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2011年7月20日 (水)

些事に騒いで復興が早まる? 松本大臣へのバッシングは正しかったのか

もう辞めた人のことで、しかも、評判のすこぶる悪い人のために擁護論を発するのも無駄なことだ。しかし、松本龍復興大臣に対するバッシングには、私は必ずしも賛成ではなかった。そのことについてずっと発言したかったが、そろそろほとぼりも冷めた時期なので、それに適切なときになったと思う。

もともと不人気な総理によって選ばれた大臣であり、態度も発言内容も最悪だったのだから、ご存じのようなことになるのも止むを得なかったのかもしれない。とはいえ、仮にも復興の舵をとる大臣を、こんな些事で辞めさせることが、本当に妥当だったのであろうか。こんな大臣は早く辞めてもらったほうが、復興は早まるのだという人もいた。では本当に、復興は早まったのだろうか?

松本氏は2010年9月17日に菅内閣の環境大臣として入閣し、内閣府の防災大臣も兼務した。合意が危ぶまれたCOP10では、議長として会議を期限ぎりぎりでまとめることに成功し、「名古屋議定書」の調印にまでこぎつけた。3月11日に大震災が起こると、防災大臣として現場の指揮を執った。復興構想会議を東京ではなく、被災地でおこなうように提言したのも彼であるという。6月27日、松本氏は環境大臣の任を解かれ、従来の防災大臣と兼務する形で復興大臣に転じた。そして、7月初旬、復興大臣として初めての仕事となる、被災地の県知事との顔合わせでいずれも問題発言をすることになり、メディアによる激しいバッシングのなか、7月5日に大臣を辞任した。

多くの方が指摘されるように、もちろん、松本氏が人格的に優れていたようには思えない。傲慢で自尊心がつよく、知事でもなんでも自分の部下のように扱っている。被災地の人たちと「ともにある」というよりは、その上に立って、指導してやるという意識がつよかった。それはアフガニスタンの指導者たちを嘲笑いながら、俺たちが邪悪なタリバンをやっつけてやると威張っている米国の指導者たちのようなものであろう。ただ、人格的に優れた人だけが、良い実績を出し得るとは限らないのも政治の世界である。

例えば、米国のニクソン大統領はウォーターゲート疑惑で辞任という不名誉なキャリアの閉じ方からもわかるように、決して人格的に高潔な人物ではなかったかもしれないが、米国の外交・防衛政策上のロスを大きく改善し、ベトナムからの撤退や中国の承認などの外交的成果は特筆に値し、さらに、治安政策などでも実績を挙げている。

だから、松本氏がいささか人柄の面では紳士的ではなかったとしても、同時に、復興大臣として能力がなかったのかどうかはわからない。それを計るための時間は、氏には与えられなかったから、私としても評価は下しにくいところである。しかし、少なくとも氏は被災地のために積極的な行動をみせ、主治医の会見によれば、その心労から軽い躁状態にもなってしまったというほどなのである。既述のように、松本氏は復興対策会議を被災地でやるようにし、もう政争はたくさんだと申し述べている。

松本氏の失言のひとつに、民主党や野党各党の名前を含め、全部が嫌いだと発言したものがある。この発言に対して、野党議員などから「復旧・復興の中心に立つべき人が与野党の協力が必要ないと考えているならば任に当たる資格無し」などと反発の声が出た。しかし、自公がこれを「協力が必要ない」ものと曲解して反発したのは、意外に、自分たちにとって痛いところをつかれたせいではなかったかと思うのである。松本は自党も含め、オール野党で菅おろしに躍起になる政治情勢を批判し、そのように発言したにちがいない。松本氏の発言は、この時点ではまだ、国民大多数の意に沿ったものであった。

これを含め、松本氏の失言とされるものをよくよく検討してみると、言葉のニュアンスや態度などを含めて、反発を買いやすい要素はあったものの、概ね正論であったように思う。最初に菅総理の退陣が復興への早道とする発言はいまや、誰もが言っているようなことだし、いま出した「嫌い」発言も政争に時間を使ってほしくないという民意に沿っている。

岩手県知事との会談では、例の「助けない」発言が出た。まず、「助ける/助けない」という語彙がよろしからず、また、「助ける」ことに条件をつけたところにも大きな問題があるように思われる。しかし、そのような部分をニュートラルにして、論旨の中心的なところを考えれば、別にそれほど不穏当な発言というほどではない。「助ける」という思想そのものが良くないという議論は別としても、なにも本当に「助けない」という風に言っているわけではなく、それぐらいの覚悟で、自治体も知恵を絞っていかなくては復興など進まないという考えならば、これは正論であろう。

最後の宮城県知事との会談では、時間どおりに来ずに待たせたことを叱責し(実際には時間どおりだった)、命令調で知事に指示を出したりして反発を買った。また、メディアに対しては、これはオフレコで「書いたらその社はもう終わり」などと言って、言論統制ともとれる発言をしたのも問題とされた。これは地方自治や、表現の自由などの問題からみて、確かに問題の多い行動(発言)である。自分をお客さん扱いし、丁寧に遇することを求める発言も、復興大臣の立場としては適切でない。

ただ、それでも、その一事によって罷免に値するとまでは言いきれないように思われる。確かに、鼻持ちならない人物でもあるようだし、それが仮に躁状態の産物だったとしても、許されるものではないと思う。とはいえ、些事は些事である。

些事は必ずしも、大事でないとは言わない。私も社会人であり、自分の小さな発言やちょっとした態度が、取引相手やお客さんからの信頼にとって、どれほど重要なものであるかを心得ているつもりだ。それが大臣ともなれば、私の何十倍、何百倍も気をつけなければならないことがあるはずなのも自明なことである。しかし、逆にいえば、それほど大事なことだからこそ、私たちが身なりや態度など、直感的なものでセールスマンを判断するようには、大臣を判断すべきではないということもいえるのではなかろうか?

松本氏はもともと、部落解放同盟の幹部まで務めた人物で、地元・九州では建設会社を営み、タブロイド的な記事を鵜呑みにすれば、暴力団などとの関係も取り沙汰されている人物である。その真偽はともかく、後任の平野大臣が農政の「専門家」であるなら、松本氏はインフラ政策などの「専門家」であった。そして、チームのなかでは、松本氏は突破力のある人物であったように思われる。このような行動力の高い人物も、復興の現実のなかでは必要だったという気がしてならないのである。

もちろん、私は松本氏について論じるには、あまりにも情報がないことを自覚している。実際、タブロイド誌が言うようなことがどこまで事実なのか、私に判断する能力はない。ただ、ああいう形で些細な発言に大騒ぎして、大臣を辞めさせるという行為そのものには違和感を感じるのだ。たとえ彼が、タブロイドのいうような人物であったとしても、この騒ぎそのものには決して共感できないのである。

つまり、私は松本氏についての擁護記事が書きたかったわけではなく、その辞めさせ方について、あまりにも無批判な我々の姿勢を問い質したかったのである。松本氏もまた、剣よりも強いペンの暴力に曝されたひとりの個人である。彼のもつ能力や、復興に対する熱意への検証は十分でなく、言葉尻を捉えた人格攻撃ばかりが頻りである。あの態度や発言をみれば、もちろん、私だって反発を感じないわけはない。しかし、本当はそのような反発が正しいものかどうか、松本大臣がどういう人物なのかを冷静に、情報によって検証していくのがメディアの仕事であるはずだ。それが、取材である。

私は以前、ある音楽ジャーナリストが読響の弦セクションについて発言し、本当かどうかわからない印象だけでブログに個人攻撃を書き、取材を欠く中途半端な状態で公表したことを強く攻撃した(その人物の名前をキーワードにブログ検索すると上位に上がってきてしまうので、記事は後日、非公開にした)。

同じように、松本大臣の一件でも取材はなく、発言そのものが何度も、批判的に流されるのみだった。はじめは多くの人たちと同じように反発したが、そのうちに私は、松本氏への反発が正しいものなのかどうか、徐々に自信を持てなくなってきた。その責任はもちろん、自ら情報を集めることをしない私自身にもあるのだが、とはいえ、偏った情報ばかりしか与えないメディアにも、応分の責任があるはずだ。しかし、激しいバッシングのなか、松本大臣は辞任を余儀なくされたのである。

これに限らず、最近、私たちは政治に対して堪え性がなくなっている。確かに腹立たしいことも多く、私利私欲ばかりの政治劇には、堪忍するだけの余地もないように思えるだろう。だが、あまりにも早く諦め、怒り、見捨てることで、我々は結局、損をしているのである。例えば、衆院選後、1年足らずで民主党を低評価にし、参院選で行動したために、私たちは民主党の決断力を弱めてしまった。総理の資質云々ということもあるが、参院選で野党を大きく勝利させ、民主党の力を弱めたことで、我々は彼らの決断力が弱くなるように行動してしまったのである。

我々は自分たちの行動の意味を、はっきり理解しているのだろうか。衆院選で民主党を勝たせたあと、参院選で支持を打ち切ってしまうということは、結局、その発言力を失わせ、決断力、行動力を弱めることになるのである。そうなれば、政策の決定には時間がかかり、妥協的なものとならざるを得ない。まとまらない、というリスクも出てくる。もちろん、それは与党にとって最大のリスクであるが、私たちにとってもリスクであることを忘れてはならないだろう。いつ、そのカードを切るかということには、もっと慎重でなくてはならないのに、我々はあまりにも感情的に行動しすぎなのである。

良い内閣であろうが、悪い内閣であろうが、少なくとも4年ぐらいは我慢するようにすべきである。そうでなければ、議員たちも相互対話を望まないだろう。どういう形であれ、相手が一日も早く退陣することこそが、彼らにとっての政治的勝利となってしまうからだ。私たちはそのことで政治家を批判するのだろうが、実は、そのような状況を作り出しているのは私たち自身であることも忘れてはならない。そんなことは許さない、国民のために対話をつくることこそ政治家の義務だという信念を、私たちは行動で示す必要があるのだが、実際は、彼らの行動を助長するようななことばかりしている。

結局、政治の安定こそが復興を早めるのは間違いないことであろう。菅おろしも結構だ。彼が辞めなければ、すべてはうまく進まないというのが一般的な議論だが、彼が辞めたら辞めたで、野党がそのまま引き下がるようには思えないのだが・・・。では、民主党そのものが政権を降りれば、もっと復興は早まるのだろうか。それもまた、詭弁のように思える。いずれにしても、政争で復興が早まったりすることはない。安定だけが、復興を早めるからだ。それを望まない人たちによる政争が、復興を遠ざける。

私はごく少数派だが、単に安定がいいという理由で、菅総理のままでもいいと思う立場である。それに逆らう勢力はすべて、復興よりもほかのものを優先する立場であると見做す。極論かもしれないが、私はそう思っている。

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