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2011年7月22日 (金)

テオドール・ベルガー 交響的トリグラフ/管弦楽のなかの女声 レーベル:(Antes Edition)

今回、紹介する作曲家について、私は十分な知識をもっていないことを前提しておく。NMLにも、ただ2つの音源しかないのである。その作曲家、テオドール・ベルガーは1905年、オーストリア生まれで、ウィーンでフランツ・シュミットに師事した。今日的な知名度に比べれば、戦前から戦後10数年の短い間は、非常に注目された存在だったという。特にフルトヴェングラーが彼の作品を大々的に認め、ベームやカラヤンといった名指揮者もこぞって演奏したというほどである。

実際、NMLで聴ける録音のうちのひとつは、ホルスト・シュタイン、そして、ラファエル・クーベリックという名指揮者たちの手によるものである(もうひとり名前の見えるルドルフ・アルベルトも、メシアンの作品の初演などを数多く手がける高名な指揮者であるという)。

しかしながら、もちろん、我々がその名前をよく知らないように、1960年代以降、彼の名声は急速に衰えてしまった。折角、1992年まで長生きしたというのに、その後半生、同世代のカーターやアイヴズといった作曲家たちのように、十分な評価を与えられないなかでは、活動も途絶えざるを得なかったようだ。細かい経歴や歴史的な評価については、英語だがリンクのページに詳しいのでご参照を頂きたい。

さて、実際に作品を聴いてみると、今日の中堅・若手の作曲家が書いてもおかしくないような響きであって、彼が半世紀くらい、時代を先取りしていたという印象もなくはない。多分、彼の作品は60年代以降、よりハードな知的構造性を求められたトレンドのなかでは、あまりにも保守的な、聴きごこちの良すぎる作品として、周囲から遅れをとっていったのだろう。

ところが、そうした時代を経たあと、もっと活動的で、理知的な厳格性のなかにも、音楽の快活さを取り戻していこうとする、昨今の現代音楽(コンテンポラリー・ミュージック)のトレンドのなかに生きる私たちからみると、ベルガーの作品はなんとも先駆的な仕事のようにも見えてくるのである。その作品の特徴は、高度にオーガナイズされた響きのなかに位置づけられる、動的な響きの充実というところに求められるように思う。師匠のフランツ・シュミットはもっとブラームス風の厚みのある響きを志向していたが、ベルガーはラインに特徴があり、その点ではヒンデミットとかバルトークといったストリームに近しいようだ。

アルバムの前半に集められた曲は、今日、模範的な作曲手法の持ち主として尊敬を集めるペーテル・エトヴェシュのある種の作品を思わせるところもあり(ただ、それよりはずっとカラッとしている)、その活き活きとしたリズムの動きや、有機的で、大胆な和声の運びは、瞬間瞬間における響きのインパクトを強めている。そして、なるほど「交響的」というように構造観もしっかりしており、その点ではきわめて古典的である。例えば、最初に収録された『交響的トリグラフ』では、シュタイン&北ドイツ放送響のつくる肉厚な響きが、こうした構造の厚みとしっかり噛み合って、作品の魅力を大きく押し上げているように思われる。

構造分析は得意でないので控えるが、打楽器を伴った激しいリズムを主体としたモティーフと、やや宗教的で、穏和なモティーフが交代的に表れ、展開部的なところで、木管楽器を主体にして悠々と、しかし、どこか長閑に旋律を歌う部分がとても魅力的だ。このあたりはブラームス的であるし、さらに遡ってベートーベン的でもある。「田園」シンフォニーを聴くような感じである。再現部とコーダは前半の緊張感が高く、次第に高揚していくと思いきや、最後は少しずつ響きの強度が減衰して、リズムだけが緊張感を増していき、打楽器の経過区で浮き上がるようにしておわるトリッキーな構造をとっている。

一方、後半に収められた女声合唱を伴う『管弦楽のなかの女声』は、それらとは逆立ちしているものの、同傾向である。女声合唱は楽器的に使われ、言葉というよりは、その影を反映するかのように歌う。特に打楽器との関係において、繊細に響きあっている点は、今日のコンテンポラリー・ミュージックに親しむ私たちからみれば、微笑ましい要素である。編成はよくわからないが、弦楽器と打楽器のほか、ハープ、チェレスタなどの響きはハッキリ確認でき、この編成からは(それこそエトヴェシュではないが)バルトークの影響を感じさせるところであろう。

序盤はやや北欧的な透明なサウンドで、謎めいている。宗教的な感じもするし、もっと野性的なアニマな感じもつきまとっている。吹雪の向こうから聴こえるような女声合唱の響きが、次第に近づいてくる。ストーリーテリングは弦セクションが担っているが、あくまでシンプルさに徹したものである。トレモロやグリッサンドを多用し、上下に流れるような響きが印象的で、そのうえを、女声がレガート唱法で滑るように歌う。そのなかで、ときどき打撃的な衝撃音が繰り出されるのがアクセントになっており、弦もまた打楽器と同じ役割を担うときがある。

この作品は全部で20数分にも及ぶが、基本的には、このような構造が少しずつずらされていくにすぎない。ある意味、単調なはずの響きであるが、そのわりに響きに対する聴き手の親和性はなかなか失われず、内的に持続する。その秘密はひとつひとつのイディオムがよく洗練され、それがギリギリまで引き伸ばされたあと、ちょうどいいところで鋭く切り替わっていくせいであろう。また、この作品はきわめて動的な、いくつかのシーケンスで構成されるが、それらの性質は微妙に異なるリズムによって支配され、これらがそれぞれに魅力的である点も効いているのではなかろうか。

これらを粘り強くコントロールするクーベリックの手腕(オケは手兵のバイエルン放送響)も、さすがに、こうした作品において見事な効果を発揮している。

過小評価/過大評価とかいう言葉自体が嫌いだし、そういう表現を使うつもりもないが、もしもいま、活躍する作曲たちに一定の価値があるとするならば、ベルガーの作品はそのストリームの先駆者として位置づけられるようなところに置かれなくてはならない。離婚して離れて暮らした片親の特徴が、大人になった子どものなかに知らず知らず表れてくるように、彼の遺した作品の特徴が今日の作曲家たちのなかに、はっきり見えているのである。

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