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2013年10月28日 (月)

レオシュ・スワロフスキ ドヴォルザーク スターバト・マーテル 都響 with スロヴァキア・フィルハーモニー合唱団 10/23

【表現に深みのない指揮者】

今年は日本とチェコ&スロヴァキアの間で、オーケストラを通じて文化交流がおこなわれた。都響が小泉和裕の指揮でツアーを組み、チェコのプラハとオストラヴァの著名な音楽祭で演奏。さらに、スロヴァキアのコシツェにまわって、熱烈な支持を受けたという報告である。そのリターンが今回の、レオシュ・スワロフスキに率いられたスロヴァキア出身の歌手4人と、スロヴァキア・フィルハーモニー合唱団による仙台フィルと都響における公演となったのだろうか。演目はドヴォルザークの『スターバト・マーテル』が選ばれ、最初に仙台をまわっていることは偶然とはいえないだろう。

詳しくはエリシュカの公演の際に書いたとおりだが、ドヴォルザークはこの作品を仕上げるまでに、3人もの子どもを亡くしている。震災からまだ程ない2011年の4月末に、エリシュカは予定どおりに来日して、この演目に一際、こころを込めて演奏した。あのときと比べれば、スワロフスキの音楽はどうしても大雑把に聴こえるのは止むを得ないことだ。特に終曲などは、もう勢いばかりが目についていけなかった。あのとき、ベートーベンの「第九」に擬して考えることができた同じ作品とは思えないほどに単純で、バカバカしいアーメンの響きなのである。私はこうした音楽を、真にドヴォルザークらしいものとして認めることはできない。スワロフスキはしかし、ベートーベンよりはドヴォルザーク自身の9番、つまり、「新世界」のほうを採ったのであり、その意図はまったく滑稽とまでは言いきれないだろう。

大規模で、独特の癖のある作品を、あのレヴェルでまとめあげた手腕は、それは適切に評価すべきなのだと思う。だが、より高貴で手の込んだ作品として、この作品をイメージしていた私からすれば、やはり、スワロフスキの表現はいささか大味である。ほかとの比較を忘れたとしても、作品の価値が特別に輝くというほどには遠かった。もしも、あの素晴らしい合唱団の存在がなければ、指揮者に対して、私はもっと厳しく当たったにちがいない。

素晴らしいアイディアも、なかったわけではないのだ。例えば、第1曲ではじめてテノール独唱が登場するとき、直前までソリストを立たせないような指示はきわめて効果的だろう。出番の直前でぬっと立ち上がり、鋭くカット・インしてくるとき、私たちは死者が蘇ってくるような感覚を味わうことになるからだ。同様に、ソプラノ独唱の登場も衝撃的だった。第4曲のバス独唱と合唱の対話では、最初、女声パートだけを立たせておき、出番の遠い男声パートは座らせておいた。これによって、ヴィジュアル的にも、声の対応関係は非常にわかりやすい。

一方、第1曲の序奏部分はちょっと酷いというほかなかった。まず、全体的な姿勢としては、あまりにも劇的な効果を狙いすぎており、かえって、荘厳な雰囲気を損なっている。札響もいちばん最初の部分は決して安定的ではなかったが、弦が少しずつ厚みを増し、ゆったりした音色が固まってからは、より深い表現に移ることができた。なにより音色が素晴らしく、宗教曲らしいバロックの味わいもできるだけ追っていた。これに対して、都響の演奏にみられた問題は音色、レガート奏法、そして、派手なダイナミクスという3点に集約できる。音色はあまりに現代的で艶っぽく、ロングトーンはツーツーいって煩いうえに、下手に強弱を追って、つまらぬドラマの昂揚に拘泥するあまり、作品に自然と宿っている素朴な味わいを損なっているのであった。

それほど自己主張がつよくない分、一見、音楽そのものの味わいを損なうことは少ないようにもみえる。交通整理に徹し、演奏家たちのパフォーマンスに耳を傾けているうちは、無害な人物であろう。その点では、能力が高いともいえる。彼が一時期、アッバードのアシスタントをしていたというのは、大変に示唆的で、スワロフスキの音楽性はこの人とよく似ているのかもしれない。無論、そのように私がいう場合、褒め言葉ではないことに注意してほしいと思う。

【静謐な合唱の表現(もしくは表現を通り越したもの)】

この指揮者と比べれば、スロヴァキア・フィルハーモニー合唱団のデリカシーに満ちた表現は何だろうか。この合唱団について、私は勉強不足であった。伝統あるコーラスは、コシュラーフェレンチクといった中・東欧の名匠たちと録音を残し、近年でもNAXOSレーベルに多大な貢献をしてきたほか、ベルトラン・ド・ビリー&ウィーン放送響による肝煎り企画(ライヴ公演→Oehms Classics レーベル録音)に起用される(マーラーの交響曲第8番ほか)など、その素晴らしさを連綿と保っている。現代史を紐解けば、チェコ=スロヴァキアは2つに分かれ、それぞれの国で複雑な足跡を辿ったが、コーラスだけは荒れ果てることがなかったのであろうか。我らが新国立劇場合唱団について、私はこの国の誇りと思ってきたが、思わぬライヴァルが、こともあろうにスロヴァキアにいたというわけだ。多分、強奏での凝縮した一体感では負けていないが、弱い声で滔々と歌うときの凝縮力については向こうに一日の長があるかもしれない。

序盤、バッハにおける「リフキン説」のように、各パートに歌い手が1人しかいないようなサウンドの結晶に、まず耳を疑った。スワロフスキの音楽とは明らかにちがう静謐な表現であり、正確にいえば、「表現」を脱したものである。静かではあるが、声は確実に客席へ届いてきた。

「これはいい!」

目を丸くした私を、合唱団は次々に魅了していった。第1曲においては、これと対になるはずの強い表現は、まだ何らかの理由で弱々しかった。前半の彼らは弱奏に特徴があったが、次第に、強奏での逞しい声が主体になっていく。コーラスが日常、置かれている環境の問題(より親密で手ごろな空間であろう)と思ったが、この「交代」にも、何らかの意味を求めることが可能かもしれない。

スワロフスキがどこまで意図的にコントロールしていたかはわからないが、作品は途中から非常に明るい響きに変わっていく。第4曲では前述のように、スワロフスキはコーラスの男声側を座らせておき、やがてバス独唱にからんでいく女声側だけを起立させておく。バスが痛切なマイナー・コードを歌ったあと、オーケストラにはモーツァルト『レクイエム』とソックリなクラリネット主体の旋律が出て、それでも、なお悲痛な想いにあるバスを女声合唱が天使の声で生かす。ここは本来、児童合唱が歌うことになっているということを、作品に詳しい友人の Pilsner 氏に教わったことを思い出す。そのあたりから、音楽は徐々に天国のほうに向かっていくようになるのだ。この第4曲でも、2回目の女声合唱で完全に音楽が切り替わり、そこから、男声合唱が参加してくる。スロヴァキア・フィルハーモニー合唱団のギア・チェンジは、このあたりを境におこなわれた。

【オーケストラのアジャスト】

逆にいえば、それ以降の合唱はもう、指揮者の音楽になにかを付け加える存在ではなかったということだ。その秘密のひとつは、このあたりから、都響のメンバーが急速に合唱のクオリティに接近し、柔らかいパフォーマンスを出し始めたことに関係している。私からみれば、このなかで、指揮者だけが少しずつ乗り遅れていたように思うのだ。音楽が漸次、明朗に、軽くなってきているにもかかわらず、スワロフスキの要求は依然、重たいままだった。そのため、中盤以降、素晴らしく集中したパフォーマンスにもかかわらず、若干の退屈さが首をもたげてきたものである。特に、合唱がなく、独唱者だけが歌う部分には不満も多い。

4人の独唱者はいずれもスロヴァキア出身で、バイオグラフィによれば、ヴラティスラヴァやジリナ、コシツェで教育を受け、国内、もしくは、中・東欧を中心とする欧州全域で活躍している。全員がベルカントの基礎に基づいて歌っているが、その分、タフで肉厚なパフォーマンスをもつ人はいない。テノールのオトカール・クラインなどは合唱のなかから選ばれたソリストのようだ。キャリアなどから判断して、メゾ・ソプラノのモニカ・ファビアノヴァーを目玉としていたように思えるが、独特の悪声と引っ掛かるような発声を持ち味にしているのか、魔女役などにもってこないだろうが、宗教曲のアンサンブルには溶けない。唯一、ソプラノのエヴァ・ホルニャコヴァが私の気を惹くところがあったが、特筆すべきほどでもなかった。

ただし、第1曲から第2曲あたりで、4人が凝集して立ち、話すように歌う場面はなかなか示唆的である。ラテン語は基本的に書き言葉であり、宮中やアカデミー、教会などで儀礼的、典礼的に用いられるものと思ってきたので、スロヴァキアから合唱が来て歌うには勿体ない演目ではないかと思ってきたが、こうしたものを聴くと、同じラテン語でも国や地方によって特質がちがい、その響きがもつ特徴は微妙に異なっていることがわかる。このような宗教曲で、ドヴォルザークのつくる響きに載ってくると、そこにさらなる味わいが加わってくるのも当然である。

さて、都響は途中から、スワロフスキの要求よりも自分たちの室内楽的なアンサンブルに徹するような風もみられた。彼らとコーラスが、非常に美しい絆で結ばれたのである。特に、オーボエ、フルート、クラリネットのトライングルは一体感があり、広田智之を中心に、音楽の内面的な繊細さを印象づけた。弦もフレキシブルで柔らかく、時折、ぐっと押し出してくるヴィオラに存在感があってよい。定かでないが、トップには東京フィルの須田祥子首席が入っていたのではなかろうか。全体として、第1楽章序奏でみせたような欲深い表現は次第に削られ、主に合唱から感じ取られた深い気づきが、最近の楽団の好調を物語るようだ。

【具体的な批判】

スワロフスキの指揮について、私が特に批判的なのは前述の第1曲序奏部分に加え、第6曲と終曲におけるパフォーマンスが低調だったせいである。第6曲は途中まであやしいバランスを保っていたが、最後、「私もあなたとともに/十字架のもとに立ち、自ら進んで/あなたの嘆き悲しみに交わります」(公演プログラム記載:三ヶ尻正/訳)の感動的な文句とともに、スラヴの宗教曲らしい雄渾な旋律が流れるところで、その矛盾が一気に噴き出してしまい、致命的な薄いアンサンブルになってしまった。無伴奏部分における合唱の素晴らしさは筆舌に尽くしがたかっただけに、私もコケてしまった。終曲は表現が一本調子で多様性に欠け、エリシュカならば、あれほど豊富に示すことができた音楽が、すこしも立体化してこなかったのである。

一方で、スワロフスキがその代わりに示そうとしたのは、前にも書いたが、同じ作曲家の「新世界」交響曲に出てくるような性質の情感的なものと、単純で明晰な響きの効果である。スワロフスキはそのために、「新世界」に出てくる郷愁の旋律によく似た素材を見つけ、巧みに印象づけてもいる。確かに、後世のドヴォルザークは、そこで用いられた信仰心に基づく美しい響きを、チェコの自然と結びつけて忘れられない象徴に仕上げた。だが、私たちはもう、そのようなものに騙されはしない。この指揮者のやったことは、ある人の言葉を借りれば、一流のコニャックを、二流のウィスキーとして飲ませるような世界をつくることに等しいのである。いまではどちらも高級酒のイメージだが、ウィスキーは元来、コニャックの原料である葡萄が駄目になったとき、代替品として穀物によってつくられたものだという。さて、歌詞がおわったあとの後奏も、エリシュカがやったように、とても深い意味のあるものとは思えないものになってしまった。終演後の間は、それだけに虚しいものである。

もしもスワロフスキが今回、終曲で示したようなアンサンブルの迫力を、作曲家の個性に相応しい形で表現したいと思うのだったら、中盤で、もっとドヴォルザークらしい明るい表情を意図的に生かしきるということを徹底せねばならなかったであろう。その努力が十分でなく、彼はドヴォルザークの個性的な宗教曲を、多くのドイツ的な宗教曲となんら択ぶところのないものにしてしまったようである。しかしながら、素晴らしいコーラスと、それを見習った繊細な感覚をもつオーケストラが、彼のことを英雄にしてくれたのだ。そうはいっても、先日、聴いたノリントンのブリテンもそうだが、何はともあれ、曲がよかった。ハレルヤ!

【プログラム】 2013年10月23日

1、ドヴォルザーク スターバト・マーテル

 S:エヴァ・ホルニャコヴァ
 Ms:モニカ・ファビアノヴァ
 T:オトカール・クライン
 Bs:ヨゼフ・ベンツィ

 chor:スロヴァキア・フィルハーモニー合唱団 
 (dir:ブランカ・ユハニャーコヴァ)

 コンサートマスター:山本 友重

 於:東京文化会館

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