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2011年8月18日 (木)

オッフェンバックの毒 ~私の求める音楽の理想像

【私にとってのクラシック音楽】

私にとって、クラシック音楽を聴くこととは遊びにすぎない。しかし、遊びごとにもいろいろなレヴェルがあり、例えば、日本人が茶の湯や生け花、書などの芸事に「道」という言葉をつけてみた如くに、私の遊びごとはひとつの道に通じる。ただ、自分が直接、その道をよく嗜まぬことと、そのことをカネと結びつけない点で、この道はいつまでも遊びに留まる性質のものであろう。

私は大学時代までは、その道を極めるに、やはり商売になるレヴェルでの成功が必要だと思いなしていた。自らの才能がないために、その道を追うことを断念したという側面もなくはないが、高木仁三郎やマザー・テレサの影響によって、私は大きく道を踏み外した感じがする。その「踏み外した」のが、実は正しい道への復帰であったかもしれないが、私はとにかく、アマチュアとプロの間にさほど差がないということを実感し、まずはアマチュアとして人間力を蓄積することに大きな意義があると信じた。音楽の世界では特にそうだが、アマチュアとプロなんて、ひょんなことで交換可能である。私が特に大学時代、熱心に考えた批評の道もそうだろう。それかあらぬか、私がいちばん憧れた批評家は、もっともアマチュアっぽい批評家であった。坂口安吾である。

だからというべきか、遊びではあるにしても、その遊びに、私は厳しい「道」のあり方を求めてきた。いつからそうなったのか、よくわからない。しかし、私は音楽を個人の愉しみや趣向を越えたものとしてイメージしているし、足を運ぶ演奏会を選ぶところからして真剣勝負である。確かに、私の立場は曖昧で軽いものであろうから、傲慢な書き手にならないことをいつも注意しているし、それはしばしばうまくいかないが、それはプロも巧いのとそうでないのとがいるように自然なことだ。したがって、私は偶然にもここをご覧になる同好の方々や、実際に演奏しておられる高貴な方々から、ときには「消えてなくなれ」といわれることも覚悟している。ただ、彼らの手厳しい批判にもかわわらず、私の高慢さからいって、自分の能力がつづく限り、当面、絶対に消えてなくなりはしないだろうことも確かだ。

【クラシック音楽をめぐる現状】

さて、そういう私からみても、このクラシック音楽という「道」は、随分と厳しいものだということがみえてきた。特に私がいちばん気にかかることは、この道を守るべき正しい表現の在り方は、必ずしも人気がないということだ。前衛音楽の追究に愛想を尽かし、やはり人間のこころに響く音楽こそが作曲家のめざすべき道であると信じて、新たな道を歩み出した三枝成彰氏の論理は、非常に明解だ。しかし、私はそこにある種の言い訳めいたものを感じる。三枝氏の論理の肯定は、つくりものめいた前衛音楽の歴史を否定するには、ある程度は有益だろう。一方、音楽の新しさというものに対して、まったく感覚を失ってしまった現代の聴衆を肯定するようで、実際には、見下す視点がないとはいえないのではなかろうか。つまり、彼は人間の「こころ」のレヴェルを、従来より低く見積もることから自らの着地点を探った。その結果、一流の商売人とはなった。商売人がまず真っ先に力をもつ社会で、三枝氏はようやく権威を取り戻しつつある。

【大衆とはどのようなものか】

クラシック音楽は大衆化されねばならないのか?

もちろん、そうである。しかし、「大衆」とは一体、どういうものなのであろうか。わかりやすいものにしか反応しない、これが本当に「大衆」の正体なのであろうか。人気を得るものだけが「大衆」に対する勝者であり、世の中における正しい方向性をもっているのか。そういうものに感応する層を「大衆」と規定して、そこにすり寄る表現のみが生き残っていくべきなのか。

もしも、そういう考えがあるとしたら、そこに見下しがあるのは明らかである。ある種のニヒリズムであり、現実主義だが、その根底には見下しがあるようだ。私の愛する安吾も、ニヒリストであり現実主義者であった。大衆を教化してやろうとか、もっと高いところに引き上げてやろうというような、共産主義的な理想は持ち合わせていない。しかし、このニヒリストはその心根の奥深くでは、常に人間存在に対する深い愛情を抱いていた。そこが現代の、他者を突き放す冷徹人間たちとは異なるところだ。安吾は、普段、皮相の部分でしか反応しない大衆のこころを見抜きながら、なおかつ、その内側に語りかける能力をもっていた。

三枝氏もあるいは、そういうことを志しているのかもしれないが、例えば、ジャック・オッフェンバックと比べれば、その志は甚だ曖昧である。

【ジャック・オッフェンバックという存在】

オッフェンバックは19世紀中葉のパリを、正に「占拠」した。晩年、その勢いは衰えたが、その音楽の抗いがたい魅力と、豊富で鋭い風刺の精神は、今日の世界でもなお愛されている。欧州ではドル箱企画とされる『地獄のオルフェ(天国と地獄)』のほか、『ホフマン物語』『美しきエレーヌ』『ジェロルスティン大公妃殿下』『パリの生活』など、欧米の主要劇場では彼の演目がシーズン・プログラムから絶えることはない。

皮相の部分は、別の分野の音楽で十分に埋め合わせが効く。しかし、より強い風刺性というものは、クラシック音楽でなければ、なかなか担うことができない。桑田佳祐や、いまは亡き忌野清志郎のような例外もあるが、例えば、オッフェンバックの音楽は彼らのもつような風刺性を、もっと強大なスケールで世に問うものである。一般から思われているように、オッフェンバックは耽美的で、大衆迎合的な、しかし、節々に風刺的なところもある大コメディアン的な作曲家ではない。そういう面もあるけれども、もっと本質的にオッフェンバックは社会にとっての毒である。これを受け容れた19世紀中葉のパリは懐が深かったというべきか、あるいは、単に何も考えていなかったのであろう。

例えば、ここにリンクするルネ・レイボヴィッツの指揮による『地獄のオルフェ』の有名なイントロダクション(編曲した序曲ではない1858年パリ初演版の冒頭部分)だけでも聴いてもらいたい。ここで耳にするのは、正にオッフェンバック=毒そのものだ。この時期、1世代前のショパンが体験したような薄暗いパリの風景は、ナポレオン3世の下でオスマンが進めるパリ改造によって、劇的に払拭されようとしていた。これ以後、パリは「花の都」に相応しき美しさを獲得していくことになる。ところが、オッフェンバックはそのような光の時代が、相変わらずの薄暗さのなかにあることを冷徹に見抜いていた。

それかあらぬか、有名なオルフェオとエウリディーチェの夫婦愛など初めからない。彼らはともに愛人をつくり、妻の死を夫は喜んでいるのだが、「世論」に押されて冥府行きをいやいや決断するのである。劇の終盤、オッフェンバックはグルックの同素材の作品から、有名なアリア「エウリディーチェを失って」の旋律を実に皮肉な形で用いている。編曲された序曲で有名な旋律は、ナポレオン3世に蹴飛ばされて整理されるパリ市民の悲劇を風刺的に描いたものだろう。それは最後、ベルカント・オペラへの皮肉と重ねられて、より強烈な風刺に発展する。レイボヴィッツの録音は作品を僅か90分程度にまとめたものだが、このようなアイロニーのもつ意味を実に的確に捉えているだろう。最初の部分を聴いたら、第2幕第2場の16分強にも耳を傾けてほしい。最後、私はあまりにつよい毒気に、胸が詰まってしまう。

近年、ミンコフスキの美しい映像付き録音が出て、これはこれで素晴らしいのだが、生来、この指揮者は音楽の美しさに対して素直すぎるところがある。落語でいえば、先代の圓楽みたいなものだ。その点、レイボヴィッツは容赦なく、談志のような鋭い風刺性に恵まれている。オッフェンバックのみたパリは嘘と背信にまみれ、その上、血なまぐさかった。その現実を踏まえながらも、彼は快楽や笑いという観客の望むものをうまく与えながら、観た者をついにどん底に落とすような作品を書いた。それが『地獄のオルフェ』である。

【パリの生活/ホフマン物語】

それと比べれば、『パリの生活』などという作品は、ずっとオプティミスティックだ。バロック的なドタバタ劇が展開し、なにも考えないで楽しめる。ところが、ここでも嘘や背信が横行し、しかも、それは当たり前のように許されて問題にもならない。そして、その軽薄な人間関係が、ロッシーニ風のイタリア・オペラの響きで堂々と展開されるのだ。

そして、人生の最後に、オッフェンバックは『ホフマン物語』に到達する。残念ながら、最後まで完成しなかった未完のオペラだが、同じく未完のプッチーニ『トゥーランドット』と同様に、よく上演される人気の演目である。2つの作品はともに決定的なエディションがないことから、かえって音楽的、演出的、両面から様々な可能性が試されている。『ホフマン物語』の魅力の中心は相も変わらず豊かな音楽的充実と、人々に騙されつづけるホフマン青年に対する嘲笑による観客の精神的な優越、そして、同時に、彼へのほのかな同情が相交じった、不思議な感覚である。

正に、傑作である。ここでオッフェンバックはついに、毒とクスリを同じものにした。ホフマンのなかには、すべてがある。成功も失敗も、信頼も裏切りも、愛も憎悪もすべてだ。クラインザックを嘲笑って酒場の人気者となったホフマンは、すべての幕を通過して、ついにクラインザック自身になっていく。彼の失敗の物語は、そのままパリの醜悪さに通じる。機械仕掛けのオランピアの場では、株という不確かなものによって動く経済社会への皮肉が、そして、機械社会に対する手厚い皮肉が響く。恋に生き、歌に死ぬアントーニアの場では、パリを精神的に押し上げる芸術に対する痛烈な風刺がみられる。そして、ジュリエッタの場では、そうした風刺性はついに人間存在そのもののレヴェルへと引き上げられ、影を奪われるという強烈な幻想的悲劇によって、作品世界は急転直下、現実に回帰する。

ホフマンはついに酔いつぶれ、恋人、ステラを権力者のリンドルフに奪われて絶望する。演出によっては、ホフマンが自殺するものもある。ついに、オッフェンバックは一時、そこで寵児となったパリでの生活に絶望してしまったのだ。

オッフェンバックが追いかけたものは、大衆の本性であり、その恐ろしさである。彼は大衆の望むべきものを与え、そのおかげで時代の寵児とはなった。しかし、彼はいつも、そのような大衆のどこかに、安吾と同じようにアクセスできるポートがあることを信じていたはずである。惧れ慄きながら、オッフェンバックはパリの市民といつもともにあろうとした。実際の彼らは、まったくの嘘つきで、軽薄で、頼りがいがなかったことだろうが、彼は諦めなかったのだ。有名な「ホフマンの舟唄」を思い出してみてほしい。彼の思想は、このような音楽とともにあるのであろう。ホフマンの絶望は、本当の絶望ではなかった。劇のなかでステラは彼から去るが、実際には、ホフマンのほうが彼女の下から去っていったのだ。

【オッフェンバックが最後にめざしたところ】

なるほど彼は、死を望むでもあろう。だが、オッフェンバックの構想では、多分、死はホフマンからは遠くにあった。オッフェンバックにとっての死とは、パリとの訣別であったと思う。それは彼にとっては、まるで地獄への船出のようなものであったろう。実際、ホフマンはそのあと、影を奪われるという最大の災厄に見舞われる。しかし、それでも進んでいかなければならなかった。オッフェンバックにはきっと、そのことがわかっていた。残念ながら、オッフェンバックに残された寿命はなかったので、私の意見は検証不可能であるのが残念だ。

【最後に】

人気や知名度といったもが「大衆」を人質にとるとしても、彼らの得たものはすべてニセモノの名声である。音楽を大衆化するという名目による、あらゆる妥協はニセモノの成功でしかない。プロの音楽家なら、私のこころを皮相で捉まえるのではなく、もっと深いところで燃え上がらせてほしい。オッフェンバックや坂口安吾がやったように。どこにホンモノの試みがあるのか、自分のセンスとセンサーで探していくしか方法はあるまい。これが、私の「道」である。だが、残念ながら、私から世界は遠ざかっていく傾向にあるようだ。しかし、すべてが遠ざかっていくわけではないと信じている。

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