4月期初 在京オーケストラの来季展望
現在、在京のオーケストラは4月期初の楽団と、9月期初の楽団が相半ばするようになってきた。後者は新シーズンの前期日程を消化している段階だが、4月期初の楽団は争うように来季プログラムを発表しはじめている。いつも遅めの発表となる東京フィルを別にして、読響、都響、東響、東京シティフィルの発表をみながら、各楽団の来季を展望したい。
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現在、在京のオーケストラは4月期初の楽団と、9月期初の楽団が相半ばするようになってきた。後者は新シーズンの前期日程を消化している段階だが、4月期初の楽団は争うように来季プログラムを発表しはじめている。いつも遅めの発表となる東京フィルを別にして、読響、都響、東響、東京シティフィルの発表をみながら、各楽団の来季を展望したい。
【シンフォニア・ドメスティカ】
前回の記事では、リヒャルト・シュトラウスの音楽の「日常性」について中心的に書いたが、次に注目すべきなのは、この作品が『アルペン』のように「シンフォニー」ではなく、「シンフォニア」・ドメスティカ Sinfonia domestica であることの意味である。なぜかイタリア語でつけられた題名のうち、’domestica’は「家庭的な」という意味であり、一般的な『家庭交響曲』でもよいが、私にはこれでは硬すぎる感じがして、『わが家のシンフォニア』とでも呼ぶほうが適当と勝手に思っている。ところで、私がここで注目するのは「ドメスティカ」のほうではなく、「シンフォニア」のほうである。なぜ、’Sinfonia’なのか?
これについてはいろいろな要因が考えられるが、いまはそれらのほとんどを割愛して、1つの論旨に絞りたいと思っているところだ。
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