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2012年2月 8日 (水)

悲しみの2012年/初春~クラシック音楽家の訃報まとめ記事

今年のクラシック音楽界では、新年から音楽家の訃報がつづきました。そこで、当欄ではこれらの方々の事績を簡単に振り返るとともに、なんとか、その堰止めをするべく祈りを捧げたいと思います。

【ヘルムート・ミュラー=ブリュール】 1933年生まれ。

 1月2日にご逝去。指揮者。ボンで哲学と神学を修め、エルンスト・ニッペスとシュナイダーハンにヴィオラとヴァイオリンの指導を受けた。名匠、ヘルマン・アーベンロートにも習い、ケルン室内管に首席指揮者として招かれると、2008年に退任するまで同職に留まった。
 社長夫人ともなるヴァイオリニストの西崎崇子とのプロジェクトで成果を挙げるなどして、NAXOSアーティストに名を連ね、バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーベンなどの古典派には数多くのディスコグラフィーを残した。

<録音>
1、バッハ『マタイ受難曲』
2、ハイドン 『ヴァイオリン協奏曲』(Hob.Ⅶa:1)

  →後者のハイドンが特に素敵です。

【林光】 1931年生まれ

 1月5日にご逝去。作曲家。尾高尚忠に師事。1941年に東京藝大に入学しているが、時期が戦中のため中断もあったのか、1953年まで在籍して中退している。既に、勉学の範囲を超えていたのだろう。間宮芳生や外山雄三とともに、作曲家グループ「山羊の会」を結成して活動した。
 ヒロシマ原爆禍との関わりをライフワークに、社会批判の視点も鋭かった。合唱、オペラの分野で特に顕著な成果を残しており、合唱曲『原爆小景』は特によく知られている。合唱曲に関しては、東京混声合唱団との関係が濃厚である。歌劇の分野でも多作で、『白墨の輪』『森は生きている』など名品も残った。ほかに室内楽、器楽、交響・管弦楽曲、映画音楽など商業音楽の分野にも幅広く作品を残し、それらの多くが顕彰された。
 晩年は、小規模な空間での庶民的な公演形態をとったオペラ・カンパニー「こんにゃく座」での座付き音楽監督としての活動が中心であった。

<作品>
1、ヴィオラ協奏曲「悲歌」
  →数少ないヴィオラのレパートリーとしては、欠かせないものとなりました。
2、4つの夕暮れの歌
  →まだマトモだったころの米良さんの歌にて。

【別宮貞雄】 1922年生まれ

 1月12日にご逝去。ベック・サダオ(たまに読めてない人がいるので念のため)。作曲家。高校時代に池内友次郎の手ほどきを受け、東京藝大卒業後は、ミヨーやメシアンに習った経験もある。
 音楽の理想はベートーベンに置き、自身は調性音楽にこだわりつづけて前衛音楽には批判的だったが、思考はドグマティックではなく柔軟でもあり、時期によっては前衛的な作風のものもあった。帰国後は教育の面でも活躍。作品は歌曲を中心に評価されているが、交響・管弦楽曲、オペラ、室内楽、器楽曲、ブラス、合唱曲、映画音楽などの商業音楽にまで作品がある。代表作は、長い歳月をかけて完成された歌劇『有馬皇子』。皇子は孝徳の息子で、中大兄皇子(後の天智)の謀略の犠牲となり、謀反人として処刑される人物。
 晩年は都響による「日本管弦楽の名曲とその源流」を監修するなどして、ときどき演奏会場にも姿を見せていた。そこで紹介された作品は自作を含め、必ずしも調性音楽ばかりではなかったようである。

<作品>
1、交響曲第1番 
2、チェロ協奏曲「秋」

  →後者の協奏曲は作曲当時、病床にいらしたご内儀のために捧げられたということです。

【アレクシス・ワイセンベルク】 1929年生まれ

 1月15日にご逝去。ピアニスト。ブルガリアを代表する作曲家、パンチョ・ヴラディゲロフに作曲とピアノを習い、ミドル・ティーンからピアニストとして活躍した。ユダヤ人であり、ナチスに囚われて収容所送りになったが、音楽に造詣のふかい看守の助けによって脱獄するという数奇な体験によって、辛くも生き残った。
 戦後はジュリアード音楽院に通うようになり、すぐに頭角を現す。しかし、1950年代半ばから10年間もサヴァティカルを置き、慎重に自らのなかにある音楽を育て上げた。その後は周知のとおりの活躍で、DGアーティストとして名声を築いたほか、後進の指導にも余念なく、イシドロ・バリオ、セバスチャン・クナウアー、パスカル・ネミロフスキ(英国王立音楽院教授)などの優秀な弟子を多数輩出。日本の杉谷昭子、川島基などもその一員である。

<録音>
1、ショパン 幻想ポロネーズ
2、ドビュッシー 月の光~『ベルガマスク組曲』
  →限りない美しさの裏には、圧倒的な厳しさがあるべきだと思います。

【フアン・マヌエル・ルンブレラス】 1972年生まれ(年齢から逆算)

 1月24日にご逝去。オーボエ奏者、新日本フィル首席。細かいことは、私の知るところではない。1997年の日本音楽コンクールで第2位(当時は25歳、優勝は吉井瑞穂)。2009年には、オーディションにより新日本フィルに首席奏者として入団、プロヴェーション期間を経て正式に団員となる。しかし、間もなく病気療養のためスペインに帰国、同地で息を引き取った。享年は40歳。稼働期間は短かったが、新日本フィルのファンの間では評価も高かった。私の追っているピアニスト、濱倫子さんのブログにも名前こそ出ないが、彼のことが出てくる。日本にも、友人・知人が多いようだ。楽団では、ファースト・ネームの表記を「ホアン」としているが、当ページでは一般的と思われるスペイン語の発音に従った。

【パーヴォ・ベルグルンド】 1929年生まれ

 1月25日にご逝去。指揮者。幼少からヴァイオリンに親しんでいたが、プロになろうと決心したのは15歳のときで、18歳のときにはレストランでインストゥルメンタルを弾いていたという。その腕を以て、フィンランド放送響に入団。1949年、自ら室内管を組織して指揮者のキャリアをはじめた、1956年にアシスタントとして関係の始まった古巣の放送響では、1962年に首席指揮者となってから9年間もその任にあった。1975年にはヘルシンキ・フィルの音楽監督に就任。周知のとおり、シベリウスをはじめとする北欧音楽のほか、ドイツ音楽、ロシア音楽でも高い評価を得た。

<録音>
1、ブラームス 交響曲第4番
  →サウンドにこもる温度の高さは、寒さを温める北欧の指揮者特有のものに思える。
2、シベリウス 『レンミカイネン』組曲
  →木管の示すドラマトゥルギーの分厚さと、弦のムードづくりの透徹さのバランス。

【ゲルハルト・ボッセ】 1922年生まれ

 2月1日にご逝去。指揮者、ヴァイオリン奏者。父親から手ほどきを受け、ゲラ市でキャリアをはじめる。その間、勉学と研鑽に余念はない。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管、リンツ・ブルックナー管で弾いたあと、ライプツィヒ放送響でコンマスのキャリアがスタート。1955年からはゲヴァントハウス管の第1コンサートマスターに就任。室内楽、アカデミーでも活躍する。彼が創設メンバーである高名なゲヴァントハウス弦楽四重奏団はメンバー交代を経ながらも、現在までつづいている。
 ゲヴァントハウス管の来日の際、鹿児島の教育家に請われて、外国で学びたくても困難の多い日本の若者たちのために、霧島国際音楽祭をスタートすることを決意。1980年から32年間を経た現在も、音楽祭は続いている。ゲヴァントハウス管を引退後はご内儀の祖国、日本の関西圏に居住するようになり、新日本フィルをはじめとする日本のプロ・オーケストラ、神戸市室内合奏団、アマチュア・オーケストラなどを区別なく指導した。また、東京藝大などで教鞭もとり、日本の音楽に少なからぬ貢献を残した。

<録音>
1、ベートーベン 弦楽四重奏曲第11番「セリオーソ」
  →ゲヴァントハウス弦楽四重奏団での演奏。1stはズスケの時代。
2、ベートーベン 交響曲第7番-アレグレット(2nd mov.)
  →ジャパン・アカデミー・フィルハーモニックによる追想。後半のトリオでフガートになると
   ころが感動的。


皆さまの、ご冥福をお祈り申し上げます。

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