2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

« ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管 with カヴァコス プロコフィエフ 交響曲第5番 ほか NHK音楽祭 11/15 | トップページ | アポロン・ミューザゲート・クァルテット ハイドン 「皇帝」クァルテット ほか 藝大 ハイドン・シリーズ 最終回(室内楽) 11/25 »

2012年11月27日 (火)

クァルテット・エクセルシオ ブラームス 弦楽四重奏曲第3番 ほか 東京定期 11/23

【ボウイングにこだわったモーツァルト】

今回のクァルテット・エクセルシオ(エク)は、いつもとちがう演奏だったような気がしてならない。メインがブラームスのせいなのか、あるいは、最初のモーツァルトへの衝撃があまりにつよかったのか。若いクァルテットのためのコーチなどを務め、客観性を鍛えた最近のエクの成長を物語るものでもあるが、それにしても、あとからクァルテットの歴史(!)を眺めてみたときに、このあたりからエクにも変化が刻まれたとハッキリわかりそうな、そんなターニング・ポイントに彼らがあるせいなのかもしれない。

モーツァルトの弦楽四重奏曲第11番については、エクのメンバーもその実験的な性格には舌を巻いている。だが、彼らはだからこそ、正攻法で攻めたのではなかろうか。特に注目したいのは、西野による第1ヴァイオリンのボウイングである。第1楽章では上げ弓を丁寧に使い、構造に寄り添った細かい弓使いをみせている。多少、窮屈になる場面でもアップへのこだわりは一貫しており、それに焦点を絞ってのたっぷりしたダウンのとり方も含めて、普段よりも試行錯誤のあとが見て取れるのである。これにより、全体的なフォルムは上に吊り上げられ、アダージョとアレグロ・アッサイの部分の絆が深くなる。これに対して、次の舞踊楽章では、踊りのステップにあわせて下げ弓が効果的に用いられ、アンダンテでは、それとは別の意味で、下向きの重力に従っている。

このように、ボウイングというものをひとつの指標にして、作品の構造を容易に見分けることができることに注目したい。ところが、最終楽章ではこのような方向性を見きわめる前に、楽曲がおわってしまう。これが、狐につままれたようなイメージを残すのである。確かに、不思議な楽曲だ。振り返ってみれば、作品はもっと豊富な内容を示していたはずなのに、印象としては、ほんの序曲のような重みしか残さない。全曲のなかで、もっとも単純で、簡素な構造が、終楽章に置かれ、作品はそこに吸い込まれて消えていくかのようだ。

実は、いまさっき思いついたのだが、例えば、最終楽章をいちばん最初にもってきて、あとは原曲どおりに並べたとしたら、私たちはもうすこし普通の感覚で、作品を受け取ることができるかもしれない(リンクはNMLのプレイリストを使い、実際にそうしてみたもの)。この場合、第2楽章(つまり、原曲の第1楽章)の冒頭がやや突飛な印象を与えるものの、それを前楽章を引き継ぐ、いくぶんヴィヴィッドな提示としてみれば、終楽章に魅力的な低音が奏でられ、厳格なフーガでおわるハイドン的な作品が姿を現すことになる。これはこれで大胆さもある、良い曲である(無論、もともとモーツァルトが書いたのを並べ替えただけだから、当然だけども)が、一転して、いささか貫禄がありすぎて、古くさい印象も与えるのではなかろうか。

そうはいっても、ミラン・クンデラの言葉をもじっていうならば、そこは私の家ではなかった。モーツァルトはあくまで、あのように並べたのだ。

【実験的なハープ・クァルテット】

次なるベートーベンの弦楽四重奏曲第10番「ハープ」は、エクがもっとずっと若いころに録音も入れているし、演奏を重ねている曲目である。しかし、今回の演奏ほど、コンパクトにやったことはなかった。今回のテーマは、もしかしたら「実験」なのかもしれない。それがクァルテットにとっての最終結論ではないとしても、一度はやってみたかったことを、今回ならばやってみてもよい気がしたのではなかろうか。

この「ハープ」四重奏曲は、ごく狭い私的なスペースで、作曲家が親密な人たちだけのためにやったようなコンサートの演奏を思わせるもので、普通、彼らがやっているような、室内楽的な起伏を敢えてつけず、作品をフラットに演奏することを試みたもののように見える。それはいわば、楽譜に書かれたことだけを忠実にやりとおしたような、つまりは、愚かな演奏の見本のようなものであるが、音楽ができたばかりのときにおこなわれる試演としては、すこぶる便宜的なものであるようにも感じられる。だから、先に示したようなボウイングの動きにしても、一転してシンプルなアクションだけで占められており、特に書くようなこともないのである。

【鈍重なブラームス】

休憩後、メインのブラームス(第3番)が演奏された。この作品はエクにとって初披露ということだが、彼らにとって、よく合った作品とは言い難いかもしれぬが、私のこころを捉えるには十分であったし、これから彫り込んでいくプログラムとしては、大きな期待がもてるというものであった。クァルテットの定期では・・・俄かづくりのクァルテットではないクァルテット・エクセルシオのような団体にとっては、そのようなイメージこそが大事なはずである。なるほど、ブラームスとしては、私のイメージからすると、全体的に解釈が重すぎる。そのため、楽曲の流れが十分に華やかでなく、カンタービレも思うように流れていかないような弊があった。

エクのメンバー4人による対話がいつもプログラムに載り、渡辺和氏が上手にポイントを押さえてまとめてくれているが、そこで語られている微妙なテンポ感・・・若い人たちはあまりにも速く感じすぎ、自分たちはもっと微妙なところを抉っていきたい(大意)というエクの意見に、私はもちろん、賛成なのだが、これを実際の響きとして聴き手に納得させるのは、本当に難しいという次第である。こういうことを言うのは本来、失礼に当たるのかもしれないが、本当に理想的なテンポ感というのも、実はまだ見つかっていないのかもしれない。何十回も弾いて、はじめて見えてくるものだって、世の中にはあるはずだろう。

第3楽章、それに終楽章も、ヴィオラがハッキリ目立つように書かれているが、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの対話を、ほかの2つのパートがただ待つだけの部分もあるし、作品の前半はむしろ、ヴァイオリンを中心とした対話の方式が際立っている。第1楽章と、第3楽章はきわめて対照的だ。最初の楽章はソロを含むヴァイオリンの機動性や華やかさが中核に置かれ、全体のアクションも豊富で作品の変容も目まぐるしい。ヴァイオリンとヴィオラが立場を入れ替えた第3楽章は、アジタートとなっているが、第1楽章に対して静的な整頓が感じられる。吉田の奏でる旋律線は、この作品を弾くヴィオラならば誰でもそうなるところだろうが、愛情いっぱいに作品を味わうかのような響きを楽しませる。ただ、実際にもっともこころを打つ場面は、ヴィオラの旋律を3本の楽器が支えるところではなくて、逆に、3本の楽器に渡した旋律を自らヴィオラが支える場面だ。

これと比べれば気づきにくいが、第4楽章もヴィオラの働きから楽曲が展開していく。しかし、今度は旋律線がきれいに移動していき、そのメインとなる楽器をほかの楽器が懸命に支えるような構図が繰り返されていることに気づくだろう。この10分ちょっとのヴァリエーションで、ブラームスのこのフォームにおける創作は最後を迎える。といっても、交響曲ではまだ1番を書いたばかりで、比較的、早い時期である。室内楽におけるブラームスは熟成が早く、弦によるセステット2曲は既に完成し、ピアノ・クァルテットやクィンテット、ピアノ・トリオの第1番などの傑作も既に完成している。4つの楽器が互いを支えあい、ベートーベンの弦楽四重奏曲の裏をいったような愛情の交歓としての弦楽四重奏曲の完成に、作曲家は一応の満足を得たのであろう。

エクはそうした歓びなればこそ、ゆったりと歌い上げることによって、作品の輝きが増すと考えたようだ。その基本コンセプトには大いに賛成であるが、既に述べたように、このことによるバランス、それも完璧なバランスを見つけ出すことは、そう簡単とは思えない。チャイコフスキーのときにも言ったことだが、この作品の演奏はこれから始まる、という印象をつよくもった。その道を追えることが常設としての、彼らのメリットなのである。

なお、この作品におけるヴィオラの重い役割を直截に引き出すためか、今回、吉田が第1ヴァイオリンの西野の隣に座り、楽器が内側を向くいつものポジションから移動した。これにより、ヴィオラの表面は常に客席側を向くことになる。その隣にチェロの大友が位置し、右翼には第2ヴァイオリンの山田が入り、いわゆる「対向配置」となった。山田が右翼で弾くのをみるのは私としては初めてだし、エク以外のクァルテットでも、この配置は珍しいのではなかろうか。これも実験的な試みのひとつであるが、エクはヴィオラとチェロが入れ替わってみたり、ポジションの変更が頻りなアンサンブルであるようだ。

【まとめ】

また、ヴィジュアル的にも、今回は女性3人が赤のドレスで統一し、これまでの自由さから一転した。しかし、ドレスの形は微妙に異なり、カラーも西野がすこし濃いめのものを選ぶなど、少しずつずらしているのが面白いところだろう。座ってみると、山田は赤いパンツを履いているようにも見えるシルエットになり、このあたりにも個性を窺わせる。その山田が座った右翼の席は、唯一、楽器が内側を向く席となり、いつもは吉田が平然とこなしているが、意外に難しいポジションであることがよくわかった。吉田よりも器用な山田は、ときどき楽器をこちら側に向け、その違和感を補っていたが。このポジションはブラームスの回だけ限定のものなのか、相手がエクだけに、未だ読めないところである。

次回は、モーツァルトの初期作品が最終回となるそうだ。ベートーベンは親しみやすい難物、ラズモフスキー第1番となる。メインは未定の分、楽しむが膨らむ。ベートーベンのパトロンにあわせてロシアものとなると、以前、トリトンで披露したプロコフィエフや、エクはあまりやっていないショスタコーヴィチが思い当たるが、ハイドンの「ロシア四重奏曲」などもアリだろう。個人的には、アレンスキーとかアリアーガを推しているのだが。とにかく、弦楽四重奏の世界はひろく、魅力的だ。それは実に、次の記事にもつづく話題である。

【プログラム】 2012年11月23日

1、モーツァルト 弦楽四重奏曲第11番 KV.171
2、ベートーベン 弦楽四重奏曲第10番「ハープ」
3、ブラームス 弦楽四重奏曲第3番

 於:東京文化会館(小ホール)

« ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管 with カヴァコス プロコフィエフ 交響曲第5番 ほか NHK音楽祭 11/15 | トップページ | アポロン・ミューザゲート・クァルテット ハイドン 「皇帝」クァルテット ほか 藝大 ハイドン・シリーズ 最終回(室内楽) 11/25 »

室内楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/543421/56198797

この記事へのトラックバック一覧です: クァルテット・エクセルシオ ブラームス 弦楽四重奏曲第3番 ほか 東京定期 11/23:

« ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管 with カヴァコス プロコフィエフ 交響曲第5番 ほか NHK音楽祭 11/15 | トップページ | アポロン・ミューザゲート・クァルテット ハイドン 「皇帝」クァルテット ほか 藝大 ハイドン・シリーズ 最終回(室内楽) 11/25 »

ツイッター

  • ツイッター

最近のコメント