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2013年12月31日 (火)

マーク・スキャッタデイ フサ プラハのための音楽 1968 国立音楽大学シンフォニック・ウインド・アンサンブル 42nd定期 12/15

【吹奏楽文化】

国立音楽大学のシンフォニック・ウインド・アンサンブルは初めて聴いたが、全体的に驚くほど、レヴェルが高かった。日本のクラシック音楽はオペラ、オーケストラ、吹奏楽、合唱が細分化されて存在し、プレイヤーも、愛好家も別々に存在するような印象を受ける。吹奏楽はそのなかでも特異な領域をもち、まず、若年層の小・中学校、高校における教育文化活動として幅広い裾野をもち、その延長線上には、より広範な社会的受け口が用意されている。日本の吹奏楽団で四大勢力といえるのは、大正時代の陸軍軍楽隊に起源をもち、戦後は大阪市が直営で所有してきた大阪市音楽団(橋本市政で、市から切り離されることが決定的)。宗教組織を母体にもつ東京佼成ウインド・オーケストラ。民営では、ほぼ唯一の成功例であるシエナ・ウインド・オーケストラ。そして、警察や消防、自衛隊に所属して、公的な目的をもつ音楽隊である。

吹奏楽はこのほか、ポップスやジャズなどの娯楽音楽での需要もあり、音楽分野では比較的、つぶしの効くカテゴリーといえる。国立音大の学科構成をみても、リトミックなどを含めた幼児・学童教育のほか、吹奏楽が社会のなかで受け皿のある分野として重視されているのは自然なことであろう。大学のなかで、かなり傑出した才能の持ち主であっても、オーケストラで身を立てるのは難しいと思うが、採用試験を通って自衛隊や警察の音楽隊に入れれば、それまでの音楽活動をつづけながら、かなり安定した生活設計が可能である。

入口が広く、コンクールのようなシステムが充実していて、ほかの音楽分野と比べて、吹奏楽は若干、社会的需要が高い。書き手の側からみても、このような市場規模は見逃せないもので、コンクール課題曲になり、知名度を高めることができれば、商業的には豊富な価値がある。また、吹奏楽の場合は必ずしも、専用の響きの良いホールを必要とせず、外部とのコミュニケーションが図りやすいのも特徴である。元来、軍楽隊としての役割がつよいことから、レパートリーは人間の感情を浮き立たせたりしやすいものが多く、親しみやすくて、響きも派手で華やかだ。

書き手としても、際立った「新しさ」に拘泥することなく、比較的、好きなものが書きやすい事情がある。作曲コンペティションでは、フル・オーケストラにおいて求められるのと同じような新味も重視されるが、こうした基準は、必ずしも吹奏楽オリジナルの長所を高めるものではなく、形式的な感じがする。実際、コンクールで課題曲になるようなものは、より折衷的な色合いをしているはずだ。こうした事情は、コーラスの分野にも似たようなところがあるだろう。例えば、合唱曲にみる新実徳英と、室内楽やオーケストラ作品を書く新実とでは、とても同じ人物とは思えないほどだ。武満でさえ、そのような弊は避けられなかったわけだが、より凡庸な作曲家にしてみたら、こうした齟齬はむしろ好都合だろう。

以上、分析してみたような見方からすれば、この日の指揮者、米国イーストマン音楽院の吹奏楽部門の重鎮、マーク・スキャッタデイのプログラミングは異色のものであるとわかるだろう。確かに、吹奏楽のわかりやすい長所も
踏まえられてはいるが、より深く時代を抉り、固定的なイメージよりも、ゆたかなヴィジョンを示すことに成功している。こうした要素を通して、「吹奏楽文化」の日米比較をしてみるのも面白い。

【プラハのための音楽】

特に、メインに据えられたカレル・フサの『プラハのための音楽 1968』は吹奏楽と、よりシーリアスに分類される音楽分野とが、まだ全然、分かれないうちに作曲された名品である。フサは1921年、プラハ生まれで、現在も存命の作曲家である(ニューヨーク在住)。特に吹奏楽の分野で注目されるが、師匠であるオネゲルやN.ブーランジェのストリームを明確に引いた個性的な味わいは、その分野に限定されるものではない。同じプラハ生まれで、名前も似ているので混同しやすいフチーク(ユリウス・フチーク)とは若干、趣が異なっているのだ。

フサはWWⅡの難局を乗り越えたあと、戦争はおわったはずの1948年にチェコから米国に亡命した。民主化を経たいまも、90代のフサは米国在住のままだ。よって、フサの専門家は多分、チェコよりも米国に多く、このスキャッタデイはその権威のひとりと目されているように思われる。実際、この『プラハのための音楽 1968』の演奏でも見事な見解を示していた。第1楽章冒頭部の神秘的な静けさに始まり、チェコの風土を思わせるゆたかな響き。それがケバケバシイ音楽に包まれ、また別の沈黙に追い込まれていく第3楽章。柔らかい小太鼓の響きから、硬質な民族の叫びに音楽が変わっていくこの楽章から、ものすごいタイミングで音楽が切り替わり、有名なフス派のコラールが呼び交わす終楽章。

とりわけ、私の気を惹いたのは第3楽章冒頭の小太鼓の柔らかい響きだ。バチがまるで鞭のようにしなる響きを聴かせ、多様な感情を内包しているのが面白い。初めから軍隊の響きではなく、過剰に神秘的でもなく、この音楽のご本尊が、あらゆる形で姿を垣間見せるからだ。ほぼパーカッションのみで室内楽の味わいを示し、攻撃的というよりは、静的なドラム・ロールを強烈に打ち切って、終楽章のテーマが飛び込んでくるシーンは、それだけで一万言に勝るであろう。それにつづく音楽は、対位法をもじりながら、徐々に「秘密」へ迫っていく過程が創意に溢れて面白い演奏だ。和声やその構造、響きの運び方では、歌劇『ピーター・グライムズ』にその頂点を示すブリテンなどの影響もみられる。これは最初の、クリフトン・ウィリアムズでも同じことを感じた。

最後の楽章には、フサの怒りが2つにわかれて登場する。つまり、スメタナが『わが祖国』に引用するなどして、高名なフス派のコラールが、複層的な意味で用いられるからだ。この作品は、1968年のソ連によるプラハ侵攻を契機に、米国のイサカ大学からの委嘱に応えて書かれたものであるのは周知のとおりである。この侵攻の役割を果たしたのは、正確にはソ連軍を中心とする「ワルシャワ条約機構軍」で、当然、そのなかには、ポーランド、ブルガリア、ハンガリーなど、東欧スラヴ民族の国家も含まれていた。一口に「スラヴ民族」といっても、チェコ人とマジャール人では水と油だろうが、いずれにしても、チェコはソ連だけではない、東欧共産圏指導者とその指導下の複数の軍隊が参加した集団リンチに曝されたのであった。フサはこの状況を鋭く感じて、敵味方の歌う同じコラールをそれぞれ独特な意味で配置したのである。

スキャッタデイがこの肝心のモティーフを、どれだけ真剣に考えていたかはよくわからない。終楽章の後半はおよそ単純なワン・メッセージで構成されており、作品のもつゆたかなメッセージからすれば、いささか疑問の残る演奏姿勢である。しかしながら、彼は学生たちが遺憾なく、すべてをぶつけられるように細かく配慮していたのはよくわかるのだ。そのために、複雑で難しいコントラストのつく演奏ではなく、単純で竹を割ったような解釈を選んだということも考えられなくはない。

【C.ウィリアムズ、ヒンデミット】

さて、演奏会はこのフサを中心に、幅広く近・現代の音楽を俯瞰するような内容になっていた。先にフサについて述べたブリテンの影響ということでいえば、最初のクリフトン・ウィリアムズにもその傾向はみられた。C.ウィリアムズは1923年、米国アーカンソー州生まれのホルン奏者で、オーケストラや軍のなかで吹きながら作曲も手掛けたという。ブリテンの音楽は必ずしも前衛的なものではなく、音楽史的に高く評価されることは少ないが、特にオペラにおける尖鋭で、独特の劇的効果をもつ音響は思ったよりも幅広い支持を集めていそうだ。今回の演奏会ではブリテンに代表されるように、絵に描いたような「前衛」に位置することは拒みながらも、自分なりに新奇なフィールドを追った作曲家たちの作品が周到に用意されている。

その一番手として名前が挙がるのはブリテンを除けば、なんといっても、パウル・ヒンデミットということになるであろう。吹奏楽のレパートリーとしては、変ロ調の交響曲が重要なものとされている。1950年から翌年にかけて書かれた作品は、ヒンデミットとしては晦渋な作品が多く書かれた時期であり、決して居心地の良い作品ではない。学生たちの共感も必ずしも十分ではなかったし、また、多くの学生をなるべく均等に出演させる配慮からいっても、この作品におけるメンバー構成はベストではなかったかもしれない。

このヒンデミットを最左翼に、フサの単純明快な結末を最右翼に置いておわるのが、スキャッタデイの構想であったろう。先のC.ウィリアムズは、スキャッタデイからみれば、イーストマン音楽院の大先輩で、彼より以前の同音楽院吹奏楽アンサンブルの指導者たちに指導も受けた作曲家である。『ファンファーレとアレグロ』は今回、演奏された演目のなかでは、もっとも吹奏楽らしい良さを端的に示す作品であろう。ウインド・アンサンブルのメンバーはその上に重なる時代的なメッセージを巧みに付け足しながら、美しい演奏に仕上げた。それはブリテンのほか、ショスタコーヴィチなども連想させる音響の特徴をよく描きだしているからである。

作品はいかにも壮大なファンファーレにつづき、アレグロ部分は3つか4つの部分に分かれている。それは各々、ショスタコーヴィチ、ヒンデミット、ブリテンへのオマージュとも聴こえる感じである。非常に明解な対位法的展開が聴かれる部分は、多分、ヒンデミットに従属するものとみてよい。

【名技性と伝統語法】

2曲目、真島俊夫のマリンバと吹奏楽のための協奏曲「睡蓮の花」も、素直に吹奏楽的な良さを追った作品である。作品はフランク以来の循環形式で書かれているというから、それにしたがって聴いていこうとするが、実際、いちど耳にした感じでは、第2楽章を構成する、ほんのり和風で神秘的に暗く光って、底なしの哀感をもつ(仏教的)主題が圧倒的に印象的となった。終楽章でも、確かに循環的に主題が蘇ってくるなか、最後に異様な重さで、この第2楽章の主題が位置を占めると、作品は途端に悲劇的な様相を呈するのである。一口に「悲劇」といっても、それはどこかメルヒェンティックなものであり、殺伐とした感情が惹起されるようなものではない。例えば、「鶴女房」の正体見たりという感じである。

演奏時間としては多分、頭でっかちなスタイルであり、序盤はクラスタリングが鮮やかで、名技性も十分に楽しめた。独奏楽器としてのマリンバは、非常に魅力的なものだ。その機動性はピアノにちかく、広範に及び、音色の深さは打楽器と弦楽器の良さを巧みに抽出している。演奏者は、塚越慎子(のりこ)。マリンバ奏者というと、安倍圭子や池上英樹などが有名であるが、塚越はより芳醇な音色をもち、特に弱音の響きの美しさは比類ない。彼女のもつ高度な技能と、音色のゆたかさは、ラフマニノフを規範としたような第1楽章の洗練された書法に鮮やかな光を添え、第2楽章では、そこに書かれた以上の深い感情を引き出して、作品を見事なものと印象づけた。

聴いていて、第1楽章ではラフマニノフ、第2楽章ではドビュッシー、第3楽章ではプロコフィエフとラフマニノフのイメージが容易に浮かび上がったように、響きの連なりなどをつぶさに追っていくと、真島がこの作品をピアノの鍵盤上で、もしくは、その発想上で書きあげたことは疑うべくもない。彼が示したのはピアノという楽器の性能の良さ(この場合、それはマリンバに置換されている)を、万全に引き出したラフマニノフの名技性が時代のひとつの特徴となっていることであり、一方、それと対置される伝統語法のもつ深い悲哀である。

塚越はまだ若い奏者であるが、これらの両方を高いレヴェルで体現したといえる。この日、2番目の収穫にして、最高の喜びは、彼女を「見つける」ことができたことにあった。なお、彼女は国立音大を卒業し、現在はソロ活動のほか、洗足音大での指導にもあたっている。

【まとめ】

前半3曲に対し、後半の2曲はスキャッタデイのスペシャリティともいえる。ロベルト・シエッラのシンフォニア第3番「ラ・サルサ」から〈トゥンバオ〉の吹奏楽編曲版は、6分ばかりのショー・ピースだが、中米の4つの踊りをモティーフとした作品から第1楽章、シエッラの母国=プエルト・リコの舞曲だけを取り出したものになっている。若干、バーンスタインの影響も感じられる、中米産の明るい舞曲は何も考える必要のない自然な音楽であった。明るくリラックした雰囲気に、カリブの陽光輝く民族的モティーフを入れた作品は、これはこれで、吹奏楽の新しい魅力を探ったものといえるのであろう。バレエ公演で耳にしたペンギン・カフェの、サイモン・ジェフズの音楽なども思い出される。

このように、多彩な視点から吹奏楽の現在位置座標を探る試みは、いかにも教育者らしい周到な知性を感じさせる。彼の指揮自体は、特に燦然と目を惹くものではないが、人柄の良さ、教育者としてのつよい信念が、学生たちを力づよく鼓舞しているのはわかる。そのなかでも、やはり、フサに関しては、堂々たるプレゼンテーションを示した。この曲は近年、日本でも下野竜也が舞台にかけるなどした結果、まったく知られていない秘曲ではなくなったが、まだまだ、フサの示す可能性の大部分は隠れたままである。そういう意味でも、ここで聴けたのは幸運なことだったと思う。

終演後は舞台裏から、派手な騒ぎの声が聴こえた。本番のプレッシャーから解放され、良い演奏を称賛しあう学生たちの姿が目にみえるようだった。彼らの将来に、幸多きことを祈りたい。

【プログラム】 2013年12月15日

1、C.ウィリアムズ ファンファーレとアレグロ
2、真島俊夫 マリンバと吹奏楽ための協奏曲「睡蓮の花」
 (マリンバ:塚越 慎子)
3、ヒンデミット 交響曲変ロ調
4、シエッラ/スキャッタデイ編 トゥンバオ~シンフォニア第3番「ラ・サルサ」
5、フサ プラハのための音楽 1968

 於:国立音楽大学講堂大ホール

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