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2012年9月17日 (月)

杉山洋一 モーツァルト レクイエム 難民を助ける会 忘れないで3.11 チャリティ・コンサート 9/13 ②今井信子&岩田恵子の演奏を中心に

【特別な2人による特別な環境での演奏】

この演奏会の中心的な柱はもちろん、モーツァルト『レクイエム』によって、被災者のために祈りを捧げ、その記憶を呼び覚ますことだった。しかし、この柱を生かすために準備された前半のプログラムも、今井信子と岩田恵子の参加を得て、忘れがたいものになったであろう。今井は言わずと知れたヴィオラの世界的な権威で、岩田はオランダのコンセルトヘボウ管のヴァイオリン奏者として定着しているメンバーだ。プログラムによれば、今井と岩田は「長年の盟友」とあり、ともにオランダで活躍していることや、室内楽の分野でレヴェルの高い活動をしていることをみても共通点が多い。

その2人だけで演奏したモーツァルトの K423 のデュオを聴いて、私は夢のような気分になる。座席の選べないコンサートであったが、幸い、自分の席は3列目の24番と中央前方の良席であった。2人はその前方の僅か4-5mほどのところで向きあって弾く。多少、見上げる感じになりながらも無理のない姿勢で、私は自由に2人を眺められ、この広いホールのゆたかな残響に溶け込んでしまう前の、生にちかい響きを楽しむことができた。私の視野には2人の奏者以外に、オルガン席側の客席で演奏を取り巻く聴衆の姿も入り、コンサート・ホールで演奏を聴いているというよりは、彼女たちが臨時の小舞台・・・ラ・フォル・ジュルネのキオスクのような・・・で、手づくりの演奏を披露しているような感じがしたものだ。

この特別な状況で聴いた2人の演奏は、それ以上に、2人の息のあったパフォーマンスというのが特別な印象をもたらす。今井には、フィリップ・グラファンとの間にこの楽曲についての録音があるが、岩田とのコンビによる、またこの日のような趣旨による1回限りの演奏は、一味ちがっていた。

【阿呆のような響きのなかに】

ときに、モーツァルトを聴いていると、同じ人物とは思えないような2つの表情のコントラストに、しばしば眩暈がするものだ。例えば、この作品の第1楽章では、なにも考えていない阿呆のような楽天的な美しさしか感じない。この作曲家が、『レクイエム』のような作品を書くなど、とても想像がつかないほどである。録音のグラファンよりも抑えた岩田の創造性が、今井の深い音色とゆったりコミュニケートするようなこの日の演奏では、その印象はさらに強められる。岩田のニュートラルな響きの堅実さと潤いに、作品のたおやかな印象がうまく重なり合っている。

一見、どこにも付け入る隙のないような、かくも明朗な作品の第1楽章にも、今井の目のつけどころはあった。それはこのパートの再現部というのだろうか、突如として響きが整理され、ヴィオラの重音がぬっと表情をもたげる部分である。ここから短い間、マイナーで作品は進むが、録音と比べれば、その印象はずっと短い。それにもかかわらず、この重音の響きに託された響きは、のちのアダージョ楽章との関係で重要な意味をもたらす。

凝縮して緊張感に満ちた演奏の秘密になっているのは、今井のヴィオラの重厚さと、そのリードの鋭さによっている。彼女は経験が豊富なので、これぐらいやると、相手が厳しいかなというのがよくわかっている。そうでありながらも、岩田が必死に食らいついてくるのがわかると、結構、容赦のない深さで響きを抉っていくのだ。確かに、2人の間に実力差はあるかもしれないが、岩田は粘りづよく、こういう揺さぶりに負けないための技術をもっているようだ。若い弦楽器の奏者がみたらとすれば、この組み合わせに軽い興奮を味わったことは請け合いである。

終楽章も、どうしても今井の動きに岩田がつけるという格好になると、ある程度、吹っ切れたのか、後半はヴァイオリンの動きもこころなし軽くなっていたようだ。

この演奏のあと、15分の休憩を挟んで、皇后様が遅れてご到着になった。公務との関係だろうが、この1曲目を逃したのは、いかにもお気の毒である。

【協奏交響曲】

同じソリストの組み合わせによるモーツァルトの協奏交響曲 K364 は、しかし、その上に立つ素晴らしい演奏であったことも間違いない。冒頭から最初のソロに入るまでは、岩田、今井がそれぞれ第1ヴァイオリンとヴィオラのパートに入り、名手のリードを加えての引き締まった、かつ、華やかな響きは堪らない。この作品は、デュオよりも感情の起伏に満ちている部分が多く、随所に演奏者の想いをのせることができる。それだけに、油断のならないアンサンブルとなった。今度はバックの管弦楽がついているものの、2人のパフォーマンスの親密さはデュオのときと寸分も変わらない・・・どころか、むしろ凝縮して、なお緊密になっている。

その結晶となるのは、第1楽章の2つの楽器によるカデンツァだ。この作品においては、2人の名手よりも、よく息のあった2人の奏者が求められていることがよくわかる。ヴィブラートの質や、アーティキュレーションの整合性が今井と岩田の間でよくとられており、その響きの親密さが作品の奥行きを抉る。カデンツァ明けの響きは、のちに演奏される『レクイエム』のベネディクトゥスに似た部分があり、これらのシーケンスで当夜を印象づけることになる。

アンダンテによる緩徐楽章は、多少、引っ張りすぎた印象もなくはないが、こころを込めた丁寧な演奏には頭が下がる想いだ。ケッヘル番号からみてもわかるとおり、モーツァルトにとって、この作品はデュオよりも先に書かれたものだが、音楽的な内面はずっと起伏に満ちて大人びている。しかし、この10分あまりもつづく内面的描写と、先のデュオでほんの僅かな重音から導かれる一節に込められた響きの意味と、どちらが凝縮しているかという議論になれば、そう簡単に結論は出ないだろう。ここに、モーツァルトという作曲家の容易に測りがたい才能の大きさが感じられるのだ。この楽章の最後のカデンツァは、哀しみよりも、それを上塗りするような声の太さに注目したい。

オーケストラの響きも、非常に繊細にデザインされており、急造のアンサンブルとは思えない。例えば、今井のヴィブラートにあわせて繊細な動きをアジャストするような杉山の手腕が、ここでも見事に発揮されている。

そして、最後(プレスト)はもとの阿呆に戻るわけだけれども、本当に、モーツァルトというのは不思議の塊である。深く沈み込むアンダンテの最後から、華やかなフィナーレへの転換の鋭さ。プレストだが、この日の演奏ではさほど速さの強調はない。煌びやかなサウンドのコーディネイトよりは、2本の独奏楽器と、バックの管弦楽の自由な組み合わせに焦点を合わせた、その意味において華やかさのある演奏であった。表情には時折、笑みも浮かべつつ余裕のある今井の表現に対して、終始、厳しい表情でつけた岩田のパフォーマンスが最終的に私の印象につよく残ったものである。

【野馬追の法螺貝】

演奏会の幕間には、インドシナ難民の救済を目的に旗を挙げた「難民を助ける会」が現在、活動の柱のひとつとする被災地支援の一環として、相馬の野馬追から3人の螺役(かいやく/法螺貝を吹いて陣の動きを統御する役)が招かれ、支援の継続と一大イベントである野馬追への参集を呼びかけた。うち一人は、若い女性である。現地事務所の職員によれば、街はきれいになったが、まだ依然と同じような暮らしは取り戻せておらず、特に放射能の問題が深刻だということだ。66もあるという法螺貝の吹き方のうち、3つを実演。ホルンやトロンボーンとはまたちがう法螺貝の凄い音色が、サントリーホールの素晴らしい響きのなかに活き活きと轟く。

そのうち最初の「弔い」という吹き方には、大いに魅了された。無論、この響きは戦争という実務のなかで、考案されてきたものであろう。桓武平氏以来の名門で、屈強の騎馬隊を擁した相馬氏であっても、戦には勝ちばかりではなく、負けもあるのが当然だった。そのいずれにおいても、結局、弔いの響きは人々にとって重要であったろう。万感の籠るその響きには涙を禁じ得ず、この演奏会をつよく印象づけるもののひとつとなった。この「弔い」は当然であるが、滅多に吹かないということである。

相馬宇多郷の螺役たちはあくまで堂々としていた。それをみて、また、彼らの発する物凄い響きが相馬のひろい野原に響き渡るのを想像して、来年は、きっと野馬追に行こうと思い立った。そのとき、私にその余裕があることを願って止まない。

【まとめ】

実に、これだけの出来事が重なったのである。順を追って整理すれば、自分の目の前で展開された今井&岩田によるデュオ演奏、同じソリストによる想いののった協奏交響曲の演奏、野馬追の法螺貝による「弔い」、そして、『レクイエム』の感動的な合唱である。ついでというには失礼だが、皇后陛下、美智子様のご臨席。それを前に、最後、再び一体化した聴き手の人たち。

そのなかで、やはり真の主役となったのは『レクイエム』の合唱団の人たちだった。ひとつ残念だったのは、終演後のアプローズにおいて、合唱団&合唱指揮者が単独で称賛される幕がなかったことだ。しかし、拍手がつづくなかで演者の撤収が早めに行われたため、いちばん最後にコーラスが解散するところまで、まだ熱気のある拍手がつづいていた。通常、去っていく合唱団への称賛はパラパラ程度だが、この日は、アマチュアの合唱団が最後の一人までほかの演奏家と同じように拍手を受けられた。このことは、実に素晴らしいことだったと思う。

あまりの興奮に、お恥ずかしながら、募金するのを忘れてきてしまったぐらいである。後刻、僅かな額ではあるものの、何らかの寄附をおこないたいと思っている。この演奏会は、本当に忘れられないものになる。3.11、もちろん忘れることはない。でも、その前に、私にとっては、この演奏会そのものが忘れがたい体験となった。

【プログラム】 2012年9月13日

1、モーツァルト ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 K423
2、モーツァルト ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 K364
 (以上、vn:岩田恵子 va:今井信子)
3、モーツァルト レクイエム K626 (ジュスマイヤー版)
 (S:澤畑 恵美 Ms:林 美智子 T:米沢 傑 Br:河野 克典)

 指揮:杉山 洋一
 
 コンサートマスター:長原 幸太

 合唱指揮:辻 秀幸

 於:サントリーホール

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