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2012年1月25日 (水)

映画がおわった! テオ・アンゲロプーロスが事故死~新三部作は完成せず

みなさん、1月24日の午後、映画の歴史が突然に幕を閉じました。本当の映画を撮る、最後の巨匠が亡くなられたのです。テオ・アンゲロプーロス・・・私が愛して止まない最高のマエストロの命が、オートバイにはねられるという悲劇によって奪われてしまったのです。この悲報に、私はまったく打ちひしがれております。どれだけ深い悲しみか、余人には想像がつかないでしょう。

氏は1935年、アテネの出身。早くから映画の道を志したが、アカデミーの教育には合わず、独自の道を歩み出すしかなかったようです。フランス留学を打ち切り、アンゲロプロスは軍部の台頭が進む1960年代中葉のギリシアに帰って自らの道を探ることになりました。最初の三部作を皮切りに、圧倒的な個性で芸術的な評価を高めていく過程は、きっと、私よりもみなさんのほうがよく知っておられるでしょう。

私がアンゲロプーロスを知るのはとても遅く、『ユリシーズの瞳』よりもあとの『永遠と一日』においてです。現在でもハッキリとは意味のわからない映画なのですが、感情とか知性を越えて、魂にガツンと働きかけてくるものがありました。こういう映画は数少なく、私が知る範囲でアンゲロプーロスの作品以外に思い出せるのは、レオス・カラックスの『ポーラX』ぐらいのものでしょうか。トルナトーレもいいのですが、すこしばかり甘みが強い。意味がわからないけど、そこに描かれている時代と、そこに確かに生きている人間と、ほんの僅かな詩情が作品全体をつなぎ、さらに僅かなロマンティシズムが鼻にツンと来るワサビのように観客を泣かせる。そういうほかにないタイプの映画を、アンゲロプーロスはつくっています。

例えば、ジョン・マルコヴィッチやジャン・リュック・ゴダールの作品には、知性しかありませんね。これらの監督の作品は、単に難しいパズルのようなものにすぎません。せっかく作品を読み解いても、ただそれだけのことでしかない。しかし、アンゲロプーロスの場合、その知性が必要とされる何らかの理由がなくてはならないのです。そういう意味では、アンゲロプーロスの映画にはいつも主張があります。

そんな場面のひとつが、アルバニア(不幸な国)からギリシア(こちらも不幸な国)に不法入国した少年たちが、溺死した仲間(セリム)の弔いをする場面です。主人公(ブルーノ・ガンツ)に拾われた少年を中心に、どこからともなく大勢の少年たちが集い、火を焚いて、次のように弔辞をあげる場面は忘れられません。

 *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *
ああ、セリム。 今夜、君がいないのが辛い。ああ、セリム。恐いよ。
ああ、セリム。 海はとても広い。 そこはどんなところだい?  
僕たちはどこへ行くんだろう?
行く手が山でも谷でも、警官や兵隊がいても、僕らは前に進んだね。
今、目の前は海、限りない海さ・・・

夜、母さんが悲しい顔で、戸口に立っていた。
クリスマスだった。 山の頂は雪で白く、鐘の音が響いていた。
これから行く港のことを、君から聞きたかった。
マルセイユや、ナポリのこと、広い世界のことを。
セリム、話してくれ。 広い世界のことを。 
ああ、セリム、話して、話してくれ、セリム。
 *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

アンゲロプロスは、いつも不幸や死と向き合っていました。混乱や不正義、嫉妬や醜い人間の劫、貧困や孤独と常に向き合ってきた人です。しかし、一方で彼の映画をみていると、どこからか熱いものがたぎってくるのがわかります。彼のみてきたギリシアは、それこそ不幸の塊のような国なのです。それは最近もまた、繰り返されている不幸です。しかし、彼はその不幸のなかに生きる厳しさというものを、決して否定していないのです。トルナトーレの場合、それは単純なひとつのユーモアで解決されます。例えば、『ニュー・シネマ・パラダイス』の最後みたいなものですね。ところが、アンゲロプーロスの映画では、正に、その不幸こそが人間にとって本質的なものなのだとみられていて、これと徹底的に向き合うことが解決になっています。少年たちのように、前に進むのです。

日本で公開済の最新作『エレニの旅』(本当の最新作の『第三の翼』は世界的には封切られているが、国内ではまだ秘蔵のまま)では、母親が3つの死とハッキリ向きあいます。自分の夫と、2人の子どもです。故郷にちかい水に沈んだ寒村の廃屋で、エレニが銃弾に斃れた最後の肉親を抱きながら嗚咽する場面は、普通、やってはいけない演出なのですが、この映画に限ってはその権利があると思わせるだけの凄いシーンだと思いました。たとえどんな哀しみが待っていようと、エレニは息子の死と直接、向きあおうとします。そして、そのことによって、はじめて、この女性が生き始めるのです。そのことをすべて知ったとき、私も映画館のシートで泣きじゃくったものです。

2008年、アンゲロプーロスはこのシリーズの第二作『第三の翼』を公開しました。一定期間が経過しないと公開できない契約なのか、日本の配給元、フランス映画社ではまだ公開の情報はありません。しかし、こうしてマエストロが亡くなられたのですから、公開が早まる可能性はあります。私はアンゲロプーロスの映画は、スクリーンでみなければ意味がないと思っていますので、私の出会えなかった作品がテレビやDVDではなくて、映画館で上映されることを望んでいます。

巨匠は事故の直前、つづく第三作の撮影現場となった港にいたそうです。非番の巡査が、彼をはねました。突然の死です。作品はブレヒトの戯曲を上演したかった若者たちを描く喜劇のようで、現在の財政破綻をモティーフにした作品でもあったということです。良くも悪くもギリシアが世界の焦点となっているいま、このテーマに、アンゲロプーロスがいかに立ち向かうのか、完成すれば注目を集めることになったでしょう。ご冥福をお祈りします、などという月並みな言葉は書けません。ひとえに、悲しい。

権利があやしいのですが、それはこの際、思いきって無視することにして、YouTubeに良い動画があるのを紹介しましょう。まるで、アンゲロプーロスの追悼コンサートのようです。氏が音楽のうえでも、エレニ・カラインドルー女史のサポートを受けながらも、人間の生き死にといかに真剣に向き合っていたのかがわかるものです。むしろ音楽だけだから。それが途中から、ぐっと変わります。そして、どこか祝祭のような雰囲気に変わっていきます。そして、やがて、ひとりに返っていきます。『永遠と一日』の詩人のように。見事ですよ。

これぞ、アンゲロプーロスの映画なのです!

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