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2014年2月17日 (月)

岡山バッハカンタータ協会&岡山フィル バッハ『ヨハネ受難曲』 特別演奏会 @東京公演 2/11

【バッハの書いた意図に忠実な公演】

近年になって、古楽アンサンブルや声楽家のレヴェル向上と、質的な多彩化は著しく、バロック・オペラや宗教曲などの表現に多大な進化をもたらしていることは間違いない。日本の状況とはいささか異なり、従来のレパートリーが徐々にクローゼットに仕舞われ、これまで見向きもされなかった古い時代や同時代の作品がオモテの舞踏場を彩ることが求められるようになった結果、そのスペシャリストが一定の役割を得たことは、その原因のひとつだろうし、古楽ならレザール・フロリッサンや18世紀オーケストラ、イングリッシュ・コンサート、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスなど、現代音楽ならアンサンブル・アンテルコンタンポランやアンサンブル・モデルンといったような主導的団体から、派生して独立した人材がまた一山を構え、世の中に価値を問うという好循環が生まれたことも大きいかもしれない。

いずれにしても、これらのリソースの活用によって、私たちはより大きな表現の可能性を発掘し、その喜びを容易に享受することができるようになった。スペシャリストだけに、その表現技法も卓越しており、一部の天才的な音楽家たちだけが道を切り開いていく時代はおわったといえる。私はそうした表現を好んできたが、同時に、それ以前の大らかな表現を頑固に突き詰めている集団をみると、それはまたそれで、別個の魅力を感じることがある。岡山バッハカンタータ協会と岡山フィルによる『ヨハネ受難曲』特別演奏会の東京公演は、そうした成功の顕著なもののように思えるのだ。彼らが、技能的に優れていないのではない。例えば、「岡山フィル」には東京の古楽アンサンブルなどにも参加するお馴染みのメンバーが多数、臨時的に参加しており、その点では何の申し分もない巧者である。

また、エヴァンゲリストには世界的なベテラン歌手、クリストフ・プレガルディエンが参加した。数年後には還暦を迎える声楽家は、お世辞にもトップ・フォームにあるとはいえないけれども、それでも、彼のパフォーマンスは熱心な声楽ファンをして、垂涎のものであったのは疑いない。前回、私がこの曲を生で聴いたのは2008年のエイジ・オヴ・エンライトゥメント・オーケストラ(OAE)の来日公演であり、エヴェンゲリストはマーク・パドモア、そのほか、声楽の人数を絞って少数精鋭で圧倒的な成功を収めた公演であった。キャリアの絶頂にあったパドモアと比べれば、プレガルディエンの歌唱はいかにも、疲れている。しかし、意外なことに、私はプレガルディエンのパフォーマンスがより素晴らしいと感じたのだ。

その理由は、バッハが書いたことの理由がより明確であるということに尽きる。つまり、パドモアらの歌唱はあまりにも巧みすぎて、例えば、作曲者が折角、並外れた高音を書いたとしても、それを歌うことの無理が十分には伝わらない。恐らく、当時の歌い手はバッハの書いたものを歌うには、相当な困難を感じたであろうと思うし、それが前提されなければ、彼のめざした本当の表現意図がみえないのである。下手なのがよいというつもりはないし、無論、プレガルディエンもまた十分な巧者であるのは間違いないが、その表現はギリギリ一杯のものであった。そうであればこそ、バッハがどのような音を書き、それが作品のなかで、いかなる意味をもつのかはわかりやすい。プレガルディエンに限らず、今回の公演は、そうした意味を随所に感じさせることで、私に大きなインスピレイションを与えてくれたのである。

OAEの公演では、バッハの受難曲であっても、ナンバー・オペラのような細部の興趣が際立っていた。重要なアリアでは、そのパートにつくオブリガートの奏者が天使のように付き添って印象を強め、ペテロの悔恨だの、イエスの死を多様な情感で彩ってくれたものである。今回の公演では、そのような工夫は敢えて採らずに、若干、歌い手や器楽奏者の技能が劣ることもあり、個々の部分から来る感動は思ったよりも小さいものにはちがいなかった。しかし、だからといって、表現に退屈するようなことはなく、Ⅱ部間に休憩を挟まない公演形態を選んでも、客席にはピンと張りつめた緊張がずっと続いた。

【素朴でひとつの球体のような公演】

休憩を入れなかったことには、多分、この日中に岡山へ戻らなければならない団員もあったであろうことが予想され、現実的な配慮もあったのではないかと推測するが、それ以上に、作品表現上の必然性のほうが強く感じられたのは偶然ではあるまい。彼らは40曲をなるべく細切れにせず、ひとつの球体のように演奏したかったのだ。中には、そのナンバーを称賛するために拍手したくなる見事な歌唱もあったけれど、歌い手はただ、次につなぐことばかりを考えていた。象徴的なのはバスの萩原潤がある場面で、自分が直前の出番を終えたあと、そのあとにつづくコラールで声こそ出さないものの、口を開いて言葉を唱えるような仕種をしていたことだ。萩原がどの程度の信仰心に基づき、このような歌唱をおこなっているのかはわからないが、あそこには少なくとも、彼の歌い手としての良心が見事に表れていて、私をその歌に込められた優しい意図とともに感動させた一場面である。

多かれ少なかれ、歌い手も、楽器のプレイヤーも、そのような良心に基づいて表現に就いていたのは明らかであった。また、声の配置をみれば、彼らがそのような良心を発揮しやすい的確なポジションに置かれていたことも重要だとわかる。明らかにイタリア的な明るい発声を得意とする、吉田浩之のような個性的な歌い手の起用は部分的に違和感を与えることもあったが、しかし、イタリアの田舎くさい表現は、この日の作品表現のなかで意外に顕著な特徴である。典型的には終曲のコラールが今回の演奏では、シチリアの田舎の民謡を思わせるような明るさとのんびりした雰囲気を湛えており、直前の安息を願う合唱と対応的にみられることが思い当たる。バッハはここで「シチリア」という鏡を使って、ドイツの田舎を巧みに連想させるという面白い工夫をみせているのだろうか。

岡山のアンサンブルによる『ヨハネ受難曲』の良さは、なんといっても素朴で、飾り気のない表現ということに尽きる。無論、私は岡山という地方都市に対する偏見から、地方=素朴と発想しているわけではない。そうした点でいえば、岡山は十分に開発の行き届いた大都市であろうと思う。ちなみに、指揮を執ったハンスイェルク・シェレンベルガーもベルリン・フィルの首席オーボエ奏者で長く活躍し、コンテンポラリーにも精通したイメージが強く、「素朴」とは程遠い洗練のイメージであるが、演奏内容は敢えて「純朴」といってもよいほどのものだった。

歌手の配置に戻れば、イエス=クリスト役の三原剛をもっとも重い声質で固定し、唯一、アルトがこれに伍することができるような分厚い声質をもつ福原寿美枝でセレクトされ、ほかのエヴァンゲリスト、ソプラノ、バス、テノール役はいずれも透明な、抜けの良い声質の歌手で統一しているのは、このような素朴さを具体的にカタチとして示すものでもある。高名なプレガルディエンは事実上の主役であるエヴァンゲリストでも、一歩引き、こうした構図を生かしきることに賭けていた。彼の姿勢がどれだけ作品全体の見通しを良いものにしたかということについて、改めて強調しておきたいと思う。一方、彼が印象的な表現を採るときは、特に信仰的な価値が高い場合、例えば、ペテロの否認を語るような場面である。

【個性をぶつけることの重み】

ここで面白いのは、つづくテノールのアリアでの吉田の歌唱だ。多くの場合、ここではシャープな伴奏のマイナーに乗って、ペテロの悔恨が感情ゆたかに歌われるものであり、吉田の場合は、また、それが得意なはずである。ところが、実際にはキレの良いフォルムを捨て、不器用なまでに感情をぶつけた表現を採ったのだ。いかにも野暮な表現のはずが、おわってみれば、この素朴さが貴重に思われてくる。洗練され、美しいフォームは実際のところ、あまり必要ない。それよりも、歌い手が持ち味を真正面からぶつけて、言葉に挑んだときに、作品本来の言葉の魅力、それに付随する音楽の協和、そして、物語のもつポエジーが力を発揮するのだ。これは非常に、貴重な発見である。

いま、世界の潮流はピリオド研究に基づいた精確性、それを体現する美しくピュアな表現ばかりが美徳と捉えられる流れのなかにあるが、バッハの音楽はもとより、ゴツゴツしたものだ。協和音/不協和音ということでいえば、不協和な響きのほうが印象的に用いられていて、反対に協和的な響き、あまりにも整然とした対位法的表現の使用は皮肉な意図で使われることが多い。例えば、兵隊たちがイエスに罪人の姿をさせ、皮肉を込めて「ユダヤの王様、万歳!」と歌うときのようにである。技能的洗練が悪いわけではないが、それが行き過ぎると大事なものが失われる。現在、世界中のオーケストラがそういう病に苦しんでいるのではなかろうか!

岡山フィルに若干の不満があるとするなら、彼らも同様に、美しき病のなかで、貴重な音楽的才能を費やしているメンバーを中心に構成されているからである。その点でいうと、岡山バッハカンタータ協会の表現は対照的に自由奔放だ。熟成的な表現の熟達はみせながらも、型に嵌まった表現ではないからだ。彼らは言葉というものを第一に置き、合唱指揮の佐々木正利氏の厳しい薫陶によって、信じられないほど多彩な自由を手にしてきたようだ。彼らがプレガルディエン氏と結びつくのは、至極、当然のことであるし、言葉の透明さは、彼のような歌い手を模範にしてきたものだろう。

【もっとも感動的な場面】

全体を通して、もっとも感動的な場面を2つ挙げれば、その第一はバス独唱に応え、ゴルゴダに集っていくときの歌唱 ’Wohin?’ である。言葉自体が全体のなかでも、象徴的なものであることに加え、独唱との対応で互いに深くかみあうような表現が、この場面になんとも言えない緊張感、そこで、自分自身が丘をめざして歩いているような共感覚を生じさせるのである。もうひとつは終曲の合唱とコラールで、特に、「おやすみなさい」の優しさに私は惹かれた。合唱はときに邪悪な意図を歌い、信仰の真実を歌いもするが、全体的にはいかにもジェントルで、柔和な表情が特色である。繰り返しになるが、彼らの歌唱は言葉が丹念に描かれ、技能的に十分な洗練を経ていながらも、なおかつ、作品表現に是非とも必要とされる素朴な印象を失っていない点が特筆に値する。

このように細かな積み重ねが、イエスが亡くなったとき、自然にとられる祈りの間をゆたかに演出したりして、演奏は音楽的である以上に、演奏者と聴き手のこころをダイレクトに結びつけ、作品世界へ真摯に向き合わせるようなものになった。

こうした空間のなかでは、人々が比較的、等価に扱われることも重要だ。バッハの受難曲は、役柄の善悪がきれいに分かれているが、マタイ受難曲と比べると、ヨハネ受難曲は悪人に対して、やや穏健な姿勢をとる。したがって、マタイでは主役の一人として登場し、イエスを裏切るだけではなく、ユダヤ教のラビと金銭のやりとりをしたりするユダは登場しないし、総督ピラトを操る功利的な細君も出てこない。ピラトは恐れから、面倒に関わりたくないだけとはいえ、イエスにかなり同情的な姿勢をとっている。こうした作品構造を真の意味で実現するためには、あとからみた聖書の世界ではなく、いま、ここで起こっているかのような聖書の世界が、目の前に広がる必要がある。それを見事に実現したことは、彼らが今回の公演で「成し遂げた」ことのうち、最大の成果というべきかもしれない。

【まとめ】

ところで、シェレンベルガーの指揮は、首都圏では決して評判の良いものではない。N響などに登場しているが、人々の印象は相変わらず、「元ベルリン・フィル首席オーボエ奏者」のままであり、指揮者としての高い適性をいう声は僅かなものだ。しかし、私はこれが初めてであるが、指揮者としても十分に優れているのを確認した。見るからに天才的だとは言えないにしても、作品がどのようなものであるかを簡潔に伝え、イメージを共有させる点で、彼が果たした大きな役割は否定のしようがない。ダイナミズムの強調などは頻繁に行わず、ピン・ポイントで効果を高める手法を採っている。そして、小編成だが、そこから取り出した響きは意外なほどに鮮やかで、臨時編成にちかいオーケストラでも、鮮やかにコントロールしていたのである。

きっと、首都圏のオーケストラでは、ここまで素直には、シェレンベルガーの意図に応えることができなかったのではなかろうか。合唱も、オーケストラも、この真摯な音楽家を模範にしてまとまっている。岡山フィルに、首席指揮者=シェレンベルガー就任と聞いたときには、正直、違和感満載のニュースだったが、こうして目の前の現実として現れたときには、この驚くべき人事がきわめて的確だった事実に驚かざるを得なかった。彼に加え、プレガルディエンという2人の模範的な音楽家が、この公演を数段上へと引き上げてくれたことは疑いもないだろう。

はるばる岡山から、ようこそ東京へ。そして、ありがとう。1年のなかでも、印象ぶかい公演になりそうだ。

【プログラム】 2014年2月11日

1、バッハ ヨハネ受難曲

 エヴァンゲリスト T:クリストフ・プレガルディエン 

 イエス Br:三原 剛

 S:秦 茂子 A:福原 寿美枝 T:吉田 浩之

 ピラト、聖ペテロ Bs:萩原 潤

 chor:岡山バッハカンタータ協会
 (cond:佐々木 正利)

 コンサートマスター(客演):長原 幸太

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