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2012年7月 7日 (土)

大飯原発封鎖デモから考える ② 【原発をめぐる今後の問題】

【再稼働に対する私の考え方】

原発再稼働に対して、私はどういう考えをもっているのか、ここで開陳しておく必要があろうと思う。基本的に、私は再稼働に反対していない。なぜなら、原発なしに国家が活動するための安定した電力を得ることは不可能だというのは、やっぱり事実として認めるべきだと考える。確かに、政府や電力会社の言い分を鵜呑みにすべきではないが、すべてが嘘だと決めつけるのはかえって安易であり、現在、もしくは前の民主党政権にも左派的な考え方をもつ人が少なくなかった(その代表格が菅前総理だ)ことを考えれば、再稼働なくして、急速なエネルギーの転換は不可能だと考えざるを得ない。

化石燃料の際限なき使用による温暖化への影響、発電効率の低下した古い火力炉を用いることによるコストや安全性の問題、原油やLNG輸入によるコストの増大と国の富の流出、コスト増大による国民や企業の負担増など、いま、よく指摘されている問題は決して無視できるようなことではない。確かに、地震頻発期とみられる日本において原子力発電の危険性は高まっていると言えようし、使用済み燃料の廃棄や放射性物質を含む排水の問題など、難しい問題が山積みになっているのも確かだ。将来的には、原子力が何らかのエネルギーに置き換わっていくべきだという方針は月並みだが、私の支持するところである。

しかし、空手空拳で闘うことはできない。原子力を止めるにしても、より厳格に管理・規制していくにしても、急速にすべてが解決するような妙案は、いまのところないはずだ。まず、危ないものを止めて、それで国力が疲弊するならば、それも結構ではないかという意見もなくはないだろう。だが、「結構」では済まない事態に対して責任をもつことができないのでは、再稼働派と五十歩百歩というものではなかろうか。いずれにしても、私たちはリスクを負って社会を構成する。そのリスクをどこまで負うかは国民の選択によるしかないが、私は当面、原発もエネルギー政策のなかに組み入れるべきであり、その余裕のなかでのみ、今後に有効な研究がおこなわれ得るとみている。

原発から脱却するためには、多大なコストを支払わなければならない。そのコストには金銭的なもの以外に、時間的なものも含まれる。原発を止めるとなれば、それら両面の空費に手足を縛られ、我々の社会は動きがとれなくなってしまうことだろう。これにより再生可能エネルギーの普及が進むという楽観論もあるが、あべこべな議論だと思う。実際には、より古い、効率のわるい発電プラントが用いられ、それらを無理くりに動かして需要を賄っているにすぎない。そして、電力会社や政府は、新しいエネルギーの開発・研究というよりは、まず原子力の穴をどのように埋めるかという問題から先に手をつけねばならなくなる。手っ取り早いのは石油やLNGへの回帰となり、これを私は「地球破壊型シナリオ」と命名したいと思うのだ。

脱原発は、代替のエネルギー源をコツコツ用意しながら、慎重に進めていくべき性質のものである。その間に、地震や津波が起こった場合はどうなるのかという議論も、決してヒステリックなものではないが、同時に、多少、誇張された問題設定であるという感じもなくはない。だが、私たちの意向はどうあれ、原発は徐々に再稼働される方向で進んでいくだろうし、むしろ、そのなかで考えることが現実的な選択肢なのではなかろうか。私はむしろ、原発をめぐるブラック・ボックスをいかになくし、透明に管理していくかということのほうが重要だと思っているし、そちらのほうに議論をもっていくことが、脱原発の「行動」よりも重要なことだと信じる。

その動きを加速するために、政府は、米国のクリントン元大統領がモニカ・ルインスキー事件に関する調査をケネス・スター独立検察官に託した手法を参考にすべきだ。つまり、クリントン氏は自らにとって、もっとも批判的な司法関係者に特別権限を与え、自らの生活を丸裸にして調べ上げることができる権利を与えた。スター氏は勇躍し、クリントン氏の身辺を嗅ぎまわったが、結局、彼は大統領を追い詰めるいかなる証拠も発見できず、クリントン陣営、特に、夫の疑惑にまったく動じなかったファースト・レディ、ヒラリーの人気を飛躍的に高めただけだった。

日本の原発に関して、もっとも否定的なグループは京大の一部のグループだろうと思う。彼らのうち、主要な者に電力会社に関するあらゆる調査権限を与え、必要なら、国民に公開することが許されるとすれば、国民の疑心暗鬼を克服し、次に必要なステップに進むことができるかもしれない。私が特に懸念しているのは、古い炉の廃炉が先延べされている点であり、民主党原案の40年でさえ長すぎるのに、自民党の提案により、さらに数十年の延長が可能となる方向で議論が進んでいることは承服できない。この点をみても、自民党が原発問題に関しては、民主党と何らえらぶところがないばかりではなく、より強硬な(つまり、廃炉に否定的な)姿勢をもっていることがわかる。新しい炉はそれでもよいが、福1と同じような古い炉は、なるべく早めに廃炉にしたほうがリスクが少ないはずであるが。

結論を申し述べるならば、私は再稼働阻止よりも、原発に関する情報をクリアにし、国民全体が監視できる状態にすること。廃炉に向かっての知見を整え、代替的なエネルギーを順次、構築しながら、持続可能で現実的な廃炉プログラムを準備することが、結局、日本のエネルギー政策にとって最大の課題だと思うのである。

【引き返せない脱原発への道】

この考え方に照らして、大飯原発の封鎖をどのように見たのか。私は、確かに感動的な気分になった。なにかのついでではない魂の叫び、東京の金曜デモにはない緊迫と、実感が籠っていた。2日間を過ごしたデモ隊が達成したものは、具体的には何もない。陸上輸送を予定していたものが、海上輸送に代わったというぐらいの変化だ。関電の社長は会見で、デモがつづく異常事態のなかでの再稼働について、海上輸送が成功したことを成果として挙げる皮肉を演じたが、客観的には失笑を買うばかりであろう。とはいえ、デモ隊はもちろん、再稼働を阻止できなかったし、なにも成し遂げはしなかった。

しかしながら、朝方は数千人の視聴だった動画配信が、夕刻には、2万人を超える監視の下に置かれたという事実からは、この問題に関する国民の関心の高さがわかる。この2万人という数字は、もちろん、日本の人口比率からいえば、実に僅かな数にすぎないであろう。しかしながら、この配信元はテレビや新聞といった大メディアとは無縁の、プライヴェーター的なジャーナリストによる個人的な配信であることを考えれば、驚くべき数字であることがわかる。

さて、その映像の向こうで声を発している人たちの叫びは、24時間を超えて大飯の山野に響き渡っていた。パーカッションの助けを借りてはいるが、あくまで、主体は声によるシュプレヒコールである。それを、太鼓の響きが優しく支えている。パーカッションの叩き手は多分、何人かによる交代制のようであり、人の声に寄り添う姿勢は同じでも、よく聴くとリズムなどが微妙に異なっていたものだ。そのなかのひとりは異様にうまい叩き手であって、音楽の「言語機能」というキーワードを肌で実感させるように、市民の声に対して完璧に寄り添うだけでなく、正に、太鼓そのものが歌うような響きを聴かせている。

この音楽的な面に私は惹き寄せられ、自分が作曲家であったら、この響きを使って即座に曲をつくれそうだ・・・と考えていたところ、まったく同じ発想をした作曲家がいた。それは坂本龍一氏であるが、しかも、彼は実際に、シュプレヒコールに仏教的なバックを嵌め込むテクノ(ヒップホップ?)の手法で逸早く作品を制作し、デモ継続中に公開したのだから凄い(ただし、作品は粗悪である)。

私が驚愕するのは、こうした音楽的な協調が24時間を超えて、絶えず持続されたことだ。この行動によって、私はいままでで、はじめて「再稼働反対派」の声を聞いた気がしたものだ。彼らによるメッセージは、ほぼ「再稼働反対」のワン・メッセージであり、これに「子どもを守れ」「いのちを守れ」というサブ・メッセージが、時折、挟まれるという具合になっている。このメッセージ自体には、とりわけこころを打つようなものはない。しかし、その連続性や、一体感のなかに、私は真実のメッセージを見出したのだ。見たところ、デモ隊は整然と組織された集団ではないようだが、彼らはまとまっていた。そして、そのメッセージはいつ切れるとも知れなかった。

彼らが唯一、成し遂げたこと・・・それがこの問題にとって、とても重要なことである。それは、この叫びが一時のヒステリックな慟哭ではなく、彼らのなかに自然に生きはじめ、根づきはじめたこころの声だということなのだ。数は数百人でも、その声は背後に隠れた多数の人たちを代表している。先の2万人超という同時視聴数は、その「多数」を象徴するひとつの指標にすぎない。多くの人たちが、自分たちの声が警官隊に・・・つまりは、政府にどのように扱われるかを固唾を呑んで見守った。結局、逮捕という事態はなく、警官隊は退いて包囲を解き、デモ隊も自主解散することができたが、賢明な判断であろう。もしも、デモ隊が大量拘束されるような事態になれば、自分たちの声を踏みにじられた背後の勢力が沸騰するのは目にみえていた。

このことから、気づかなくてはならない。国民にとって、もはや長期的に原発をつづけるという選択肢はなくなったということを。いくら必要性があるといっても、国民の支持を得ずして、このような施設が長期にわたって稼働しつづけることはあり得ない。かつては自衛隊もそのようにみられたが、いまでは定着している・・・という事例は、参考にならないだろう。なぜなら、自衛隊はその存在をめぐる議論(その延長線上にある基地闘争など)を越えて、多くの国民を苦しめたことはないが、原発には悲惨な「前科」があるからだ。この事実を国民は決して忘れないだろうし、正確にいえば、この問題はまだ終息していないと多くの人たちが思っている。現在進行形なのだ。この2つの事実を、デモ隊は私に教えてくれた。

【今後の運動のあり方についての考察】

もはや、脱原発への道は引き返せない。そして、再稼働に反対する声は現在進行形の状況のなかで、揺れる国民の恐れや不信(原発行政や、運営する事業体に対する)を示しているのである。この声は、たった24時間超の時間ぐらいでは弱まりもしないほど、芯のつよい叫びである。そして、その声は警官隊の突進のあとでは、より大きくなったことを思い出すべきだ。警官隊が何らかの理由によって、何度か押し出したとき、押し倒されて怪我をしたりした人たちもいたという。だが、それに怯むことなく、声は都度、大きく熱いものになった。これが、この問題の原点にある。

このような「原理」と、私の意見はどのように噛み合うのあろうか。そのことには、まだ結論が出ない。私の立場は決してエキセントリックなものではなく、月並みなものであり、この対立はいつも議論されていて、かつ、噛み合わないもののひとつである。ここにバランスを得ることこそ、日本の原発問題を前に進めることにつながる鍵である。それは現在進行形の恐れや不信のなかで、そのコントロールをいかに厳しくしてすこしでも安心を構築し、未来に向かっての議論を始められるのかという難しい問題なのだ。例えば、交通事故で人が亡くなったとして、その悲しみのなかで、ご家族に対して、「泣いていても始まりません、未来のことを考えましょう」と言っても、とても受け付けられるものではないだろう。現在の「再稼働派」 vs 「再稼働反対派」の議論というのは、正にそのレヴェルでの話になっている。

私は、この対立にどこか皮肉めいたものを感じる。両者は、決していがみ合うような立場のものではない。彼らは互いに別々の議論をしているのに、それに気づかず、分断されている。いまは、まとまることが必要なのだ。そうでなければ、政府が現実的な対応を「つくって」いくしかないだろう。その「現実的な対応」は、単に現実的なだけではなく、彼らにとって都合の良いものになるはずであろう。それを阻止できるのは、国民による団結だけだ。そのプロセスとして金曜デモが相応しいものなのか、私には自信がない。もしもそれに反対ならば、私が新しい運動を呼びかけるべきなのであろうか?

いずれにしても、今度の反原発運動で重要な特徴は、数や組織に頼るコンミュニズム的発想ではなく、アナーキズム的なところである。市民は組織された団体を頼りとするのではなく、個々のネットワークで運動への参加を決めているのだ。我がこころの師のひとりである大杉栄は、多数決を好まなかった。彼は運動に参加する個人の意思を徹底的に尊重した人物だからである。金曜デモでは、主催者は4万5千だ、15万だと数を誇ろうとしているが、私はそれに反発する。この運動は個人のネットワークによって、数や組織とは無関係に発展したものではないか。それを示すのに、再び数や組織に論理を戻すのは失笑を買う。どれだけ贔屓目にみても、数でいったら、まだまだ少ない。東京には、どれだけの人口がいると思う?

だが、これは多数決の問題ではない。大飯正門前の数百名が、こともなげに日本国民多数の代表者たり得たように、彼らも同じような役割を果たし得る。だが、そのためには、より強固な団結へとデモの性質を高めていかなければならない。もちろん、それは組織化ではない。その集まり方に相応しい、新たな運動の進め方、団結、そして、運動の評価のあり方を探るものである。何万人集まったから成功だというのではない、新しい運動の方向性を探っていくべきだ。

小さな穏健派アナーキストとして、私はこういうメッセージを発してみたいと思った。

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