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2013年9月30日 (月)

ギゼラ・マシャエキ・ベア/ブルーノ・ワインマイスター/森美加 トリオ演奏会 ブラームス 弦楽六重奏曲第1番 ほか 9/19

【はじめに】

終演後、ピアニストの森美加が呼んだスピーチは、お詫びから始まった。我々はそれぞれ、ウィーンでの職務があるので、演奏会がおわれば、すぐに帰国しなければならない。この演奏会もほとんど内輪の紹介で広めていただくばかりで、たくさんの方にお世話になったが、それに対して十分に報いる時間もないので、この場を借りて感謝するという内容だった。なにを仰るのか。感謝しなければならないのは、私たちのほうだ。

ウィーン音楽大学の准教授で、本年3月に亡くなった高名なヴォルフガング・シュルツ氏の高弟でもあったフルーティスト、ギゼラ・マシャエキ・ベア(以下、ギゼラ)を中心に、彼女とは定期的にパートナシップを積んできた同音大の同僚で、伴奏専任講師を務めるピアニストの森美加、そして、かつてはドレスデン・シュターツカペレでソロ・チェリストを務めていたというブルーノ・ワインマイスターによるトリオ公演だ。プログラムは最初にハイドン(これのみがオリジナル編成)、中プロにファニー・メンデルスゾーンの作品(ピアノ三重奏曲の vn → fl)、メインとして、ブラームスの弦楽六重奏曲第2番(T.キルヒナー編曲のピアノ三重奏曲ヴァージョンから、さらに vn → fl)が配された。中プロとメインの編曲は、ギゼラ自身によるものだ。なかで、ブラームスについてはカメラータ・トウキョウから、この8月に同じメンバーで録音が発売されたばかりだ。

3曲のなかで、一際、強い印象を残したのはやはり、ブラームスである。この作品はオリジナルから、まず作曲者自身がピアノ用に編曲して、憧れのクララ・シューマンの誕生日に献呈。さらに、その生前に、シューマン夫妻やブラームスと親交のあったテオドール・キルヒナーがピアノ三重奏曲として編曲し、作曲家からの賛辞を得ている。このキルヒナーはメンデルスゾーンによって見出され、周囲も一目置く才能の持ち主であったものの、賭博にはまって借金をつくるなどバランスを欠いた人物で、それに見合う成功を収めることはできなかった。数少ない例外を除き、彼の作品は大抵、ピアノ独奏か、それを用いた室内楽作品で、ほかに、歌曲や合唱の分野にも作品を残した。今回、ギゼラはキルヒナーの編曲から、ヴァイオリン・パートをフルートに置き換えるスペシャル・エディションで演奏したが、そのことで作品は、より幻想的で華やかなものに変質した。

【トリオの特徴】

その詳細を述べる前に、3曲の演奏を通じて感じたトリオの特徴について述べたい。彼らはまず、室内楽のスペシャリストといって過言ではない。チェロのワインマイスターは歌劇場管の出身で、指揮者への転身をめざしているというが、同時に、室内楽や教育にもふかい感心を払っていたのは確実だ。ギゼラはエマニュエル・パユのようなマッチョな響きは出せないが、映像で事前に確認していたよりは、ずっと重みのある音を出していた。一方、それが見合う場面ではバロック・フルートのような音色も出し、ときには鳥の声をきれいに模倣するなどもして、多彩な表現手法をもっていることでは、誰にも負けるものではない。あまり突出した響きを出すことは少なく、3人ともそうだが、音色をあわせていくことに非常に大きな関心があるようだ。

元ボザール・トリオのメナヘム・プレスラーは正に、そのことが室内楽の究極的な味わいだと述べている。御大にとっては、相手がどれだけ経験の少ない後輩であろうと、彼が発する響きに敬意をもち、その音色と自分のもつものの良さをかけ算にしてあわせていくのが最高の表現だというのであろう。このような言葉を知ってからというもの、室内楽を聴くときには、私はそのアンサンブルのメンバーがどこまで丁寧に響きを重ね合わせているかに注目するし、また、必要なときには、それらが激しくぶつかり合うときのキズのふかさをみるようになった。オーケストラの演奏とはちがい、室内楽には一回きりの味わいがあり、いま、見事にできた演奏が、明日、必ずしも同じようにできるとは限らない。室内楽の奏者たちには、いわば、演劇的な柔軟性が求められるのであり、その自由さがどこまで耕されているかで、評価も決まってくる。

今回の3人についていえば、まず、ギゼラと伴奏の森は普段より音大でコンタクトの機会も多いだろうし、音色の選択や、強弱のレヴェル、アーティキュレーションなどを通じた表現のスタイルに高い連動性が明らかにみられる。また、ワインマイスターも歌劇場管の出身とは言いながら、室内楽には人並み以上の造詣を抱いている様子が窺われ、このブラームスのプロジェクトに合わせておこなったチェリスト変更も、想像以上の成果を上げたと言えそうだ。

このトリオの持ち味は無論、魅力的なギゼラの吹くフルートの音色が中心に置かれることによって、通常のヴァイオリン、チェロ、ピアノによる編成よりも華やかな印象を与える響きの配置に求められる。実際、3曲中2曲は、ギゼラが自分たちのために編曲したもので、女性らしい感覚で、宝石箱をひっくり返したようなブラームスの煌めく演奏は原曲からはなかなかイメージできないものだ。しかし、それと同時に、ウィーン的な・・・というのは、つまりは保守的で、分厚い伝統を真正面から受け止める「ウィーン気質」も、彼女はしっかり備えている。このトリオによる演奏が、本来の編成・・・とはいっても、キルヒナーがユーモアたっぷりに仕上げて、ブラームスを喜ばせたというそれからは、大分、かけ離れているように思えても、このアレンジも同様に、巨匠を素直に楽しませるであろうと想像させるぐらいには、深い洗練(リスペクト)を経ているのである。

【なにも書いていない白紙と2つの身上】

ギゼラの吹くフルートが備えている高い気品は、そのリスペクトを象徴するものでもある。例えば、彼女たち3人はいずれも、鳴らしすぎないということに価値観をもっている。この「タブラ・ラサ(なにも書いていない紙)」がなければ、すべての表現は成り立たない。穏やかな風景がつづくときは非常に多くの努力を払い、個の味わいが作品の場面に合わせて適切に輝くようにした、一方、強奏部では3人はできるだけ近くに歩み寄り、最終的にユニゾンのような効果を出して、作品を燃え上がらせるのである。前者の象徴的な場面は第1楽章の提示部のクライマックスで、チェロとピアノの断続的な問いかけに、フルートが鳥の声のような短い呼び交わしを連続して対応する場面である。この場面はフルートの多彩なアイディアが求められ、ギゼラは単に器楽的な見事さを追求するのではなく、鳥獣の野生的なイメージや、それとは親密なバロックの音色を適用することで、表現スペースを押し広げることに成功している。

こうした特徴を遺憾なく楽しませるために、繰り返しはきっちり踏んで、効果的に用いられているのがわかだろう。

終楽章では、上に述べた特徴のうち、歩み寄りの美意識が頂点に達した。3人は常に互いの位置を確認し、むしろ、フルートという異質の楽器が入ったことで、その同化は感動的な印象を与えることになった。しかし、ロンドー主題を重ねていくうちに、それらの関係はより高い次元に昇華していくことになるのだ。終盤は特に、フルートの技巧的なパッセージが力づよく輝き、ロッシーニのオペラのような興奮も感じさせる。フルートの高速タンギングは驚異的であり、正に、ギゼラによるスペシャリティというほかない。ロンドー形式というのは一体に、たかい高揚感をもたらす効果があるが、この場合、3人は根もとで、木の幹のように1つになっており、そうした技術的な顕示にも厭味がなく、その効果は傑出している。

【魅力的な第2楽章】

さて、魅力的なのは、アンコールでもリピートした第2楽章である。本編の演奏では、第1楽章の演奏で培った上品な味わいを生かして、繊細な響きを紡いで、ほんの数ヶ月前の録音よりも大人の仕上げになっている(アンコールではチェロが元気よく始めて、録音のクオリティに回帰した)。第2楽章は鍵盤用に編曲されて、クララ・シューマンの誕生日に献呈された作品であり、また、ルイ・マル監督の映画『恋人たち』(1959年)にも採用されたという(トリオのメンバーは誰もみていないそうだ)。MCによれば、映画のなかで、作品は恋人たちがボートに乗って消えていくロマンティックな場面で用いられたらしいというが、その感覚はどこか舟歌風の傾いた旋律や不安定に甘い音色から導かれたものであろうし、監督のきわめて鋭い音楽的センスを示すものだ。

今回の3人による演奏も、この緩徐楽章を源泉にして、イメージが広がったように思われる。第2楽章はキビキビとした音楽の運びを選びながら、きわめて情感ゆたかである。それと、技巧的な部分の対比から、第1楽章と終楽章が描かれ、特に後半2楽章は二重スケルッツォの様相を呈す。このような発想から感じ取れることは、ブラームスがまず、自由な発想を求めて青春時代を生きていたという事実だろう。

【その他】

前半の2曲にも一言ずつ触れるが、率直にいえば、この2曲はブラームスほど高い完成度には至っていない。ファニー・メンデルスゾーンの作品は魅力的だが、とても難しい作品ではなかろうか。序盤はピアノが優勢で、それがいつの間にか、弦中心(今回は、fl+vc)に変わっているのが不思議な印象を与える。リンクのような録音を聴くと、ピアノにもうすこし深い語りのセンスが必要なのであろうか。森にそのセンスがないわけではないが、このアンサンブル(ピアノはバイロイトやウィーンで、ピアノを弾きながら、見事な解説をしてくれるという著名なピアニスト)は、ファニーの作品に特別な思い入れをもって演奏しているので、その差が大きい。ハイドンのピアノ三重奏曲第29番 HobXV:15 は本来、今回のプログラムを最初に凝縮して提示するような効果がある作品だが、これに対しても、僅かな準備しか費やしていないのであろう。

前半は退屈ではないにしろ、なにかが物足りない演奏会であったが、後半のブラームスは文句のないブラヴィッシモな公演であった。多忙を縫っての3人の来日に、多大な賞賛を送りたいと思う。このような機会を逃しては、室内楽の愉しみはないのである。

【プログラム】 2013年9月19日

1、ハイドン ピアノ三重奏曲第29番 HobXV:15
2、F.メンデルスゾーン ピアノ三重奏曲 op.11
 (ギゼラによるフルート編曲版)
3、ブラームス 弦楽六重奏曲第1番 op.18
 (ギゼラによるフルート編曲版)

 於:東京文化会館(小ホール)

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コメント

またアリスさんの記事を興味深く拝見させていただきました。アリスさんのおっしゃりたい事は自分なりにはですが良く分かったような気が致しました。アリスさんの御本職はクラシックの演奏家でいらっしゃるのでしょうか。指揮とかも、おやりになっていらっしゃるのでしょうか。いずれにいたしましてもアリスさんの論評には何か深いものを感じます。どうも有難うございました。

重ねがさね、ありがとうございます。

ご本職は介護業です。私が仰るような音楽のインサイダーであれば、このようなことは書けないでしょう。逆に、アマチュアリズムの観点から書いています。ある種、鼻白むところのある方もおいででしょうが、私のこころの師は、芸術と名がつけば、何にでも口を出したジャン・コクトオです。

3ヵ月後の今になって初めて読ませていただきました。お褒め頂いてありがとうございます。もったいないお言葉を沢山頂き、又他の項目も、とても勉強になりました。今後とも更に精進いたします。どうかよろしくお願いいたします。

森さんたちのディスクを、友人に送りましたら好評をいただきました。お忙しいなか、来日してくださったことに敬意を表します。音楽の都での素晴らしい活動の成果を、今後とも、日本で披露してくださることを願っております。

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