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2012年10月21日 - 2012年10月27日

2012年10月24日 (水)

フェドセーエフ ショスタコーヴィチ 交響曲第10番 ほか ロシア放送チャイコフスキー管弦楽団 10/17

【オーケストラと個性】

オーケストラが個性を発揮するためには、どのような条件が必要なのだろうか。当然、その前提として、表現に値する個性を備えているということは前提的なことだが、これは何十年、何百年という歴史のなかで、自然に堆積していく性質のものである。壊すのは容易だが、いちどバラバラになってしまえば、取り戻すのには途方もない時間がかかる(実際、取り戻せるかどうかもわからない)オーケストラの個性は、各地で簡単に台無しにされる傾向にある。例えば、いま、それは米国のミネソタ管で起こっていることであり、ドイツでも合併に次ぐ合併、地方劇場の縮小や廃止で、次々に音楽文化の拠点が荒廃してきている。

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2012年10月21日 (日)

ウィリー・デッカー演出 ブリテン 歌劇『ピーター・グライムズ』 新国立劇場 千秋楽 10/14 ③

【救済なしエンディング】

ブリテンが歌劇『ピーター・グライムズ』で成し遂げたのは、既に述べてきたような猛毒を含む辛辣な皮肉の物語を、彼の用意する美しい音楽だけで見事に支配するという途方もない試みであった。実際、グライムズはきれいに排除された。誰も手を下すことなく、バルストロードの指示どおり、グライムズが沖合で静かに船を沈めたからである。作品は『さまよえるオランダ人』の救済なしエンディングに倣い、何の救いもなくおわる。ゼンタと同じように、エレンはオランダ人の救いとはなれない。しかし、演出によっては『オランダ人』と同様に、何らかの救済をつけることも可能ではあるだろう。デッカーの場合は、最後に例の教会の場が再帰し、今度はより整然と落ち着いた雰囲気のなかで、エレンもほかの村人たちと同じように顔を隠して、紙片に見入るフリをすることになった。救済なしである。しかし、それが村人にとっては救済なのだ。

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