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2012年10月 1日 (月)

ラ・フォンテヴェルデ ジェズアルド マドリガーレ特集 「愛と狂気のマドリガーレ」 東京公演 9/28

【カルロ・ジェズアルドについて】

16世紀後半から17世紀初頭にかけて活躍したカルロ・ジェズアルドは、南イタリアを中心に勢力を張る権力者の一族として生まれた。次男だったため、僧籍に入って聖職者を目指すはずだったが兄が早世したため、日本風にいえば還俗して、ヴェノーザ公となる。ミラノ大司教を務め、のちに列聖された叔父のカルロ・ボッロメオ卿に可愛がられ、いささか陰気ではあるが、敬虔でもの静かな公卿に育ったはずのジェズアルドにとって、1586年、自らの妻と、親戚のアンドリア公ファブリツィオ・カラーファの密会の現場を押さえ、2人をベッド上で斬殺して市中に晒すという事件は、当時の貴族の慣習として珍しいことではないとはいえ、一生を決めるほどの出来事だったであろう。

この事件が、いまもってジェズアルドを有名にしているわけであるが、最近は、そのプライヴェートの事情に加えて、彼のつくった音楽作品がもつ半音階や不協和音の多用という特徴が時代に対して大きく先進的であるとして、その個性が論じられる向きも多くなってきた。それらはなにもジェズアルドによる発明であるとは言いがたいようで、終生、孤独だった彼のあとにつづく者もないために、後世への影響が大きかったというわけでもない。だが、逆に、その冠絶した孤高の美しさに多くの音楽家や研究者が関心を示し、バロック以前の作曲家としては、モンテヴェルディに匹敵するとまでは言えないものの、それに次ぐような人気まで獲得しているのだ。

このジェズアルドの作品を、古い世俗マドリガーレの素晴らしさに注目して紹介していこう、という趣旨で活動する声楽グループ「ラ・フォンテヴェルデ」が今回、まとめて演奏した。このアンサンブルはソプラノの鈴木美登里を中心に結成され、バッハ・コレジウム・ジャパンなど、日本の著名な古楽団体で歌う声楽家によって構成されており、ことしで10周年を迎えるということだ。

【ジェズアルドの音楽の特徴】

さて、既に書いたような伝記のあらましは、ジェズアルドの印象を正しく写すのであろうか。私の感覚では、単に、その音楽的特徴の一部を誇張するだけのように思えてならない。実際、彼の音楽に採用されたものの歌詞をみると、そんなに陰気なものばかりではないようだ。音楽だって、決して常軌を逸したような不均衡に満ちているわけではない。なるほど、当時の創作的な慣習からみて、ジェズアルドが独特な選択をしていることは、ものの本にも記されているとおりであろう。しかしながら、それを「狂気」と結びつけるほどには、極端なものでもない。むしろ、私が感じるのは、ジェズアルドが自らの内面描写に相応しい言葉や表現法を求めて、なにか新しい「トンネル」を求めて実験をつづける仕種なのである。

彼の音楽の著しい特徴は、この時代の作品としては顕著に、落ち着きがないことであろう。思いがけないタイミングで、突拍子もないところにジャンプし、また戻ってしまったり、これで終わりかと思う「解決」から、また半音上げて終結してみたり、まったく予想がつかないのだ。それでいて、その響きは完全に調和を失うというほどではなく、おわってみれば、穏やかにもの静かな雰囲気で着地することが多いようでもある。響きを放埓に放り出して、人々を不安にするような手じまいの仕方はあまりないように思う。専門的な研究からみて、実際にどうなのかは知らないが、少なくとも私にはそのように聴こえるということだ。

だから、私にとっては、ジェズアルドの「狂気」というよりは、「音の旅」という印象がつよいのである。彼はそれで名声を得る必要もなかったし、むしろ、名声は地に落ちていたから、もはや、どんな音楽的実験も躊躇われることはなかったわけで、「旅」の行方は他人と比べて自由だったはずだ。しかし、アンコールで1曲うたってくれたような宗教曲、つまり、パヴリック・メッセージに属する作品をつくるときには、それとはまったくかけ離れた整然としたロジックに戻ることも可能なのである。それはいわば、ジェズアルドにとっては、「家」、もしくは貴族にとってのそれである「宮廷」に当たるものだった。一方、彼の世俗マドリガーレは、「散歩」や「旅」を意味していたのではなかろうか。旅の恥はかき捨て、とばかりに、作品は自由で解放的なアイディアに満ちていたし、それを生かした個性的な創作がつづいたのである。

【ラ・フォンテヴェルデの苦闘】

ところで、ラ・フォンテヴェルデは、どちらかといえば、これらのうちの「家」の要素に親密な歌い手であるようだ。つまり、ジェズアルドの世俗マドリガーレの表現においては、もっと飛び出す要素が必要だと言いたいのであるが、彼らの追究した五声の最終的な調和という観点も、作曲家に対する誇張を打ち払う点では重要な観点となるものであろう。このアンサンブルで、特に「旅」の要素を担当するのは、華やかな星川美保子の歌唱である。しかし、もっとも外側を飛翔するソプラノのパフォーマンスだけで、ジェズアルドの「旅」を完全に物語ることなどできない。

このアンサンブルの特徴は歌唱に対する哲学を同じくし、イメージの深い共有から生じる言葉の一体感を大事にするところにあった。実際、そのようなアンサンブルの特徴が、ジェズアルドの表現に見合うかは疑問である。だから、私はここに歌うようなメンバーとは、多分、あまり一緒にならないような声楽グループ、例えば、野々下由香里とか、波多野睦美のような歌い手が入ったら、どういうことになるのだろうかと想像していた。よっぽど、ジェズアルドのマドリガーレは大抵、五声で書かれているので、そのようなゲストを敢えて呼ぶ余地もないであろう。ということは、彼ら自身がときどき「約束」を破って、もっと奔放に振る舞うことで、ジェズアルドの作品はもっと立体的に表現されたであろうことが大事になってくるのだ。

【閉鎖系の美しさと言葉の重み】

そうはいっても、ラ・フォンテヴェルデの慎重な歌いくちが、ジェズアルドに対する誇張的な見方とは関係なく、熟成された落ち着きのあるジェズアルド像を組み立てていたのは、それはそれで卓見である。ジェズアルドの行動範囲は実際、かなり限られていたようだ。出生地はナポリ、領地のやや奥まったヴェノーザの周辺、そして、2度目の結婚を通して相続を目論んだフェラーラ(教皇と歴代のフェラーラ侯との協定で、直系の男子による相続が途切れたら教皇領に戻すと定められていたのを、なんとかひっくり返そうとした)の3箇所ぐらいが、せいぜい彼の行動範囲であった。このうち、北イタリアのフェラーラは当時における「都会」のひとつであり、有名なエステ荘があって、タッソーをはじめとする文人や音楽家などがよく集まるところであったという。こうした事情を反映してか、ジェズアルドの「旅」はより本質的な越境の感じがなく、むしろ、様々な国境上へ気ままに点を配置したような、そんな感じになっている。

このイメージが、ラ・フォンテヴェルデの表現によって狭小に歪められたものなのか、あるいは、ジェズアルドの本質をうつすイメージなのかについて、最終的な結論が下せるほど、私に深い知見があるわけではない。しかし、その音楽のフォルムの優しい輪郭からみると、その表現は決して的を外したものではないように思えるのだ。

もうひとつ重要なのは、結局のところ、言葉にこだわるラ・フォンテヴェルデの姿勢である。私は古楽の演奏に重要な「フィグーラ」と呼ばれる言葉と音楽の対応関係について、それほど詳らかに知るものではなく、それに対するジェズアルドの苦労を本質的に理解できるとは思わない。しかしながら、彼のマドリガーレに現れる絶望とか、甘美な苦しみとか、そういう要素が、それまでに蓄積されたフィグーラ辞典のなかで充実していなかったのは想像に難くないところである。自らの思いの丈を表現するにぴったりくる音楽的要素がないということは、ジェズアルドにとって、もっとも主要な音楽的課題であったはずだ。

それに対するジェズアルドの様々な試みが、ラ・フォンテヴェルデの歌のなかに滲み出ている。彼らはいま、こうして聴き手に披露しているときでさえ、その意味を考えながら歌っているように聴こえた。冒険は少ないが、そうした省察には溢れた演奏会であったのだ。特に、バスの小笠原美敬の思索力の深さには、とても惹きつけられた。

【まとめ】

考える歌い手と、考えるオーディエンスのコミュニケーションが、そこには確実に存在していたといえる。そして、その素材としてジェズアルドが選ばれたことは、キリスト教と何の関係もない私が言うのもナンだが、これは神さまの祝福にほかならないのであろう。ラ・フォンテヴェルデは10周年とはいっても、まだアンサンブルとしては成長余地が大きい。来季からはモンテヴェルディのマドリガーレ全曲演奏が予定されているということで、これが完結すれば、彼らの表現はぐっと深みを加えることであろう。そして、彼らはもっと、本質的な「旅」と出会うはずだ。それが、彼らの得意な分野にも跳ね返っていくはずである。

偉そうなことを書いてみても、筆者が彼ら以上に優れた何かをもっているわけではない。日本で、こうしてジェズアルドのアンサンブルが聴ける機会も少ないのだ。それを実現した彼らに対して、私は感謝の念でいっぱいなのである。

そして、ジェズアルドのマドリガーレとともに、箸休めに演奏されたチェンバロ、および、リュートによる同時代の曲が聴けたことも重要である。チェンバロ曲のひとつは、ほとんど全作品が声楽曲に限られるジェズアルドにしては珍しい鍵盤曲で、あとの2曲はタルクィニオ・メールラによる鍵盤曲と、ミケランジェロ・ガリレイ(天文学で有名なガリレオの弟)によるリュート独奏曲である。これらを聴くと、世俗曲の分野で確かにジェズアルドが冠絶した存在であるといっても、その周囲に輝ける個性的な、明るい星がいくつも存在したことは明らかになるであろう。

これらの器楽曲を挟み、拍手なく、少しずつ編成(五声や伴奏の組み合わせ)を変えながら進む演奏会の様子は、若干、歌劇の雰囲気も漂わせ、面白い体験をさせてもらったものだ。最後は、『この上なく愛しいわが命の人よ』(Dolcissima mia vita)の、アカペラで歌いおわり、アンコールでは、見事な宗教曲の調和具合を示して完結するという構成なども見事であった。前半は先に書いたような批判も当たるだろうが、後半の演奏はぐっと密度が凝縮し、時間も短めに感じたほどだ。

なお、ジェズアルドの作品はこのアンサンブルによって録音され、やがて、発売のはこびということなので、これを買って見なおしてみるのもまた楽しみのひとつになろう。世界的には珍しくもなくなったが、日本の声楽アンサンブルとしては、多分、ジェズアルドは初録音の快挙になるのではないかと思う。

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