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2012年4月11日 (水)

枝並千花 ヴァイオリン・リサイタル with 長尾洋史 4/9

【周到に準備された公演】

枝並千花は、かつて東京交響楽団(東響)に所属していた若いヴァイオリニストである。大学卒業後、程なく東響に入団したが、数年を過ごしたあと惜しまれつつ退団。その後、ソロや室内楽での活動に切り替え、ヴィジュアル系の仕事にも取り組んだようである。その枝並も8日に29歳の誕生日を迎え(ブログなどで自身が公開しているから書いてもいいんだろう)、その翌日のこの日、待望のリサイタルをおこなった。そのプログラムがなんとも硬派なものであり、指揮者として有名なブルーノ・ワルター作のソナタ日本初演を目玉に、リヒャルト・シュトラウスとコルンゴルトの曲目によるネオ・ロマンティシズムの「晩年」を辿る内容と来ている。

私は別に枝並のファンではなかったが、東響が好きだった(いまだって好きだ)という縁もあり、ワルターのファンでもあることからして、このリサイタルに興味をもった。なお、伴奏は同じくらいの世代である伊藤翔が務める予定だったが、腱鞘炎のために降板が決まり、直前で長尾洋史に変更となった。

ピアニストの変更は本当に急なことであったようだが、それは別として、枝並のしてきた準備が本当に周到なものだったことは想像に難くない。正直、私はもうすこし粗削りな内容を想像していたが、それは彼女に対して失礼であった。冷静にみれば、枝並よりも実力あるヴァイオリニストはもっとほかにもいるのかもしれない。だが、その人が今回の枝並ほど一生懸命に、周到な準備をして公演に臨んでくれるかどうかはわからないし、その結果、私が受ける刺激はきっと、この日ほど大きくなることも稀だと思う。それは、枝並が思ったほどは売れていなくて、準備にかける時間がたっぷりあるという事情にもよるのかもしれないが、いずれにしても、私はこのリサイタルに深い感動を味わったことだけは確かなのだ。

このヴァイオリニストが今後、どのようにステイタスを積み上げていくのかはわからない。そういう商業的な問題は、私の関知するところではないのだから。しかし、これだけは言える。枝並千花というヴァイオリニストには、非常に高貴な可能性がある。オーケストラというシステムを飛び出して、こうして自分自身の活動を組み立てている彼女のことを、私は尊敬するのだ。私は独立不羈の精神をもちながらも、世事では、どうしてもシステムに頼りがちな弱い人間である。そういうことも踏まえつつ、単に東響の団員だったからというレヴェルを越えて、この日、私は彼女の音楽そのものに深く感応した。これが、重要なことであろう。

【プログラムを俯瞰する】

まず、プログラムを俯瞰する。前半のプログラムは、いずれもナチスに迫害されたユダヤ人という共通項をもっている。マーラーをして天才と言わしめたコルンゴルトは、ナチスの迫害を逃れて米国に渡り、クラシックの分野と、映画分野の世界で前人未到の成果を残し、音楽面で参加した作品がアカデミー作品賞を受け、さらに、自身もほかの作品で作曲賞を受けるなど、特別の成功を果たしている。もうひとつのキーワード、マーラーでつながるブルーノ・ワルターは、その一番弟子として有名だ。やはり迫害を恐れて米国に逃げ、その地で、ニューヨーク・フィルや、放送局の肝煎りによるコロンビア響などを指揮し、現在に貴重な音源を残す結果となった。

後半のシュトラウスはヴァイオリンの名品であるし、まあ、何を言ってもこじつけになってしまうが、この作品の伴奏をしばしばワルターが担当したということが、プログラムに書いてある。

【楽器の味わいをすべて引き出す】

まず、コルンゴルトの劇音楽『から騒ぎ』からの4つの小品を聴いて、私は早速、自らの不明を恥じることになった。このリサイタルは凄いことになると、ハッキリ予感させられたのは最初の音を聴いたときだ。愛らしいピアノとヴァイオリンによる和声の、想像を絶する優しさにまず度肝を抜かれた。枝並もいいが、長尾のつくるベースがまず真っ先に耳を惹く。今回、この長尾を伴奏に迎えたことは、枝並本人にとってはセカンド・ベストであったとしてもポイントになるところだろう。

伴奏ピアニストの多くはつかず離れずの関係をつくって、独奏者の味わいを自由に引き出すことを旨とする。だが、長尾の場合、独創者との密着性が異様に高いのが特徴だ。以前、デヴュー盤の制作にあたって共演の経験があったにしても、短期間の合わせであれほど吸いつくような動きを示せたことは、驚愕に値することであり、その親密なベースのなかで、ヴァイオリニストはまるで乳呑み児のように守られて、自分の世界を展開することができる。

しかし、ピアニストばかりを褒めるのも筋違いだ。枝並のパフォーマンスにも、当然、私は括目するところが多かった。彼女がなぜ、この『から騒ぎ』を最初の演目に選んだのか、私には少しばかり納得いくところがあった。推察するに、この曲はソナタ作品のようなまとまりこそないが、ヴァイオリンという楽器のあらゆる表情を示すことができるような可能性をもっている。技巧的な部分と抒情的な部分。強調と弱さを使い分ける押し引きの妙。長い息遣いと細切れの響き。強靭さと柔らかさ(優しさ)。深い音色と浅めのキュートな響き。ハーモニクス奏法のような特殊奏法、ピッチカート。あらゆる要素が、このコンパクトな作品には詰まっている。

枝並の音楽は、決して大雑把にはなり得ない。というのは、このヴァイオリニストはこうした要素のすべてを、一から自分で組み立てていくという繊細さによって成り立っているからだ。そのいちいちを描写していくことはできないが、彼女が組み立てるボウイング、アーティキュレーションは作品の表情によって細々と使い分けられ、多彩な表情を生み出すもとになっている。一口にいえば、その究極的な目標は、楽器の味わいをすべて引き出すということに尽きるだろう。

とりわけ耳を惹いたのは、彼女がまるでヴィオリストのように、音色にこだわる場面が多いということだ。そして、それは単純に深く、良い音色を常に出せばよいということではなく、局面ごとに、ヴァイオリンのどの部分を、どのように響かせればよいかは常に変わっていくという前提に基づいている。もちろん、その前提に基づいて、テンポ設定やリズムの処理、ルバートの深さ、アーティキュレーション、そして、ボウイングのアップ/ダウンや弓の入れ方、ヴィブラートなどは、瞬間ごとに、その適切さが変動する。こうして聴く『から騒ぎ』の音楽は、愛らしさや素朴さが漂うだけのシンプルな作品というよりは、もう厳しく磨き抜かれたドイツ的洗練の賜物にほかならない。第3曲の愛の歌を聴いて、思わずぐっと来てしまったのは、そういう厳しさに雷のように打たれたせいであろう。

そういうわけで、1-3曲目までは実に完璧な演奏であった。第4曲に入って、すこし目立つミスが増えたのは多少、割り引かねばならないだろうが、最後の切り方まで綿密に練り上げた丁寧なパフォーマンスに、私は望外の喜びを覚えずにはいられなかった。

【レヴェルの高い工夫】

ワルターはあとに回し、メインのリヒャルト・シュトラウスのソナタについて先に述べる。これも非常に良いパフォーマンスであったが、ヴァイオリンとピアノの関係の濃密さは、ほかの曲と比べれば後退した。そうはいっても、歌曲やオペラの世界を思わせる両者のコミュニケーションは十分に楽しむことができるレヴェルであり、なにも準備不足が明らかだと言っているわけではない。ただ、ほかの曲の完成度があまりにも高すぎたというだけのことだ。

演奏は序盤、驚くべきイン・テンポで、速めのテンポによって奏でられ、聴き手を驚愕させた。そのなかでは目立つ瑕もあったが、そんなことよりも、彼らがどうしてこのような実も蓋もない解釈をとるのか、深く考える必要に迫られた。それはこのシーケンスのおわりで、ようやくルバートを打つ場面でふっと解決してしまったのである。つまり、それは作品をいきなりオペラ冒頭の管弦楽的な響きへと聴き手を導いていくための、レヴェルの高い工夫なのであった。私が想像したのは、例えば『ナクソス島のアリアドネ』の序幕のような場面。作品は器楽とこのようなオペラ作品や歌曲の要素をふわふわと浮遊しながら、終盤の渦巻く流れへと流れ込んでいく。

緩徐楽章は割愛し、終楽章について述べようと思う。まず、長尾が悲劇的な響きでモノローグを流す。ヴァイオリニストは悲劇のヒロインのように、表情を曇らせている。それが、ヴァイオリンの入りで一気に雰囲気が切り替わる。爽快で、豪奢な響きは、それまでの悲劇が何らかの「解決」で喜劇的な展開に切り替わったことを思わせる。この表情変化の鋭さは、このリサイタルで枝並が飽くなきまでに追求してきたものだ。雰囲気が変わるとは、歌いくち全体が、既に述べたような諸々の要素とともに切り替わることを意味している。単に弾く音や、その調の変化によっては、十分なちがいは出てこないのである。枝並はその点、まったくもって妥協を許さない音楽性の持ち主である。

【ワルター渾身の第3楽章】

そういう意味で、彼女によってブルーノ・ワルター渾身の力作が、この日、オーディエンスに紹介されたのは喜ぶべきことである。作品はまだワルターがマーラーの重大な影響下にあった1908年に書かれ、マーラーの妹を伴侶としたアルノルト・ロゼーによって初演されたという。近年、作曲家=ワルターの作品もいくらかは知られるようになってきたが、このソナタは世界的にみても演奏される機会はあまりない。とはいえ、そのようなことが作品の出来栄えとあまり関係がないのも、私たちはよく知っているとおりだ。

作品には、マーラーの影響はさほど顕著に感じられない。特に交響曲などの器楽の影響は感じられず、ワルターがはじめ尊崇していたのは、彼の歌曲についてだったような気がしてならないのだ。マーラーの歌曲をはるか彼方の手本に置きながらも、直接的に、彼が手掛かりとしたのはドビュッシーやラヴェル、フランクといった近代フランスもののほか、ファリャ、スメタナ、ドヴォルザークなどの国民楽派の作品ではなかったろうか。これに、ヒンデミットなど、同世代のライバルの作風を加えて、ワルターの作品をみることは大変に興味深い。

いささか冗長な面もあるとはいえ、第2楽章は味わいぶかい。ときどき、深い低音も使いながら、ワルターは形式に捉われない自由な発想で、この楽章を表情づけている。作品は様々な曲想を経由して徐々に膨れ上がり、例えば、連符を使ったモティーフでは師であるマーラーとともに、ベートーベンのイメージを同時に思い起こさせてくれた。終盤、はじめの楽章の素材までが表れるに及んでは、このまま終わってしまっても、十分にソナタ形式に対する義理は切ったと思えたものである。

しかし、ワルターは敢えて第3楽章を付け足す。浅学な私には、もう決まりきったソナタの形式がすべておわったあとに現れる、コーダのように響くこの楽章は、結果的には非常に保守的なものとも思えるような出来栄えになっている。だが、ワルターはむしろ、この楽章を書くことによって、当然の形式から抜け出し、自らのもつドイツ系ユダヤ人の血(マーラーと同じ)を燃えたぎらせようとしたのは想像に容易いことだ。スメタナのよく引用した賛美歌をほのかに香らせて、ワルターが築いた世界は晴朗で、曇りなき挑戦心の塊であろう。枝並が共感したのも、きっとそのような精神なのであるが、響きの面でいえば、そうした挑戦心は脆くも伝統形式の厚い壁に阻まれているようでもある。ただし、それは単なる失敗を示すわけではなく、むしろ、そうした形式のなかで、ワルターが非常に分厚く、力づよい作品を書いたということの証拠でもあった。

私は第1楽章を聴き、正に勉強中のワルターのアタマのなかを覗き、第2楽章を聴いてはすこし冗長ながらも、大胆な歴史のうねりをみる想いがして、徐々に作品に対する敬意を高めていった。そして、第3楽章において、私はついに、この作品が好きになってしまったのである。何の変哲もないこのモデラートのなかに、ワルターが詰め込もうとしたもの。そこに託された想いの丈を感じ取れたからである。枝並もきっと、この楽章にこそ、若き日のワルターの情熱のすべてをみたように感じたのではなろうか。解決を越えた解決とでもいうべきものが、そこでは企図されている。枝並がこの楽章を堂々たる態度で、雄大に、のびのびと演奏したのは正解である。

【まとめ】

プログラム全体がおわって、私の気に入るような演奏会では、このまま、いつまで演奏がつづくとしても平気だという想いをすることが多い。そう思わせるための要因は、ひとつには演奏を聴くことによる知的刺激が多いことであり、もうひとつは、その演奏に無理がなく、表現が自然だということである。今回の枝並のリサイタルも、見事にふたつの条件を満たした。こういうアーティストはたとえ世間的に売れようが売れなかろうが、私には関係ない。彼女が意欲的な活動をつづける限りにおいて、私は彼女の活動を追いつづけるだろう。ファンというのとはちがうが、いつも気にしていたいアーティストがまた一人増えた。

次は、彼女の参加するクァルテット・パーチェの演奏会に足を運んでみたいと思う。枝並のほか、N響首席の大宮臨太郎、読響のソロ首席ヴィオリストの鈴木康浩、それに、上森祥平という若手の手練れたちによるユニットである。

【プログラム】 2012年4月9日

1、コルンゴルト 4つの小品~劇音楽『から騒ぎ』
2、ワルター ヴァイオリン・ソナタ イ長調
3、リヒャルト・シュトラウス ヴァイオリン・ソナタ

 pf:長尾 洋史

 於:東京オペラシティ(リサイタルホール

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