner'sコンサート 6/2 ②

【束の間の幻影】

後半は、プロコフィエフの2曲である。同じプロコフィエフでも、モダーニズムの色合いがつよい作品が選ばれているが、色彩感をテーマとした『束の間の幻影』、そして、古典的な形式のブラッシュ・アップを狙ったかのようなソナタ第5番という組み合わせは、モダーニズムということの本体がどこにあるのか、その来歴のいくつかを明らかにするものである。

1915年から17年の間に作曲された『束の間の幻影』という作品は、「すべての束の間の幻影の中に、虹色の変化作用で満たされた世界を見る」という序詩に基づく20の小品から成っている。その詩の作者であるコンスタンチン・バリモントは音楽作品にもしばしば引用され、有名なところではラフマニノフの『鐘』が、ポーの詩をバリモントが訳したものを使っていることで知られている。バリモント、メトネル、プロコフィエフの3人は、当時のロシア人ならば当たり前とはいえ、革命に運命を翻弄されている。

メトネルは2月革命のあと、しばらく国に留まっていたものの、やがて外国に出て、既述のとおり、十分な成功は得られなかった。バリモントは皇帝打倒が成った2月革命を支持していたようだが、やがて、その革命の現実に気づいたのか、ボリシェヴィキによる10月革命には反対して出国。フランスでの亡命生活は困難だったという。そして、プロコフィエフはというと、これらの仲間たちと比べると、はるかに華やかな成功を得て、晴れて帰国も果たしている。しかし、外国でも自国でもよそ者となったプロコフィエフは、海外ではつよい郷愁に襲われ、帰国後も共産党による故なき批判に苦労した。

さて、小品の多くは1分前後の長さで構成され、長くても2分弱。その短い警句のなかで、ピアニストは「束の間の幻影」をイメージとして聴き手に伝えなくてはならない。そのキーワードは「虹色の作用」、つまり色彩感であろう。1-2世代前のスクリャービンの影響が感じられるが、音楽における色彩というキーワードはこの時期、ひとつのモードだったにちがいない。

ホロデンコの演奏は、次の詩によって表現してみたい。

【ポエム】

むかし、ペテルブルクに、

難しい構造主義者だけが集まる酒場があった。

いつもは気難しく、議論ばかりの彼らも、

この酒場では、別だった。

彼らは「構造の楽器」と呼んでいた、

グランド・ピアノを店に置き、

音楽を楽しむつもり。

ところが、

彼らに相応しいピアニストが見つからない

そこに、パリではディアギレフにはねられた

ひとりのよそ者が立ち寄った。

彼が指を動かすと、

構造主義者たちはたちまち歓喜した。

彼らは初めて、ジャズに触れたのだ。

新大陸のジャズではない、

彼らのための響きがする・・・。

ひとりの構造主義者はいった。

彼の演奏を聴いたかい。

ここは、いまどき天国にもあるという、

会員制のジャズ・バーなんだ!

【構造主義者の観点に基づくジャズ】

いま詩に書いたように、ホロデンコはプロコフィエフのなかにあるジャズ的な要素を、この作品のなかで披露した。私はジャズには必ずしも詳しくないが、本質的には、形式によらない自己(音楽家、もしくは、音楽そのもの)の解放というテーマがあると考えている。ここでいう音楽的な自己とは、どのように解釈されるのか。また、その解放、つまり、自由とはどういうもので、どういう風に生まれてくるのかという問題もあるが、この議論についてはまた時期を改めたいと思う。

要するに、私が言いたいのは、ホロデンコがきわめて自由なアイディアで、「束の間の幻影」を捉え、彼の能力の限界に挑んでいるという事実である。しかし、そうしたジャズ的な要素は、「新大陸」のそれとは根本的に異なり、構造主義者の発想からくるものである点に注意しなければならない。新大陸的なジャズの本質が自由や変容というキーワードによって語られるならば、この作品は対照的に、固定や凝縮という方向にむかっている。いわば信仰が神というものにむかって、無限に絞られていく精神活動であるように、プロコフィエフの『束の間の幻影』は響きやイメージの拡張や変幻ではなく、その凝縮・純化へ絞られていく。

その基本線において、ホロデンコの演奏は決してぶれることがない。しかし、そこに至る道には無限の可能性があることを、彼の多彩なピアニズムは教えてくれる。ホロデンコはこの断片的なイメージのなかに、有名なプロコフィエフのピアノ協奏曲やバレエ音楽に通じる素材が、シンボリックに浮かび上がるのをはっきりと描き出している。これは単なる技巧派のピアニストには為し得ないことであり、そのような多彩な表情のなかに、血も滲むような、ピアニストと作品との間での真剣な対話があったことは容易に想像がつく。

【フォームと表現の多彩さ】

しかし、表向き、ホロデンコの表現は「のだめ」的に奔放である。序盤から気になったことだが、彼の演奏フォームは一定ではない。基本的な構えは背中がしゃんと伸びて、正統派の雰囲気であるが、実際、その姿で演奏するのは、しっかりと粒だった響きをしゃんしゃんと打ち込む場合だけである。ベースは5°くらい前傾して重みをかけ、柔らかくリストを使った演奏である。ところが、しばしばホロデンコは背中を猫背に丸めて、手先だけで弾いてみたり、10-20°も前傾して、鍵盤に圧し掛かるようにして重い打鍵をすることも珍しくはなかった。その動きは情緒的なものではなく、見たところ、自分が得たいと思う打鍵の質によって精確にコントロールされているかのようである。

正に、そうである。ホロデンコのピアニズムは実に、このように、身体的な動きを使った響きのコントラストに秘密がある。ピアニストの音色のつくり方にもいろいろなタイプがあるだろうが、ホロデンコの場合は、和声やそのアーティキュレーションというよりは、こうしたタッチの質の変化に基づく色彩感というものが際立っている。技巧派ではあるが、和声の面では、例えばエル=バシャとか、エマールのようなピアニストと比べれば、意外に精巧ではない。それは不協和音の強打におけるアーティキュレーションをみれば明らかで、このような点では粗ささえ感じられることがあり、まだ若干の余裕残しである。

しかし、ピアノのタッチに関しては、彼以上にこだわりのある人といったら、容易には見つからないのである。すこし前のアンスネスが、グリーグの小品などを弾く場合には、似たようなものがあったかもしれない。『束の間の幻影』は、そうしたホロデンコのピアニズムを楽しむには、この上もなく楽しい作品である。

こうした響きとアクションの千変万化を楽しんでいれば、いささか晦渋な作品もあっという間に通り過ぎてしまう。この日の演奏は多分、演奏時間のみで7-80分くらいだろう。しかし、実感としては60分もなかったように思われ、アンコール3曲で諦めたオーディエンスの切り上げの早さには、私も驚いたほどである。彼のピアノは、たとえ5時間くらい聴きつづけたとしても、少なくとも耳のほうは、まったく疲れることがないと思うほどだ。そのような清楚で、ヘルシーな表現のなかで、ホロデンコは確実に、濃厚な印象を残していく。

【歌曲的なソナタ第5番の演奏】

最後は、プロコフィエフのソナタ第5番(op.38)だ。よく演奏される「戦争ソナタ」3曲ではなく、この作品を選んだところに、ホロデンコらしさがある。ソナタ第5番は1923年の作品であるが、この(op.38)に対して、晩年、作曲者自身が大幅に改訂を施した(op.135)があり、プロコフィエフにとって最晩年の作品となっている。しかし、今回、演奏されたのは1923年の版であった。

このころは、プロコフィエフの外国暮らしもおわりに近づき、さほど創作の捗った時期とは言えないように思う。同時期には交響曲第2番が書かれているが、モダーニズムというよりは形式的に整然としている作品で、ほんのり牧歌的、民謡調の旋律も浮かび上がる作風は、若干、似通っているかもしれない(ただ、交響曲第2番のようなパヴリックな意味での風刺性は除かれている)。ホロデンコの演奏は、こうした旋律の風刺性に正面から向き合ったもので、その点では誠実である。大まかな傾向は先の『束の間の幻影』と根本的に変わるものではないが、この作品ではいかなる意味でも「ジャズ」という感じはなく、いわば歌曲を歌うような性質の、細やかな音楽の運びが優位であった。

【構造とその制覇】

ここで下地となっているのは、多分、チャイコフスキーであろう。ただし、チャイコフスキー自身は構造的な作品はあまり得意とはしておらず、ピアノ・ソナタもたったの2つしか遺していない。この作品はチャイコフスキーのカンタービレを、モダーニズム的な形式の変容によって、整然と当て嵌めた風刺的作品なのである。しかし、ホロデンコはそのカンタービレに寄り添うことで、むしろ、その風刺性を高めていた。

身体を使った響きの繊細な調節がキーとなる基本線は変わらないものの、このソナタでは、もっと強いフォルムというものを彫り出すことにテーマがあった。その分、若干、響きがきつくなる局面はあったが、ここでは再び、メトネルのときに感じた拍の保持、そして、ア・テンポ/テンポ・プリモの精妙なコントロールが、作品のもつ構造的な凄みを自然に引き出すことにつながっている。もちろん、振幅が大きくなれば、その分、ドライヴの巧拙は際立ってくることになるだろう。その点で、ホロデンコのもつ味わいは、こうした曲において、プラスの方向に高められることになる。

特に、滑らかな響きの推移は、メトネルのときから大いに目立っていたが、この作品の手狭な音域における表現には、実にたおやかな効果を発揮していた。ホロデンコにおいては、ピアノの鍵盤はなにか特別な柔らかい素材でできているかのように、ふにゃふにゃになってしまう。だが、もちろん、響きはそれと同じように癒着することなく、明瞭である。そして、最後の音が拍どおりに減衰し、適切な長さの休符がそれを回収したあとで、演奏はきれいに片付いてしまったのである。

私はプロコフィエフは好きな作曲家だが、それは何と言ってもオペラやバレエ、管弦楽、さらには室内楽による印象であり、鍵盤作品では、どうもプロコフィエフの魅力が十分に感じられないように思っていたし、『束の間の幻影』や『風刺』、それにソナタ作品などは、どちらかといえば、よくわからないもののうちに入っていた。よくわからないから悪いということはない、というのは私の持論であるが、少なくとも好きではなかった。しかし、今回のホロデンコの演奏を聴いて、その感覚は大いに揺らぐことになった。

【まとめ、ルセヴも会場に!】

いつまでも続いてほしいと思わせる、アンコールは3曲で止まった。聴衆が粘れば、もっと弾きつづけたのではないかと思うが、聴き手は必ずしも、それを望まなかったのだろうか。有名な曲などひとつも弾かないし、それも無理はない。アンコールでは、自ら曲目をコールして弾きだすのだが、予想に反してかなり低い声で、前jyつのとおり、口のなかでこもるので、なんと言っているかはよくわからなかった。ステージ・マナーもいまいちパッとしない。でも、演奏は極上である。あの演奏であれば、ドビュッシーのエチュードとか、プロコフィエフのバレエ音楽の編曲も聴いてみたかったと思うし、リストも面白そうだ。また、室内楽でも、かなり柔らかくてフレキシブルなダイナモとなることだろう。

なお、この演奏会は6月4日、コンペティションの地元、仙台の常盤木学園/シュトラウスホールにて、同内容でおこなわれる。仙台フィルの臨時定期などで、地元のクラシック・ファンには、お馴染みとなっているはずの場所である。

さらに、ホロデンコは今月16日には九響に(チャイコフスキー/1番/コバケン)、9月には、日本フィルの演奏会にも(リスト!/2番/藤岡幸夫)登場する予定だ。

余談だが、この日の会場には、翌日にリサイタルを控えた第1回コンペティション(ヴァイオリン)の覇者、スヴェトリン・ルセヴも顔を見せていた。私も、次の日のリサイタルを楽しみにしているが、ホロデンコやルセヴの演奏を聴くことで、仙台のコンペティションは本当にレヴェルが高いとわかる。また、ルセヴはここ2-3週間、日本に滞在して、ソウル・フィルのコンマスとして弾いたり、チャリティ・コンサートを含めた活動にも余念がない可愛いヤツである。しかし、既にフランス国立放送フィルのコンマスにして、パリ・コンセルヴァトワールの教授でもある。日本でのリサイタルは、2009年以来。あのときの演奏会は私の記憶にも鮮明に残っているほど素晴らしかったが、今回のブラームスのソナタ全曲演奏はもちろん、別にリポートするつもりでいる。

【プログラム】 2011年6月2日

1、メトネル ソナタ三部作 op.11

2、メトネル おとぎ話 op.51

3、プロコフィエフ 束の間の幻影 op.22

4、プロコフィエフ ピアノ・ソナタ第5番 op.38

 於:浜離宮朝日ホール

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