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2013年7月 9日 (火)

イェンス・ペーター・マインツ with 津田裕也 ブラームス ソナタ第2番ほか 7/3

【閑さや/岩にしみ入る/蝉の声】

ジャン・ギアン・ケラスの弾くブリテンの無伴奏を弾いたとき、不協和音がこれほど美しく響くのかと知って衝撃を受けたものだが、イェンス・ペーター・マインツの演奏をこの日、耳にして、音楽は静かさのなかからしか生まれないという、考えてもみれば、ごく当たり前の事実に衝撃を受けてこそ、私は自分の愚かさを改めて思い知るのである。しかし、多くの人たちは・・・オーディエンスばかりではなく、プロの音楽家たちでさえ、この静かさにこそ、自分たちのルーツがあるということを忘れかけている。マインツはその原則をいつでも固く守り、協奏曲であろうと、室内楽であろうと、同じように演奏した。

そのことによって、堂々とした分厚い表現が損なわれることはなく、力づよい表現ができないわけでは、まったくない。むしろ、押しつけがましい強い音に悩まされない分、聴き手は自由に、彼の表現から山谷を自然と発見していくものである。芭蕉も詠っているではないか。閑さや/岩にしみ入る/蝉の声。

【音楽の安心】

演奏会は、シューベルトの『アルペッジョーネ・ソナタ』で始まった。現代では博物館にさえ、その姿をみることができない短命で、世間に広まらなかった楽器の名手のために、シューベルトが書いた傑作である。その演奏は楽器こそちがうが、2009年のヴィオラスペースで、トーマス・リーヴルが弾いた演奏とよく似ていた。だが、それについて書いたほとんどのことが、マインツにも適用できるのにも関わらず、リーヴルが少しく聖職者の面影を宿すのとは対照的に、マインツの表現は普段づかいの印象がある。シューベルトの名品としてではなく、どこかに存在したジョングルールのひとりが、愛奏曲のようにして弾いているイメージが浮かんでくるのだ。

マインツは事前のインタヴューで、この作品の第1楽章の主題が、有名な「未完成」交響曲のそれと関係していると述べているが、私のイマジネイションが乏しいせいか、演奏自体からそのようなメッセージを読み解くことはできなかった。だが、気の利いたポイントでほどほどのルバートをかけ、それをアクセントにしながら、歌の表情に見合ったアーティキュレーションを整えるマインツの演奏は、この上ないほどに自然である。

第2楽章では、音の変移に関わるマインツの特徴が横溢していた。プロコフィエフのときにも、既に感じていたことだが、マインツほど滑らかに、音の切り替えができる人を私はみたことがない。そのテクニックによって、彼は誰よりも長く響きを保持することができ、精確に、その切れ目から次の音を始めることができる。そして、これらの音の連なりを、誰よりもまあるく表現することができ、これらの自由によって得られる表現は、正に、それぞれの音の生命感を完全に取り出すということを可能にする。マインツの響きは、どんな優れたチェリストの発する響きにも劣らず、ひとつひとつの音が生きているかのような錯覚をもたらす。

これらの響きは滑稽な譬えかもしれないが、5本指の手の形をした風船のような空間をもっていて、響きはこの空間を通って、音の動きや強弱、その膨らみに合わせて自由に移動する。風船が伸び縮みするような、自然な息吹きの味わえる響きのコントロール、私はこれにふかい感銘を受けた。

ダイナミックス等に関しては、それほど深くはなく、音色の多彩さもそれほどではない。器楽的なダイナミズムを追求し、1960-70年代的な個性主義の発露として、この作品を演奏した堤剛氏のパフォーマンス(これもヴィオラスペースにおいて披露されたもの)も印象的だが、マインツはもっと古い時代の、ドイツの酒場の風景みたいなものをイメージしている。そこでは多分、いままでは教会が提供していた安らぎに、取って代わるような新しい質の安心が求められていた。マインツが示したのは、その「安心」である。

【愛奏曲・ヴァインベルク】

2番目に演奏されたのは、ミエチスワフ・ヴァインベルク(ロシア名:モイセイ・ヴァインベルク)という作曲家のソナタ第2番(op.63)だ。この作曲家は近年、ピアノ・コンペティションなどにおいて高度な技巧を求められる作品が頻繁に演奏されるようになったが、それ以上に、多彩な作品を残しており、再評価が進む余地がある。チェロの分野では、先輩のプロコフィエフと同様に世紀の天才、ムスティフラフ・ロストロポーヴィチのサポートを受けて、手厚く作品を書いている。彼自身はショスタコーヴィチとの親交が深く、作風的にもつよい影響を受けているのは明らかだ。

古典派風の作品と比べれば、幾分、力の入った演奏であるが、この作品は正に、マインツ自身にとっての「愛奏曲」なのであろう。確かに旋律の動きや和声の選び方など、ショスタコーヴィチと似通ったものがあり、リズムなどにも同じカルチャーが散見されるものの、マインツはそうしたものから巧くボルトを抜くことで、2人のちがいというものをきれいに描き分けているように思える。ヴァインベルクは逮捕の憂き目にあったり、ショスタコーヴィチと同じ時代、同じ国に生きて、彼よりも過酷な人生を歩んだが、その分、かえって音楽的には純化を極めたような印象を与えるのだ。

第1楽章はより単純なスラヴ的情動から、終盤の高揚で、魂が土台とそこから離れていく人魂のようなもの2つに分かれて、最後、ペラッとめくれるような音楽が面白かった。アンダンテでは、再び音楽は静寂に帰り、マインツらしい落ち着きの世界に着地する。そして、第3楽章では、マインツは小刻みにアタマを揺らし、強烈なオスティナートを放ちながら、少しずつ音階を上下させつつも、キッチリ均質に粒だった響きをきれいに並べる。野性的なエネルギーと、その冷めた発露の凄まじさを伴う圧巻のフィナーレを迎えると、この日、いちばんの拍手が聞かれた。演奏法としては時々、楽器を左右して静かにスライドし、肩のうえを滑らせるのが特徴的で、そのとき、楽器自らが声を絞り上げるような幻覚を与えるのが個性的だ。まるで、腹話術の人形をみる想いだった。この手法は、ブラームスでも時々、さりげなく登場する。

【挑戦】

メインは、ブラームスのソナタ第2番である。これはまたシューベルトのスタンスに戻り、最大限、リラックスした演奏になっていた。冒頭の清々しい旋律の動きがすべてを語っており、強調はほぼ、この部分のみに限られるといっても過言ではないほどの演奏だ。そこに込められていたのは、前2曲の愛奏曲的な位置づけに対して、はっきりとした挑戦の意志であった。

ここで興味ぶかいのは、マインツの各曲でのスタンスの取り方についての問題である。シューベルトとヴァインベルクでは、愛奏曲のようなリラックスした雰囲気をとったが、ヴァインベルクにおいては、すこしだけ内面的なものを押し出して、チェロと身体の一体化がそれを象徴的にみせていた。メインのブラームスにおいては、チャレンジの緊張感が張りつめて客席に伝わりながらも、然るに、その内側にはどっしり落ち着いた内面が広がりを見せていたのである。マインツはこのような「3つの顔」を、実は曲ごとというよりは、それらのなかの表情の変化に合わせて、巧みに使い分けているのであろう。

第2楽章のアダージョ・アフェトゥオーソは、その指示どおり、愛情を込めたピッチカートとレガートのつくる単純な楽章だが、このような部分においてこそ、マインツの良さが際立つのは言うまでもない。しかし、見事なのは、その次のスケルッツォだろう。ここでも注目すべきは、エネルギーのコントロールだ。この作品のスケルッツォからフィナーレは、すべて一筆書きのような素材の循環性が特徴となる。第3楽章から第4楽章では素材が切り替わるが、よく調べると、関連性が深いにちがいない。だが、マインツと津田の演奏が特徴的なのは、その循環をスケルッツォの半ばで断ち切ってしまうことだ。ピアノの動きに深いルバートが入れられ、これがフォッサマグナの働きをして、まるで新たな楽章が始まったかのような、新鮮な風景が広がる。

だが、この楽章全体を通して、エネルギーは第1楽章冒頭に匹敵するほど重い。対照的に、終楽章では、マインツがこれを半分に減じて演奏する。これほど軽いエネルギーしか用いずして、どうして、これほど逞しい印象を与えられるのかというのが驚きのポイントであった。単にポジションを前掛かりにするのでもなく、音楽には、ときに宗教曲のような落ち着きさえあるのである。このアレグロ・モルトは、ブラームスの作品のなかでも、この時代までの総決算を成すような、きわめて味わいぶかい傑作だろう。だが、そこにかけられるべきエネルギーは、確かに、スケルッツォの半分でちょうどよいのだ。

こうして、「挑戦」は見事に成就した。

【まとめ】

このリサイタルでは、前々回の仙台国際音楽コンペティションの覇者である津田裕也が伴奏を務めたが、マインツが大きいこともあるのか、少女のような華奢な身体は、私の想像とはまるでちがっていた。ブラームスの伴奏では、もう一段、ふかい土の香りがピアノに漂ってくると申し分ないのだが、そう感じるのも僅かなときだけで、マインツの発想を邪魔せず、ときには、彼の考えもしないようなフレッシュなアイディアを提案して、チェリストにとっては、まだ稚拙なところも目立つとはいえ、なかなか楽しい相棒だったのではなかろうか。なお、このリサイタルは地元(日本)で知名度のあるピアニストをピックアップして、2-3日でパッと合わして弾かせたのではないようだ。まず、両者の拠点であるドイツで顔を合わせ、プライヴェートな機会に試演までしてきているのだから、用意周到というものだろう。

そうはいっても、やっぱりマインツの凄さが目立った。私は今後、彼を基準にしてチェリストのパフォーマンスに接することになるだろう。それぐらい、イェンス・ペーター・マインツの演奏は、多くのものを私たちに与えてくれたのである。なお、マインツは秋のルツェルン祝祭管の団員として、再び来日するとのことだ。多分、彼はそのトップで弾いていることだろうが、それは無論、彼の欧州における特別な地位を象徴しているのである。

【プログラム】 2013年7月3日

1、シューベルト アルペッジョーネ・ソナタ
2、ヴァインベルク チェロ・ソナタ第2番 op.63
3、ブラームス チェロ・ソナタ第2番

 pf:津田 裕也

 於:トッパンホール

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