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2012年12月 4日 (火)

村田千佳 with アポロン・ミューザゲート・クァルテット シューマン ピアノ五重奏曲 ほか 音+ピアノ・アンサンブル・シリーズ(初回) 12/2

【プレスラーと同じタイプの村田千佳】

弦とのアンサンブルにおいて、アンサンブル・ピアニストのひとつの理想は、いかに、弦の響きを上手に模倣するかである。これができれば、ピアノは弦の響きを生々しいアンプ装置として増幅することができ、楽器間の距離も縮まれば、表現の幅も飛躍的に広げられることになる。メナヘム・プレスラーの演奏会において、私はそのことを教えてもらった(ボザール・トリオのファンの皆様には、いまさらな話であろう!)のだが、ピアノを用いた室内楽に関する限り、そのときの強烈な印象は私をいまもって支配しているようだ。この日、耳にした村田千佳のパフォーマンスは、その演奏にちかいタイプのものである。もちろん、プレスラーの領域にはまだまだ遠いのであろうが、上を見上げればキリがないというものだ。私はいまの時点で、彼女が見事なやり方で、弦のアンサンブルのうちに軽やかに溶け込んでくるのを感じたことを、素直に重くみたい。そして、それは実に、鮮やかだったのだ!

私は「アンサンブル・ピアニスト」という言葉が好きで、特に室内楽で力を発揮する優れたピアニストのことが大好きだ。例えば、同じ日本人でいうと、蓼沼恵美子、濱倫子、金子陽子、声楽関係でいえば、服部容子といったところはその代表選手となっているが、いま、このリストに新しい女性の名前が書き加わったことを喜びたいと思う。これらのピアニストは残念ながら、その実力に見合った扱いを十分、受けていないという傾向もあるので、私は一際、力を入れて、優秀なアンサンブル・ピアニストたちを応援する。

【拡大鏡でみたAMQ】

このコンサート自体は、一風かわった趣向になっていた。アポロン・ミューザゲート・クァルテット(AMQ)との共演ではあるが、楽曲のフォームは弦楽四重奏曲も含め、ピアノ三重奏から五重奏までの4種類で、当然、ピアノ・トリオやピアノ・クァルテットでは、クァルテットのメンバーが欠けることになる。モーツァルトのピアノ・クァルテットでは、まさかのザレイスキ(第1ヴァイオリン)抜きAMQがみられたし、クァルテットの屋台骨である第1ヴァイオリンとチェロ共演によるピアノ・トリオも楽しめた。もうすこしAMQがステイタスを高めると、二度と同じことはできないようになるはずで、こうした機会は意外に貴重なものだったかもしれない。

こうして拡大鏡で以てみてみたとき、いかにもハイテク集団のようにみえたAMQが、実は相応の努力によって支えられていることがよくわかった。つまり、もっともよく準備されていたクァルテットのみによるハイドンや、シューマンのピアノ・クィンテットと比べると、そこそこの準備しか伴っていない2曲はそれなりの出来でしかなかった。だからといって、AMQのメンバーへの信頼が揺らぐことはなく、現時点での各メンバーの立ち位置が見通しよく感じられ、彼らが広く披露すると決めた演目が、どれほど慎重に、根を詰めて準備されてきたかがわかる点ではポジティヴにさえ受け取られる。

例えば、ザレイスキが最初のハイドンのピアノ・トリオ(Hob.XV-27)がみせたような外しは、よく練られたハイドンのクァルテットでは、まったく見られないものだった。むしろ、こうしたシチュエーションではチェロのスクイヴェレスのほうが安定的で、器用なのである。かといって、楽譜に書かれた音譜の配置にあわせて、自然にあてられたザレイスキのボウイングや身体のアクションは、いつものように面白いものだ。初めからなんでもできてしまうクァルテットだけが凄いなら、僕らは音楽を一次的な才能だけで判断することになる。すこし不器用ながらも、ガンガン演奏レヴェルを押し上げていくことを躊躇わず、ついに、私たちがいつものAMQについて感じるような高度な域で自分たちをプレゼンテーションできるところまで持っていく彼らの方法を、いま、覗き見た気がしている。そして、それを導くのが、ザレイスキのアグレッシヴな姿勢であることは、まず間違いがない。

【村田の特技】

この1曲目から、村田千佳の揺るぎない実力は明白だった。私はこのピアニストについて何も知らず、確かにすこしは調べもしたが、なんら確信的なものを得ることはできずに客席についたのだが、ほんの数小節の音楽を聴くだけで、もう確信的に、この女性がアンサンブル・ピアニストとして優れていることを知った。独奏や協奏曲でどうなるのかは知らないが、彼女はそうした役割よりは、室内楽のスペシャリストとして立つことを優先し、徹底的に磨き上げてきた人だ。実に、このような表現は、いま考え出したものではない。演奏を聴いているとき、そういう言葉が私のなかから湧いて出てくるのに、それほど時間はかからなかったのだ。

村田の特技は、相手の響きと対応しあう響きを自由自在につくることができるという、その点に集約されるのではなかろうか。プレスト楽章で短調に転じたとき、弦の低音と呼応し、足を踏み鳴らすような重い響きをつくったときの驚きなどは言葉にならない。ザレイスキ、スクイヴェレス、それに村田で構成する ハイドンのトリオは、この作曲家が生きていた時代の舞踏のステップ、その跳躍のダイナミックさに焦点を絞った表現となっている。飛躍は軽さによって端的に示され、例の重さは落下のアイロニカルな象徴となる。この高低差にあわせて、ヴァイオリンやチェロの表現も決められているのであり、ザレイスキのミスも、そうした揺れのなかで起こったものだ。

【ザレイスキ抜きAMQ】

一方、次のモーツァルトでは、響きがまったくちがう。ハイドンとモーツァルトの師弟で、こんなにも違うものかと愕然としていたところ、よくよくステージ見てみると、第1ヴァイオリンを弾くのがザフウォト(通常、第2ヴァイオリンを担当)に代わっていたというオチであった。この第2ヴァイオリンは、私からみると、すこし物足りない人だ。こういう風にしてリードで弾くことはあまりないのだから、そのことで何かを言うつもりはないが、ザレイスキと比べると、響きの拡がりが決定的に不足しているのだ。だが、こうしてみると、特に中低音以下の響きで、ヴィオラ・チェロと組になって響きをつくるとき、彼ほど味わいのあるアンサンブルを構成できるヴァイオリン奏者といったら、一握りであろう。そうした面からみても、このピアノ・クァルテットの演奏はすこし特殊な印象を残すものになった。

【シューマンの新しさと向き合って】

ピアニストの多様性がもっとも目立ったのは、やはり、シューマンのピアノ・クィンテットである。前半2楽章では、既に述べたような模倣力が鍵になっており、最初の楽章ではダイナモとしてのピアノの役割を増強し、緩徐楽章では弦とピアノの関係性を高めることに用いられた。特に、第2楽章について特筆したいと思う。この楽章で、演奏者は作品があまり悲劇的になりすぎるのを嫌い、音楽の本質がどこにあるのかを、聴き手に問い質そうとしているかのようだ。

あまり得意なことではないが、実際、構造を追って聴いていると、作品は玄妙な味わいを示してきた。星屑が流れるような、美しいピアノの序奏。陰鬱な主要主題(A)のあと、美しいモティーフ(B)が新たに現れる。それが中間部となり、Aが再現するが、その最後に表れる終結は見せかけであり、運命的な新しいモティーフが出現する。このなかで、再現的に主要主題を奏でるヴィオラ(ピオトル・シュミエウ)のパフォーマンスには、特に注目が必要だった。それは単に、最初にできた構造物の再現というよりは、より根本的な再創造を意味していたからである。この点が、ほかの録音などと比べて非常にちがっているようだ。その証拠に、ヴィオラはしばらく、主導権をほかに譲らず、これを上手に取り上げるのはピアノの役割である。

こうして楽章も半ばを過ぎると、シューマンの破天荒な形式観が次第に明らかになっていくのである。あとからみれば、ロンドー形式のきわめて自由奔放な「変奏」だとわかるだろうが、ここで同時的な印象を大事にするならば、そのような見方はできないはずである。シューマンは少しずつ聴き手の予測を裏切りながら、シンプルな古典的形式に、新しい形式を連結させていくのである。この際、あのような陰鬱な主要主題が選ばれているのは、単にコントラストを明らかにするためではなかろうか。そこに過重な意味をもたせれば、作品は過度に内省的な作品と受け取られる可能性が高く、それは作曲家の送った人生の顛末と関連づけられて誇張される可能性さえ秘めている。

それゆえ、村田とAMQはテンポを速めにとることを決めた。これは特質的なことではなく、前例も多くあるのだが、どちらかというと多数派ではない。

スケルッツォも、前の楽章のような新しさに満ちている。音階を駆け上がり、駆け下る印象的な動きのなかで、典型的なスケルッツォが構築され、トリオを挟んで、同じモティーフが再び浮かび上がる。しかし、その終結で、再び意外な展開が現れ、トルコ風というか、民族的な第2トリオが出現する。なんのことはないABACAの複合三部形式であるが、最後に大胆な転調でコーダがつき、これが直前の音階上下行モティーフから、飛躍的に深い印象をもたらすことから、作品はおもむろに終結の雰囲気を漂わせることになるのだ。特に、この日の演奏では、すこしばかりテンポが遅めだったことから、アンサンブルの響きは図太く成長しやすく、この印象が高められていた。

問題は、そのあとなのだ。この「終結」から、再びどのような作品を描き出すのか。もちろん、私はこの作品を聴くのが初めてではない。結果はわかっているが、それでも、村田とAMQの演奏は正に傑作だった。彼らはもし、それが作品の10小節目くらいならば、スッキリ納得のいくような「途中」から、何事もなかったかのように弾き出したのである。もちろん、これ比喩のはなしだ。ピアノの響きは別に楽章の初めだからといって、すこしも強調されておらず、中途半端な響きを中途半端にはじめるだけで、弦の和声も、冒頭和音をガーンと鳴らす式のベートーベンの真似などしていない。例えば、最初の2-3ページが破り捨てられ、そこを演奏していたアンサンブルの映像さえもバチンと切られてしまったような、そんな強烈な印象をこうした態度が明らかにするのである。

いきなりクライマックスから始まる楽章は、その頂点で美しいブレイクを経て、二重フーガへ流れ込んでいく。しかし、ここでも解釈の特殊性が際立つ。彼らは、これを単なる伝統主義的なフーガとして演奏することは避け、4人が互いに自らの歌をうたう、本来の多声音楽の原点でこれを捉えたのである。私たちはピアノの前に並んだ4人の奏者がみな、こちらを向いて大きな口を開き、目一杯に歌うのに接したような印象を抱いたはずだ。

こうした後半2楽章においては、ピアノの役割も模倣だけではなくなっていた。これらの部分ではピアノはより独立的に、響きのプレゼンスを弦と衝き合わせる必要がある、と村田は考えたのであろう。この解釈の正当性は、私にとって即座に判断できるものではないが、概ね賛成であるとしておきたい。しかしながら、その是非とは関係なく、第3楽章の階段状の音型は、あまりにもすべてをしっかりと打鍵しすぎていた点が問題となるだろう。これは作品のなかにある跳躍性の面白さを損ない、フレーズが冗長となるうえに、響きのコミュニケーションを妨げる要因となるからである。これに加え、ピアノが弦の模倣ばかりではなく、独自のプレゼンスを示す部分でのピアノの響きについては、いささか恣意的に分厚すぎる印象があった。私はこのようなところに、村田にとっての今後の課題があるように思われる。

そうはいっても、このシューマンの演奏は十分にアンサンブルとしての練度も高まっており、ピアノが弦が模倣し、その巧みさから導かれるゆたかな関係性を感じることができた時点で、素晴らしい演奏であったと評価すべきであろう。繰り返しになるが、第2楽章で次々と主役が入れ替わるなか、去っていく響きと加わっていく響きを同時に追いかけ、その双方に寄り添い、ともに揺らぐという、そういう役割を担っているときには、とりわけ強い感銘を受けた。なにより、この項のアタマのほうで触れたシューマンの新しさと、真正面から向き合った演奏であったことを喜びたいと思う。

【まとめ】

なお、この演奏会は音楽事務所「プロ・アルテ・ムジケ」の支援を受けながら、村田千佳が自身で手掛けるシリーズ、「音+ピアノ・アンサンブル・シリーズ」の初回である。今後、様々な音楽家、室内楽のスペシャリストたちがゲスト出演するが、なかでも注目すべきは、来年11月のライナー・ホーネックとの公演である。ホーネックは周知のとおり、ウィーン・フィルのコンサートマスターを務め、日本では、ウィーン・フィルを離れても、指揮、コンマス、ソロの各分野で、その実力を遺憾なく披露している。カヴァコスとはまた別の意味で、尊敬の対象であるホーネックと村田の共演を聴けることは、これもまた1つの楽しみになった。

【プログラム】 2012年12月2日

1、ハイドン ピアノ三重奏曲 Hob.XV:27
2、モーツァルト ピアノ四重奏曲 K478
3、ハイドン 弦楽四重奏曲 Hob.Ⅲ:70
4、シューマン ピアノ五重奏曲

 pf:村田 千佳

 ens:アポロン・ミューザゲート・クァルテット

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