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2011年11月 1日 (火)

アルド・チッコリーニ ベートーベン ピアノ・ソナタ第31番 ほか ジ・アート・オブ・チッコリーニ 第2夜 (リサイタル) 10/31

あまり言葉を飾りたててもいけないとはわかっているが、このリサイタルに関して語るとき、私はとても冷静ではいられない。今年は先日のレーゼルをはじめ、メラーやネルセシアンなどの国際的にも著名なアカデミシャンから、田村響、スドビン、ホロデンコのような若手まで、数多くのピアニストの演奏を耳にしてきたが、この演奏は明らかにそのなかでベストである。それどころか、今後、年末までに行われるどのコンサートも、この演奏会に勝るものとなり得るようには思えない。私の接したもののなかでは、コンヴィチュニー演出の二期会『サロメ』と、どちらを最高とするかは迷うところだが、ともかく素晴らしいコンサートであった。

【世間は狭くて広い】
第1夜の協奏曲はモーツァルトであったが、第2夜のリサイタルはクレメンティ、ベートーベン、リストという3人の作曲家の作品のみで構成された。モーツァルトを含めても、とても狭い世間を扱っていることは、賢明なみなさんにとっては、ハッキリとおわかりのことであろう。クレメンティはモーツァルトと同時代人で、クラヴサンの腕比べで負けた故事のみが有名だ。しかし、有能なピアノ教師にして、ピアノの発展にも一役買った彼のことは、ベートーベンなども一目置いた存在だったということになっている。そして、リストはベートーベンのことを深く尊敬し、今日のベートーベン弾きは多く、このリストあたりからピアニズムを継承している。例えば、チッコリーニの師匠筋に当たるフェルッチョ・ブゾーニも、リストの信奉者だったことが知られているだろう。

今回のプログラムをみて、チッコリーニはピアニズム(演奏形式)や作曲形式の継承をめぐって、師匠と弟子の緊張関係を彼自身の体験を絡めて描き出していくつもりであろうと忖度していた。しかし、私の予想はきれいに裏切られたようである。チッコリーニが代わりに描き出したものは、各々の作曲家がもつ抜き差しならない個性の持ち味と、その変容の面白さであったのだ。私たちはこの狭い世間のなかに、驚くほど広い世界への足掛かりをみた。何の気なくつづけていた井戸端の話が、実に世界を語っていたという如くにである。

特に、後半のリストを通じては、私たちの視野に飛び込んでくる世界は圧倒的な広がりをみせて膨張した。それは単に、ヴェルディなりワーグナーの編曲をやったからではなく、もっと深い理由に根差している。そこには例えば、メシアンや新ウィーン楽派の音楽など、まだその当時はないはずの音楽の可能性すら見て取れた。ヴェルディやワーグナー、ショパンなど、あらゆる可能性をチッコリーニはきれいに呼び覚ましては、その秘密を聴き手に慈愛を込めて教えてくれるのである。チッコリーニは一体、どんな魔法を使ったのであろうか。

もちろん、それは作曲家の持ち味を、丁寧に引き出すというそれだけのことにすぎないのだ。しかし、チッコリーニの演奏を聴けば、私のように記憶力の甚だ悪く、音楽的な教養も浅ましい者でさえ、その曲が誰の作品なのか、たちどころにわかるというほど、彼の示す模倣力は抜群なのである。第2夜のアンコール・ステージでも、多分、リストの作品でメフィストのような悪魔に関係するもの(メフィスト・ワルツは知っていても、メフィスト・ポルカは知らなんだ)、有名な『愛の挨拶』はともかくとして、最後はどうも知らない曲だが、グラナドスあたりだろうと思っていると、ハッキリそれらの予想はすべて的中していたというわけだ。これは私の洞察力が特別に優れているわけではもちろんなく、チッコリーニの妙技が私のような無能な聴き手をプロのような境地に高めてくれただけのことだ。

【クレメンティ】
さて、演奏会はクレメンティのソナタ(op.34-2)で始まった。クレメンティについてはどうせ大したものではなかろうと多寡をくくり、元来、あまり興味を払ってこなかったが、2005年のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンで、シャニ・ディリュカの弾くクレメンティとツェルニーのソナタの演奏を聴いて仰天し、この時代、独創的なのがモーツァルトやベートーベンばかりではないことに気づかされたものだ。

チッコリーニはオーケストラのチューニングのように、ぶっきらぼうに最初のアルペッジオを組み立てると、非常にクールに始めた。この冷めたような響きと、アレグロ・コン・フォーコの優美で、重みのある響きのギャップが、まず、演奏に最初の奥行きをもたらしている。時代柄、もっとバロック的な抑えた響きで奏でられると予想していたのとは反対に、チッコリーニは主部においては、意外なほど重みをかけた響きをベースとしている。この重厚な基礎に基づき、チッコリーニの築く表現は恐ろしくワイドである。金管楽器の号砲のような響きは、既に後半のリストを予告し、疾走する構造的な詩情は弟子のカルクブレンナー、そして、そのまた弟子のショパンに通じる道を開いている。

一方、緩徐楽章のほとんど無防備なまでの素朴な音楽は、一体、何だろう。この部分にだけ、モーツァルトの亡霊がまだ生き残っているかのような、しかも、その亡霊にとって大事な部分であったはずの肉体=カンタービレは既になく、白骨のみになった音楽の恐ろしい感覚が浮き彫りになっており、その響きがもつ極度の乾きに注目しない手はない。チッコリーニはこの味もそっけもない骨ばかりの素材を、うっすら対位法的に組み立てるというような色気さえ出さずに、のんびりと奏でつづける。最初から最後まで、本当に動きがないのである。この厳しい統制には、私も色を失った。

【ベートーベン~3つの拍節感】
ベートーベンのピアノ・ソナタ第31番は、つい先日、ペーター・レーゼルの優れた演奏に接したばかりだ。ドイツ(しかも、東ドイツ)きっての知性派にして、テクニシャンのレーゼルが弾くところのベートーベンは、それはそれで重みのあるものだが、ドイツ人ばかりがドイツの音楽をよく表現し得るというわけではない。レーゼルの場合、3つの楽章がひとつひとつの小品のように独立し、それらは結局、3つ目の小品のフーガの部分へと静かに溶け込んでいくようにできていた。これに対し、チッコリーニは3つで1つの小品のような凝縮を示し、最終楽章の構造的な積み上げのデザインを明確に、聴き手に示すことで、作品のソナタ構造を遺憾なく生かすという正攻法に出た。

一方、3つの楽章は異なる拍節感によって、きれいに描き分けられている。第1楽章ではその優しい揺らぎのある拍節感が、ゆったりと作品を支配していた。第2楽章では、その弛緩はきっちりと引き締められ、従来、私たちが想像するそれにより近い。終楽章のアダージョとフーガは独特で、波打ち際が絶えずその境界を変えるようにして、たゆたうような拍節感がナチュラルに彫り込まれていたのである。アダージョによる序奏部分ではともかく、フーガの部分でこうした構想を保つのは簡単ではなく、主に左手の柔らかいリズム・センスが身体に叩き込まれていなくては形にならないはずだ。チッコリーニにおいては、その困難な要求を完璧にこなしているのである。

それどころか、チッコリーニの演奏は序盤から、たっぷりとルバートを織り込んだ複雑なフォルムを貫徹していた。第1楽章のはじめからして、チッコリーニはゆったりしたテンポを組み、そこに粘りのあるルバートを組み合わせて、表現になんとも言えない気品を醸し出しているのである。急速なアルペジオの部分もさほど鋭く表現せず、全体の表情が柔和になるようにこだわっているかのようであった。それはいま述べたような拍節感の優しさと結びついて、これまであまり強調されてこなかった、悟りきった高僧のようなベートーベン晩年の新しいイメージを導くであろう。

終楽章のフーガはレーゼルのものよりずっと重厚だが、それにもかかわらず、自然な味わいが損なわれるわけでもなかったのが驚異的に思える。「嘆きの歌」が回帰して以降、終盤の演奏にも特徴があり、次々と従来の素材が回帰して、積みあがっていく部分の表現が非常に明晰で、わかりやすかったのが印象ぶかい。すこし戻るが、フーガの反転を導く和音の連打は意外に重々しくなく、このことが全体のイメージをスッキリさせるようである。終盤はクレッシェンドを控えめに表現し、響きを宙空に解放するのではなく、最後まで手もとに置くようにしておわるのが圧巻であった。

 (②につづく)

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