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2011年9月25日 (日)

私は見ています! ~ニコラウス・バッハラー総裁 & NBS 発表の大本営発表を読み解く

バイエルン国立歌劇場のニコラウス・バッハラー総裁と、日本公演の主催者、NBSが緊急記者会見を開き、ステートメントを発表しました。解説が必要な文章なので、誤解のないよう、アリスが不甲斐ない音楽メディアに変わってステートメントに註釈をつけ、読み解いていきます。

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「このような大がかりな引っ越し公演は、私たちにとっても大事業であり、4年もの準備期間を要した大きな挑戦でもあります。」
→誤解を与える文章です。「4年もの準備期間」という表現は、あたかも歌劇場が公演そのものを4年間かけて煮詰めてきたような印象を与えます。これは大げさで、4年前に契約が成立したということにすぎないでしょう。

「来日にあたって(放射能の問題について)不安を感じるメンバーがいたことも事実です。しかし大多数のメンバーが喜んで参加する意思を見せてくれました。歌劇場には千人以上のメンバー、スタッフがおり、そのうち今回来日するのは400人です。」
→6月には、すべてのメンバーを説得したと発言していたことと矛盾しています。また、400人のうち80名は補充されたメンバーです。この文章のなかで、何人のメンバーが欠員となったのかについても、一切、発表していないことには注意すべきです。


「私たちのように大きな歌劇場には、専属でなくともさまざまな契約や結びつきで仕事をするメンバーやスタッフがおり、今回、まったく関わりのない人間が参加していることありません。」
→大きな劇場でなくても、当たり前におこなわれていることですし、日本人はそのことを理解しています。しかし、重要公演においては、20-25%ものメンバーがエキストラであるというようなことは考えられません。つまり、少なくとも人材の配置において見るかぎり、日本公演は歌劇場にとっての重要公演であると見做すことはできません。


「音楽面でいえば同じクオリティを保てる人々であり、そうでなければケント・ナガノ氏のような優秀なマエストロが承諾するはずはありません。」
→指揮者がトスカニーニやカラヤンならばそうも言えるでしょうが、今日、与えられた状況のなかでベストを尽くすのは指揮者としての常識であり、ナガノ氏の承諾が公演水準を保証するとは限りません。実際、多くの指揮者がろくにリハーサルもできないで公演に臨んでいるのが、欧州における公演の実態です。


「来日する400人は、基本的には私たち歌劇場のメンバーだということができます。」
→そのような解釈は通用しません。全メンバーのうち20-25%は、歌劇場のなかで活躍する主要なメンバーとして見做すことはできません。

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こうした断片を含む「大本営発表」には予想どおり、彼らが犯した大きな不誠実についての反省はすこしも読み取ることができません。80名の欠員が出ることがいつ、どのような形で判明し、それについて、劇場や主催者がどのように対応したのかについての弁解も一切ありません。上にも書いたように、何人の欠員が出たかということさえ、ハッキリと書いてないのです。彼らが述べたのは、一部のメンバーが来日拒否したからといって、それがなんだ。公演の内容には、なにも影響はないということばかりでした。ここで注意しなければならないのは、実際に影響があったとしても、彼らはそのように言うということです。

欧米人は滅多に謝らないと言いますが、この文章が正にそれでしょう。謝れば、それに対する責任の所在を明確にし、責任をとって、必要ならば賠償をする必要が出てきます。そのため、欧米人はそれが明確に違法である場合を除き、常に問題などなかったと主張するものです。繰り返しますが、実際、問題があったかどうかには関係なくです。

バッハラー総裁にとって好都合なことに、日本の音楽メディアには、まったくもって実効的な批判性がありません。よって、上のように主張しておけば、もう、それ以上は誰も追及しないことを知っているのです。形ばかりの会見を開き、スターや指揮者の写真を自由に撮らせておいて、提灯記事のひとつでも載せさせて鼻薬を嗅がせれば、それで問題は消滅するというわけです。公演のほうはカウフマンという大看板は失ったものの、そのほかに、エディタ・グルーベロヴァやヴァルトラウト・マイヤーという鉄板の歌い手を配してあるから、そう滅多なことで批判は喰わないでしょう。大枚をはたくから、客のほうも「これはいい公演だった!」と思い込みたいところですから。

では、私はなぜ、このように執拗な批判記事を書くのでしょうか。もちろん、私がすこぶる意地悪だからではないですし、2ちゃんねる的な暗い悪意に基づくものでもありません。それはもはや、この問題が公のメディアでは発展しないことを知っているからです。

そうはいっても、こころある人間は見ているものです。私が以前、会員だった人権団体、アムネスティ・インターナショナルの活動のひとつに次のようなものがあります。人権侵害をしている権力者に向かって、世界じゅうの会員が「私たちは見ているぞ」ということを示すために、政府に人権侵害を止めさせるための手紙を書くという運動です。私がこうしてやっていることは、実はそれなのです。私は彼らが故意に情報を隠蔽したか、それが言い過ぎなら、問題を日本の客にハッキリ伝えようとしなかったことを知っており、6月の会見内容も記憶しています。メディアの人間は忘れたフリをしても、私はそういうことはできません。アムネスティの会員であったときと同じように、手紙を書く相手に対して、私個人はまったくの無力な存在であっても、こうして書くことで僅かな抵抗を試みます。

また、向こう3年間、私はバイエルン国立歌劇場、および、NBSの関係する公演をボイコットします。別にそのことを他人に勧めようとは思いませんが、私はそうします。それこそが、私という人間の矜持なのだとご理解ください。

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