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2012年6月10日 (日)

ヘンシェル・クァルテット ベートーベン 弦楽四重奏曲第12番 ほか サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン ベートーヴェン・サイクル Ⅲ 6/10

【ヘンシェルQの近況】

サントリーホールによる肝煎り企画「チェンバーミュージック・ガーデン」(以下、CMG)のメイン・コンテンツとなるのが世界的なクァルテットによるベートーベンの弦楽四重奏曲ツィクルスである。前回は、エリオット・カーターの作品を抱えての初来日以来、高い人気を誇るパシフィカQの演奏によって盛り上がったが、今季はヘンシェル・クァルテット(ヘンシェルQ)の登場である。前回は午前/午後の1日2公演で、強行日程を組んだが、ことしはその反省から、2週間=5公演をかけての全曲演奏となった。また、座席の面でも工夫がみられ、ゆったりした配置だけではなく、横長の視覚的カットの少ない座席配置が選ばれた。LFJのホールB5形式といえば、クラシック・ファンには通りが良いのかもしれない。さらに贅沢をいえば、全体の利益のために、中央の1列目がなければ、さらに素晴らしいのだが。

さて、ヘンシェルQについては2010年の秋、澤夫妻との共演で、私は聴いたことがあった。澤和樹とは、新発見のブルックのクインテット復活世界初演で共演し、それを日本でも披露したわけである。さらに、ピアノの蓼沼恵美子(澤夫人)との共演では、シューマンのピアノ五重奏曲を演奏している。ただし、ヘンシェルQは、ヘンシェル3兄妹を含む弦楽四重奏で結成されていたのが、次兄でセカンド・ヴァイオリンのマルクスが病のため航空移動ができないことになり、シーズン・メンバーとして選ばれたペーターゼンQのペーテル・ムックが、セカンド・ヴァイオリンに入っての演奏であった。

そのマルクス氏は、ついにクァルテットから離れることになり、渡辺和氏の記事によれば、航空移動のほとんどないニュルンベルク響に入団したという。その後任として、元ペーターゼンQのメンバーで、一時、ベルリン・フィルにも所属したダニエル・ベルが選ばれて、新生・ヘンシェルQで活動している。詳しくは、渡辺氏のブログを読んでほしいが、世界的にも安定した勤務地を捨てて、流浪のクァルテット生活を選んだ「愛すべきアホ」と称している。そういうアホの存在が、芸術の世界にはどうしても必要なのだ。

【響きと和声の厚み】

結局、3兄妹によるフォームには接することができず、それとは異なる2つのフォームで、短期間のうちに「ヘンシェルQ」のいくつかの顔に接することになった。前回、波長が合うと感じたクァルテットだけに楽しみだったが、そのときとは、また別の印象を抱くことになった。彼らが目指しているのは、正に、コッテコテのドイツ的クァルテットの姿である。強靭で厚みのある響き、その運用の驚くべき柔らかさ。この2つの課題を先週、声楽家のクラウス・フロリアン・フォークトが見事に体現してくれたが、ヘンシェルQはより単純素朴な方法に、自分たちの生き方を見出したのかもしれない。少なくともベートーベンにおいては、きっとそうなのだ。

例えば、そういうスタイルで決められた「ラズモフスキー第2番」に、私の共感はなかった。ツィッターをみていてドンパチな表現があったが、正に「押し相撲」なのである。このような表現に至るためのセンスは、ロシアが日本よりも欧州にちかいという事情を如実に物語る。地理的にはロシアは日本にちかいが、それは極東のプレゼンスの薄い地域であり、モスクワ、ペテルブルクといった主要都市に直接、向き合っているのはやはり欧州のほうである。そこでは我々よりも、もっと剥き出しのロシアを感じることができるはずで、そのイメージはチャイコフスキーやラフマニノフの作品により夢見がちな私たちよりも、はるかに現実的な、ワイルドなものであるのにちがいない。

昨秋に聴いたクァルテット・エクセルシオの演奏のほうが、私にはずっと素晴らしいように思えた。ヘンシェルQの表現は、スポンサーの祖国に対する想いをくすぐるような、ベートーベンのもつ意外な洒落っ気とは無縁なものである。アンドレイ・ラズモフスキーがいかなる人物であるか、私には詳らかではないが、多分、軍事貴族であるロシア貴族の粗野で、野蛮ながらも、圧倒的な合理性というのが、そのイメージに置かれているのは間違いないところであろう。

ところで、ヘンシェルQがベートーベン演奏において心がける最大のポイントは、響きと和声の厚みをいかにハッキリと表現するかということである。それなりに小技の利く彼らのことだし、それなりに抑えた表現でキッチリ優等生的な演奏を繰り広げることだって容易いことだろう。しかし、そうすることで得られる当たり前の称賛よりも、彼らはもっとスリリングな成功に浸りたいと考えているかのようだ。一口に「押し相撲」といっても、その内容は多彩であり、大味な一本調子ではない。その太い線は細く、繊細な線から、時間をかけて膨らまされてきたものであり、いわば、何度も薄くバターを塗り、粘っこく焼きを繰り返したバウムクーヘンのような濃厚さというべきであろう。

ただ、その表現はいつもギリギリのものであり、その分、出来/不出来の差は激しいというのが難点である。この日の中プロは、残念ながら、その不出来の範疇に入るのだろうか。前半3日間の最後であり、多少、マシになったとはいえ、強行日程による疲れもあったとは思う。「ラズモフスキー第2番」の演奏は、粗っぽく聴こえたとしても止むを得ない。しかし、私としては、そのなかにも、響きと和声の厚さにこだわる先のような演奏姿勢を確認し、その「出来」の場合の凄さを想像することができた。

【舞踊の文化のなかで】

この日の白眉は、第5番のメヌエットである。舞踊楽章であり、歌謡楽章でもあるこのアンダンテ・カンタービレを聴くだけでも、この日、この場所に足を運んだ甲斐はあったというものだ。そこにはニチブや歌舞伎、能楽、祭りや盆踊りなどはあるといっても、社交の必須手段として若いときから叩きこまれるダンスの文化はなど全くない日本では、到底、真似のできない濃厚な表現があった。ヘンシェルQの演奏は表面上のカンタービレのテクニックを控えめにし、これによって、かえってそのイメージを豊富にとるという「俯瞰」の姿勢で貫かれている。音楽はマチネの落ち着いた表現から、華やかなソワレの舞踏会に向けて、まるで筋書きがあるかのような表現であった。

いよいよ響きが解放され、舞踏会も宴たけなわを迎える部分のトゥッティの響きの豪華さは、この上もないほどに優雅である。その浮き沈みのあるリズムや響きの生命感、そして、その弾力性のある押し引きの妙には、ぐっと来るものがあった。だが、その部分に限らず、この楽章ではじめてヴァリュエーション形式を弦楽四重奏曲に導入したというベートーベンの独創性は、彼らの演奏で明らかである。舞踏会を構成する要素が巧みに積み上げられていくマチネの表現の多彩さと、先の述べたクライマックスの深いリアリティ、さらにそのあと、宴がはねて、知り合った男女がある者たちは別れ、またある者たちは次なる愉しみへと向かっていくフィナーレが、これほど整然と、いきいき描かれているのをみると、私は身震いするよりほかになかった。

そのほか、会話の途中から始まるような第1楽章冒頭のインパクトや、その後の劇的(オペラ的)な表現の面白さなど、次々にインスピレイションが上がってきて、私を大いに楽しませたものだ。この作品にはモーツァルトの影響などもなくはないが、初期弦楽四重奏曲集である op.18 も5曲目となり、もう既にベートーベンが徹底したオリジナリティを示していることがわかる。

【第12番も舞踊楽章が白眉】

後半の第12番は、第1楽章序盤の和音の驚くほどクリアで、重厚な響きで幕を開ける。この響きをつくるだけで、彼らはどれだけたくさんの練習をしたことだろう。ヘンシェルQのベートーベンはオーケストラ的な演奏であるが、そのなかにも、このような室内楽的磨き上げを随所に感じ取ることができる点で、年末恒例のコンマス・首席型臨時アンサンブルとは訳がちがうわけである。ボウイングは単純素朴であるが、響きの厚みを得たい場合には大きく弓を使い、細かな響きには小さく使うというのが特徴的であった。この点からみても、ヘンシェルQの基本姿勢が一体、どこに焦点を合わせたものであるかは明らかだ。

しかし、それだけというわけではない。第2楽章は、ヴィオラの厚い響きに全体をアジャストしての、特徴的な演奏である。楽器を寝かせ、深い響きの出るように工夫したヴァイオリンの使い方には賛否もあろうが、それが、あとで現れるヴィオラのパートとピッタリ重なっていくときの味わいは、十分に説得力がある。全体に、鼻にかかったようなのんびりした響きと、そこから延びていく神秘的な音色は、のちの「病より癒えたる者の神への聖なる感謝の歌」のイメージと重なっている。『第九』完成の直後、弦楽四重奏曲後期の入口に当たる当作品では、ヘンシェルQの目指すような演奏姿勢と、ベートーベンがそれまでメイン・フィールドで追究していたオーケストラ的発想の名残り、さらに、これから凝縮していこうとしているイメージの断片が、まだ生のまま転がっていて、ぶつかり合うので面白い。

そして、なんといっても素晴らしいのは、やはり舞踊楽章であるスケルッツォだ。この楽章で示されたリズムの活き活きとした生命感は、第5番のそれと双璧である。特に印象的なのは、チェロの鋭いコミットである。また、高音弦の響きはのちのセリエリズムを導くような知的配置によって印象づけられる。しかも、それは単に知的美観を伴うだけでなく、舞踊の動きの自然さと結託している。そして、そこからのさりげない延長のなかで、トリオのような響きが取り出されるのをみると、非常につよいインスピレイションを感じさせられるのだ。

終楽章は種も仕掛けもないスッキリした演奏だが、クライマックスで、モーツァルト由来の鋭い転調があっと言わせるような自然さで、作品の雰囲気を見事に切り返す様子が面白く描かれていた。

【最後に】

ラズモフスキー第2番こそあるが、5番、8番、12番というシリーズのなかでいちばん渋い選曲になったが、新生、ヘンシェルQの特徴を端的に感じ取ることができ、特に、舞踊楽章の表現における見事なパフォーマンスを拝めただけでも悔いはない。まあ、全曲演奏ということに私はそれほど深い意義は感じないし、ツィクルスもこれ以上、聴く予定はないが、クァルテットのがその良さや特徴を示すのに、とりたてて特定の作曲家の全曲を演奏する必要もないということは、今回の私のリポートをみても明らかだと思う。CMGのメイン・コンテンツというならば、単に「全曲演奏」という見せかけの意義を強調するのではなく、もっと知的な、思い掛けない満足を与える方向で、私たちを楽しませてもらいたいものだ。それは既存の室内楽ファンによる、あまりにも傲慢で、贅沢な要求なのであろうか?

それはそれとして、来週末、チケットがあれば、彼らとクァルテット・エクセルシオとの共演となるフィナーレにいくかもしれない。剛柔の組み合わせによる、メンデルスゾーンのオクテットはとてもエキサイティングな見ものになりそうだからである。

【プログラム】 2012年6月9日
1、ベートーベン 弦楽四重奏曲第5番
2、ベートーベン 弦楽四重奏曲第8番「ラズモフスキー第2番」
3、ベートーベン 弦楽四重奏曲第12番

 於:サントリーホール(ブルーローズ)

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