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2011年9月17日 (土)

ライナー・ホーネック ベートーベン 弦楽四重奏曲第14番 (弦楽合奏) 紀尾井シンフォニエッタ東京 9/17

【KSTの存在意義】
一応、オーケストラの演奏会だが、「室内楽」のカテゴリーに書いても良さそうな気がするコンサートだった。もちろん、メインがベートーベンの弦楽四重奏曲第14番の弦楽合奏版であるせいだが、それだけではなく、ほぼ臨時編成といってもよい紀尾井シンフォニエッタ(KST)であるにもかかわらず、奏者間の距離がよく縮められており、「室内オーケストラ」としての味わいをハッキリ感じさせる演奏会だったせいでもある。ここのところ、読響や東響、新日本フィルなどといった通常編成のオーケストラのアンサンブル精度が非常に高まって、KSTだの、サイトウキネンだのといっても、それほど驚きを感じるような巧さは感じられなくなってきた。

だからというわけではないが、以前はレジデント(会員)でもあった私なのに、このアンサンブルの演奏に接するのは、前回から1年以上も間が空いている。しかも、その演奏会はKSTのレギュラー・コンサートではなかったので、定期演奏会ともなると数年ぶりということになろう。私はKSTのファンではあったが、このアンサンブルの役割がおわりつつあることを感じていた。しかし、こういう演奏を聴くと、まだ追究する部分があったことに気づかされる。それは単純なオーガナイズや制度の追求ではなく、個の力を生かしながら、アンサンブルの生命感をどのように高めるかという問題である。また、そのことを効率的に追っていくためには、やはり、プログラミングの工夫も不可欠だ。

私の不安のひとつは、そのようなプログラミングに対するアイディアが、以前ほど闊達ではなくなってきたことにも関係していた。

【暗めで重厚なベートーベンというイメージ】
演奏を聴くまえは、このベートーベンの『弦楽四重奏曲第14番』というプログラムはなるほど楽しみではあったものの、反面、期待値は大きくなかったといえるだろう。私はこの曲をオーケストラとして演奏する意義がわからなかったし、室内楽をよく知るシャンドール・ヴェーグ指揮の録音などを聴いてみても、そのやり方によって、オリジナルのクァルテット編成による演奏を乗り越えるだけの何かが得られるようには思えなかったからだ。

ただ、よく知られた名指揮者、ディミートリー・ミトロプーロスによる編曲ではなく、今回は、ソリスト兼指揮者兼客演コンマスとして出演したライナー・ホーネックが、KSTでの演奏を想定して編みなおした特別エディションであることは、大きな救いであった。大体、チェロの補完的な役割に徹するものばかりとはいえ、コントラバスのパートも組み入れられているのが面白い。

よく感じることだが、オーケストラ中心の人と、室内楽の中心の人では、ベートーベンに対するイメージは大きく異なっている。オーケストラ人のイメージではベートーベンといえば、悲壮で、力強く、しばしば闘争的である。これに反して、室内楽におけるベートーベンはもっと理知的なところで挑戦的なのだ。この弦楽四重奏曲第14番も、室内楽ではレガシーなところ(形式的な優先において)で、理詰めの格好よさが押し詰められていくように感じられる。しかし、弦楽合奏で演奏した同じ曲のイメージは、「英雄」シンフォニーの葬送行進曲のような部分と相通じるものがあった。

冒頭のアダージョが、まったく象徴的だ。室内楽では、確かにアダージョの暗鬱さもなくはないが、それよりは、響きの温かみがゆったりと積み重なっていくイメージが先行する。このような部分から、「英雄」の葬送行進曲のイメージなど、決して生まれ得るものではない。しかし、楽器の数が増え、その楽器を弾く演奏者のパーソナリティよりは、よりパヴリックなメッセージ性が強調されると、私たちにまったく別の印象を与えるのだ。前半のプログラムの演奏でもわかるように、ホーネックは決して、重厚で悲壮な表現だけをベースに組み立てるような音楽家ではない。ベートーベンとモーツァルト/シューベルトという違いこそあるが、例えば、シューベルトでさえ、ホーネックはかなりサバサバとした、フレッシュな表現で押し徹していた。ところが、ベートーベンではまるで違う。

ただし、ホーネックはここでも、とりたてて暗さや重さにウェイトを置いて表現を組み立てたようには思えないのも事実である。単に人数だけの問題ではない。理由は、よくは説明できないのだ。コントラバスが入ったことも関係あるだろうが、それだけに還元できるほど生易しい問題でもないように思われる。表現上に非常に微妙な、しかも、重大な問題なのである。

【恐ろしいベートーベン的構造】
そういう最初のイメージで聴いていくと、ベートーベンという作曲家が常にも増して恐ろしく感じられる。あのアダージョからみると、アレグロに転じてからの人を腑抜けにさせるような甘さや軽妙さが、まったく説明がつかないものとみえるからだ。ホーネックはなにも、これらの硬軟を極端にわけて演奏したのではない。彼のしたことといえば、作品のもつ構造のうねりをすこしばかり繊細にアーティキュレートし、華美な装飾を緩やかに抑え、全体の響きを僅かに引き締めたぐらいである。それ以外は、アンサンブルの各パートがもつ味わいを丁寧に引き出していくばかりであった。

作品はアダージョを起点に、アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ→アレグロ・モデラート、さらにアンダンテまで、緩やかな下り坂をのんびりと下っていく。その起伏は室内楽の演奏よりはやや穏やかで、例えば、アンダンテの部分に出てくるピッチカートなどは、とてもまろやかに響く。そして、この緩み(まどろみ)の頂点に、スケルッツォ的なプレストが現れるわけである。

このプレストこそは、弦楽合奏における最大の難点と思われた。4本の楽器が正に丁々発止とトリッキーな動きをみせるクァルテット版に比べて、弦楽合奏ではどうしても予定調和的になり、スケルッツォらしい味わいが半減してしまうからである。その感じを完璧に払拭できるはずもないが、これに代わって、ホーネックが重視したのは繰り返しの部分で響きをぐっと絞り、ソット・ヴォーチェに落とし、そこから起伏をつけて、作品の内面に奥行きをもたらすことであった。オーケストラらしい「ダイナミズムの活用」といってしまえば簡単だが、この場合、その表現は私のなかで納得のいくものではない。なぜなら、それは単なる響き上の工夫ではなく、アダージョに発していたようなベートーベンの内面を繊細に感じた結果として、柔らかに位置づけられているものだからである。

そのソット・ヴォーチェは響きのうえで美しく、きれいに抑えられているが、表現上はとてもはっきりしており、和声までスッキリ感じられる性質のものである。そこに、いま述べたような要素が積みあがってくるので、こうした部分で、私たちはどうしてもぐっと来てしまう。そして、こうした動きは、次のアダージョを単なる間奏曲的な位置づけから、より独自に関わるものとしての性格へと引き寄せてくる。ここではもう、アダージョは、フィナーレにおける跳躍のためのスプリング・ボード(跳躍台)ではなく、冒頭アダージョと対応し、最終楽章の奥深い内面へと聴き手を導くための鍵となっているのだ。

こうして、室内楽的な形式美とは完全に分かれ、悲劇的なフィナーレが導かれる。この楽章でどっしりしたソナタ形式が出現するのは、かような流れのなかではごく自然なことである。ただし、響きは徐々に明るさへと向かっている。それはホーネックたちが、この演奏会で絶えず追究してきたドイツ音楽の秘儀とでもいうべきものだ。作品は、悲劇と喜劇の抜き差しならない境目でおわる。それを示すのが、最後の3つの音であった。私はこの境目で、聴き手が早くも拍手を送ったことに驚いたが、コンサート鑑賞の「ルール」としてはともかく、それはある意味、妥当であるようにも思えた。

【まとめ】
この演奏は、実につよいインスピレーションを抱かしめたものである。これは逆に、室内楽奏者がなかなか突き詰めることができない境地であり、今後、室内楽鑑賞の助けにもなろう。それはなにも、オーケストラ奏者のほうが室内楽の専門家よりもモノがみえているというわけではなく、それぞれの分野における音楽的なセンスに貼りついた癖のようなものがもたらす、一種の死角についてのアテンションなのである。

これと比べれば、前半戦に感じたものは僅かだ。名刺代わりのホーネックの独奏は、いつもながらに美しく極上の響き。彼がいつも取り上げるシューベルトの曲目も、(指揮者ではない)演奏家らしくカラッとした解釈で、若々しかった。しかし、それ以上のものではない。後半の40分に、この演奏会のエッセンスは詰まっている。多くの人たちが、そのように感じることだろう。そして、ホーネックの存在価値もここに極まるのである。

いつも、このような演奏会であるならば、KSTがその存在意義を疑われることはない!

【プログラム】 2011年9月17日
 1、モーツァルト ロンド KV.373
 2、モーツァルト アダージョ KV.261
 3、モーツァルト ロンド KV.269
 4、シューベルト 交響曲第3番
 5、ベートーベン/ホーネック 弦楽四重奏曲第14番

 (ゲスト)ライナー・ホーネック vn.
 1-3:ソロ  4:指揮  5:コンサートマスター

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