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2012年6月25日 (月)

アンサンブル・ノマド 結成15周年記念演奏会 エベルト・バスケス Bestiario / 藤倉大 ICE ほか ブリッジ・橋 vol.1 6/24 ①

【アンサンブル・ノマドと私】

アンサンブル・ノマドは1997年、ギタリストの佐藤紀雄氏の呼びかけの下、個性的なメンバーが集まって現代音楽を専門に演奏するアンサンブルである。おこなった演奏会は15年間で、定期だけでも44回。取り上げた作曲家、作品の数も、通常の楽団からは想像もつかないような数だ。有名/無名には関係なく、日本やアジアを含む世界各国の潮流から、佐藤を中心とするノマドのメンバーが選んできた楽曲は、一見して多彩である。一時、活動を中断したときもあったが、その危機を乗り越えて、今日に至ったアンサンブルをまずは僭越ながら祝福したい。

ノマドの歩んだ15年は、私がクラシックを愛好するようにってからの年数よりも長く、私事ながら、初めて彼らの演奏に接したのも2005年の第26回であるから、私に彼らの活動を語る資格があるようには思えない。しかし、このときに接した中川統雄の『01』という作品と、ジョン・ゾーンの『コブラ』という作品は、今日でもハッキリと記憶しているほど、私につよい刺激を与えた。その後、私のライフ・スタイルとノマドのコンサート・スケジュールは噛み合わないことが多かったが、第36回、第38回、第43回の演奏会を聴いたほか、サントリー音楽財団のサマー・フェスにおいても聴く機会があった。アンサンブル・ノマドという存在は、現代音楽をひとつのフィールドとする私の音楽体験にとっては、欠かすことのできない存在であるようだ。

さて、このコンサートを皮切りに、自らの結成15周年を祝うノマドにとって、祝祭的な意味のつよい今回の演奏会は、最新の録音で、メキシコのエベルト・バスケスの作品である、”Bestiario”(動物寓話集)を中心に、多重メインを仕込んだ3時間を超える演奏会となった。

【室内楽的な磨き上げ】

そのなかで、特に感じ入った要素は2つある。そのうちの1つは、室内楽的磨き上げを痛烈に感じたことである。このことを理解してもらうために、私はクァルテット・エクセルシオのチェリスト、大友肇氏の、概ね次のような発言を引いておきたいと思う。現代音楽においてはある程度の軌道に乗せるまでには苦労するが、それを乗り越えれば、意外とスムーズに進んでいく。ところが、古典作品(ハイドンやベートーベン)ではその軌道に乗せるまでは早いけれども、そこから先を深めていく作業に数倍の時間がかかるというものである。

この発言は聴き手の側の実感にも符合し、例えば、サルヴァトーレ・シャリーノやエリオット・カーターのクァルテット作品を演奏するのはいかにも難しそうにみえるが、高度なテクニックを備えた奏者の多い現代からみれば、正直、その演奏の良し悪しは簡単には判別できない。一方、ベートーベンのクァルテットともなれば、そのアンサンブルがどのようなことに拘り、どの程度の深彫りを経てきたかは明らかであって、その差は歴然としている。もちろん、コンテンポラリーの演奏においてもアーティキュレーションやタイミングの図り方、抑揚や押し引き、溜めなどに磨き上げが不必要というわけではない。だが、そうであっても、作品の演奏にとって第一に重要なのは、その作品を成り立たしめる原理や作曲者のイメージを理解すること、あるいは、そのセンスの良し悪しにかかっているのであって、そこを通過してしまえば、奏者たちにとってでき得ることも少ないということである。

ところが、今回のコンサートにおいては、単に原理やセンスの問題だけに還元されない、純粋な磨き込みの部分がつよく感じられたのは特筆すべきことである。そのことは例えば、2曲目のスコット・ジョンソン ”Convertible Debts” (ツケかえられた債権)において、ハッキリと感じ取ることができた。この作品は、予め録音された話し声やパーカッションなどの響きと、ライヴ演奏するオモテのアンサンブルの対話によるタイプの作品である。オモテの楽器はヴァイオリン、チェロ、エレキ・ギター、ピアノによる編成で、それぞれの響きは電気的に増幅される。

このようなタイプの音楽では、オモテの奏者は時間やタイミングにおいて大きな制約を受け、本来、あまり個性的なアクションはとりにくいものである。ところが、そこを逆手にとって、こなしきれないほど多彩なアクションを取り込むことで、かえって奏者の自由なアクションを取り出すというのが作品の面白さである。ところで、録音された話し声の内容と、音や響きの関係がどれほど繊細に構築されているかについて十分に読み解く力はない。辛うじて私にわかるのは、声や文脈の示す抑揚が、響きの抑揚とリンクしていることぐらいである。

録音された音声には、ベースになる話し声のほか、パーカッションや器楽の響きも含まれていた。そこで、私たちはそのうちにオモテとウラの区別がつかなくなり、果ては、オモテの奏者がなにもしなくても響きが創造されていくような間違ったイメージを抱くことになる。だが、もちろん、そんなことはなく、あるときハッとして、必死に響きをつくるオモテの奏者の動きに気づくと、私たちはしばらく呆気にとられてしまう。なかでも、中央に位置するチェロ(菊地知也)の響きは堂々として揺るがず、正に大陸に聳える山のように感じられようか。一方、ピアノの稲垣聡は時折、すべてを無に帰すかのような強烈なアクションで、全体を創造と消滅の両方から支えていく。ヴァイオリンの甲斐史子はキチキチとした動きで、心地よいパルスを流し、これらを綜合するリーダー=佐藤紀雄のギターは、さりげなく凄みを発する。

それぞれのパートのなかで、必死の個性を響きとして発し、これをギリギリつないで、音声と立ち向かっていく4人の姿には、明らかに、原理やセンスだけでは説明しきれない室内楽的な磨き上げ(=自由)が見て取れた。

【バスケスの新しさ】

この経験を経たことで、あとのエベルト・バスケス ”Bestirio”(動物寓話集)の演奏は、より鋭い目で観察することができた。CDが先行して発売されたとはいえ、ワールド・プレミエとなる今回のパフォーマンスは、同じメンバーによる録音と比べてもはるかに密度が高く、特に、楽器の響きのもつシャープな味わいを基盤とした1曲目の ’El Trauco’(トラウコ)や、5曲目の ’El Golem’(ゴーレム/o にはアクセント)などは、その比類ない音の魅力をハッキリと認識させるものであった。一方、ライヴならではのパフォーマンスの揺らぎもなくはなかったが、その分、作品に込められた作曲家やプレイヤーの想いは、ヒシヒシと伝わってくる。

録音で聴いていた際には、多彩で細切れなアイディアとして聴こえたものが、こうして生に接すると、もうすこし凝結したイメージの塊として共通項も見えてくる。それは変容の問題であり、あるいは、怪物たちをみる客観的な視点と、その内部から考えた主観的視点の生々しい衝突である。このようなドラマに覆われた作品は、1時間弱にも及ぶ全体を通して演奏するのはキツいが、それが実現すれば、その大作ぶりをハッキリと示すであろう。個々の断片はときにストラヴィンスキーやバルトーク、ドビュッシー、ラヴェル、ライヒ、ブーレーズなどのイメージを踏襲するものも多く、ときに日本の素材とも関係がありそうだ。しかし、そうした雑多な要素を彼の表現したいものにあわせ、自由に選択していく手法を作曲家は選んだ。

エベルト・バスケスの作品に新しさがあるとすれば、それは20世紀中葉からつづく技法の新奇性に対するものではなく、そのなかで生まれてきた技法の活用の仕方にこそあった。このことは録音について既に述べたので繰り返さないが、明らかに新世紀的な新しい動きである。彼の素材として選んだ「動物」たちは概ね、それ自体のなかに豊富なドラマ性を含んだ怪物や魑魅魍魎であった。こうしたものを表現するのには、なるほど前世紀以来の作曲家たちの努力による響きや技法の工夫は有効であろう。だが、バスケスとしては、それがやりたかったわけではない。彼の興味の中心は、あくまでその先の問題にある。

【立場を変えた視点の深さ】

例えば、今回の演奏で、録音からは十分に感じ取れなかった特に深いインスピレイションを与えてくれたのは、第4曲の ’El laberinto de las sacrificios’(生贄たちの迷宮)である。ここでは迷宮の奥に潜むミノタウロスの陣営と、それを退治に向かうテセウスの陣営とが、響きのうえで効果的に対立していることがすぐに分かった。テセウスのほうは正調に基づき、ミノタウロスの陣営はやや調子が狂っている。しかし、テセウスのほうの響きのみが活き活きとしているわけではなく、ミノタウロスの陣営の響きも十分に味わいぶかい。どちらかといえば、テセウスのほうが闖入者としてみられるようなイメージである。

柄谷行人の批評を読むと、かつての日本で次のような事件が起こった記述がある。ある誘拐犯によって、少女たちが次々に浚われたが、その犯人は少女たちを虐待したり傷つけたりすることはなく、丁重に扱い、捕まったときには、少女たちは解放を喜ぶというよりも、その誘拐犯との訣別を寂しがる風であったという事件を紹介していたのだ。正に、私はこのイメージでミノタウロスについて考えた。テセウスの神話によれば、ミノタウロスははた迷惑で、凶暴な怪人にすぎない。しかし、その神話の反対を想像し、ミノタウロスの側の事情を組み込んでみれば、むしろ、迷宮のなかにこそ、園があったという発想も無理ではないはずだ。

バスケスの音楽は、こうした発想の転換を容易に引き起こす。クラーケンについては、CDの批評で述べたので繰り返さないが、ここではトラウコについて触れてみたい。チリ南部に伝わる悪魔、トラウコについての伝説によれば、この悪魔は幸福な若い男女を襲い、きれいな女性を連れ去ってしまうということである。これをもじって、現代では、片親のいない子どもがいたりすると、その親は「トラウコに連れ去られた」などどという言い方があるそうだが、もちろん、それは道ならぬ関係から生まれた命の秘密を、穏やかに押し隠そうとするものであろう。いずれにしても、若い男女にとっては獅子身中の虫であるトラウコの内面に、バスケスは注目した。一体、トラウコはなぜ、男女を襲うのであろうか。

そこに感じ取れるバスケスのイメージは、明らかにトラウコに対する同情的な視点である。バスケスはこの誰からも好かれぬ孤独な悪魔の存在に、ある種の共感を得ているようである。止むに止まれぬようなトラウコの寂しさに、彼は惹かれているのであろうか。その響きは音楽的にはストラヴィンスキーやブーレーズの作品を想起させるものだが、この共感によって、まったく別の変容を遂げる。そのイメージの温かさが、怪物のイメージそのものをも変容させてしまうのである。きっとバスケスという人物は、思いやりに溢れて、優しく、情感ゆたかなメキシコ人なのであろう。そして、彼はどんな甘いと言われようとも、そのような自分の性に誇りをもっている。

トラウコの仕業は、それは褒められない。だが、彼はその行動の中心に何があるのかを知りたいと願い、幸い、それは成功した。このような発想は作曲家のゆたかな人格を物語るだけではなく、価値観の多様化がいよいよ複雑な今日、よりいっそう大切な意味をもっているのではなかろうか。

【演奏的に優れていた点】

演奏的にとりわけ優れていたのは、最初の ’El Trauco’ のほか、5曲目の ’El Golem’ や 最後の ’El Demonio de Maxwell’(マックスウェルの悪魔)である。’El Golem’ では、菊地とともに、山根孝司がそれぞれバス・クラリネットで多彩な響きを交感し、ゴーレムの不気味な人生を鮮やかに描き上げる。菊地の鋭いアクションに対し、山根のほうは図太い厚みのある響きで、ゴーレムの実感を補っていく。最後の「マックスウェルの悪魔」では、佐藤の指揮の下、木ノ脇道元のフルート、菊地秀夫のクラリネット、花田和加子のヴァイオリン、それに稲垣聡のピアノによる変則的ピアノ・クァルテットが自由に踊りまわって見事である。

悪魔の科学的意味等についてはCDの批評でも書いたが、作品はあくまで、こうした発想をもとにした音楽的イメージが先行したものと思われた。それを証するかのように、徹底した室内楽的な洗練のなかで、クァルテットが究極の美しさを整然と示した演奏であったことを喜びたい。

演奏後には、会場に詰めかけたバスケス本人が舞台上に呼び出されたが、シャイな性格なのか、一礼だけすると、あっという間に舞台を下りてしまった。しかし、彼の身ぶりからすると、欧米のあらゆるハイテク集団を押し退けて録音を依頼した、アンサンブル・ノマドによる生演奏には相当の感慨を受けたようであり、同時に、アンサンブルのほうも彼の実力にふかく敬服しているようであるから、この幸福な関係は先々までつづくと予想するし、そうなるように期待したいものだ。

(②につづく)

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