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2013年6月 1日 (土)

ヴィオラ・スペース2013 「ヒンデミット」 ~弦楽四重奏曲全曲演奏会を中心に 5/25-5/29 記事Ⅰ

【ヴィオラスペース新機軸】

今年のヴィオラスペースは、2つの点で新機軸が生まれた。

1つは会場の変更で、2代目の紀尾井ホールから、上野学園大学の石橋メモリアルホールに移動した。この変更には、どの主催者をも悩ませる経済的事情も関係がありそうだが、会場周囲のアメニティが豊富であることや、音大付属施設であることから練習場所が確保しやすいこと、さらに、教育機関との連携という理念的な問題も絡んでくるだろう。デメリットとしてはキャパシティが狭いことと、紀尾井ホールと比べれば、響きが過多であること(ただし、飽和しにくく、サイズのわりによく響きを受け止めてくれる)、ステージが若干、手狭であることが挙げられる。特にキャパシティの面においては、今年、2日間のガラ公演チケットが完売となり、少なからぬヴィオラ・ファンをがっかりさせた。

もうひとつは、ディレクターの変更で、これまで常にヴィオラスペースの中心にいた今井信子女史から、フランス人のアントワン・タメスティ氏にバトン・タッチした。今井女史も後見人として、マスタークラスの講師として、演奏者として、蔭に日なたに活躍したのは言うまでもないが、具体的な舵取りはタメスティ氏の手に移ったのだ。今井女史も70歳を祝うコンサートをおこなう年齢となり、そうとは思えない若さだとしても、社会的な区分としては「高齢者」であることに変わりはない。期間中、サイトウキネン・フェスなどで何度も共演した潮田益子女史が亡くなられたように、次の世代への継承を考えるタイミングが来ようとしている。

こうした変化が、世紀の大ヴィオラ奏者にして、作曲家であったパウル・ヒンデミットのアニヴァーサリー・イヤーに起こるということは、決して偶然ではないのだろう。ヒンデミットは、ライオネル・ターティスやウィリアム・プリムローズと並ぶ、伝説的なヴィオリストであるとともに、ヴィオラ奏者にとって重要な数々の名品を残している。無論、作曲家としての名声は、オペラ、管弦楽、室内楽の分野に広く分布し、器楽曲に関しては、ありとあらゆる楽器のために作品を残していることがよく知られている。この個性的で、20世紀の総まとめ的な作曲家こそが、今年のヴィオラスペースの主役であった。

【今年のヴィオラスペース4本柱】

今年のヴィオラスペースは、4本柱から成る。まず、都内の音大に通う優秀な学生たちによる、ヒンデミットの弦楽四重奏曲全曲演奏会。次に、7人のヴィオリストによる無伴奏/伴奏つきヴィオラ・ソナタの全曲演奏会。さらに、ヒンデミットを中心に、ほぼ同時代に焦点を当てた2日間(50分/1コマ×4コマ×2日)の公開マスタークラス群。最後に、2回のコンペティションの受賞者と国内外の素敵なヴィオリストたちによる2日間のガラ・コンサートである。私はこれらのうち、5月28日に行われた弦楽四重奏曲第5番の演奏と、ガラ・コンサートを除く、すべての機会に足を運んだので、これをもとにリポートつくっていく予定である。弦楽四重奏曲全曲演奏会を中心に、今年のイベントについて触れていきたい。

【ヒンデミットのキャリアは室内楽で始まった】

以下はプログラムに掲載された年表をまとめたものだが、そもそもヒンデミットの音楽家キャリアは、室内楽の演奏家として始まった。師匠で、フランクフルト歌劇場のコンマスを務めたアドルフ・レヴナーにヴァイオリンを師事し、その下で、第2ヴァイオリン奏者となったのだ。師匠の後押しもあったのか、同歌劇場にも入団し、第1ヴァイオリン奏者から首席コンマスまで上り詰めた。思えば、この時代の体験が、ヒンデミットのキャリアの半ばちかくを象徴しているといえるだろう。レヴナーのクァルテットに加わった1915年に、早くも弦楽四重奏曲第1番が書かれ、その後、1921年までに第4番までが書かれた。

さらに、1923年に第5番が書かれるが、あとの2つ(第6番と第7番)は数十年後となり、1943年と45年まで待たなくてはならない。これは、ヴィオラ・ソナタの分野で、1923年までに矢継ぎ早に作品が完成し、そのあとは1937年と39年に作品を残すのみであるのと似通っている。

今回、シュプロス弦楽四重奏団の演奏で第1番を聴いて、ヒンデミットでは、まだ古典の、つまり、ベートーベンのSQをやるようなメソッドが応用できるのだと気づいて、自分が弾けるわけではないけれど、なんだか嬉しかった。最初の和音が、まったくもってベートーベンであった。第1楽章は全体的に、ベートーベンのSQのイメージを知っていると、非常によく理解ができるだろう。

また、福田ひろみという腕利きをメンバーにもつシュプロスSQだけの特徴かもしれないが、この作品では第1ヴァイオリンが、ほぼすべての大事なパッセージを担当する。低音など、ヴィオラやチェロのほうが得意としそうな音域でも、それは変わらない。第1ヴァイオリンが常に扇の中心にあって、低弦ともう1本のヴァイオリンによるアンサンブルが、扇子の骨を奥ゆかしく構成するのである。このことは先に書いたような事情で、師匠が第1ヴァイオリンを務めていたことを考えれば、素直に頷けるはずだ。当時のヒンデミットはまだ、師匠が目立つ作品を書かねばならなかったのであろう。

1:3の寡勢ながら、常に第1ヴァイオリンが勝利を占めてきた状況は、楽章の後半で大きく変化をみせる。そこでは、これまで裏を懸命に支えてきた第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロが一挙にポジションを押し返して、実は、これらの楽器がなければ、第1ヴァイオリンの動きがすこしも際立たないことを種明かしするのであった。そこから、ヒンデミットは明らかに、新しい語法を選択し、ベートーベン的なものからはステップ・オーヴァーする。この作品は大体において、こうした二段ロケットを積んだ三段構造で仕上げられている。そして、それらの最終部分にヒンデミットは命を賭けており、「新しい扉を開けた」ようなイメージを託しているのであった。

一口に「扉」といっても、その形は様々である。アダージョ楽章では、「エロイカ」交響曲の葬送行進曲が、その扉になっている。だが、単純な引用やほのめかしでもなければ、可笑しげなパロディでもない。やはり、戦争の靴音が迫るなかでの作品だから、こうした音楽にリアリティがあるのだ。終楽章では、やはりベートーベンに倣い、神さまに感謝のフーガを書いて、最後の扉を開ける。どんな扉にしろ、開けたらもう、二度とあとへ戻ることはできない。ヒンデミットの音楽というものは、実にそういうものらしいし、また同時に、それが時代的なテーマとも符合しているのであった。

【大成者・ヒンデミット】

ヒンデミットは、なんといってもバッハを尊敬している。28日のガラ・コンは正に、それがメイン・テーマだったが、マスタークラスでも、(op.11-5)の終楽章がバッハのシャコンヌを下地として書かれていることに言及があり、同日のコンサートにおいては、そのときに講師を務めた佐々木亮によって実演もされた。マスタークラスでは、ヒンデミットの音楽とバッハの音楽が重なり合うところを、佐々木が見事に実証してみせたものだ。ただ、バッハへの共感は単に音楽的な共鳴によるだけではなく、「同じような使命をもっている」という運命論的な直感から来たものかもしれない。

バッハの偉大さはいろいろに語られるが、私としては、それまでの音楽の大成者としてバロック音楽のなかで培われた精髄が、その作品のなかで完璧に生かしきられていることが大きいと思う。そして、形式的には、それまでにまったくあり得ないイディオムではなかったとはいえ、確かに、妻のアンナ・マグダレーナに語って聞かせたように、いままでにないものを書いているという自覚のなかにいた。

ヒンデミットも音楽史のなかでは、シェーンベルクやブーレーズがそう言われるようには、新しいものを生み出した作曲家としては評価されてこなかった。ブリテンやショスタコーヴィチほど保守的ではないとしても、対位法のような伝統的手法にこだわり、新古典主義、あるいは、新ロマン主義に分類されたりした。ダルムシュタット的な価値観のなかでは、ヒンデミットは反動的と見做されたであろう。バッハも同時代において、先進的な息子たちほど高くは評されなかったし、夫の仕事の価値を正しく評価しているアンナ・マグダレーナはそのことに反発している。だが、後世、バッハの音楽の真の重要性は広く理解されるようになった。そして、バッハは同時代と、それ以前を体現し、代表する作曲家と見做されている。

ヒンデミットは同時代において、誰よりも彼以前の音楽に精通していた。アントワン・タメスティがマスタークラスで指摘したように、作品によっては、彼は近接する時代のフランス音楽に深い影響を受けていた。タメスティが指導したのは(op.11-4)のソナタで、それはドビュッシーのような全音階を多用し、形式的には、フランクの循環形式を取り入れたものであった。タメスティ自身はといえば、当夜のコンサートにおいて、そうした音楽をショーソンのような起伏の激しさで描いたものだ。伴奏ピアニストの有吉亮治がジャズのような奔放なスタイルで挑発すれば、タメスティも彼のピアノのマッシヴな響きと、相手の音を感じる能力を直感して、最高の技術を以てこれに悪ノリした。このコンサートの模様は、Twitter上でも話題になっている。

もちろん、ドイツ音楽の本流はバッハ以降、完全に、彼のアタマのなかに叩き込まれていた。そして、彼がライフワークのように研究し、憧れていたのがバロック時代の響きであった。彼はしばしば、ガンバのような古楽器のためにも作品を書き、古い作品を編曲し、自ら演奏したりもしたし、バロック作品を紹介するコンサートを開いて、アクティヴィストのように活動したのである。メンデルスゾーンのバッハ蘇演がお手柄だというなら、このヒンデミットの功績も十分に評価されるべきだ。そして、重要なことは、彼がバッハと同じようにして、そこから音楽を一歩先に進める意図があったということだろう。

【ヒンデミットとロマン派の機動性】

弦楽四重奏曲第1番で、形式と音楽表現上のルールを模倣したあと、第2番ではもはや、新たな課題に取り組んでいる。パウロウニア・クァルテットの演奏を聴くと、そこでヒンデミットが相手にしたものは、静止を含む、あらゆる運動性との関係で音楽を捉えることだったとわかる。この主題を文字にすれば、なにか論文のタイトルのようなものになりそうな作品は、しかし、すこぶる動的で聴き応えのする響きをもっているのだ。そのエネルギーは例えば、シューマンの室内楽を想起させるものだろう。だが、その健康さにもかかわらず、ときどき、大きくフォルムの均衡が崩れ、不穏な揺さぶりがかかるのも重要な特徴だ。

これは今井のマスタークラスにおける言葉だが、(先日に演奏された)弦楽四重奏曲第1番を聴いてもわかることだが、ヒンデミットはロマン派につよい関心をもっていた。どんな作品を演奏するにしても、その出発点を忘れてはならないというのである。そういう言葉を前置きして、実際に今井が弾いてみる音は、どんな奇妙なパッセージにも、いつも美しく輝くものがあった。ロマン派、その頂点に立つのは後期ロマン派、なかんずくワーグナーとブラームスであるのは間違いない。ヒンデミットも、これらの音楽の熱烈なファンであった。そして、その発想からつくられた公演が、29日のガラ2日目のファイナル・コンサートであったが、そのことはあとで述べる。だが、ここでヒンデミットが注目したのは、ロマン派音楽にみられる旺盛な運動性であった。

なお、パウロウニアQでは、ヴィオラの石原悠企のパフォーマンスが目についた。石原はココ以外に、マスタークラスでは特別編成で第2ヴァイオリンを弾いて、今井信子の指導を受け、さらに、アリーチェ・クァルテットとしても弦楽四重奏曲第5番の演奏に参加している。

【戦争クァルテット】

弦楽四重奏曲全曲演奏会も2日目に入り、第3番と第4番が演奏されると、それらはもう、それまでの奔放な発想とは根本的に異なる発想から生まれていることがハッキリする。リラ・クァルテットによる第3番の演奏を聴くと、いやでも、その制作年代が気になるところだ。年表を開けば、1920年とある。つまり、ヴェルサイユ条約が結ばれて、「総力戦」がおわった1年後だ。前の年には、例の(op.11-4)のソナタが完成している。マスタークラスの受講生、鈴木慧悟はこの年号を聞いても、何もひらめかないようだった。だが、この弦楽四重奏曲第3番を聴けば、なにか異常な心理状態にあったことがわかるだろう。

なにか衝撃的なことがあってから、直後の1年間は、なにか、その事実が現実のように感じられないことがある。そして、1年後ぐらいになって、その重みが突然、襲いかかってくることがよくある。私の母親の場合が正にそうで、再婚した夫が納得のいかない形で亡くなり、1年後、非常に強い精神の危機を迎えた。同時に、健康も崩した。この危機は健康の面の一部を除いて、いまは、ほぼ克服されたが、ヒンデミットにとっての1年後にも、同じような重圧がかかっていたような気がする。この3番は躁鬱的だ。

今回のヴィオラスペースのガラにも出演したジュリアードSQは、ヒンデミットのSQをほぼすべて録音しているが、NMLのリストをみると、なぜか3番が収録されていない。それが意図的なものだとするなら、この3番をヒンデミットが異常な心理状態でつくったものであり、演奏するに堪えない作品だと判断したせいかもわからない。とにかく、「鬱」の部分、戦争の恐ろしさがフラッシュバックするような表現が際立ち、聴き手を際限なく不安な気持ちにさせるのだ。リラQはそんなおどろおどろしい作品を、正面きって演奏した。福本真琴のチェロが、全体を統括する根深い実力を示した。

これと比べれば、第4番は、もうすこし感情がコントロールされている。第3番と第4番がともに、「戦争クァルテット」、あるいは、「戦争後心的外傷クァルテット」であることは議論を待たないが、第4番では、そうした破壊的なエネルギーが、同年に上演されたオペラ『ヌシュヌシ』にもみられるような野蛮で民族的、独創的な舞曲の形態に転化して表現されており、(op.11-4)に象徴されるようなヒンデミットの素朴なエネルギーが戻ったような印象を抱かせる。しかし、このようにして、ヒンデミットは彼の第3の顔を育てることになったわけだ。それは、社会的な風刺家という横顔である。この面で、彼はショスタコーヴィチと本家を争う。ナチスのヒトラー総統は鋭くも、そんなヒンデミットの毒を毛嫌いした。

フィラージュ四重奏団は若々しい感覚でとは言いながら、この難しい作品をできるだけ多様に表現しようと努力した。チェロの山本直輝が、先刻の福本よりさらにレヴェルの高い演奏をして、私を驚かせた。ヴィオラの松村早紀と低音軸で、この不思議な作品を立派に編み上げた。

(記事Ⅱへつづく)

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コメント

アリスさん、こんにちわ。
ファイナルから今帰ってきました。

7時から表彰式とのこと。
結果出る前に素人予想をと思い・・。

最初のリチャードは、見るからに好青年で、演奏も
ひたむきさが感じられ、好印象でした。
2人に比べ技術的に今一歩かなと感じました。
(小生素人なので、当てになりませんが・・)

ちえりさんは、無難にこなしていました。うまく弓をすべらせて
弾いている印象。まずまずだったのではないでしょうか・

成田君は、やはり存在感がありました。協奏のところで(特にサビの部分。
サビっていうのかな?)で、オリジナリティを出しすぎの感もあり、オケがついて
いっていない感じもしましたが、カデンツァが抜群によかったように思います。

拍手もハンパなかったです。(LASTということもあろうかと思いますが)

というわけで、今日の3人では、成田かな・・

アリスさんはどのように感じられましたか。
いずれにせよ、みなさん甲乙つけがたいすばらしい演奏でした。
至福の3時間でした。

ご期待にこたえた形になるのか、記事はアップしました。ひとつ言いたいことは、記事と関係のないコメントをつけられることは歓迎ではありません。どうしてもと仰るなら、twitterでも対話は可能です。ご検討下さい。以後は、親愛なるg.g.さんでも削除、もしくは、コメントを移動しますので悪しからず。

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