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2011年11月27日 (日)

クァルテット・エクセルシオ ベートーベン ラズモフスキー第2番 ほか 東京定期 11/23

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クァルテット・エクセルシオ(エク)は今秋、京都と東京で定期公演を組んだ。シリーズ化しているモーツァルトの「ウィーン四重奏曲」の2曲目と、最近の中心演目であるベートーベンから「ラズモフスキー第2番」、それに、彼らにとって新しい領域であるドヴォルザークの14番という組み合わせであった。

このうち、なんといってもベートーベンが素晴らしい出来だった。エクのベートーベンはいろいろな形で聴いてきたが、その成長曲線もついに頂点に達したかのような印象である。特に、響きの厚みという点で、今回は進境が感じられた。これまで私がエクに対して抱いてきたイメージは、精緻で丹念な音楽づくり、凝ったアーティキュレーションとその鋭い実践というところにあり、響きの点では、特にフィジカルな面で課題があるように思ってきた。しかし、少なくともこの1曲に関しては、エクはくっきりと明瞭な表現を、十分な厚みをもって表出することに成功していた。

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特に感心したのは、第1楽章である。演奏はなにか第3楽章の途中あたりから始まったような、そんな浮揚感から浮き上がってきた。既に熟しきったアーティキュレーションに区切られて、入りや受け渡しのタイミングもよく決まり、身体全体を使った響きのコントロールもまったく堂に入ったものである。その構えが表現の雄大さを呼び込んでいるが、いつも通りに・・・否、いつも以上に、丹念で細かな演奏意図もよく効いていた。スポンサーの祖国、ロシアの雰囲気をあらゆる要素に埋め込んでいくことも忘れず、雪や寒さのイメージ、吹きすさぶ寒風の雰囲気が、バロック音楽的な具体性で浮かび上がってくるのも面白いところだ。

注目すべきは、その呼吸感の深さと、思いきったアーティキュレーションのデザインにある。いま、非常に歯がゆい思いをしているのは、このことを論じるのには細部の議論を思いきって放棄することが必要であり、よりスケールの大きな論法によって論じるほかないが、それによって、読者が「わかる」批評を成り立たせることはかなり困難なことだからである。しかし、中心軸に西野の弾く第1ヴァイオリンの穏やかで、野太いラインが置かれ、その絶えざる大河の流れに逆らわず、ほかの3つの楽器がシンメトリカルに位置をとるときに、そのポジションの柔らかな選択が演奏の鍵となっていたのは間違いない。

終盤、回想的になる部分では、既に述べたようなロシアの風景を思い浮かべさせつつ、周回ごとに(形式の発展するごとに)、より多様な展開の可能性と、内面的なヴァリュエーションの豊かさがつきあわされていくのを感じた。

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第2楽章、モルト・アダージョが、一般的にはもっとも内面的に惹かれるべきとされるが、エクの演奏を聴くと、そのメッセージはあらかた第1楽章に出尽くしている。第2楽章はいわば、その一部分を拡大鏡で覗くような感じであり、内面性云々というよりは、より繊細な「響きの宝箱」のように扱うという意志が、エクの4人が導き出した究極的な結論だ。その美しさは、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの交叉のような要素で、華やかに象徴される。山田の弾く第2ヴァイオリンは内声としての落ち着き以外に、こうした部分での冷ややかで、透きとおったサウンドにはもってこいである。

緩徐楽章がやや抑えた凝縮した美だとすると、スケルッツォ(アレグレット)は、よりたっぷりした味わいで語られた。トリオの対位法的な部分が印象に残りやすいが、エクは主部のほうに重きを置いて、第1ヴァイオリンが持ち上げた響き(水)が、渦巻き用のフラスコを伝わって下降し、全体に広がっていく様子を面白く聴かせた。トリオは、アタマにアクセントが置かれているように聴こえる。これらの反復が繰り返されるごとに緊張感が高まっていき、通常、徐々に瓦解していくスケルッツォの印象とは反対に、徐々にフォルムが締まっていくのも特徴的である。

その凝縮から、プレストの引き締まったサウンドが導かれるのは、ある意味、必然である。そればかりではない。第1楽章で示したような呼吸感がそこでは明らかに応用されており、第2楽章で示したような響きの純粋さへの挑戦までもが、この終楽章で有機的に生かされているのを見逃すわけにはいかない。第1ヴァイオリンの超高音がこころなし硬くなったのを除けば、流れるようなアーティキュレーションが丹念に織り込まれ、そのたおやかな弓さばきなどが、作品の味わいに一体化して溶け込んでいるのがわかる。そして、後程、すこしばかり触れることになるが、最後の疾走感にはここで、ドヴォルザークを取り上げた意味まで感じさせたのである。

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この演奏と比べると、前半の2つのプログラムは熟成中という印象が拭えない。モーツァルトは既に繰り返し演奏してきたエクなのであるが、「ウィーン四重奏曲」の位置する初期作品を弾く場合には、もうひとつ、なにか見えないゲートをくぐって後戻りする必要性があるように思われるのだ。その結果、多分、音楽のつくり方はよりバッハ以前の音楽に近づいていくであろう。バロック音楽に言われるところの「素朴さ」とは括弧つきのもので、その作品は実のところ、和歌について同じようにあるような、暗黙の了解的な決まりごとがいくつも存在した。モーツァルトはそのような決まりごとを、父親から幼いうちから英才教育で叩きこまれたのである。

アーティキュレーション等においては、前回よりも自然な息遣いが感じられた点で進歩がみられる。しかし、それに伴うメッセージ性を十分に拾うための、豊かな言語的な発話センスには未だ研究の余地がありそうである。そのなかで第2楽章をゆったりと奏で、内声をおっとりと落として、殊更にリラックスしたイメージで演奏した点は評価できるように思われる。そのことによって、シンプルな動きに基づく表現の簡潔さが際立って表現され、転調などによる効果がよりハッキリと浮かび上がる。一方、それ以外の楽章では、このような簡潔さが、十分の豊富さで語られていない点に進歩の可能性を見ることができるのだ。

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これとはまた別の意味なのであるが、ドヴォルザークに関してはまだまだ翻訳的で、自由なコミュニケーションには至っていない印象を抱いたし、クァルテット自身がそのことを実感しているのではなかろうか。序奏では明らかに独特な響きのイメージが読み取れて、その後の演奏に期待を抱かさせられたものの、その後はもっとダイナミックで、野性的に軋むような響きがほしいところであった。

両端楽章をシンフォニックに、中間楽章を室内楽的にまとめる姿勢は、確かに、この作品のもつ構造的特徴をよく捉えている。そのシンフォニックな部分で、私たちが例えばエリシュカの指揮によるオーケストラでの演奏によって知っていることは、より大胆で、エネルギーに満ちた歌いまわしの図太さである。エクの演奏はいまのところ、自動車レースに譬えれば、コーナーを丁寧にチマチマ回ろうとして、逆にタイムを失ってしまうようなドライヴである。第2楽章のようなインフィールド・セクションでは、内声を丁寧に扱うエクの演奏にも、十分に聴きごたえがあるというものだ。特に、緩徐的な部分におけるヴィオラの繊細な動きなどに、私は一定の手ごたえを感じていた。作品の良さは、これらの部分でハッキリと伝えることができただろう。

しかし、より思いきった作品への踏み込みには、随所に甘いところが残っていた。

私は彼らのことを、なにがなんでも褒めたおそうとは思わない。クァルテット・エクセルシオは、なんでも即座に高いレヴェルで仕上げてしまうような欧米型のハイテク・アンサンブルではないし、この作品に関しては、前回のチャイコフスキー同様、まだ腕慣らしの段階にあるように思われる。だが、今後、この14番と「アメリカ」、それにスメタナのナンバーを演奏する機会が増えるため、ここで諦めずに聴きつづけることで、仕上がりが徐々に高まっていく彼らの成長過程を見守ることができると思えば、ポジティヴにも感じられるところだ。その結果、今回のベートーベンにみられるような、著名なアンサンブルでもなかなか為し得ないような成功が将来に待ち受けているなら、私はこの苦みを決して苦みとは感じないのである。

この日はなんといっても、ベートーベンの大きな成功に感嘆した一日であった。

【プログラム】 2011年11月23日

1、モーツァルト 弦楽四重奏曲第9番
2、ドヴォルザーク 弦楽四重奏曲第14番
3、ベートーベン 弦楽四重奏曲第8番「ラズモフスキー第2番」

 於:東京文化会館(小ホール)

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