2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ

« 大野和士 マーラー 交響曲第2番「復活」 サントリー音楽賞受賞記念コンサート 8/29 ① | トップページ | ベートーヴェン・トリオ・ボン ラフマニノフ & ブラームス @浜離宮朝日ホール 9/1 »

2011年8月31日 (水)

大野和士 マーラー 交響曲第2番「復活」 サントリー音楽賞受賞記念コンサート 8/29 ②

【アンサンブルの生かし方】
アンサンブルの生かし方にはいろいろなスタイルがあるが、それを承知でざっくり2つに分けてしまうと、引き締めるか解放するかのどちらかとなる。フルーティストの工藤重典は、LFJのマスタークラスで、例えばオーケストラで2本のフルートが並んでいるとして、2人がぴったり合うように求める指揮者のところでは吹きたくないといっていた。彼によれば、フルートはデリケートな楽器であり、その音色には気候や個人の体調も影響するのだから、2人の響きがぴったり合うなんてことは、ほとんどあり得ないのだという。なるほど、そうでもあろう。しかし、かつての名指揮者、セルジュ・チェリビダッケの場合はどうか。彼はティンパニの響きひとつ、気に入らなければ1時間でも、何時間でも、執拗にしごき上げたというではないか。

工藤のいうような奏者のこころや実際を知ることは、名指揮者としての条件である。一方、チェリビダッケほどではないしても、自分のイメージを何らかの手段で厳しく守ることもまた、名指揮者としての条件であろう。これら両方の要素を、完璧に掌握した指揮者など、どこにもないのではなかろうか。楽員に甘くすることで、名声を得ることは簡単だ。クラウディア・アッバードを見習えばよい。プローベは嫌いだが、本番では「オーラがある」ともてはやしてくれるだろう。しかし、実際には、それでは良い音楽にはならないのだ。チェリビダッケやフルネがつくったようには、良い音楽にはならない。ただし、自由に響きを任された奏者たちは、広いフィールドのなかで自分なりの味を発揮するかもしれない。そういう意味で、アッバードに、ルツェルン祝祭管を指揮させるというのは素晴らしいアイディアだろう。

大野和士の場合は、これらのいずれに属するという感じでもないが、どちらかといえば、既に述べたような「リソース」を生かしきるという視点で、アッバードの流儀にちかいものを感じる。しかし、その経歴をみれば、彼はむしろ、サヴァリッシュやバタネといった叩き上げの職人的指揮者に習っているのであり、アッバードほど「神がかった」手法はとっていないようだ。彼の想いはいわば、リベラルな考え方をもった高校教師のようなものである。彼は生徒の力が最大限に発揮されるためならば、何でもするというタイプの人物なのだろう。そのことには長所もあるが、具体的に欠点を指摘することもできる。

【大野の演奏スタイルと裏表の問題点】
そのひとつは、求める着地点が低くなりがちということだ。

この日の大野の演奏は、縮こまって表現が小さくなるぐらいなら、思いきってやろうというスタイルに統一されている。そのため、特に木管/金管楽器の奏者たちは本当にのびのびと力を発揮していた。とはいえ、いささかアマチュア的な成功ともとれる。とりわけバンダなどは、2FのP席の裏手から演奏しても、客席には随分とよく聴こえ、ほとんど表で吹いても変わらないのではないかというほどの元気の良さだった。これに象徴されるように、大野が東京フィルに求めた着地点は、彼らにとって、いささか到達の安易なところが多かったように思われる。強弱がないとか、強奏ばかりで mf 以下はないというような粗っぽさではないにしても、体操競技でいえば、失敗を畏れなければ、あと半分ぐらいはひねれるのに、それはやらずに高さをすこし稼いだという感じであった。

また、ある楽器の良さと、別の楽器の良さが、必ずしも折り合わない場合はどうだろうか。例えば、第5楽章のトロンボーンについて、私は褒めたが、そのあとを必ず追っていくことになるトランペットの響きは、私にとって納得できるものではなかった。トロンボーンがマーラーの書いた旋律を穏やかに、柔らかく響かせたあとに、華々しく、颯爽としたトランペットの良さは、必ずしも符合しあうものではない。もしも、こういう部分がもっと多い曲であったら、私は大野の演奏を決して支持することはなかったであろう。

【第2楽章以降への個評】
良さと硬さが拮抗しているのは、第2楽章だろう。例えば、アッバードはここの主部で、弦楽器をマンダリンのように持たせて、自由で陽気な雰囲気を演出していた。このトレンドは弟子筋に当たるハーディングなど若い指揮者にも受け継がれ、ひとつのスタンダードになっている。しかし、大野はこのような表現をとらない。彼の解釈では、そのような表現が妥当であるのはほんの一部でしかなく、全体があまりくつろいだ雰囲気になるのは筋違いという考えになっているのだろう。

むしろ、中間の2-3楽章で、大野は旧来の対位法や舞曲などの表現手段に厳しいアイロニーを送っているのであって、その部分を際立たせた演奏になっている。第2楽章は必要以上に華美で、温かい表現をとらず、むしろ、そういったものを吹っ飛ばすような表現をとっている点に注目したい。ただし、最後の部分だけはそうではなく、これがつづくスケルッツォへのインターフェイスとなっている。プラス+プラスではなくマイナス同士の接続だが、特徴的である。このような構造的な面白さはあるものの、響き自体には若干、遊びが足りず、マーラーが「ウィーン音楽」の一種であることを考えれば、すこしばかり端整にすぎるだろう。ただ、全体が非常に抑えた強度で表現され、コンパクトに凝縮していた点は印象に残る。

マーラーの交響曲はここ(第2楽章)から、静的なスケルッツォと動的なスケルッツォが繰り返し現れる構図をとる。第3楽章はハンス・ロットの主題とされる中間部の素材(交響曲第1番とも関連付けられようか)を大胆に提示したり、メンデルスゾーンの使ったような素材を引いたりして興味ぶかい部分だが、大野の演奏にそれほど大きな特徴は見られない。次の「スケルッツォ」である『原光』による第4楽章は、既に述べたように坂本の丁寧な歌唱が気を惹いた。

終楽章は、合唱の登場が待ち遠しい。序盤から中盤まで、合唱は立ち上がらずに椅子に座ったままの歌唱であった。交響曲の終楽章にコーラスを導入したのは、ベートーベン(9番)、メンデルスゾーン(2番)に次いで、多分、マーラーが3番目の例である。この伝統はさらに、ショスタコーヴィチ(13、14番)などに受け継がれていく。このコーラスは正に、長すぎるマーラー終楽章のねじまき役である。大野の指揮では、コーラスも随分とのびのびできるが、田中信昭らの指導による下味はかなり厳しく言葉を抉ってあった。特に立ち上がって、響きの解放される後半戦では、私も思わず口を開いて一緒に歌ってしまいたくなるほど、気持ちよさそうに歌う。だが、決して歌いすぎることはない。

ひとつ失敗だったのは、合唱とソリストを引き離したことだろう。この関係で、特に損をしたのはソプラノの並河寿美である。響きがやや浮き上がり、全体のなかに溶けきらなかった。あるいは、聴き手によっては、坂本が声量不足と感じる人があるかもしれない(それは妥当な見方ではないが)。

【大野の演奏を引き立てるドライさ】
こうした要素が溶け合う最終部分は、適度に抑えが効いたスッキリしたアンサンブルの美しさが味わえ、全体の響きがうまく凝縮。鐘の音がややドライなことのみ違和感があったが、その乾いた響きがまたマーラーらしいところでもあり、これは今後、いろいろな演奏を聴いて研究してみたいところだ。いずれにしても、その響きは押しつけがましくない範囲で、聴き手のこころを完全に捉まえた。大野の表現のもうひとつの美点は、このようなある種のドライさではなかろうか。彼は「お涙頂戴!」とか、「響きをよく聴かせたい」なんてことはあまり考えない人だ。これは、彼がイタリア・オペラが得意そうだといったのと矛盾しそうなことだが、そうではないと思う。実際、イタ・オペの世界で私がもっとも尊崇するトゥーリオ・セラフィンなんていうのは、私見では、かなりドライな考えをもった指揮者である。

派手なものほど、慎ましやかに表現することで味わいが出る。ゼッフィレッリの『アイーダ』なんて、ヴェルディの趣味のわるさしか表現していないが、ゲッツ・フリードリヒの『トリスタン』は、ワーグナーの浅薄さをより深い大地に根づかせる。別に明るいものが浅薄で、暗いものが重厚だということではないが、2人の大演出家の表現のどちらが優位であるかは議論を待たない。マーラーもその巨大な編成からして既に、表現は派手になりがちだが、大野はそのなかにあるシックなセンスに注目している。派手さのなかに派手さしか見出さないような表現ではなく、それを巧みにコントロールして内面化する技術。大野はイタリア・オペラにおけるそのような面を、マーラーの演奏に適用しているようだ。

オケが退く間もなく、熱い拍手によるソロ・カーテンコールは2回!

少なくとも、この日の彼にはその価値があった。健康状態の芳しくない小澤氏の後継に相応しいかどうかは、たった1日の演奏で判断し得ることではない。しかし、そのポテンシャルを十分はもっているし、私が気づくのが遅すぎるぐらいだろう。ただ、野田新総理のように、まだまだ相当な努力が必要なのも事実である。そんなことはきっと、彼自身がいちばんよく心得ていることだろうが!

【プログラム】 2011年8月29日
1、マーラー 交響曲第2番「復活」

 コンサートマスター:荒井 英治

 於:サントリーホール 

« 大野和士 マーラー 交響曲第2番「復活」 サントリー音楽賞受賞記念コンサート 8/29 ① | トップページ | ベートーヴェン・トリオ・ボン ラフマニノフ & ブラームス @浜離宮朝日ホール 9/1 »

オーケストラ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/543421/52615077

この記事へのトラックバック一覧です: 大野和士 マーラー 交響曲第2番「復活」 サントリー音楽賞受賞記念コンサート 8/29 ②:

« 大野和士 マーラー 交響曲第2番「復活」 サントリー音楽賞受賞記念コンサート 8/29 ① | トップページ | ベートーヴェン・トリオ・ボン ラフマニノフ & ブラームス @浜離宮朝日ホール 9/1 »

ツイッター

  • ツイッター

最近のコメント