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2012年6月 3日 (日)

東京国際ヴィオラコンクール 本選① 室内楽と現代音楽 6/1 (PMのみ) ② (アドリエン・ボアソー)

【ボアソーの独創性】

アドリエン・ボアソー Adrien Boisseau については、前半の2曲だけで語ることにしたい。特に、ヒンデミットのソナタ op.11-4 については、この作品のもつ可能性をまったく個性的に引き出した演奏として注目に値するだろう。その独創性という点においては、すべてのラウンドを通じてボアソーは圧倒的に他のコンテスタントを凌駕する。このヒンデミットについては、序盤から歌、歌、歌である。冒頭部分はブラームス的な響きの厚みで始め、徐々にその崩壊を歌った牧野とは対照的に、か細く始められる。そのか細いラインから、次々に美しいカンタービレが花を開く。ヒンデミットが20世紀後半、ヤナーチェクと双璧の独創的なオペラ作曲家であることを、その演奏は思い出させるものだった。

序盤のシーケンスを締め括るようにヴァリュエーションへの入口で、ボアソーは私たちをあっと言わせる発想をみせた。それは休符にフェルマータがついたような完全な沈黙で、作品を完全に「寝かせた」ことである。これには、まったく呆気にとられた。響きはその空間のなかに見事、回収されていき、私たちを作品の内庭に入れる準備も整ったというわけである。掃き清められ、粋に整えられた茶庭を歩くように、私たちは恐る恐るボアソーの導きについていった。そして、その目に飛び込んできたものは、いずれも美しく、練りに練られた意匠であった。

ストラヴィンスキーとムソルグスキーを混ぜたようなヴァリュエーションの味わいは、ボアソーの表現では、すこしも借り物めいていないヒンデミットの独創性を窺わせる。どこの場面を取り出しても、ボアソーはこの作曲家のもつ深いカンタービレにあらゆる形でアクセスし、その独特の歌い方といアイロニーに圧倒的な共感を示す。繊細に構築され、ほんの少しの濁りさえも許さない完璧な美しさで、作品は次々に像を結んでいった。そして、時々は先のような沈黙や、響きの絞り込み、どこまでも甘い歌いくちによって、あるいは、これ以上はない堂々たる堅固な響きによって、それまではくすんでいた作品を色鮮やかに復元したのである。

【悲歌】

この壮絶なヒンデミットのあとでは、ストラヴィンスキーの『エレジー』も純粋な「悲歌」としては意味をもたない。彼がイメージしたのは、もっと端的で、冷笑的な視点だった。冒頭の多彩な響きが、全体の雰囲気の暗さをカヴァーし、むしろ、死とか絶望というキーワードよりは、むしろ、希望や復活というキーワードにおいて語るほうが相応しいように思われる。この作品でボアソーが示したのは、いかにもフランス人らしい多彩な響きの色彩感。そして、その色彩感に黒や灰を混ぜたときに起こる、不思議な濁りの問題である。この後者の点が特に重要であり、それがボアソーの表現を「悲歌」の範囲に繋ぎ止め、作品の奥行きを残すもとになっているようだ。

作品は、ABAの単純な形式によっている。しかし、その本体はBである。この部分のゆたかさが、A部の響きの質を決定しなくてはならない。その前提を逸しないにしても、ボアソーの表現はA部によって、圧倒的に印象的であることもまた確かである。ゆっくりとした波。輝かしく、しかし、凪って不安げに流れる響きの揺れが、その色彩感と絶妙な放出(揺らぎ)によって印象的だ。

この2曲を聴くかぎり、ボアソーの独壇場になってもおかしくはなかった。

【最後に】

このラウンドについて、私が証言できるのはここまでである。結果は既に出ており、ボアソーは第4位、牧野は第3位に位置することになった。しかし、これだけの表現をみせてくれた2人のことを、私は決して忘れることはないだろう。コンテスタントとしてよりは、アーティストとして彼らのことを記憶に留めたい。それに見合う個性と、十分な技量を示した2人である。

彼らよりも上位入選したカン、ブントロックには、これから「会い」に行くのだが、どんなパフォーマンスを見せてくれるのだろうか。午前中、フェアな耳で2人の演奏を確かめたかったと強く後悔するが、止むを得ないことだ。どうせ足を運んでも、マトモな評価はできなかったろう。4人に限らず、素晴らしいパフォーマンスでコンペティションを盛り上げてくれたコンテストたちに改めて敬意を表す。

次回、この水準を維持するのは容易ではないはずだ。

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コメント

アリスさん、入賞記念コンサートに行ってきました。 優勝した Wenting Kang、巫女のような独特の雰囲気がある人で、予選ではややアクが強すぎて敬遠しましたが、今日のブラームスのトリオは(共演者を得たこともありますが)圧巻でした。 どんな小さな音の時もはっきりホールの隅々まで響き渡る、凝縮度の高い音の持ち主です。 技巧は、他の入賞者もそうですが、もうヴィオラはヴァイオリンに比べ機動性が劣る、と言われたことが嘘のように、ヴァイオリンと全く互角。 音が落ち着いている分、ヴァイオリンより聴き易い。 今井信子さんをはじめとするヴィオリストの努力の賜物なのでしょうが、ヴィオラの表現能力は一昔前に比べて格段に拡大されました。

スナフキンさん、こんにちは。

カンさんについては、私も同じような感想をもちました。あとできちっと書きますが、楽器に根が生えたようなしっかりした響きですね。しかし、あれだけのものをもっているのだから、今後はそれをどのように生かしていくのか、もっと厳しく問われるだろうと思います。

ヴァイオリンとの「差」について書かれていますが、私はこのことについて、別の見解をもっています。それは端的にいえば、ヴァイオリニストが飽和状態になってしまったせいで、ヴィオラにも素晴らしい才能をもった人が回ってくるようになったというものです。飽和状態を生み出した原因としては、ネガティヴには、欧州や米国における楽団や劇場の統廃合や人員削減、クラシック需要全体の低減、ポジティヴには世界的な教育レヴェルの向上という因子があるように思います。

たとえヴィオラを始めたきっかけが消極的な理由であったにせよ、かつてのヴァイオリニストたちはこの楽器の味わいに気づき、これをどうやって思いどおりに生かすかという問題にぶつかって、成長するのだと思います。例えば、前回優勝のセルゲイ・マーロフなどはきっと、そのようにしてできたのではないかなと。これは単にヴァイオリンとヴィオラという問題だけではなく、アンサンブルやオケのなかで、必ず生きてくることだと思います。ヴィオラという楽器は、「音楽」や「音楽家」を成長させる鍵だと思います。

私も入賞記念コンサートに参りました。しかし、前回優勝のマーロフさんのインパクトが強すぎたせいか、期待しすぎてしまったような・・・
でも、そんな中私はブントロックさんに一票入れたいと思います。

ロビーで今井信子さんと、至近ですれ違いました(しかも二度も)。あの方がいなかったら、ヴィオラという楽器は、まだしばらくはみにくいアヒルの子に甘んじていたのかもしれませんね。憧れの方です。

(追伸) アリスさん、

① ヴァイオリンとヴィオラについて、深い洞察ですね。 納得させられます。

② 牧野葵美さんについては、授賞式で今井信子さんが、現代曲が素晴らしかったと言ってましたし、記念コンサートも2曲とも現代曲。 ただ私は現代曲は苦手。 でも、一次審査のバッハ、ブラームス、両方とも、時々フッと肩の力を抜いて語りかけるような表情が魅力的でした。 どこか景色のいい所に並んで腰かけて、私の為だけに弾いてくれているような親密味があります。 現代曲で見せる楽譜の読みと高い緊張感より、私には、この親密味の方が魅力的なのですが・・  いづれにせよ、多面的な可能性を持ったアーテイストで、楽しみです。 ジュネーブで活動していて、日本には余り戻らないのが残念。

Hashiさん、コメントありがとうございます。

確かに、前回のマーロフ、ムラト、ヘルテンシュタインと比べて、カン・ウェンティンのインパクトは弱いかもしれないですね。しかし、多分、1年後に帰ってきてくれるはずの彼女のパフォーマンスをみて、その価値は慎重に判断したいと思います。

今井さんに対する称賛、私も共感いたします。プリムローズ、ライオネル・ターティス、ヒンデミットらのレジェンドに連なり、ユーリー・バシュメットらと並行して、この楽器のために貢献されてきた様々な業績については本当に凄いと思います。そして、いま、こうしてコンペティションや教育の分野でも著しい功績を残そうとしておられます。

日本人として、その偉大な功績を足もとで拝めるのは幸せなことです。

スナフキンさん、コメントに感謝します。

僕は現代曲と、より古いレパートリーに線引きを設けませんが、そのいずれの分野においても、牧野さんが優れた表現をもったアーティストであるということに反論はありません。また、「親密味」というのは私も同じように感じました。これが、彼女の特性でしょうし、現代曲の場合にも同じ味わいがあったとみています。

確かに、日本でもっと演奏が聴けるようになるといいのですが、ジュネーヴでより大きな成果を掴まれ、昨年のヴィオラ・スペースにも登場した今井門下の高弟、井上祐子さんのような活躍をしてくださることを期待します。

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