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2011年10月 6日 (木)

第4回定期演奏会 「豊かさと音楽」

第4回のテーマは、「豊かさと音楽」というものにした。とはいえ、この「豊かさ」というものを何によって測るかは簡単な問題ではない。金銭的、経済上の豊かさから、こころの豊かさまで、その考え方は幅広い。一口に「こころの豊かさ」といってみたところで、それは何によって決まるのであろうか。ここでまた経済上の問題が絡んでくるかもしれないし、地位や名誉、家族、配偶者、子ども、恋人、友人たち。あるいは、信仰や思想。平和や平等といったようなものでもあり得る。この問題は角度を変えながら、何度も取り組んでいかなければならないだろう。しかし、初回はもっとも見かけ上の「豊かさ」である、経済的な豊かさに、少しばかり内面の豊かさを加えて、プログラムをつくってみたい。

時代背景などによって、その経済的な豊かさでさえ様々に位置づけられるが、今回は、ブルボン朝パリ宮廷の華やかさ、産業革命後の英国の繁栄、ハプスブルク朝の栄光と影、文化爛熟の近代フランス、高度経済成長期の日本と道を歩み、最後に、私がクラシック音楽の作曲家で、もっとも豊かな内面を誇ると思っている2人の作曲家、ハイドンとロッシーニで締めることにした。

【プログラム】 (→NMLページへ)
 1、リュリ 歌劇『アルチェステ』序曲
  (J-C.マルゴワール指揮ラ・グランド・エキュリ・エ・ラ・シャンブル・デュ・ロワ)
 2、サリヴァン 劇付随音楽『テンペスト』
  (R.ヒコックス指揮BBCフィル)
 3、J.シュトラウスⅡ ワルツ『南国のばら』
  (J.フェレンチク指揮ハンガリー国立管)

  ≪ 休 憩 ≫

 4、ラヴェル クープランの墓
  (A.クリュイタンス指揮フラン国立放送管)
 5、武満徹 3つの映画音楽
  (Y.バシュメット指揮モスクワ・ソロイスツ)
 6、ハイドン 交響曲第30番「アレルヤ」
  (A.フィッシャー指揮オーストリア=ハンガリー・ハイドン管)
 7、ロッシーニ 舞曲とコーラス
           ~歌劇『アルミーダ』第2幕
  (C.シモーネ指揮イ・ソリスティ・ヴェネティ)

最初のリュリは、ルイ王朝における音楽文化を語るときに、ラモーと並んでもっとも重要な作曲家であると思われる。フランス・バロックにおいて、私がこれと同様に重要だと考えるのは、非王宮系のフィールドで活躍したM.A.シャルパンティエと、鍵盤におけるクープラン一族、とりわけ、ルイ・クープランの存在ぐらいだ。歌劇『アルチェステ』はバロックにはよくありがちなように、多くの作曲家が選んでいる素材であるが、特に、後年のグルックのものが有名になっている。筋書きは王のために身代りになって死のうとする、健気な王妃の物語だが、その序曲は生死をめぐる劇のものものしさを表すような叫びのような響きに始まり、光を影が・・・つまりは、生を死が支配するような趣で始まる。

英国の産業革命後の世界主義のなかにおける豊かさを、どの時点で切り取るべきかについては、私もよくわからなかった。実は薪炭の不足を契機に始まった工業化により、産業革命に一歩先んじることになった英国が一体、どの時点で世界からみて裕福といえるような存在になるのか、その知識がなかったのである。だが、一応、その繁栄の頂点をヴィクトリア朝時代と位置づけ、そこを代表する作曲家として、サヴォイ・オペラのアーサー・サリヴァンの作品を置いてみることにした。

面白いことに、彼の作品番号1の作品、劇付随音楽『テンペスト』というものを見つけ、しかも、それは英国の名指揮者、リチャード・ヒコックスが振ったものであった。 ’tempest’ は「嵐」という意味であるが、もちろん、これはシェークスピアの戯曲による劇への付随音楽であろうと思う。しかし、もちろん、この時代の英国の繁栄にとって、産業革命以上に、海の影響力の大きさは重要なはずである。記念すべき作品番号1の劇付随音楽は1962年に初演され、サリヴァンの名声を位置づける基になった。サヴォイ劇場はロンドンのストランドに立ち、いわゆるウェスト・エンドにあって、現在では金融街として知られている。

次にもってきたのは、ヨハン・シュトラウスⅡがウィーンの不思議な上昇気流のなかで書いた、有名なワルツ『南国のばら』である。この作品は、数あるクラシック音楽の作品のなかで、特に愛するもののうちのひとつに入るであろう(なんと翻訳的な言い方!)。作品は実は、自身のオペレッタのハイライトのようなものになっている。豪胆なハンガリーの巨匠、ヤーノシュ・フェレンチクの録音を用意した。この作品のなかには、明らかに単なる裕福さの謳歌に終始しない、シュトラウスの鋭い批評眼が浮かんでいる。正に、彼のような視点によって、「豊かさ」について考えるべきなのである。

ここで本当の音楽会と同様に休憩としていただかないと、次の音楽とのギャップが少し気になるだろう。

その作品とは、『クープランの墓』だ。ラヴェルの時代のパリは、確かに文化的には爛熟のときだ。そこにはピカソやモディリアーニ、ユトリロなどの画家たち、ロダンのような彫刻家たち、ディアギレフのような舞踏家たち、ココ・シャネルのようなファッション・デザイナーたち、ジャン・コクトオのような文筆家たちなど、たくさんの革新的な芸術家たちが集まっていた。こうした時代を代表する作曲家・・・それも典型的な存在がラヴェルである。しかし、その作品の半ばは、「古きを温めて新しきを知る」ところから生まれている。周知のように、『クープランの墓』はいわゆる「大クープラン」=フランソワ・クープランへのオマージュ作品で、正しくは『クープランを讃えて』という。豊かさとは、ときに、そのようにして真の姿を知ることができるのである。

あなたの美しさを知りたければ、あなたのご母堂を眺めなさい!

その鏡として、フランスの名匠、アンドレ・クリュイタンスの録音はもってこいだ。ちなみに、この管弦楽版は原曲のピアノ作品から4曲を選んだもので、うっすら交響曲めいた構成になっている。後半は、この「うっすら交響曲仕立て」のものが多い。

日本の高度成長期の様子を窺うための作品には、何があるだろうか。どちらかといえば、日本の作曲家は、その成長に疑問を感じているらしいものが多い。林光の歌劇『白墨の輪』も(原作はブレヒトだし)、團伊玖磨の歌劇『夕鶴』だってそうだ。そのなかで、すこしニュートラルなものとして、やはり武満徹という素材は得がたい。彼の映画音楽を集めた『3つの映画音楽』はこの時代を象徴する3つの映画に基づき、単に聴き心地の良い作品であるだけではなく、日本の歩むべき道と、その本質を考えさせる作品だ。

つまり、貧しい地域から生まれたボクサーの歩みを撮ったドキュメンタリー『ホゼー・トレス』は、頑張ればどうにかなるという時代精神のもっとも単純な象徴であるとともに、彼の抑圧された立場を同時に描き出すものだ。『黒い雨』は繁栄の日本が抱え込んでいる、消し難い過去への記憶である。そして、『他人の顔』は夫婦関係すらも仮面の向こうに遠ざかってしまった、暗い日本の未来を映しているのだろうか。最後の作品をもっとも甘いワルツで描いているのは、非常に奥深い批評眼を感じさせるところである。

既に述べたように、最後に並んだ2人は、私が古今東西の作曲家のなかで、もっとも内面ゆたかな作曲家として選定したものだ。ここになぜモーツァルトが入ってこないのかという疑問はあろうが、私はモーツァルトが彼のオペラや室内楽で描いているような人間の内面の機微は、そのあまりの鋭さゆえに、モーツァルト自身の内面から浮かび上がってきたものとは考えない。それは、より直感的なものであって、ハイドンやロッシーニが苦労して掴みとってきたものとは、若干、異なるように思われる。

ところで、ハイドンの内面性の豊かさの背後にみられるのは、ハンガリー系軍事貴族であるエステルハージー侯の姿である。ハイドンの作品のなかで、もっとも豪奢なのは無論、「ロンドン・セット」である。そうではあっても、私はあらゆる制限がありながらも、侯の気紛れな注文にこころ細やかに応えていたエステルハージー宮時代の作品こそは、ハイドンのゆたかな内面性を伝えるもっともふくよかな鍵であると考えるものだ。今回は3楽章を合わせて1楽章としてもよさそうなほどコンパクトなシンフォニー、第30番「アレルヤ」を取り上げた。1粒の果実のなかに、ぎっしりと果汁の詰まった室内楽のような味わいをもつ作品である。

最後は、ロッシーニ。スタンダールをして、「ナポレオンは死んだが、別の者が現れた」と言わしめたほどの、文化界における英雄である。彼は圧倒的な迫力で作品を書き、その表情は古今東西の誰のものよりも豊かで、幅広く、奥深い。イタリア・オペラ最高の作曲家とは、やはりヴェルディであろうか。否、私は絶対に否として、ロッシーニを支持するものだ。ヴェルディのなかに現れたもので、ロッシーニのなかに現れなかったものなどあまりない。ただ、ひとつだけ、明るい音楽で悪だくみを描くときの迫力以外は!

取り上げたのは数ある歌劇の序曲ではなく、歌劇『アルミーダ』第2幕のなかにある舞曲とコーラス。この劇は魔法使いでもあるダマスクスの女王が、かつての恋人であった十字軍の勇士や彼の仲間たちを女の魅力で虜にしてしまおうとする喜劇のような悲劇。舞曲は第2幕で、女王が魔法で呼び出した理想の楽園を讃える音楽。来日歴も多いアルベルト・ゼッダとともに、イタリア・オペラにおける最高の知性といえるクラウディオ・シモーネの録音を採用した。最後、ロッシーニ・クレッシェンドに乗って合唱が入って盛り上げる。この音楽ならば、最初のリュリにもヒケをとらないであろう。

なお、次回のテーマは、「ドイツのオーケストラで聴いてみたい音楽」とする予定。お楽しみに!

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