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2011年8月22日 (月)

三澤洋史がミラノへの短期留学報告を公表 ~三澤洋史はオペラを改革する!

三澤洋史は最近、文化庁による短期在外研修でイタリアのミラノに渡って、スカラ座の内幕などを視察し、現地言語学校などで経験を積んできた。その成果が、氏のHPで公表されている。文化庁への提出文書と同じということだが、我々にも読みやすい文章で「読みもの」としても十分に楽しめた。面白いことに、意識して書かれたのかどうかは定かでないが、序論を別にすれば、前から読んでも後ろから読んでもどちらでも通用するようになっていて、いわばドイツ音楽的にシンメトリカルになっている。言語論が好きな人は前から、オペラが好きな人は後ろから読むとちょうどよい。そして、それらのいずれにとっても重要なメッセージが、少なくとも1つは含まれている。そして、それらは最終的に連結する。

まず、私が驚いたのは、私たちがどれだけ自分たちの言語・・・つまりは、日本語について無知であったかということである。例えば、三澤は日本語と西洋言語の母音について比較し、日本人の母音に対する意識がきわめて不十分であることを指摘している。三澤は福井県の’fukui’の最初の’u’が無意識に無声化していることを指摘し、「このような『母音の無声化』が、日本語ではしばしば起こっている。我々日本人は無意識の内に、ある法則に従っていくつかの母音を欠落させてしまうのだ」と述べている。こんなことは日本語を当たり前のように話し、しかも、それしか意識的に学んでいない人・・・つまり、私のような人には一生、気づくことができない事実である。

しかし、そのことは一生懸命に外国語の歌を学んでいる人たちにとっても、すぐに気づけることではないのだろうと思う。この母音の秘密を中心に、イタリア語やそれによる歌のもつ独特の癖を追っていくことで、三澤氏は彼の大発見に近づいていくのである。それは文中の、「ポルタメント~決定的な発見」というところで、はっきりと申し述べられているので繰り返さない。

後半の第2章では、スカラ座の現状とそれに対する批判。日本人がネイティヴの表現とわたりあっていくために、生かすべきリソースについて述べられている。そして、それを生かすために、指揮者としての自分が何をすべきかについての考察である。そして、文章は次のような形で閉じられる。「私はいつの日か、ヴェルディの音楽の神髄は、日本において完全な形で成就しているという評価が与えられる日を夢見ている。そして、それは、そう遠からぬ日に実現することを確信している」。力強い言葉である。

そして、それを実現するためのリソースとは、例えば、女子サッカーの「なでしこジャパン」が証明してみせたようなものと共通する。サッカーはなにも、日本で伝統的に盛んな競技ではない。私が好きだった木村和司が若いころなど、競技場もひどかったし、観客も少なかった。最上位カテゴリーの日本リーグよりは、「高校サッカー」のほうがよく知られていたかもしれないというぐらいだ。しかし、木村のほか、カズやラモスといったタレントが出て、「ドーハの悲劇」を体験し、それと前後するように、1993年に「Jリーグ」が爆発的な人気でスタートして以来、野球と勢力を分け合うようなスポーツに発展した。


それは、三澤のいうような「日本人の西洋文化に対する情熱と畏敬の念」から始まった。日本サッカーは当時、西洋はおろか、韓国やサウジアラビアといったアジアの強豪国にも大きく遅れをとっていた。しかし、「ドーハの悲劇」をも乗り越えた日本人の情熱は、2002年の日韓ワールドカップの成功/ベスト8進出という輝かしい結果となって、極東の空に燦然と輝いたのである。ちょうど、こうした日本サッカーの歩調にあわせるように出てきたのが、ことしの一番星となるであろう澤穂希ということになる。澤は、私よりも一つ年上だ。きっと彼女もJリーグ直前世代の素晴らしいプレーや、トヨタ・カップなどで僅かにみられた世界最高のプレーに接して感動し、こんな凄いスポーツがあるんだということを身を以て感じたのであろう。

さて、「なでしこジャパン」最大の武器は、なんといっても組織力だ。その強さはポゼッションとスピードで表現され、個々のプレーヤーの献身的なチーム・プレーと高い連携、そして、最後まで諦めない精神力ということで、いまや希望のみえない日本復興の旗印となっている。そして、歌の世界においても、やはり、これが武器となる。スポーツや歌に限らず、産業界でも同じことだろう。すこし前まで、私たちは「個性」という言葉をキーワードに、この日本人独特の連携の意識を乗り越えるという課題を何よりの命題としてきた。サッカーでいえば、中田英寿という最高の例があった。

しかし、いまは、その「個性」主義がいささか衰えをみせる。大震災のこともあり、再び私たちは、強調や連携につよい関心を抱くようになってきた。サッカーでいえば、南アフリカにおける「岡田ジャパン」こそがその嚆矢なのであるが、その引き写しとは言いながら、結果においてより輝かしい成功をおさめた「なでしこジャパン」が、我々の目指すべき社会に対する力強いイメージを提供することになる。三澤洋史は音楽の世界で、これと同じような革命を志しているといえようか。整然とあっているというのが日本人による合唱の良さであり、同時に欠点でもある。その良さを欠点に落とすことなく、イタリア・ベルカントの真髄(それは言語への感覚に通じている)とあわせて、いかにニュアンスゆたかに表現するかということに、三澤の関心は向いているようだ。

つまり、これらの問題は、前から読んでも後ろから読んでも同じことなのだ。オペラの良さは、言語の良さと相通じている。言語を理解することが、オペラの良さを引き出すのである。演技力(演技する意識)も高く、整然とあっている日本の合唱団の素晴らしさを、言語のレヴェルでも高めていくこと。これによって、日本が世界に通じる、あるいは、それれを乗り越えるほどの成功を収められるという確信。この確信が本当のものであることを祈るばかりだが、三澤なら、やってくれるのではないかという気もする。そうなれば、このご時世、国費で留学させただけの価値はあったということにもなるだろう。

是非とも、ご一読を!

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