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2013年4月 5日 (金)

原田禎夫&ズッカーマン・チェンバー・プレイヤーズ シューベルト&ボッケーリーニ 弦楽五重奏曲 ほか 東京・春・音楽祭 原田禎夫チェロ・シリーズ vol.3 3/31

【アンサンブルの特徴について】

原田禎夫とピンカス・ズッカーマン。まるで違う2人の音楽家のようだが、絶妙な組み合わせであった。両人とも、聴いた瞬間にハッとさせるような煌びやかさをもっているわけではない。しかし、こうしたアンサンブルにおいて、妥協のないコミュニケーション能力の持ち主であり、構造や作品の内奥に秘められたメッセージを真摯に取り出して、聴かせることのできる稀有な存在である。ズッカーマンはヴァイオリン奏者のなかでも、とりわけ輝く存在のひとりでありながら、ときにヴィオラをもつこともあり、指揮活動にも余念がなければ、アンサンブルでも活躍する。

カナダの首都、オタワにあるナショナル・アーツセンター・オーケストラでも、音楽監督を務める彼のそのような幅広い音楽的アイデンティティが、多くの団員たちのなかにも染み込んでいるようだ。ズッカーマンにとって後妻ともなった首席チェロ奏者のアマンダ・フォーサイス、この日は第2ヴァイオリンを弾いた同管アソシエイト・コンサートマスターのジェシカ・リネバッハ、同じくヴィオラ首席のジェズロ・マークスは、国際的にも経験ゆたかなズッカーマン、原田と室内楽ができる技術と室内楽アンサンブルの心得を十分にもっていた。ズッカーマンは命令したり、一方的な指示をしたりするのではなく、よく話を聴いてくれるリーダーのようである。彼が翻訳者となって、原田とほかのメンバーもスムーズに馴染むことができたのだろうか。原田とズッカーマンは、原田が東京SQにた時代からつきあいのある音楽仲間であったのだ。

彼らの共通点は、絶対に妥協しないこと。そして、騒ぎ立てずに、音楽をしっかりと組み立てること。たとえ、幾分かは派手な演奏内容であったとしても、その美学は常に変わらない。

ボッケリーニのクィンテット、シューマンのピアノ・クィンテット、シューベルトのクィンテットと並ぶプログラムが、どれだけハードなものなのかは、誰の目にも明らかだ。まず、シューベルトが1時間に迫る大曲だが、それより半分ぐらいの時間しかかからないシューマンが、構えの大きな、エネルギッシュな傑作であることも周知のとおりである。そして、ボッケリーニの作品について知っている人はさほど多いとも思えないが、これはこれで難物の、面白いけれども秘密の多い作品であるということは、それなりに室内楽に関心のある人なら、まあ、知っているであろう。こうしたプログラムを、勢いだけで突破することはできないものだ。

【ボッケリーニとフィガロ】

今回のメンバーたちは、そこに数々の謎かけのようなものを用意した。多分、ズッカーマンは、この音楽祭が開始当初の企画の名残りで、「東京のオペラの森」と題されていることも知っている。その「オペラ」が、演奏会全体を象徴するキーワードなのであった。ズッカーマンは、室内楽の分野で、正に、このオペラを語るのにもっとも説得力がある素材を選んできた。例えば、ボッケリーニのクィンテットには、モーツァルト『フィガロの結婚』に出てくる素材と瓜二つのものが出てくる。この2人は同時代の作曲家であり、クィンテットは1789年の作で、モーツァルトの歌劇よりも3年遅れて書かれている。

単に偶然の、「他人の空似」にすぎないという可能性もあるし、ボッケリーニが一体、モーツァルトのなにを知っていたのかについても定かではない。1757年以来、ボッケリーニは父親ととともにウィーンに招かれ、名声を高めていたので、モーツァルトの活動圏とも遠からず在ったのは事実だが、その後、スペインのマドリーに活躍の場は移り、そこで歿しているとなれば、遠いスペインで『フィガロ』を知る機会があったかどうか、まったくわからない。しかし、オペラの舞台はロッシーニの付け足し『セヴィリャの理髪師』でもわかるとおり、スペインなのである。私は何らかの方法で、ボッケリーニがモーツァルトの作品を知っていたことに賭ける。そして、そのなんとも名状しがたい複雑な愛情の交錯にインスピレイションを得て、op.42-2 の作品を手掛けたというのは暴論であろうか。

もしそうであければ、『フィガロ』を彩るような主題が当時の社会のなかで、何らかのメッセージを担っていた可能性があり、それは当然、男女の結びつきと無関係であるはずがない。

【シューベルトとオペラ】

それは、シューベルトにおいて、より尖鋭に語られるメッセージだ。第2楽章でチェロの原田と、第1ヴァイオリンのズッカーマンの間で交わされた、官能的なやりとりをみるがよい。ピッチカートでの細かい響き交わしは、ズッカーマンとアマンダの夫婦間ではなく、原田との間でおこなわれたのはすこし皮肉なことである。チェロは冷ややかに元の動きを守り、第1ヴァイオリンが様々な形で短いフレーズを変容させて、相手に迫るのである。そのうちに、むしろ、動かないほうの響きがどれだけ官能的かに気づく。この響きを、実はバックの響きが大いに支えているのである。

シューベルトの弦楽五重奏曲は、あまりにも巨大すぎて、私には十分、理解が及ばない作品のひとつだ。この日の演奏を聴くかぎり、シューベルトはこの作品で、オペラを構想していたように思えてならない。この作曲家には、ジングシュピールを中心に、実は数多くの舞台作品があるが、世俗的なトラブルなどにより、それらの才能が認められるより前に作曲家の短い寿命は尽きてしまった。いまでは、『アルフォンソとエストレラ』や『フィエラブラス』の序曲が、時折、それさえもマニアックな感じで紹介されるのみである。これに加えて、劇付随音楽『キプロスの女王ロザムンデ』も、コンサートで演奏される機会が増えた。オペラ作品の全体に接したことはないが、いまの2つの序曲を聴くだけでも、シューベルトの歌劇が非常にエキサイティングな音楽に包まれていることは明らかである。

しかし、シューベルトにとっては、そうした構えの大きさはむしろ無駄なものであった。彼はひとりの歌い手とピアニストだけで、すべてを表現することができた。交響曲も素晴らしいとはいえ、室内楽の編成でそれを上回る緊張感をハッキリと表現することもできたのだ。逆にいえば、これからヴェルディやワーグナーが誕生するという前の時代において、ロッシーニのような強烈な個性はなく、オペラならではの発想のゆたかさという点では、若干の古さを帯びていたのかもしれない。ただ、大胆にも何の証拠もなくいうのだが、シューベルトはいつか、オペラの分野で成功することを夢見ていたのは事実だと思う。最後の交響曲にも、そして、この弦楽五重奏曲にも、私は歌劇の雄大な曲想をみるからだ。

無論、その骨太で肉厚な音楽の味わいからみれば、その音楽はどのような表現にも耐え得るのは自明である。オペラとしてもいいし、そうでなくてもよい。ただ、ズッカーマンたちはこの作品に含まれる雄大さを、明らかにオペラ的な要素として印象づけることに成功したというわけだ。そのことは、既に述べたようなボッケリーニや、シューマンの演奏からも、類推されることなのである。そこでは彼らが、オケの奏者であることも影響していた。つまり、第2ヴァイオリンやヴィオラが刻みを担当する場合、それは室内楽のスペシャリストが弾く場合よりも細かい振動を伴うトレモロであって、これがダイナミックな響きの拡がりを印象づけ、全体の劇的な緊張感を高めることになっていた。

【+原田禎夫の効果】

いつも言っているように、室内楽の演奏がオーケストラ的になってしまうことほど醜悪なことはない。しかし、彼らはオケマンとしてのアイデンティティを生かしつつも、同時に、室内楽アンサンブルとして必須ないくつかの事柄を、必死に保っていた。それは相手に対して譲りすぎないことであり、アーティキュレーションやボウイングに対する飽くなきこだわりを保つことである。既に述べたように、ズッカーマンが聞き役に徹して、その才能をすこしずつ煌めかせるだけでよかった理由も、原田はともかくとして、そのほかの奏者たちも、同じように明確なメッセージをもち、主張することのできる音楽家として振る舞えたことを意味している。

だが、シューマンにおいては、その方向性があまりにも積極的な方向に傾きすぎたきらいはあった。それは原田禎夫に代わり、ピアノのアンジェラ・チェンが入ったことにより、内側の骨組みをしっかりと固める前に、音楽が動き出してしまうような場面が多すぎたせいだ。チェンは馬力あるパワフルなダイナモの持ち主で、室内楽的な対話をよく知り尽くしたアンサンブルのスペシャリストだ。ズッカーマンからも深い信任を得ているので、5月の再来日でも相方を務める。ただし、弦のアンサンブルまで細かく口出しはしないので、原田が入った場合、内部の客観性が非常に高まり、いわばアンサンブルの「耳がよくなる」状態と比べると、限定的な役割しか果たすことができない。原田は、さすがにこのよう場面で妥協を許さないのである。

実際、原田がどれだけものを言ったのかはわからない。どちらかといえば内省的なタイプにみえるし、ズッカーマン同様、教えたり、指示するというよりは、一緒にやってみるなかで、なにかを感じてほしいというパーソナリティに思える(これも証拠はなく、音楽がそのように語るのみだ)。もし、そうだとするなら、今回のメンバーたちは「感じる」力が非常につよいということになる。それに対する感謝のように、最後の楽章でアンサンブルは協力して、原田によるソロを鮮やかに浮き上がらせたのである。

もの静かながらも重みのあるチェロを中心に、華やかな音楽が支配する最後のアレグレットは、多彩な人物が個性を歌うオペレッタのフィナーレのような雰囲気をもっていた。ただし、ほぼ100%で弾きつづけた5人は、特に、ヴィオラのマークスとチェロのフォーサイスがバテて、あまり美しい響きを保つことができなかったのは残念である。ズッカーマンも最年長で、最後は一杯一杯であるなか、原田だけが圧倒的に輝かしい音色を保ったのも不思議なことであろう。

【まとめ】

もしも、最初の2つの楽章のような味わいで、ずっと行くことができたら、これは文句なくブラヴィッシモだ。作品のイメージをすこし乗り越えたといっても過言ではない。実際には、第3楽章の10分ちかくもあるタフなスケルッツォで多少の中弛みがあり、オペラ的なクオリティを十分に保つことはできなかった。終楽章は、その点で盛り返して楽しい演奏だったが、響きのうえで余裕がなくなった。だが、彼らの構想したものはとにかく、ある程度、すべて伝えきることができて、音楽たちもパフォーマンスに一定の満足感は感じていたにちがいない。

文脈上、シューマンの演奏に関しては辛口の評価となったが、これも実際上、楽しめた演奏であることは付言しておきたい。同じユダヤ人=インバル的に開放的な、響きの全力投球というのが目立つアンサンブルであり、室内楽がオーケストラよりも迫力がないというのは戯言であることを、改めて感じることになった。ただ、ヴィオラも得意とするズッカーマンの根太い響きは、インバルよりもずっと繊細なベースを要求する。巨匠指揮者によって賞賛された若いころよりも、最近の録音に温かみがあって素晴らしいズッカーマンだが、その印象は今回、良い方向に高められることとなった。

【ボッケリーニのアヴァンギャルド】

アンコールは多分、予定がなかったと思われる(このプログラムではあり得ない!)が、ボッケリーニの終楽章がリピートされた。ロマン派を通り越して、現代的な味わいさえも感じさせる傑作は、この時代の明らかなアヴァンギャルドだ。モーツァルトを参照しながらも、イタリア的なテクニックと、声楽から来るような幾多の独創的な発想に基づき、ボッケリーニが「チェロ」という自分のストロング・ポイントを生かすために、どれだけ多彩な挑戦をみせたかが明らかである。

この演奏では、ズッカーマンとフォーサイスが息の合ったアンサンブルをつなぎ、原田は奥に引っ込んで、それにもかかわらず、存在感のある響きで楽曲そのものの味わいを徹底的に印象づけた。華やかなチェロのアジリタは、この日もピンクのドレスが冴えたフォーサイスが得意とするところ。終楽章では彼女による下降音型から、すべてが始まる。これに限らず、ボッケリーニは表現力ゆたかな2本のチェロを巧みに使って、興味ぶかい仕掛けをつくった。例えば、1本のチェロにアップ・グリッサンドをかけ、もう1本をレガートで降下させるようなデザインである(そんな感じのがあったはず)。単に1本がバス専用で、もう1本が旋律担当という感じではないのが凄いところだ。

ハイドンやモーツァルトと同時代を生きたボッケリーニは、主にスペインのマドリーで活躍し、啓蒙君主、カルロスⅢの弟、ルイスの下で庇護された芸術家のひとりだ(ほかに、画家のゴヤなどがいた)。その作品を具にみてみるとイタリアの音楽語法を自由に発展させた独創的な巨匠であり、オペラを髣髴とさせるような味わいを持つ作品が多い。伝統的には後世の音楽形式(クラシック)に影響を与えなかった無意味な作曲家と見做されてきたようだが、室内楽の分野では明らかに重要な作曲家といえるはずだろう。

オペラをキーワードに、ひとつの公演を読み込んでみた。書き手の力不足な点も多いが、どのようにご覧になられただろうか?

【プログラム】 2013年3月31日

1、ボッケリーニ 弦楽五重奏曲 op.42-2
2、シューマン ピアノ五重奏曲
 (pf:アンジェラ・チェン)
3、シューベルト 弦楽五重奏曲

 於:東京文化会館(小ホール)

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