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2012年11月 5日 (月)

東京国際音楽コンクール〈指揮〉 本選:石﨑真弥奈/マヤ・メーテルスカ/田中祐子 *結果は入賞者なし 11/4

【結果は入賞者なし】

民主音楽協会の主催による、指揮の東京国際音楽コンクールに足を運んだ。そもそも指揮者コンペティションに関する興味が少なく、創価学会系の民音による主催ということもあり、やっぱり毒まんじゅう的な趣きのあるイベントだ。しかし、既に40年以上の歴史を誇り、数々の指揮者を世の中に送り出してきたコンペティションは、もう、学会だけの所有物とは言い難いであろう。

今回の本選には、3人の女性が進んだ。エントリーは男性のほうが圧倒的に多いが、結果は、ポーランドのマヤ・メーテルスカ、日本の田中祐子、石﨑真弥奈の3名による決戦となる。最終ラウンドは東響の演奏で、ウェーバーの歌劇『オイリアンテ』序曲が課題曲となっており、ほかに自由曲としては、各人が希望した数曲のなかから審査側が指定した1曲を演奏するというシステムであった。結果として、メーテルスカはベートーベンの交響曲第3番「英雄」(第1楽章)、田中はメンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」(第1、4楽章)、石崎はドヴォルザークの交響曲第8番(第1、4楽章)を振ることになった。

結果を先に書いておくと、パフォーマンスが低調ということなのか、第1-3位に該当者はなく、3人ともが入選止まりで順位なしとなった。なぜか、特別賞の斎藤秀雄賞だけがメーテルスカに贈られ、今回より新設のオーディエンス賞には石﨑が選出された。なお、オーディエンス賞には表彰規定がなく、単なる人気投票にすぎないようだ。この審査結果については過去最高のメンバーとなったジュリー陣をみれば、かくなる厳しい結果も止むなしと思われるが、そうはいっても、聴き手がまったく不満足な演奏会であったかといえば、そうでもなかった。本選に進みながら、セレクトされなかったことは、かえって3人のコンテスタントを傷つけるだろうが、その点には自信をもっても良いと思う。今後、入賞者披露演奏会が予定されているが、それがどのような形になるのか、あるいは、まったくの中止になるのかは不透明となっている。

【三者三様のウェーバー】

まず、ウェーバーについて書く。歌劇『オイリアンテ』は1823年の作品で、ウェーバーによる歌劇としては後ろから2番目のものだが、あまり成功したとは言い難い。序曲がつとに有名で、作品の知名度に関わらず、ウェーバーが古典派からロマン派への橋を架け、地域的にもイタリアとドイツを結びつけるような働きをしたことがよくわかる。そのため、トスカニーニによるリンクのようなイタリア的演奏から、また別のリンクに貼りつけたシュミット・イッセルシュテットのようなドイツ的演奏まで、実に幅が広い。たった40年で濃厚な人生を送り、中欧を制覇したドイツ歌劇の父たる男の作品は、いかにも奥が深い。

3人の解釈は、それぞれに特徴的なものだ。最初に登場した田中祐子は対位法のフーガの響きを軸に、ドイツ音楽のあらゆる原点として、ウェーバーの作品を位置づけての演奏だった。序奏で早くもフーガの要素をしっかりと前面に出し、それをステップに、きっちりと響きを盛り立てていくのが特徴的だ。これがのちのフガートと連携し、作品を連環的な構図で包み込む意図はわかりやすいが、やや軽薄である。ただし、中盤のメランコリックな旋律美には、ごく自然に辿り着いており、その味わいのウェットな柔らかさは女性ならではのものといえるかもしれない。なお、イタリア音楽の要素は否定し、あくまでドイツ音楽としての重厚さを強調する主張が相次いだ。

メーテルスカは一転して、ピアノの響きを模するようなしなやかさで、音楽を動かしていく。演奏の基調にはルバートをふんだんに配し、お国柄か、ショパンの演奏のように動きが目まぐるしい。ただし、リズム感に難があり、太い幹が安定しないのでパレデフスキ・スタイルのような演奏である。要素の受け渡しにはスムーズ感がなく、響きは随所で、相当、粗削りな印象を与えた。メーテルスカは、3人のなかでもっとも緊張していたように思う。

最後は石﨑が登場し、もっとも安定したフォルムで演奏を織り上げた。彼女はまず、序奏でテンポをぐっと抑え目にするのだが、作品全体の機動性は失うことなく、その遅さを内側に閉じ込めるというアイディアを披露した。このアイディアはオーケストラに対して、十分に浸透していたとは言い難く、それは序盤のアンサンブルの僅かなズレとして観察されることになった。しかし、演奏意図に無理はなく、その後の演奏を聴いても、響きの厚みが出色であった。音楽の強さということでいえば、田中のほうが整然とそれを引き出していたが、古典派の軽さを保ちながら、適度な厚みを引き出した手腕は無視できない。2プルトで弾くヴァイオリンの薄暗い旋律を小さなアンサンブルで支える場面は、ほとんど指示がないにもかかわらず、ヴィオラの内声のゆたかさが、一瞬、煌めいた。フガートの部分は田中のほうが優れているが、全体的にまとまりの良い音楽だった。

全員に共通して言えることは、指揮に無駄が多いことだ。例えば、先にすこし話の出たヴァイオリンが2プルトで悲しげな旋律を奏でる場面だが、3人が3人とも丹念にヴァイオリン側に身体を向け、事細かに振っている一方、それを支えるアンサンブルのほうには、ほとんど目をやることさえない。コンマスを含むたった4人の演奏にそんな分厚いケアが必要とは思えず、自分がその旋律を聴いているというポーズでしかないような動きに、私はどうしても共感できなかった。この点で、3人に大きな違いはない。しかし、そのなかでは比較的、石崎が下準備で繊細な配慮をおこなっていたらしいことには気を惹かれたものである。

【田中祐子:重すぎる響きの弊害】

自由曲は既述のように、田中がメンデルスゾーンを弾いた。「スコットランド」は私としても好きな演目のひとつで、生前のボッセがブルーメン・フィルで指揮したのも記憶に新しい。ウェーバーにおいてもその傾向はあったが、田中はどうしても重々しく音楽をつくりすぎる。その結果、どういうことになるかといえば、音楽はその時代よりもより後期の、形式の押し詰まった時代の音楽のように聴こえてしまうのである。田中による「スコットランド」は、ラフマニノフ、チャイコフスキー、シベリウス、マーラー、そして、ワーグナーの音楽に憑りつかれており、序奏では重たい雪がちらつき、響きは徐々に下がっていくのであった。転換が生じたときにも、これではフォルムを持ち上げきれない。健康的なメンデルスゾーンの作品が、自殺するシューマンの響きに重なってくるのは頂けない。そして、最後はワーグナーの音楽の卵としておわった。

こうした作曲家たちが、メンデルスゾーンを参考にしたという逆ルートを想像するのは楽しいが、しかし、メンデルスゾーンの演奏としてはあくまで搦め手である。

このような重苦しい響きにもかかわらず、オケのメンバーは意外に能力を発揮している。このような底力の引き出し方には、田中は優れた才をもっている。しかし、それがいつも、作品の表現にプラスであるかどうかはわからない。田中は巧まずして、秋山時代の東響の記憶を呼び覚ますような図太い演奏を引き出したが、それはとても、メンデルスゾーンの様式に相応しいものではない。もうひとつ、気になったのは打点の低さであり、これにより、音楽のダイナミズムの一部が失われていたようだ。小柄ながらも全身を使った指揮ぶりだが、それにも関わらず、時折、スケールの小ささを感じてしまうのも、そのためかもしれない。

【メーテルスカ:圧倒的な機動力】

メーテルスカの自由曲は、ベートーベン。第1次予選ではベートーベンの1番が課題になっているのに、再びベートーベンの演奏を要求されるということは、良い傾向とは思えなかった。始まってみると、実感としてはノリントンよりずっと速いテンポで、徹底したイン・テンポに、先程よりは品の良いルバートが適度に混じるような演奏であった。実際のテンポ設定はノリントンとさほど変わらないかもしれないが、あらゆる強調が浅く、コンパクトにまとまって繋がれるため、空間の狭さを感じるのが先のような雰囲気につながっている。

その厳しい設定にもかかわらず、金管が時折、間に合わない感じがするのを除けば、大きな破綻はなかった。小気味よく小さな強調も決まっており、歯切れの良い音楽はすこぶる現代的である。ウェーバーのときの印象と比べれば、ずっと合理的な能力を感じた演奏だった。そして、田中が秋山時代の東響を思い出させたとするなら、メーテルスカはスダーンが仕込んできた、いまの東響の味わいを素直に引き出しているわけである。

【スポーツ的ドヴォルザークの真骨頂】

最後に、石﨑がドヴォルザークを振る。この作品は、私にとって思い入れの深い曲だし、この作曲家については近年、エリシュカ翁の厳しい「薫陶」をずっと受けてきているのだから、むしろ点は辛くなるものだ。その教えのなかで、私が目を開かれた想いがするのは、これだけ機動力の高さい作品を書くドヴォルザークではあるが、そのなかに、いつもノンビリした要素があるということである。これが最近、流行のスポーツ的なドヴォルザーク演奏と決定的に異なるのである。しかし、私は一方で、下野竜也がスキーの回転競技のような見事さで、あの特殊なリズムを凝縮していく姿にも感銘を受けた。これらの傾向でいえば、石﨑は明らかに後者のストリームに忠実である。

プロフィールによれば、彼女はもろに下野の影響を受けるところに位置しているようだ。演奏は下野が東響を振って、交響曲第6番の素晴らしさを私に教えた、あの日の記憶を呼び覚ますものだった。第1楽章は、不満の要素も多かったのは事実である。急速な部分の流れは爽快だが、次のリンクの録音(ターリヒ)に見られるような、ふとした部分でののびやかな田園の落ち着きが、どこまで行っても出てこないのだ。響きの印象を押し上げたいときに、金管をバーンと鳴らす手法などは下野の悪影響ではなかろうか。

こうした印象にも関わらず、しばらくして、彼女は私にドヴォルザークの交響曲第8番に対する愛情を再び目覚めさせることになる。クラリネットとチェロに重点を置き、全体をコンパクトに仕上げようとする石﨑の意図は、徐々に私を魅了した。その爆発は、終楽章で訪れた。序奏のファンファーレはいささか健康的すぎるが、背筋の伸びる良い響き。そこから、鮮やかに展開する構造の端緒のつけ方の見事さだ。

先日、ウルバンスキの演奏で、ドヴォルザークを聴いたが、7番と8番という違いこそあれ、私は、石﨑が彼の演奏に決して劣らない印象をもたらしたと思う。オペラシティの響きすぎる音響のなかで、一部、あまりにも強すぎる響きが空間に入りきらなかったが、それは指揮のせいでもオーケストラのせいでもないだろう。特に感心したのは、コーダに入る前、ドヴォルザークがつくる室内楽的な響きの表現である。ここで彼女は思いきってテンポを落ち着け、楽器の響きをしっかりと引き出すことに腐心した。その結果、オーケストラからはたおやかな、こころ温まる響きが聴かれ、これには本当に参ってしまったのである。

この優しさと、コーダの激しい響きの対比は物凄く、複雑な舞踊的リズムも納得のいく形で捉えきっており、この日の演奏の最後として相応しかった。フロアの雰囲気から、オーディエンス賞の獲得は紛れもなく明らかだったが、結果、そのとおりとなった。

【まとめ】

結果はどうあれ、私は石﨑の音楽には共感を抱いたし、今後、チャンスがあれば、しっかりとした場で聴いてみたいという印象を強くした。この「出会い」があっただけで、この会場に足を運んだことには意味がある。結局、こういうことだから、指揮のコンペティションには関心がないのだ。全てのコンペがそうであろうが、実力のある人は、指揮の場合、特に自然と頭角を現すものだ。そして、審査員がどう思うかには関係なく、聴き手と直接、結びつく。それ以前に、オーケストラと勝手に結びつく。彼らが気に入らなければ、ごく稀な例外を除き、指揮者の活躍もあり得ない。コンペはその関係を後押しするかもしれないが、結局、その人が優勝したからといって、オケや聴き手との関係ができていなければ始まらない。

今回は、非常に厳しい結果になった。これで、2000年の下野竜也を最後に優勝者は出ていない。最近では、難関で知られたミュンヘンのコンペティションでさえ、優勝者をしっかり出す方向に方針転換したが、ココだけは世界的にみても、圧倒的に高い基準を掲げているようだ。今年の場合、有名なジュリーの招聘に予算がかかり、選挙間近でもあるので、民音に経済的余裕がないので、そんなことになったと邪推もしたくなるほどである。とまれ、コンテスタントにとって結果は大事であろうが、私たちにはどちらでもかまわないことだ。今回は、これからウォッチングをつづけたい指揮者がいたという個人的な発見で十分としよう。このコンペがきっかけで、これまで興味をもつこともなかった若い指揮者たちに対する情報も得た。入選者以外では、川崎嘉昭という道の才能にも気づいたことが幸いである。ツイッターによれば、彼のことは大井剛史氏も推していた。

こういう結果は、いろいろな意味で好ましくない。私も簡単に優勝者を出さない決定を称賛する一方、複雑な思いもある。そもそも本選に至る過程に何らかのロスを感じるし、課題曲や選考方法を含めた根本的な改革が必要であるように思った。今回の場合、秋山、スダーン、下野といった下味があまりにも濃すぎて、若い人たちの味つけが出なかったという風に解釈しておこう。

【東響の健闘について】

ところで、ある意味、この日の主役は東響であったかもしれない。コンマスのニキティンの下、あらゆる困難な要求を嫌がらずキッチリこなし、聴き手に喜びを与えさえした功績は大きい。東響は最近、抜けたベテラン奏者の代わりに、実績のある中堅奏者や外国人ではなく、若手の奏者を採用することで大幅な若返りをみせている。

石﨑が中心軸に据えたうちのひとつ、クラリネット・パートのファースト奏者はみたことがない方で、多分、新入団員の吉野亜希菜かと思うが、思いの外、安定した潤いのある響きで良い人を採ったと思う。また、かつてはボーマンが支えたチェロ・パートも一気に若返ったが、ドヴォルザークでは清々しくも、奥のあるサウンドを聴かせた。こうした味わいを加えながら、うまい具合に世代交代しているオーケストラの現状をみて、私は安心する。会員からは離れているが、やはり東京への愛情は衰えていないのだ。

【プログラム】 2012年11月4日

課題曲:

ウェーバー 歌劇『オイリアンテ』序曲

自由曲:

◎田中祐子 メンデルスゾーン 交響曲第3番「スコットランド」
                            (第1、第4楽章)

◎マヤ・メーテルスカ ベートーベン 交響曲第3番「英雄」
                            (第1楽章)

◎石崎真弥奈 ドヴォルザーク 交響曲第8番
                    (第1、4楽章)

管弦楽:東京交響楽団 (コンマス:ニキティン・グレブ)

於:東京オペラシティ

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コメント

余り厳しすぎると次回から外国から受けに来なくなるぞ。

初めまして(^o^)
私も このコンクールを観に行ったクラシック好きな一般人です。
課題曲は残念ながら三人とも一長一短という印象を受けました。
自由曲は石﨑真弥奈さんが一番良かったですね。
でも正直、ブラボー!と叫びたくなる程では無かったかなぁ~と(^^;)
今後の飛躍に期待します。

菅野さん、ご指摘ありがとうございました。1960年代からの歴史と伝統を誇ってはいますが、現在の形であれば、このコンペティションに特段の存在価値はないと思います。厳しい/厳しくないという問題よりは、このコンペティションでなにを得られるかを、主催者はもっと突き詰めて考えていく必要があると思います。

はるさん、ご感想を寄せていただき、ありがとうございます。結局、プローヴェのできる時間も限られておりますし、僕は良かった部分を素直に評価したいと思います。指揮の場合は器楽とは異なり、その人のもっている能力はできてきた音楽から簡単に判別できません。そんなこともあって、こうしたコンペで重要なのは、もう1回、どこかで聴いてみたいと思わせることです。その点で、私は石﨑さんなら、アマオケでも何でもいいですが、どこかで聴いてみたい感じがしました。

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