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2011年9月 5日 (月)

神田慶一 歌劇 あさくさ天使 (2011年改訂版) 青いサカナ団 第31回公演 9/4 ③

【劇=人間と結びつく現場主義の音楽】
長くなる私の記事、ツイッターの数行では書ききれない。書くことはできるが、そうしたくないから、こうして書いているわけだ。

次に、神田の音楽について触れたいと思う。神田やそれを取り囲むコミュニティの音楽が驚くほど多様であることは、シャロンゴスペルチャーチでのチャリティ・コンサートをみても明らかだった。神田の音楽はいつも多様であり、劇中の人々の暮らしと結びついて、いよいよ豊富になっていく。しかし、基本はワーグナー。しかも、その響きはプッチーニである。プッチーニの響きを、ワーグナーの形式でたっぷりと聴かせる。しかし、それだけに拘泥せず、必要ならば、ポップスやロックのテイストも加味するし、懐かしいフォーク・ソングの手法だって捨てていない。ジャズの要素も好きだし、ミュージカルも大好きだろう。ときには、歌舞伎の要素だってみえる。独特のデクラメーションを除き、湯浅譲二のいう「未聴感」こそないが、20世紀のバッハ的存在とでもいうべきだろうか。それよりも、もっと広く手を広げた作曲家である。いわば、神田の音楽は時代そのものだ。

前回の記事で触れたCDの、特に2枚目(2枚組なのだ)を聴いていると、絵に描いたような(藤倉大的な)エリート作曲家ではないだけに、彼が素材に合わせた柔らかい発想で、自由に作品を仕上げているのに気づいて面白い。このCDは2009年7月におこなわれた「創立20周年記念コンサート」をライヴ録音したものに、若干、手を加えたものであるが、あの日の感動がじんと伝わってくる良い録音だ。

さて、この作品の最大の音楽的成果が、第1幕で歌われる「オヤジの唄」と、第1幕およびエピローグに登場する「ユメコの場合」のアリアであることは論を待たない。特に、ユメコのアリアはこの長大な(1時間ほど短くなったとはいえ)作品の、すべてが凝縮したような密度の濃い歌で、古典的な作品と並べても決してヒケをとらない味わいがある。私は初演を観ていないにもかかわらず、この歌を何度も聴いたが、その度に涙を禁じ得ないのだ。その歌は以前にも紹介したから、ここでは繰り返さない。しかし、重要なことはこの作品が単体で、とってもいいということよりは、オペラ全体のなかで、本当に味わい深いということにある。

みなさんが、神田慶一になにを期待するかはわからない。作品の新しさか、理屈抜きのリリカルさか。もっと演劇的な面白さか。音楽の純粋な美しさか。

しかし、私が期待するのは、正に劇そのものと密接に結びつく現場主義の音楽だ。ところで、「劇」の本質とは演技ではない。人間である。「劇そのものと密接に結びつく現場主義」とは、要するに、人間とじかに結びつく音楽の語法ということなのだ。神田の作品は、いわゆるシュプレヒシュテンメという形式に基づいている。言葉に基づく表現ということでいえば、ヤナーチェク的ともいえるが、「人間の発話に基づいた旋律」とはいっても、いちどドライな客観化を伴うヤナーチェクの手法と比べれば、神田の発話旋律はもっと直截である。それでは山田耕筰の童謡的なものかというと、それほど単純でもない。なぜなら、神田の場合、もっと舞台上のキャラクターに直接、結びついているからだ。

神田は遅筆だといわれるようだが、その原因のひとつは、まずキャストを決めて、それをイメージしながら書くというステップがあるせいであるらしい。良い意味で、彼の作品はユニヴァーサルではない。たとえ同じ作品であっても、踊り手次第でまったく別物になってしまうバレエのようなものだ。彼の作品においては、通常のオペラ以上に、キャストの役割が重要となる。

【キャストたち】
例えば、何度も言っていることだが、『あさくさ天使』のオヤジ役には田代誠という歌い手がどうしても必要であり、もしも彼が表面的な田代の姿しか知らなかったとしたら、生まれ得ないようなキャラクターでもあったろう。そして、田代もまた、この役に全身全霊を傾けて表現している。田代に限らず、今回の舞台では全員が、それぞれが役を演じるというよりは、そのなかに溶け込んでいる印象を抱いた。主役組の所谷直生&菊地美奈にしても、初演のときよりはすこし齢をとった(そのことによって劇中人物の実年齢とは離れてしまった)だろうが、それにもかかわらず、きっと役柄への溶け込みは当時よりも柔らかくなったように思われる。

当時の公演映像がみられることもあり、菊地の成長がそのことを印象づける。当時の映像はあくまでアリアひとつにすぎないが、その表現は以前よりもずっと柔らかく、余裕があったようにみえる。その余裕がユメコが信じる「魔法」の強さを、よりハッキリと感じさせることに役立ってもいる。

このユメコというキャラクターは、ケースケがそうであるように、やっぱりスポンジのような存在だ。当時の菊地の歌を聴くと、そのスポンジの役割に徹しきれない硬さを感じるのである。ところが、この日の菊地は彼女が出ていない部分も含めて、オペラを全部感じて、その趣を吸い取って表現しているのがわかる。舞台が良くなればなるほど、菊地は元気になる。バレリーナのようにピンと指先まで張りつめた表現の繊細さ、姿勢から細かい所作のひとつひとつまで、天使に相応しくなるようにと工夫された表現のある種の厳しさ。そこから、ケースケの一言にふっと人間の姿を取り戻すときの、筋肉の弛緩に至るまで。彼女の演技が、舞台の出来によって益々リアリティを増していき、ドンドン余裕を生み出していく不思議。それらが舞台の最後、すべてを背負って歌うアリアに流れ込んでいく。既に述べたように、私はそういうところに、このアリアの真の味わいがあるように思われるのだ。

彼女は正に、すべてを背負って歌う。『トリスタンとイゾルデ』の「愛の死」を思い出してほしい。あれと同じなのだ!

この日のカーテンコールで拍手が大きかったのは、斉木健詞、田代誠、秋谷直之といったところだろうか。これらの人々はデッドな環境で、十分に強い声を響かせていたし、役柄にもピッタリだった。もちろん、明らかにほかの人と異質な声質をもつ蔵野蘭子がいなければ、あのマリー役は成り立たないだろう。それから、岡戸淳&浅山裕志の漫才コンビはどうやってもシリアスなこの舞台のなかで、しかも間のつくりにくい朗唱的な表現で漫才をやるという困難を引き受けるのだが、それにもかかわらず、これまでのどの作品にも増して、その良さを生かせる役だったと思われる。序盤のネタはあまり笑えなかったし、笑かそうという感じでもなかったが、特に第3幕では笑いも感じることができるほど充実したパフォーマンスに思われた。

そして、この舞台になくてはならない人といえば、もちろん、ケースケ役の所谷直生であろう。「ミスター普通の人」的なのっぺりした顔立ちが、私はかえって大好きなのだが、ちょっと弱気にみえて、でも、芯がつよく、粘りづよい彼の表現はケースケ役にはピッタリで、主役のくせに目立たないけれど、それが逆に面白いという役柄になっている。多分、技術的にはここに出た声楽陣でトップ・クラスだと思う。さりげなく、高音などきっちり出しているし、表現に無理がない。その落ち着いた舞台さばきが、ケースケそのものなのだ。

【桜井麗の衣裳】
このほか、舞台に出現するキャラクターたちを魅力的に彩ったのが衣裳である。アトリエヒノデのうら若いデザイナー、桜井麗(うらら)は『マーマレイド・タウンとパールの森』につづき、サカナ団とは2回目のお仕事。幻想的、神話的、かつ、作り物めいたものを求められた前回と比べ、より自由なセンスを「50年前」という時代設定の制約つきながら表現できた今回は、背伸びせず(金満なカンパニーでもないし)、それでも舞台人たちの華やかさを丁寧に描くもので好感が持てた。女性のステージ衣裳は、昨今のAKBブームなどもスッキリ取り入れながら、オリジナル(よく知らないが)よりも気品のあるものに仕立てていたようだ。

どこまでが桜井の衣裳かわからないが、最後の幕で、観客たちが来ていた服は、それこそ、彼らや彼らの両親たちのクローゼットの奥から、引っ張り出してきたものであったら嬉しい感じがする。

ヘアメイク(詳しくないが)もみんな、時代めいた感じに統一してあった。そのなかで、秋谷の団長がそのままなのは、団長の気風を示しているのだろう。彼はそういう風に、はじめは時代の先端を走っていたのだろう。それはそれとして、専門のヘアメイクがスタッフに入っているわけではないし、それぞれが楽しんで、昔風のファッションを試してみたという雰囲気が伝わる。こういうのは数年前から・・それこそ、『ゲゲゲの女房』あたりから、巷でも流行らないものかと期待しているのだが、なかなか火がつききらない感じである。丈の長いスカートに人気が出たり、ロング・ヘアの人気が復活したりはしているのだが。

【まとめ】
3つのパートにわけて長々と書いてきたが、まだ語り尽くしたという感じはしない。でも、このあたりでいったん筆を置くことにしよう。今回は充実の舞台、期待値の大きさに違わぬ立派なパフォーマンスであったと評価する。来年は同じ9月、2009年に金沢で初演した『夏の終わりの王国』が再演されることが告知されている。再演がつづくのは、むしろ歓迎。オペラは繰り返し上演して、はじめてよくなるものだから。この公演は東京初演、そして、前回は管弦楽がアンサンブル金沢であったので、手兵の管弦楽団での初演という二重の意味があることになる。

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