2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

« クァルテット・ローエ with 小川典子 pf. ショスタコーヴィチ ピアノ・クィンテット ほか 都響メンバーによる室内楽トークコンサート Vol.12 《ショスタコーヴィチの叙情》 8/5 | トップページ | 東京ジュニアオーケストラソサエティ with 広上淳一 ブラームス 交響曲第1番 8/19 »

2012年8月12日 (日)

ウルバンスキ ドヴォルザーク 交響曲第7番 ほか 東響 @フェスタサマーミューザ川崎 8/7

【ウルバンスキの特徴】

16:00からのリハーサルを聴いて、私は軽いショックを受けた。東響の首席客演指揮者に就任するクシシュトフ・ウルバンスキに対する私の最初のインプレッションは、「空恐ろしい」の一言に尽きる。

演奏が軌道に乗ると、すぐに客席へ下りていき、慎重に音響を確認しながらのリハーサル。戻るときには、高いオケ・ピットの壁をひとっ跳びに上がっていくのだから、指揮者というよりはアスリートである。29歳のポーランド青年がつくるドヴォルザークの音楽は、必ずしもチェコ的ではなかった。そう思うのも、ガッシリして、のんびりしたところがなかったからであろう。ドイツ的な堅固さともちがい、旋律的なラインの一本一本が筋金のように堅固でありながら、どこか活き活きとした生命感に満ちている。その響きの緊迫はこの時代のチェコ音楽としては、容易に独立運動のイメージと結びつくが、それだけでもないようだ。ウルバンスキの大事にしたのは、政治的、歴史的な背景というよりは、この時代のチェコで、ドイツ音楽からの響きの独立がどのように志向されたかという、音楽的にはより高次の問題である。

ドヴォルザークの交響曲第7番はこの作曲家にとっての大傑作であり、8番とともに、ドヴォルザークのもつ2つの面を象徴している。7番はドイツ的な音楽の象徴であり、8番はよりスラヴ的に徹底している。では、9番はといえば、そうしたイディオムでは語り得ない新しい音楽の象徴なのだ。ウルバンスキの7番は、多分、英国系のドヴォルザーク演奏の系譜を引くものである。マッケラスを筆頭に、マリナーやコリン・デイヴィスといった指揮者が、このレパートリーを得意としている。各々の指揮者でもちろん、持ち味は大分、異なっているが、旋律線のハッキリした表情や、すこし快速のテンポ設定がその特徴となる。ウルバンスキはしかしながら、それにポーランド人としての素養を加え、ルバートに深い陰影があるところが面白い。

【素晴らしかったリハーサルと本番の落差】

演奏の完成度は、実のところ、リハーサルのときが素晴らしかった。ペースを上げようとしたのか、本番ではオケがすこし走り気味で、リハーサルのときに出ていた音楽の風格に遠く及ばなかった。数時間前まで、しっかり決まっていたアイン・ザッツや金管の響きにミスが散見し、私を残念な想いにさせたものであるが、音楽とはかくも難しいものとの認識を改めて強くする。指揮者の棒はサイトウ・メソッドで振る人と比べれば、なにもやっていないにちかいものだし、こういうリスクはウルバンスキの場合、常に逃れることができないものであろう。そういう意味からみても、ウルバンスキはこの楽団を率いるスダーンのような牽引力のつよいタイプではなく、プレイヤーの自主性を巧みに引き出すことで自分の音楽を構築していくタイプであることがわかる。

バチバチと刺激的な1時間のあとで、たった2時間あまりのインターヴァルで本番を迎えるなんて、やはり、いささか無理があるのかもしれない。また、客が入っているときと、そうでないときで差の激しいテアトロ・ジーリオの音響的な難しもあるのだと思う。

例えば、リハーサルで聴かせた舞踊楽章の響き全体が躍動するような、あの感覚は、本番では見事に失われてしまった。ウルバンスキの音楽は、こうした曲想豊富な作品で特に美しく輝くであろう。それは曲想の切り替えが実に見事で、その連鎖的な構造的な盛り上げに天才を有するからである。この観点からみた、スケルッツォの演奏は長閑なトリオを挟んでの、2つの主部の対比が鋭く、特に後半の雄大なイメージに作品の面白さが詰まっていたように思う。それはベートーベン的なもので、このあと、ブラームス的なものがつづくところに象徴的である。

本番では、第1楽章と第4楽章の力づよい部分の印象が残りやすかった。そうした意味では、若干、力押しの印象をもったオーディエンスがいたとしても不思議ではない。しかし、リハーサルを見るかぎり、これらの響きは見るも見事な空白とのバランスで彩られていた。対向配置にした弦の鳴り方が効果的で、これは本番でもよく感じられたものである。第1楽章の主題の扱いは、チェコ系の(優れた)指揮者はテーマを内包し、隠すようなスタンスをとることで、幹細胞的な響きの万能性を深く抉るようにするが、それと比べると、ウルバンスキの演奏は各主題を磨き上げて、きっちりと提示することで、その推移の軌跡を美しく描くことに主眼を置く。

これが特に奏功したのはアレグロ・フィナーレであり、その主題のスッキリした処理に、ブラームスとは異なる真っ直ぐな印象を残したのが成功である。

しかし、このスタンスはリハーサルのときのように、しっかりとした実践を伴って、はじめて説得的に響く。つまり、細かな瑕や僅かなタイミングのずれなどによって、その良さが容易に損なわれる。それでも、不出来な本番においてさえ、第4楽章においては、その弊は最低限に抑えられた。最後の部分にはリハーサルでは到達せず、オーディエンスにとって最後の楽しみが残ったが、その部分は集中力も乗り、鮮やかな響きが花開いて文句ない。

東響としては、リハーサルまでの出来がよかっただけに、本番はすこし大事に行き過ぎた部分があるのと、もっとよく演奏しようという挑戦心が、すこし演奏の焦りにつながってしまって、いまひとつの結果を導いてしまったように思う。しかし、それにもかかわらず、演奏を聴いての満足度は十分にあり、また、リハーサルにおいて耳にした響きもプラスして考えると、私はウルバンスキのもてる才能に対して、完全に屈服するよりほかになった。会場も十分に盛り上がり、ウルバンスキは恐らく、予定されていなかったであろうスラヴ舞曲のリピートを指示。急なことに楽員も慌てていたが、その演奏は本編よりもさらに思いきったところがあり、鮮やかな印象を残した。

【まとめ】

スラヴ舞曲は、第1集の第1番と第8番という2曲だけの演奏で、東響にしてみれば、チョロい演奏であったと思うが、そのなかでも、8番の演奏はリハーサルと本番を含めて一貫して素晴らしかった。重みのある響きがなかなかまとまりきらず横滑りするような曲なので、下手にやるとあまり演奏効果の出ない曲だと思うが、その点、ウルバンスキはその横滑りを、上手く縦方向の立体感に導いていて素晴らしい。アンコールでリピートされた曲もこれだったのは、偶然ではあるまい。

良い人をキャッチした東響に、まずは快哉を叫びたい。しかしながら、できれば、きっちりした定期演奏会で、しかも、サントリーホール、もしくは、ミューザ川崎といった質の良いホールで聴いてみたいと思ったのは、私だけではないはずだ。来年度以降は、そうしたチャンスが多くあるのを素直に喜ぼうと思う。

【プログラム】 2012年8月7日

〇ドヴォルザーク スラヴ舞曲集 op.46-1、8
〇ドヴォルザーク 交響曲第7番

 コンサートマスター:ニキティン・グレブ

 於:テアトロジーリオ・ショウワ

« クァルテット・ローエ with 小川典子 pf. ショスタコーヴィチ ピアノ・クィンテット ほか 都響メンバーによる室内楽トークコンサート Vol.12 《ショスタコーヴィチの叙情》 8/5 | トップページ | 東京ジュニアオーケストラソサエティ with 広上淳一 ブラームス 交響曲第1番 8/19 »

オーケストラ」カテゴリの記事

コメント

長くて、読みにくいです。

後期ロマン主義みたい。。。

ご指摘に感謝しますが、このサイトに掲載される文章が短く、あなたにとって読みやすくなることはないでしょう。他人に読ませるのが第一の目的じゃないので、悪しからずであります。しかも、ブラームス、ヒンデミット大好きだから仕方がありません。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/543421/55376279

この記事へのトラックバック一覧です: ウルバンスキ ドヴォルザーク 交響曲第7番 ほか 東響 @フェスタサマーミューザ川崎 8/7:

« クァルテット・ローエ with 小川典子 pf. ショスタコーヴィチ ピアノ・クィンテット ほか 都響メンバーによる室内楽トークコンサート Vol.12 《ショスタコーヴィチの叙情》 8/5 | トップページ | 東京ジュニアオーケストラソサエティ with 広上淳一 ブラームス 交響曲第1番 8/19 »

ツイッター

  • ツイッター

最近のコメント