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2013年5月14日 (火)

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン @東京 記事Ⅱ マリー・カトリーヌ・ジロー デュティユー ソナタ op.1/パスキエ&プラジャークQ&白建宇 ショーソン コンセール op.21 ほか 5/5

【ジロー、デュティユー、舞踊】

私が今年の音楽祭で最後にきいたのは、ピアニストのマリー・カトリーヌ・ジローだった。彼女のことを知ることがなければ、ことしのLFJにも冷酷な態度をとりつづけたかもしれない。だが、昨年6月にアンヌ・ケフェレックとは義理の姉妹で、ともに音楽祭のマザー的存在であったブリジット・エンゲラー女史が亡くなり、それに代わるようにして、日本公演に参加することになった新しいピアニストの映像をみて、私は衝撃を受けたのだ。それはデュティユーのソナタだったが、彼女の出す響きはエマールよりも透明で紛れがなく、それにもかかわらず、深い手応えに満ちていた。スタンダールの言葉をもじっていうなら、「エンゲラーは死んだが、また別の淑女が現れた」ということになろうか。

そのジローは、作品を献呈されたデュティユーの夫人に習い、作曲家本人からも指導を受けた経験をもっているという。「!」である。色鮮やかなラメに飾られ、まるで電飾を身にまとったような衣裳を眩しく眺めながら、この日、聴いた音楽は正に、そうしたプロフィールに相応しいものであったろう。

だが、プログラムは、ショーソン『いくつかの舞曲』で始まった。思えば、これが象徴的なことだった。さらに、もっともフランス的な作曲家のひとりであるフォーレの『ヴァルス・カプリース第1番』を間に挟むことで、ジローは最後に弾くデュティユーの音楽が、伝統的な、フランス音楽の舞曲への趣向と色濃い関係にあることを端的に示しているのだ。

ジローはフランス近現代の作品、それも未知の領域に多くの録音を残し、そのフィールドを主戦場とするかのように思われるが、ショーソンやフォーレの演奏も十分に魅力的であった。彼女のつくる音はいつも骨太で、しかも、それにもかかわらず、十分な柔らかみがあって親密だ。私は彼女の弾く数音を聴いただけで、もうすっかり魅入られてしまった。そして、これらの作品は「クラシック音楽」の歴史からみれば、相当の爛熟期に生まれたものなので、演奏のなかには、いろいろな過去の作品の幻影が浮かんでは消えていく。ジローの弾くショパン、シューベルト、あるいはバッハの影が、作品を二重に楽しませるのである。

メインのディティユーは、大事、大事に弾き上げるのかと思いきや、何気ない素振りで鍵盤を叩きだし、彼女にとっては、この作品がもう、日常のなかにあるということを示している。第1楽章は明らかにジャズの影響を受けているが、ジローは弾き崩したりはせず、淡々と構造を追っていくなかで、徐々にデュティユーらしい精密な書法にアクセスしていく。この作品はデュティユーのあらゆる作品と同様、様々な甘い誘惑に満ちており、若い弾き手や、作曲家への理解が浅い弾き手はきっと、そうしたもののどれかに飛びついてしまうのだろうが、ジローはじっと我慢している。その待ちの部分で熟成された響きが、あるとき、わっと解放される。そこに、作曲家の仕込んだマジックが輝くのである。

既に述べたように、前2曲で舞曲のイメージを十分に育ててあることから、デュティユーの作品も、そのイメージと無関係ではないとすぐにわかる。それがジャズの要素とも関係してくるし、緩徐楽章「リート」の雰囲気を見誤らせないことにつながるのだ。さらに、終楽章は「コラールと変奏」であるが、ここにも舞曲のイメージが嵌ってくるのが面白い。宗教と舞踊の関係については興味ぶかいテーマだが、ここで何かを展開するほどの準備はない。とにかく、ジローは静的なイメージでは信仰を捉えないということだ。それが、ドイツとフランスのちがいであるのかもわからない。例えば、「敬虔」と言われるメシアンなども、その音楽からはかなり動的なイメージを抱かせることがある。禅のイメージなどもあり、信仰=静止と考えがちな日本人には縁遠いスタイルだ。

動画録音で聴いた場合には、もっと客観的で、クールなピアニストという印象があったが、実演に接すると、かなり温かい表情が魅力的で、演奏がおわってからみせる親密な笑顔も忘れがたい。ただ、かなり膝を悪くしているようで、それほど広くはないD7ホールであっても、袖に下がるのが辛そうだったのは残念に思えた。それというのも、故ブリジット・エンゲラー女史は亡くなるまで、その精力的な活動で周囲に感銘を与えつづけたが、ジローがこの調子では、いくら素晴らしい演奏をするとはいえ、縁の下から音楽祭を支えるに十分な行動力を得ることはできそうにないからだ。

デュティユーは新しい時代の作曲家としては、美しい響きを感じやすいので、比較的、人気のある作曲家である。だが、ジローはそうした作曲家のなかにある、誠実な構造への奉仕(それはバッハにちかいものだ)があることをハッキリと示した。そして、その「奉仕」がフランスでは、舞踊という形で現れることをプログラム全体を使って示唆したというわけである。

思えば、ことしの音楽祭の重要なテーマのひとつに、「舞踊」があった。フランスもスペインも、舞踊の国だ。そのことを音楽面でもっとも雄弁に語ったのは、スペイン側ではきっと、「カスタネットの女王」テナ女史であったろうが、フランス側ではコンセール・ラムルーというより、マリー・カトリーヌ・ジローのこの公演がもっとも典型的であったように思えてならない。

【気高い音楽のガーディアン】

ベテランのヴァイオリニスト、レジス・パスキエを中心に、プラジャーク・クァルテットとピアニストの白建宇(クン・ウー・パイク)で演奏されたショーソンの『ヴァイオリンとピアノ、弦楽四重奏のためのコンセール』(op.21)は、この日、聴いた演奏のなかで、もっとも感動的なものであった。作品は1889年から1891年にかけて書かれ、有名な変ロ長調の交響曲などと同年代の円熟期につくられた傑作のひとつだ。フォームは非常にフレキシブルで、ヴァイオリンを中心にみれば、ピアノと弦楽四重奏の二重の伴奏を伴った作品とも見えるし、ヴァイオリンとピアノを独奏楽器としたダブル・コンチェルトともとれるほか、これら3つの楽器(あるいは楽器群)による三重奏、あるいは、単に六重奏の作品としても捉えられる。

この日の演奏を聴くかぎりでは、ヴァイオリンが独奏をとり、ピアノと弦楽四重奏もフラットな形でアンサンブルに参加するスタイルで演奏が進められた。

このレパートリーでは当然、パスキエに一家言がある。ショーソンといえば、トリオ・ヴァンダラーによるピアノ・トリオの演奏がいつまでもこころに残っているが、あのような強いビートの正体を、今回、パスキエが解き明かしてくれた。それは正に、生存そのものを表すものであったのだ。身を削る、極限の響きによって、それは表現されていた。一体に、ショーソンの作品は実演で特に生えるものが多いが、それはこのような特徴があるからであろう。ショーソンは小手先の技術で表現することはできない音楽を書き、演奏家がいつも、すべてを燃やしきることによって、はじめて、静かな部分な美しさも垣間見えてくるように作品を編み上げた。さもなければ、何も残らないように!

この組みあわせによる演奏は期間中、2コマあったが、2回目となる(最初ではない)このコマでも、パスキエの音楽に対しては、クァルテットのメンバーが目を輝かして聴いているのだ。彼は誰も知らない道を通り、彼しか知らないようなテクニックで、作品を内側から燃焼させてみせる。かつて金子陽子女史(pf)との共演を聴くために、わざわざ海老名まで出かけたときに学んだボウイングから来るメッセージも、今回は身に染みた。こんな作品でも、パスキエはあの日と同じように、細心の注意で弓の上げ下げを調節していたのである。モダン・ヴァイオリンではアップとダウンにさほどの差はないとしても、パスキエはそれを当たり前のように踏まえて、アーティキュレーションを考えている。

一切の手抜きなく、ほんのすこしの隙さえ残さない、腹の底から響く旋律は、どんなに甘く、煽情的なメロディにも勝って情感をくすぐる。若いころと比べれば、多少、技術的に甘くなってきたところがないわけではないだろうが、演奏家として恥ずかしいレヴェルの隙はまるでなく、誠実そのものの響きはソロが出るごとに、私を居た堪れない気持ちにさせるに十分だった。その響きは、正にパスキエの人生そのものである。息が長く、粘りづよい。ほかの人が弾けば、それほど目立たない旋律にも魂がこもり、構造のはけ口で踏ん張った響きを出すようなときには、特に容赦のない衝撃を発した。

一方、プラジャークQは若干、本来の個性が異なっている。彼らが得意のチェコ音楽の分野では、クァルテットはいかにもチェコらしい大地に根差した土くさい音色で、太い幹をじっくり育て、ただ厳しいだけではなく、なんとなくのんびりした感じをも出しているのだ。そうでありながら、彼らはパスキエの音楽に素直に傾聴して、自分たちの持ち味を損なうことなく、段々と歩み寄ってくるのがわかり、これも感動的なことだった。プラジャークQでは近年、病により、第1ヴァイオリンが交代したが、そうであっても、彼らがドヴォルザーク、スメタナ、ヤナーチェクなどのレパートリーにおいて独特の響きを守りつづけ、維持していることは変わらない。そのプライドが、同じようにフランス音楽の分野で、困難なガーディアンの役を務めるパスキエと通じあうものがあるのだろう。

私の狭い体験によれば、賢明でない人ほど頑迷に、己を曲げずに他人の非を攻撃し、優れた人ほど、その個を守りながらも他人に対して寛容である。プラジャークQも、パスキエも、互いを尊重し、譲り合う。第1楽章では、パスキエの音楽にひたすら耳を傾けたクァルテットだが、第2楽章では、今度はパスキエがクァルテットの良さに歩み寄っていった。この緩徐楽章では、大地に根差してドッシリとした彼らの響きが、作品のもつ味わいにもよく溶け合うとみたのであろう。そして、そのあとの楽章では、もう、6人のアンサンブルは見事に溶け合っていた。

このなかで、白建宇は徹底してダイナモの役割に徹したといえる。彼の我慢づよさも、まったくもって得がたい。彼のキャリアは、そういう風にしてつくられたのだろう。彼ほど慎重に、自分の音楽性を踏み固め、一歩一歩、音楽への奉仕を深めていった音楽家も珍しいのではないか。

ここに集った6人は、あらゆる意味で特別な音楽家の集まりだった。単に年齢だけを足し合わせても、300歳は超えるだろうが、それ以上に、彼らの積み上げてきたもの、人生が、ショーソンのいつも絶対絶命の極地から這い上がってくるような作品のなかで、奇跡的に結びついた。フィナーレで、いかにもショーソンらしいエネルギッシュな旋律がこれほど高貴に、深いリアリティを伴って聴き手の前に現れることは滅多にない。今年のLFJでも再演されたトリオ・ヴァンダラーの弾くショーソンのように、いつも一緒にいる人たちの間で、時間をかけて練り上げられたものでないというのは信じがたいことだ!

いまでも興奮のあまり、それほど客観的なことは書けない。それほど高貴で、私ごとき愚者には受け止めきれないほどの演奏だった。全的に美しく、力づよく、誠実で、そして、なによりも優しさを感じるのである。最後の数分、なにを聴いたのか、私には十分な記憶がない。パスキエの容赦ないカンタービレの強烈さに、涙が噴き出したて、嗚咽を抑えるのに必死だった。そんな音楽が、ほかの、どこにあるだろうか?

【ショーソンとその時代】

だが、私がそこにみたのは、相当、シニカルな感覚でもある。ショーソンも、ラヴェルと同じように二面性をもっていたのだろうか。快活でエネルギッシュな表現の裏には、いつも、自分の生きる時代に対する強烈な違和感が張りついていた。ショーソンの作品を単に華やかな、いかにもロマン派的な名品として語ることも可能ではあろうし、それは作曲年がちょうど、パリ万博を象徴とする繁栄の時期に重なることと無関係ではない。だが、この繁栄はやがてモディリアーニやユトリロの狂気を呼び起こした。また、その繁栄自体が、素直に受け取れるものでもなかった。リンクに示す、こんな事件がまことしやかに囁かれたほどだ。

ショーソンは誰よりも早く、この作り物めいた輝かしさに疑問を投げた人物だったと思われ、そのほかでは、エリック・サティなどの存在がある。そして、同時に、この時代は音楽的な形式の行き詰まりと、新たな方向性を模索する段階にぶつかっていた。やがて、時代はストラヴィンスキーシェーンベルクヒンデミットなどを生み出すことになる。

ショーソンの響きはもっとも単純な技法を使いながらも、複雑で根源的なメッセージにも満ちていた。だからこそ、その表現は一瞬たりとも手が抜けないほどに、緊張していなくてはならない。この破裂寸前のエネルギーこそ、ショーソンの音楽の本体であり、表面張力のようなギリギリの均衡を保っている。レジス・パスキエの追求したものは、正にこの限界だったといえるであろう。ドヴォルザークにおいて、このようなことをしてはならないのだろうが、ショーソンにおいては、なるほど納得のいく努力である。

【マルタンの機知~デュティユー op.1 の意味】

ところで、最初に書いたジローの公演は、D7ホールにおける最後の公演だった。ほかのホールと公演時間がかぶっており、これを聴くと、あとはホールAの「花火」か、席数の限定的なG409のギター公演しか聴くことができない。この公演に、デュティユーの op.1 をもってきたルネ・マルタンの機知には驚かざるを得ない。今回、テーマとなったのは19世紀後半を中心に、そこから現代に至る時代であり、この時期のフランスとスペインの音楽の潮流を俯瞰する内容になっている。

ここで、デュティユーは非常に興味ぶかい位置を占めている。彼の音楽は独特なものであり、古い時代と完全には切れていない(驚くべきことに、彼は保守的とされるローマ大賞の授賞者のひとりである)が、まったく新しい発想に基づき、かつ、新しい音楽の潮流からみたときには、セリエリズムのような実験音楽の系譜とも、より社会的なモダーニズムの潮流とも別個に存在している。その出発点である作品番号1は、イヴ・ナットの高弟のひとりで、優れたピアニストであった細君、ジュヌヴィエーヴ・ジョワに捧げられたものであった。フランス「現代音楽」の出発点に当たるような作曲家が、(彼女が既に高名なピニストであったとはいえ、)自らの妻のために書いた作品で本格的なキャリアを始めるなど、実に驚くべきことではなかろうか。

その音楽は、献呈を受けた夫人が自ら大切に演奏し、そして、この日のように、そのまた弟子筋のマリー・カトリーヌ・ジロー等へときれいに受け継がれている。ショーソンも同じことだが、こうした音楽の守り手たちの涙ながらにしか語ることのできない努力を、マルタンが認め、紹介しようとしていることは非常に感動的だ。しかも、偶然というべきなのか、この作曲家はナントを含むペイ・ド・ラ・ロワール州のアンジェに生まれており、LFJとは因縁浅からぬところである。思えば、音楽祭は商業的な思惑も絡めつつ、家族の関係を大事にしている。0歳児でも入場でき、そして、当然、起こるであろう幼児のおこなう様々な「暴虐」が赦されるようなコンサートがあるのは、親たちにとって福音である。

デュティユーの op.1 がここで弾かれるということで、私は、音楽祭ディレクターの一貫した発想を端的に感じ取ることができた。私はいつも、言っている。演奏会のプログラミングとは、音楽家のこころだ。音楽祭の場合は、それがより幅広い領域で試されることになろう。マルタンはしたたかであるが、こころあるビジネスマンのようだ。

【音楽祭と、それを愛する人たちのための課題】

震災の年に起こったガバナンスの面での反省点は、主催者が東京国際フォーラムと明示され、同館事業部長の鈴木順子女史が日本側のエグゼクティヴ・プロデューサーとされることで、一部、担保されるようになった。これによって、最終的に東京都(東京国際フォーラム)が財政的にも、その他の面においてもイベントの責任もとであることがハッキリしたと思う。今年は期間を通して天候が良かったこともあり、人の流れも一部、改善されたように思われる。

だが、例えば、「キオスク」に有料公演の参加アーティストが出なくなったことなど、サーヴィス面が一部、低下していることも指摘できる。アーティスト総数が少なくなったことから、それぞれの負担が過重になっていることも問題だ。例えば、プラジャーク・クァルテットやエル=バシャの八面六臂の活躍は、「凄い」というだけでは済まされない。営業的な努力(すなわち、コスト・カット)と、公演の質をより合理的に守っていく工夫は、折り合うことがないのであろうか?

大本営発表、すなわち、メイン・スポンサーのひとつであるY新聞の記事によれば、有料公演のチケットは9割ちかくが売られ、昨年から10ポイント以上も改善したという。だが、これはあくまで「大本営発表」であり、直前まで、相当な数のチケットが残っていたのをみる限り、額面どおりには受け取れない。何らかの手段で、チケット販売率が強引に押し上げられた可能性を否定できないのだ。こういったことは言いたくないものだが、例えば、読響や都響の定期公演の完売率が高まっているのも、単に各々の楽団の人気が高まっているせいだとは思っていないのだ。そこには楽団の事業実績を粉飾するための、涙ぐましい努力があると思っている。無論、証拠はないはなしであるが。

いずれにせよ、私が言いたいのは、結局、まだまだ音楽祭には工夫の余地が大きく、too large な東京でやるには、十分、相応しくないイベントだということだ。同時に私たち、ファンの側からも大きな発想の転換が必要である。自己反省もこめて言えることは、私たち愛好家は音楽祭を hall to hall で渡り歩くようなこと、特に、15分刻みで綱渡りしていくようなスタイルをとるべきでないということだ。私たちがより多様な工夫を求めて、音楽祭をゆたかにするように願えば、主催者側の発想も自由になる。ホールのなかに籠ってしまうようでは、そのことは期待できない。私たちは、主催者がより幅広い発想で音楽祭を拡張し、周囲に働きかけていけるように発想を変えるべきである。そのことが、クラウド・ファウンディングよりも重要なことだと思う。

F1ドライバーであった小林可夢偉の例をみると、クラウドも依然として、日本で十分な可能性があることは事実であろう。現在、日本でカーレースの人気は十分に高いとは言えないが(CSを導入しなければ、生中継すらない)、今季に向けて資金不足でチームのシートを追われた際、小林は短期間に、企業からの支援を含め800万ユーロもの資金を集めて、自分を乗せてくれるチームを探そうと試みた。こうした可能性を突き詰めるとともに、音楽祭はさらに、より広範なスポンサーシップの確立を狙っていかなくてはならず、そのための手助けが必要だ。小林の場合はカーレースのファンの支持が短期間に集まり、それが企業スポンサーを動かす原動力になった。読売以外で、音楽祭のメイン・スポンサーとなっているのは、例にもよって、サントリーである。ココだけに頼るわけにはいかない。このイベントを愛する人たちが、イベントそのものを変える努力をすべきではないだろうか?

LFJが真の意味で脱皮を果たすまで、私の「熱狂」はこのイベントのなかで、完全に呼び覚まされることはない。そして、音楽祭を持続可能なものとするためにも、まだ多くの課題を積極的に克服するしかないようである。

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