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2013年5月17日 (金)

豊永美恵(cl)&荒井結子(vc)&大宅さおり(pf) クラリネットとチェロが出逢うとき Reclamation plan vol.1 5/10

【クラシック音楽をめぐる2つの潮流】

伝統芸能・芸術に関しては広く言えることだが、クラシック音楽の面白さのひとつは、当たり前の演目に当たり前ではない価値を与えられることだ。当事者である演奏家とオーディエンスが、それを理解できるというのは、この芸術が芸術たり得るための最低条件であるが、欧米では、この前提条件は崩れ始めているように思えるのは残念なことだ。

一方、これに代わって盛んとなっているのは、現代作品に対する積極的な関心であり、また、同時に、これまで埋もれてきた作品の再発掘と再評価、あるいは、オペラの場合は、演出を含めた解釈や見せ方の刷新である。レパートリーに関しては著名な作曲家のものでも、例えば、プッチーニ『エドガール』ヴェルディ『2人のフォスカリ』ワーグナー『妖精』モーツァルト『偽りの女庭師』『第一戒律の責務』(後者は正確には宗教性のあるジングシュピール、もしくは、オラトリオの類)など、従来、それらの作曲家を代表する作品からみれば一歩も二歩も劣ると見られた(実は魅力があるかどうかは別として)ものが、好んで取り上げられる傾向にある。マス・メディアもこうした試みのほうに、より多くの関心を向けており、逆に『魔笛』でプレミエを出してもさほど盛り上がることもないのだ。

さて、豊永美恵(cl)の活動は、これらの後者のストリームに属するが、商業的な思惑というよりは、より素朴な作品への共感によるものであると信じたい。元来、豊永はハンガリーで多くのものを得て、その知見を日本に紹介することを使命と考えて活動してきたようだ。今回の演奏会はハンガリーに限らず、私たちがよく知る作品とさほど変わらぬ高度な実質をもち、それにもかかわらず、十分な評価を受けていない作品を改めて取り上げる機会となった。彼女はそのために、チェロの荒井結子ピアノの大宅(おおや)さおりという腕利きを集め、単に物珍しさに訴えるのではなく、それらの最高の演奏を通じて聴き手に訴求するという直球勝負を演じてみせたのである。

このトリオがどのような機縁で結成され、また、今後、どれぐらいの間、一緒に活動していく予定にあるのか、私は知らない。しかし、願わくは末永く活動を継続してもらいたいものだし、そう思わせるだけの充実した内容であった。

【この日のトリオについて】

演奏は、パウル・ユオン Paul Juon (1872-1940) の『ミニチュア・トリオ』から始まった。映画音楽のような憂愁を感じるピアノ・ソロに始まる4楽章構成の作品は、大宅のしみじみとしたタッチから、チェロの魅惑的な歌いだし、そして、主役のクラリネットが加わる(元来はピアノ曲からのセルフ・アレンジ)ところから展開する。パートナーたちの演奏を聴き、彼らと共演できる喜びを噛みしめながら演奏会に入っていく豊永の姿勢については、傍からでも容易に読み取ることができた。そのなかで、いちばん最初に私を捉えたのは、大宅が発する音色の素晴らしさで、それはほんの数音で、このピアニストのゆたかな魅力を予感させるものであった。この日の会場は新宿の楽器店に付属するごく小規模なスタジオ・サロンで、ピアノはもちろんフルコンではなく、小ぶりなものだ。そんな楽器であっても、大宅のようなしっかりした技能の持ち主には十分な、素晴らしい楽器なのである。

私はこの演奏会を聴くに当たり、投稿動画などで調べられる範囲を超えては、豊永、荒井、大宅の3人について何も知らなかったので、最初のナンバーではまず、これらの音楽家が信用に値する人たちなのか、私が注意を傾けるに足るほど誠実な音楽家なのかということに最大の関心が向く。そのうち、荒井と大宅については、もう、申し分ないほどの感銘を抱いたが、肝心の豊永については、高音での響きにのびのびとした余裕がなく、中低音のどっしりした響きに見合わないように感じられることがあって、判断に迷った。これには恐らく、本人としても不満だったのではないかと思われ、アンコール・ステージではユオンの第1楽章がリピートされて、前よりも素晴らしい印象を残したのである。

なお、ユオンは1872年生まれ。スイス系のロシア人だが、主にドイツで活躍した。アレンスキータネーエフの弟子で、ベルリンのアカデミーでは高名なヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムによって見出され、教授職につけられた。ブラームスの親友でもあったヨアヒムの慧眼に間違いはなく、ユオンは教育者としても明らかに成功者となった。

この三重奏曲は既に述べたようにピアノ独奏曲からのセルフ・アレンジで、原曲は1920年に書かれたという。第1楽章冒頭部に象徴されるメランコリックな旋律の美しさと舞曲の動的なリズムが相互に感じられる作品であるが、終楽章で顕著にみられるように、舞曲の調子はごく簡明な手法でまとめられ、その終楽章などはこれからというところで、素っ気なくおわってしまう。先日みたフラメンコの舞踊、セヴィジャーナスなどにおいては、決まった長さのメロディが3回繰り返されるのに、この「幻想舞曲」は一度きりしかかからず、ごく簡潔なコーダに入ってしまうのだ。そこがまた、ユオンの仕込んだアイロニーなのであろう。

【英雄のように輝くチェロ】

前半の3曲でもっとも印象的だったのは、3曲目のムチンスキ『ファンタジー・トリオ』で、演奏の完成度も高く、前半だけと言わず、この演奏会の白眉である。ロバート・ムチンスキ Robert Muczynski (1929-2010) は米国のシカゴ生まれで、名前からしていかにもロシア系だろう。ピアノ演奏の才能も備えていたが、チェレプニンの教えを受けて作曲を専門とするようになり、のちにはデュポール大、アリゾナ大で教鞭をとったという。この作品は1969年に書かれ、友人の映画監督に贈られたもの。その制作年代からすれば、技法的にはすこぶる保守的だが、ジャズの影響が濃厚で、独特の黒々したメロディとリズムに彩られた独創的な楽曲である。

録音はNMLで2種類。登録されており、これらを聴くかぎり、私たちの親しむ文化ではなかなか理解しにくい作曲家だと感じていた。ところが、この日のトリオは作品を完全に手のうちに入れて、日本人らしい繊細な感覚で解釈したのである。ここに至る2曲はいずれもダンサブルな特徴をもち、そこから生じる効果も作品を魅力的に彩った。だが、それをさらに印象的にしているのは、正に踊るように弾くトリオの姿勢、なかでも、チェロの荒井のアクションに多くをよっていたように思えてならない。

独創的といったが、高揚するピアノのファルセット、地下から湧き上がるチェロのカンタービレなど、サウンドやリズムの特徴は時折、ショスタコーヴィチを思わせるもので、それらを比較しながら聴いていた。だが、ムチンスキの音楽はより自由で、楽器どうしの関係がより親密であるところに特徴を見出せる。この3人は非常にアグレッシヴな特徴をもち、アーティキュレーションやアタックの面で、相当にふかい対話を重ねてきたことは想像に難くない。豊永はやや俯瞰の姿勢をとり、チェロが最前線に立って、ピアノがそれを支援する。このバランスが、作品をより高貴にみせる鍵を握っていたようだ。

いわば、指揮官の役割にを担うクラリネットの音色はそれまでの演奏と比べ、ここでいよいよ本領を発揮した。序盤の低音をギラギラと決め、波に乗った豊永は、課題の高音もきっちりとものにして、いつも適切なポジションでアンサンブルのバランスをとった。そして、どんな熱い場面でも正確な音程を保ち、かつ、楽器を抱え込むようにして生ぜしめる響きの親密さと、際立って機動的な敏捷性で特徴的な荒井のチェロは、この作品の奥深い秘密を内側から語っている。この奏者は時折、あまりに音楽に没入しすぎて、響きのふくよかさに無頓着なときがあるけれども、それを除けば、わが国の若手チェリストのなかでは非常に有望な技能と、なにより、優れたインテリジェンスの持ち主であることを示している。

大宅のピアノはこうした複雑な構成のなかで、本当に、気の利いたところで顔を出し、一味を付け加える。こうした存在を、サッカーの世界では「フィルター」(守備的)/「レジスタ」(総合的)などと呼ぶのであるが、大宅は正に、その役割を自任している。ムチンスキの音楽の美しさは、それほど自由自在には表現できないもので、ジャズの要素を踏まえながらも、高度に完成したフォルムが弾き手を高いところから見下ろしているかのようだ。攻守(押し引き)のバランスが難しく、一歩間違えれば、すぐに瓦解してしまう綱渡りの舞曲でもある。この日の演奏では、メイン・パフォーマーとしてチェロを選び、それを生かすように、2人の奏者が絶妙のポジションをとることで、表現を高貴なものへと押し上げた。結果として、チェロは英雄のように輝いた。

【ヒンデミット、E.ハルトマン】

後半は、ヒンデミットのプライヴェートな作品で始まった。『音楽の花園〈ライプツィヒ・スタイル〉』は、まだ発見から間もない作品で、低音弦を得意とした妻ととともに、作曲家が演奏できる楽曲として生み出されたものという。短いエピソードによる9つの小品が連ねられ、特に、作品集として一貫して強調できるイディオムはない。だが、その簡潔で無駄のない書法はウェーベルンと双璧であり、オペラを中心に大作も多いヒンデミットの印象をすこしだけ変えるものかもしれない。

最後は、エミール・ハルトマン Emil Hartman (1836-1898) の『セレナーデ・トリオ』である。この作曲家はデンマークの音楽一家・・・バッハ一族、クープラン一族、ベンダ一族のように、血縁親族がまとめて作曲家グループになっている一門のなかに生まれた。このなかでもっとも声望が高いのは、エミールの父親、J.P.E.ハルトマンであり、その娘はそれなりに知られている作曲家、ニルス・ゲーゼと結婚していることもあり、この作曲家自体はなかなか話題になりにくい。なお、ハルトマンというと、『葬送協奏曲』や8つの交響曲、それに舞台作品などで知られるカール・アマデウス・ハルトマンもいるが、これは先のデンマークの一族とは関係なく、まったくの別系統であるらしい。

この(op.11)の『セレナード』は、いよいよクラリネットが中心となるナンバーであり、これまでの作品と比べると、モーツァルトウェーバーブラームスといったクラリネット音楽の歴史に直結する作品と感じられた。いま、プログラムを見なおすと、ブラームスから特につよい影響を受けたと書いてある。その分、ダブル・メインのムチンスキと比べれば、その独創的な味わいを出すのは簡単でないといえるかもしれない。この日の演奏では、チェロが直截なカンタービレを堂々と示すことで、クラリネットとの二重コンチェルト的な味わいを示そうとしたが、それはムチンスキの場合ほど、効果的に決まっていたわけではない。

無論、これはそのレヴェルの高いパフォーマンスと比べればの話であって、これまでのパフォーマンスとは反対に、クラリネット、チェロ、ピアノが各々のフィールドで、しっかりとした持ち味を発揮するという意味では、十分に、その意図が感じられ、かつ、魅力的であった。だが、これらがより高度に結びつく余地はまだ残されている感じがして、僅かに不満は残ったが、それは少々、贅沢なはなしである。

それだけ、私は、このエミール・ハルトマンにふかい可能性を感じたということであろうし、また同時に、豊永たちトリオにも相当、高いレヴェルの要求をできると感じていたことの証拠なのだ。演奏会の前には、なにひとつ知らなかった相手なのに、どうしたことであろうか?

【まとめ】

終演まで1時間40分(休憩は15分)ほどかかり、このフォームでは、わりに長めのコンサートであろうか。しかし、まったく退屈する時間はなく、常に高度な緊張を強いられた。例によって、私のようなアウトサイダーは少ないコンサートだが、3人はそれでも、プロとしてのパフォーマンスを披露することに余念がないのだ。スタート・アップとしては適切な規模の公演だったと思うが、この内容なら、より多くの人たちに関心をもってもらいたいものだ。音楽家の良心を感じるコンサートだった。

なお、新宿のドルチェ楽器「管楽器アヴェニュー東京店」にあるアーティストサロン“Dolce”は、思ったよりも、ずっと優れた音響構造をもち、こうした小空間で楽器の響きを受け止めるための建築技術は、私が思っているよりも、はるかに発展していることを実感した(昨年の、デザインホールKでも同じような感想をもった)。近日、この場所で河村幹子さんがバスーンの演奏会を二本立て(マチネ&ソワレ)でおこなう公演があり、これらも安心して聴けると思った次第である。

【プログラム】 2013年5月10日

1、P.ユオン ミニチュア・トリオ op.18(編曲版:op.24)
2、ルトスワフスキ ダンス・プレリュード
3、R.ムチンスキ ファンタジー・トリオ
4、ヒンデミット 音楽の花園〈ライプツィヒ・スタイル〉
5、E.ハルトマン セレナーデ・トリオ op.11

 於:アーティスト・サロン”Dolce”

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