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2014年4月21日 (月)

エリシュカ チャイコフスキー 交響曲第6番 ほか 札響 568th定期  4/12

【第3期へ】

ラドミル・エリシュカの日本での活動も、いよいよ第Ⅲ期に入った。最初は自らの価値を証明し、ハッキリとさせるところ(第Ⅰ期)から始まり、札響でのドヴォルザーク・ツィクルスを中心として、日本全体に名声を行きわたらせた第Ⅱ期につづいては、いわゆる「お国もの」に限らず、指揮者としての傑出した能力を示す第Ⅲ期が当然のように、札幌で幕を開けた。その壮麗な序曲は、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」である。社会主義時代に東側で積み上げた経験から、ゴリゴリ鍛え上げられたストイックな演奏が期待できたが、初日の演奏を終えて聞こえてくる評判は、私の想像をはるかに超えるものでビックリした。一体、どんな魔法を使ったのか、想像がつかなかったものである。

4月12日、私はいよいよ札幌へやってくる。フライト代を抑えながらも、なるべくよい体調で聴くため、多少、コストを払った。前々回からは立体性が高く感じられる1階席のほうが気に入ってきたが、今回、陣取ったのは2列目で、かなり中央にちかい場所だ。この位置にいて、全体のバランスを失わずに聴くことができるのは、KITARAというホールの素晴らしさあってのことだろう。

【ベルリオーズ、ヴォジーシェク】

プログラムは、よく工夫されている。まず、メインのチャイコフスキーの交響曲第6番が、ベルリオーズの幻想交響曲とよく似ている点が重要だろう。例えば、第1楽章のクラリネットの不安定な旋律、それにティンパニの絡みなどが、音楽的素材としてはきれいに重なり合う。現実から死、そして、サバトの幻想的場面という展開が、チャイコフスキーの交響曲と重なっているという問題については、あとでじっくりと指摘したい。そもそも、ロシアのクラシック音楽に重要な影響を与えた作曲家のひとりとして、ベルリオーズは重要な作曲家だと思う。例えば、ベルリオーズが自作品発表のため、1868年にモスクワを訪れた際には、チャイコフスキー自身が歓待したという話もあるぐらいだ。

だが、冒頭プログラムでは、同じ作曲家とはいえ、幻想交響曲とはまったく別の雰囲気のものを選び、エリシュカがスペシャリティをもつヴォジーシェクと合わせているのが、またひとひねりのある発想といえる。序曲『ローマの謝肉祭』で、エリシュカはとても柔らかい響きと、のんびりと、肩の凝らない響きを要求した。後半はイタリア独特のサルタレッロのリズムが鍵となるが、テンポやアーティキュレーションに過度な特色をつけることなく、それと感じさせるテクニックが気を惹いた。老翁の身体にはそれが完璧に染みついているようで、若いころ、イタリアへヴァカンスに出かけた思い出・・・なんてものを想像せずにはいられなかったものである。スラヴものに限らず、彼の舞曲の表現は美しく、キャラクターがハッキリ出るが、今回もその特徴が顕著に出ていたのは驚きであった。

2曲目のヴォジーシェクが始まって、私は一瞬、このプログラミングが「失敗かな」と思った。なぜなら、私が予習してきたドナルド・ゾルマン指揮の録音をはじめ、3つのものではいずれもベートーベン寄りの解釈がつよく、ザクザクした響きが活き活きと奏でられていたせいである。しかし、そうではなく、「モーツァルトだ・・・モーツァルトなんだ!」と気づいてからは、全然、見方が変わってしまった。確かにベートーベンの影響も随所に感じられはするものの、軽快で、踊りうたうようなサウンドはどこから聴いてもモーツァルト以外の何ものでもない。

しかし、ヴォジーシェクは多分、当時としても傑出した音楽教養人だったと思われる。このあと、作品からは、いろいろな作曲家の特徴が入れ替わり、立ち代わり聴こえてきたからだ。例えば、第2楽章冒頭部分はバロック・オペラの悲劇的な場面のように聴こえる。そこへ徐々に希望がさし、それに伴って時代が若くなると、ベートーベンの要素が再び色濃くなるという波があった。短調部分は非常に古い、宗教的メッセージを表す音楽=言語機能とも結びついていそうだ。スケルッツォは、確かにスラヴ風の舞曲の要素が入り、のちのスメタナやドヴォルザークを先取りしているけれど、メンデルスゾーンやシューマンの音楽の萌芽としても聴かれる。第4楽章のドラムの使い方など、ラモーの音楽を聴いているようで面白かった。このように現代、過去、未来が交流しながら、それらがベートーベンという媒介を経ながら、独特の味わいで結びついているシンフォニーだと思えた。

師匠のトマーシェクも交響曲を書いたようだが、ボヘミアの作曲家で、今日、辛うじて命脈を保つような交響作品を書いた初めての作曲家とみてよく、そのなかでも保守的とはいえず、ベートーベンと同じ「ロック」の精神のなかで、ヴォジーシェクが生きていたのは特筆すべきことだ。表現のスタイルが多彩であり、しかも、作品の規模はさほど大きくないのに、ひとつの作品のなかでギョッとする奇抜な組み合わせが試みられ、それがヴァリュエーションのように自由につなぎ合わされているのが特徴だろう。

両端楽章はともに「アレグロ・コン・ブリオ」だが、第1楽章の美しいバランスが、終楽章では明らかに変質しており、前に言ったように、ラモーのようなドラムの使い方、オペラの終楽章にある多重唱のような歌い方を経て、最後のほうはハイドン後期のような華やかで、気品のあるスタイルで閉じられている。その結末のちかくでは、熱くなって指揮台を叩いたエリシュカの手からタクトが放れ、客席側に飛んでくるアクシデントもあったが、オーケストラはこの見知らぬ作品に最大限の情熱をこめて、そんなエリシュカの熱意に応えたものである。

確かに、既にドヴォルザークでは、その語法を完璧にワガモノとしたかのような札響にとっても、ヴォジーシェクでは、また初めに帰らねばならないような部分はあり、そんな迷いが演奏のなかにまったく出なかったかといえば嘘になるだろう。しかしながら、既に積み上げてきたものの重みは決して揺らぐことはない。多彩なフォルムを内包する分、決して簡単とはいえないシンフォニーを、エリシュカ独特の語法で描き上げたというのは紛れもない事実である。エリシュカのベートーベンはすでに聴いたことがあるが、エリシュカのハイドン(V字シンフォニーを取り上げているが、私は聴けなかった)、エリシュカのラモー、エリシュカのメンデルスゾーンやシューマンを同時にイメージすることができたのも楽しい。

【妥協しないロマン主義芸術家たち】

ヴォジーシェクはわずか34歳で亡くなった早熟の教養人だが、チャイコフスキーはもうすこし、教養人としてのハッキリした権威を確定してから亡くなった。その死はやはり早すぎるものではあったが、最後の交響曲第6番「悲愴」を書き上げるまでには、既に過去の偉人たちによる豊富な遺産をかなり大胆に活用することができていた。フォン・メック夫人による多大な後援を受け、サロンでの需要には厚く応えたし、オペラやバレエなど、より公的な色彩の強い芸術部門にも器用に適応した。彼の作品はオペラ、バレエのような舞台作品から、オーケストラ交響作品、管弦楽、多様な編成による室内楽から、ピアノまで幅広く残されている。

しかし、ロマン派の作曲家たちの面白いところは、彼らのパトロンに必ずしも忠実ではないところである。例えば、ショパンにしても、彼がポーランド系の亡命貴族であるポトツキ夫人の後ろ盾を恃んで、ロスチャイルド家の令嬢の引き立てに与り、パリで身を立てたことはよく知られている。現在、多くのポーランド人音楽家たちは、ポーランド人らしい熱い愛国心や、母国の舞踊や言語、気質のようなものが、その作品によって象徴されていることを折に触れて指摘する。もともと亡命貴族の後押しがあったからとはいえ、サロン的事情からいえば、政治にも結びつきそうな個人的信条はなるべく封じ込め、享楽的な作品をつくることが望まれたはずなのに、どうしてショパンは、彼の抱く矜持をあくまで貫き通すことができたのであろうか。あるいは、ロスチャイルド家の強みは国際的に張り巡らされたネットワーク力による情報網や人脈にあったわけで、ショパンを利用した東欧圏や、反帝国主義的人脈の獲得が密かな狙いとなっていたのであろうか。

そのような憶測もまったく成り立たないわけではないが、ショパンの優れた作品たちに、実際、接してきた者からみれば、大分、違和感のある話である。ロスチャイルド家サロンに出入りした奥方たちはやはり、ショパンや彼の愛する祖国の境遇に関心を払い、損得勘定を越えて、彼による指導を喜んだのだと考えざるを得ないのだ。ロマン派を代表するような音楽のカリスマたちは、そのように彼らの提供する毒をすすんであおるような支援者たちを必要としたし、いちど知ってしまったら、もう二度と忘れることができないような魅力を放っている必要があった。逆にいえば、その魅力がある限り、彼らに怖いものはなかったのである。チャイコフスキーはあれほど手厚い支援を受けたフォン・メック夫人と顔を合わせたことすらなかったというし、ワーグナーはバイエルン王ルートヴィヒⅡの機嫌を幾度も損ねたが、主に経済面などで困ったとき、助け舟を出してくれるのはいつも彼だった。作曲家たちは彼らの体面に多少は配慮もしなかったわけではないが、最終的にはやりたい放題のことしかしなかったというのに。

【戦争と平和】

ところで、チャイコフスキーがフォン・メック夫人の支援を受けるようになった1876年、彼はトルコとの戦争で傷ついた傷病兵を慰問する機会を得た。その体験により、チャイコフスキーは戦争がトルコの脅威から同じスラヴ系のキリスト教徒を守るという体裁の整った話ではなく、もっと生々しいものであることを知った。交響曲でいえば、第3番と第4番の間が境となり、第4番以後、それまでの内向的な文学青年風の穏やかな教養的音楽はなりを潜め、強烈なリアリティを伴った立体的な音楽が構築されるようになった。特に、舞曲で用いられるマーチの凄絶さは特別であり、私はそのあたりの事情を知ってからというもの、第4番以降の3つの作品を「戦争交響曲」と見なし、戦時ロマンティシズム的な作風があると判断していた。

チャイコフスキーの『エフゲーニ・オネーギン』の世界が、プロコフィエフ『戦争と平和』の世界に脱皮したのである。もっともオネーギンは1878年の作品であり、原作がプーシキンということもあって、そこには破壊的な皮肉が詰まっており、時代背景は有名な「ポロネーズ」に凝縮し、また、ヴァイオリン協奏曲と共有された素材により、世相への批判も舌鋒鋭く書き留められていた。「戦争交響曲」の幕開けを告げる第4番のトランペット・ファンファーレは突撃を命令し、喇叭を吹く血なまぐさい将校の姿を想像させる。また、バレエ音楽『白鳥の湖』初版本には、「湖」は魔法により娘たちを奪われた母親たちの涙によってできたものと書かれていたということだ。多少なりとも繊細なこころがあれば、この設定が意味するものを読み解くことは可能だろう。

このような解釈からすれば、エリシュカのつくる音楽はあり得ないほどに文学的で、交響曲第3番以前のチャイコフスキーに逆戻りするような性質をもっていた。第1楽章には、私の思うようなイメージもまったくないというわけではなくて、序奏のコントラバスとファゴットは太い線でくっきり描かれ、深い悲劇性に満ち、その後の音楽をすべて象徴するものになっていた。主部に入るとバロック的な動きで、刈り込んだ響きのなかで奏者たちが散開し、独特な音楽づくりを試みたが、その過程はいささか不安定で、目立つ傷もあった。しかし、金管のふくよかな叫びを契機にエリシュカらしい滑らかな高揚が出ると、音楽がマッシヴな構造観を自然に示して、徐々に聴き手を作品にのめり込ませるようなクオリティが出てくる。

この楽章を包み込む強烈な悲劇性は、交響曲の形式を通じて巧みに醸成され、第1楽章終盤の音量のいちばん大きな部分で爆発する。エリシュカの音楽の著しい特徴のひとつに、絞るところは絞るとしても、基本的に太めの線ではっきり描き、音楽のチマチマした整合を追うよりは、構造をダイナミックに生かすという点があるが、以上の点がこの作品ほど強烈に生きたことはない。ドイツ的な構造は確かにあるはずだが、ムラヴィンスキーのように、それを精確に生かしきって対位法的美観を図太く育てるという手法は採らない。ベースを非常に高い位置にとり、より自由な弾き手のイマジネーションを引き出しながら、オペラのような深い詩情を導き出すところに特徴があり、この楽章でエリシュカが求めたものは、言うなれば、書道の筆先にこもる「こころ」のようなものである。その筆先からみえる風景は、正に家を焼かれ、大地に涙した人たちにしか描き出せないようなものであって、ある程度、若い日本人には想像のつかないようなものだ。そうしたものへの恐れから、私はまず最初の強いインパクトを得た。

ただ恐ろしいだけではなく、そこには複雑な愛情や、それに基づく喪失感のようなものが深く染みついている。クライマックスでは、燃えさかる炎のイメージが極限まで突き詰められ、強烈なフォルテが閃いて、その頂点からロ長調に転じたとき、私たちはそれまで思いもしなかった「美しいもの」に出会うことになった。魔の炎のなかに、英雄ジークフリートがブリュンヒルデを発見したような凄絶な美しさがあったのである。悲劇は去り、官能的なものがこれに代わった。第2主題の最初の素材に基づく、この音楽は雰囲気からいっても、ベルリオーズの幻想交響曲とどこか符合している。それと面白いことに、『ジークフリート』初演がまた、1876年のことであることも付記しておかなければならない。本番のときには忘れていたが、周知のように、チャイコフスキーは同時代において、強くワーグナーの作品に魅入られた芸術家のひとりだったのである。例えば、『白鳥の湖』は『ローエングリン』と強い血縁関係にある、としばしば言われることを思い出しておこう。なお、『ジークフリート』最後の二重唱のおわりで繰り返される歌詞「輝きつつ愛し、笑いながら死のう」は今後、述べることになる第3楽章との関係で示唆的になってくるので、憶えておいて頂きたい。

付け足しになるが、第1楽章クライマックスの構成のなかで、一際、私のこころをつかんだのは音楽の高揚が暴力的なまでに発達し、構造が押し詰まるなか、大抵は苦しそうに叫びを上げるホルンの響きが強調されず、そのために、むしろ穏やかな印象を抱かせたところにあった。ミュンシュの録音のように、テンポそのものがあがっているわけでもなく、音楽全体は悠然と流れており、その流れのなかで破壊的なクライマックスが導かれるわけだが、いま述べたところで、一瞬、響きが落ち着くことで、その後の展開は俄然、きびきびとした俊敏さと重々しい破壊力を増す。そして、クライマックスの悲愴から、ロ長調に転じる部分の鮮やかな効果は際立っている。

【至高の恋人】

このようなテーマが出現すると、作品に対する見方は大きく揺らいでくる。以後、少なくとも私には、作品がそうしてまでして見つけた至高の女性(恋人)との幻想的な体験のなかで描かれる、私小説的な作品としか見えなかった。それなら、第2楽章の幸福な音楽は解釈しやすいが、そんな中にも、どこか噛み合わない『夕鶴』的な苦悩が見て取れるのが面白いところだろう。確かに、私はワーグナーと『夕鶴』、それにベルリオーズの幻想交響曲を下地に、作品を聴いていたが、そうすると、作品がすっとこころのなかに染み込んでくるのを感じることができた。女性は確かに、ブリュンヒルデの神々しさをもっている。だが、「自分」は英雄ではなく、普通の男にすぎない。そこに、鶴女房的な矛盾が次第に明らかになってくるのである。

この文脈で、最大の鍵となるのは第3楽章のスケルッツォである。作品はチャイコフスキーがある日、足を踏み入れたオーケストラの練習場のような雰囲気をもっていた。音を合わせ、チューニングして練習に入るのだが、どうも、よくあわないのだ。そうと知りながら、バーンと激しいマーチをあわせにかかるが、どうにもうまくいくはずがない。序盤、ヴィオラの調子はずれの素材がピック・アップされ、やや強調的に描写されるのが事の始まりである(普通なら、隠蔽的に扱われる)。多くの指揮者たちは、これらの素材をどうにか上手にまとめて、壮麗なマーチに仕上げようと試みてきたものだ。そして、チャイコフスキーの国、ロシア(ソ連)にはそうする理由が大いにあったので、ほとんどの場合、そのことが正しいと見られてきた歴史的経緯もあった。

ところが、エリシュカの音楽を見てみよう。どこまでいっても、ぴったり合うようなことはないのである。実際、そのように、楽譜に書いてあるのだろうか。だが、それを忠実にやろうとする指揮者はどこにもいなかった。見事なオーガナイザーほど、この楽章のもつ意味を正しく認識できなかったともいえる。当然、私も彼らの演奏のなかで育ち、壮麗に戦場のリアリティが浮かび上がる厳しい描写を求めてきたのだ。実際、何人かの素晴らしい指揮者たちは、塹壕に飛び込み、砲弾を潜り抜けながら勇敢に戦う兵士たちの姿を見事に活写している。私はそうした部分と、最終楽章の悲劇的な音楽の対比のなかに強烈な時代精神と、それに対する痛烈な皮肉があるように思っていた。

しかし、そうではなかったのだ。この楽章に書かれていたのは、どこまでいっても合わない音楽でしかなかったのだから。エリシュカが、そのことをはっきりと証明したのである。私はこのような構想を途中で見抜きながら、それでも、いつかは合う瞬間が来るのではないかとしぶとく期待してはみたものの、それが成就する瞬間はやっぱり来なかった。最後のシーケンスに入り、いよいよ最後まで合わないことが決定的となったとき、私はアタマを棍棒で殴られたような衝撃に襲われたものだ。ここには、二重三重の意味がある。まず、当時のロシアのオーケストラに対する軽い当てこすり、このような軍楽マーチに社会的需要が集中していることに対する、痛烈な皮肉。そして、ここまで語ってきた至高の女性との関係でいえば、もはや絶望的となった2人のすれちがいが象徴的に描かれている。突き詰めていけば、この音楽はチャイコフスキー自身に対する自虐的なアイロニーともみられるであろう。

先刻、記銘をお願いしたワーグナーの台詞を思い出して頂きたい。ここで奏でられる音楽には、それに類する深いポエジーが感じられる。ただ、「ポエジー」といっても、それは喜劇的なもので、私はこれを譬えるに思いつくものとしては、命を賭けて人々を笑わせたチャップリンの喜劇しか思いつかない。実際、私はこの音楽を聴いて、かなり笑っていたし、けれども、その笑いの意味については十分に気づいていたので、目からは涙もこぼれた。その涙のなかには、この解釈で音楽が壊れないように保つのはきわめて困難なことだという認識を前提に、力強いパフォーマンスでこれを堂々と成し遂げるアンサンブルへの深い敬意も手伝っていた。最後のシーケンスで、エリシュカの解釈がすべて固まり、アンサンブルがあらん限りの力強さで喜劇を演じたとき、私は金縛りにかかったように動けなかったし、この体験はもう、自分の墓場までもっていくことになるのは間違いない。そして、残念なことだけれど、これと同等のパフォーマンスはエリシュカ&札響の組み合わせ以外では、金輪際、耳にするのは不可能である。

付け足すなら、この楽章のテンションは、幻想交響曲第4楽章の自虐的な高揚感と似通ったものもあった。

【負けない意思】

このスケルッツォがあるから、第4楽章がやや軽めに演奏されたのも理解できる。齟齬はありながらも、2人は結局、相当の間、添い遂げたようだ。しかし、やがて別れがやってくるのは変わらない。それが死によるものなのか、あるいは、鶴女房のような神秘的なものなのかはわからない。第1楽章の荒涼とした心象風景も甦ってくるが、エリシュカの演奏で特徴的なのは、確かに悲しいテーマではあるものの、決してそれに「負けない」という意思が節々に満ち溢れていることだ。それが一体、どのような秘密によってもたらされるものなのか、十分、論理的に説明はつかない。しかし、このような前向きなメッセージは、例えば、トリオのゆたかな旋律を意味あるものとして浮かび上がらせる。悲劇の尾っぽのような美しさではなく、このような美しさにチャイコフスキーの真の想いを力強く乗っけることができるのだ。

件の至高の女性との関係でいえば、確かに別れは辛いが、彼女と出会えたことの重みは人生のなかで、決して浅からぬものとして残るだろう。それを胸にして生きていく男の姿が、最終的に力強く浮かび上がってくる。第1楽章の序奏の味わいに戻り、低音弦が最後まではっきりと声を上げる。チェロとコントラバスがぴったりと寄り添い、最後で、チェロが波に流されるように消えて、コントラバスが短く孤独をうたう。休符が切れると、ラザレフのようには引き伸ばさないで緊張を解いた。響きが弱くなっていくごとに、「負けない」メッセージがいよいよ力づよく響いたことから、むしろ、最後の沈黙を長く引き伸ばすことは誇張的なことなのだ。

この部分には、いろいろなメッセージが託されているように思えてならない。まずは、2011年の震災と津波。思い返せば、震災からひと月ほど後のこと、エリシュカは予定どおりに来日して楽団の期初を飾り、特別な想いで『スターバト・マーテル』を演奏してくれたのである。札響のことでいえば、これまで楽団を支えてくれたいろいろな人たちが、徐々に去っていくタイミングに当たっている。しかし、こうした現実を越えたすべての人々に対する究極の応援歌として、エリシュカはこの悲劇を選んだのだろう。件の物語としては、あの哀れな主人公の男が、生まれ変わる瞬間である。多くの人たちがきっと、彼に倣おうとするだろう。まず、楽団員たちがそうしたように。そういう音楽なのだ!

これには、まったく恐れ入った。まったく用意ができていなかったし、重すぎる結論だったから。しかし、キタラ全体に広がった熱烈な拍手を聞けば、メッセージが正しく伝わったことを確信できる。

無論、札響の演奏は少なくともエリシュカの棒で聴く限り、こうした望外の構想を堂々と物語るのに申し分ないレヴェルを既に獲得している。私がはじめて聴いたドヴォルザークの交響曲第6番のころと比べると、アンサンブルの一体感は芯の強いものになり、全体の求心力が一気に高まったことは多くの人たちが感じているはずだ。エリシュカはヴィオラを中心とする低音弦や金管を重視する指揮者だが、今回のように、それらを図太いベースとして確保しても、これに調和する弦の厚みが十分あるし、木管も要所で存在感のある響きを聴かせた。強調すべきは互いに聴きあう力で、例えば、弦楽器は「向こう」の反応をよく聴いて、機敏に反応しているのが、目の前で聴いていてよくわかった。

【図太い線】

エリシュカの音楽の特徴として、私がいつも感じることのひとつに、特別な誰かにしかできないような表現はできるだけ避けて、ハキハキとした表現を求めていることがある。彼がそのような表現を好んで採るのはムラヴィンスキーやクーベリックのようなスター指揮者と比べると、演奏レヴェルや演奏環境にばらつきのあるオーケストラを相手にすることが多かった経験が影響しているせいもあると思う。比べるのも愚かな話だが、私が所属したような下手な合唱団では、練習が行き詰まってくるとフル・ヴォイスで歌って、細かい起伏を後回しにすることがあったが、総じてフォルテ、メゾ・フォルテばかりで歌うとき、表現は平易で安定する一方、大味なものになることが多い。ところが、エリシュカの音楽では、そういうことにはなっていない。

ピアニッシモの低音弦でも、第2楽章のピッチカートでも、驚くほどはっきりとした響きを要求する。そして、特筆すべきことに、こうした部分でエリシュカは非常に独創的な効果を挙げる。例えば、第2楽章のピッチカートなどは、ちょっとゾッとするような皮肉な立体感を作品に与えるだろうが、これは先に述べたような楽章全体の解釈からみて十分に示唆的なものである。彼のやっていることは単純で、飾り気のない表現にすぎないが、そうしたものをどうやって輝かせるべきかという点で、圧倒的な磨き上げがあることで特別な音楽になってくるのだ。むしろ、私たちはそうした部分にこそ、エリシュカの魔法を感じる。そこには、彼の経てきた何十年という歴史が否応なく詰まっているが、そうしたものを素直に出せる指揮者というのは、実のところ、ほとんどいないといっても過言ではなかろう。

【チャイコフスキーの独創性】

エリシュカという透明な鏡を通してみたときに、まず、なによりもチャイコフスキーの圧倒的な独創性が明らかになった。氏はかつて、東京で「ヤナーチェク友の会」の歓待を受けたときにスピーチし、ヤナーチェクがほかに比べるもののないユニークな作曲家だと述べたそうだが、チャイコフスキーもまた、ロシア音楽におけるヤナーチェク的な作曲家だったといえるのかもしれない。

ロシアは比較的、若い国家なので、その音楽は基本的に外国の音楽から強い影響を受けて育てられた。最初はイタリア・オペラや、クレメンティ、フィールドなどの作曲家が音楽文化の基礎を構成し、さらに後世、ウィーン古典派の巨匠たちや、ベルリオーズ、ロッシーニ、ヨハン・シュトラウスⅡ、ワーグナーなどの音楽が大きな役割を果たしていく。リムスキー・コルサコフやムソルグスキーのように典型的なロシア音楽は、そうした空気を吸いながらも、ロシアならではの天然、つまり、厳しい冬の寒さや美しく、広い国土、これらを基盤にした粗く、研ぎ澄まされない精神といった「土壌」がそのまま音になったものなのであった。チャイコフスキーはモスクワ音楽院の最初の生徒で、バラキレフを巨魁とし、ルビンシテイン兄弟などが支える勢力(やがて、そこから『5人組』が支配的影響力を及ぼすようになった)の影響下に地位を確立していくが、それでも交響曲第6番ともなると、そんな派閥的芸術運動からもほとんど突き抜けた世界に飛び出していく直前の姿が示される。

そういえば、ラザレフが昨秋、この曲目を取り上げたときには、チャイコフスキーがもう少し長生きしていたら、ストラヴィンスキーやシェーンベルクの音楽もどうなっていたかわからないと言い、現代音楽にもつよい巨匠は、チャイコフスキーのもつ未知の可能性について指摘していたが、その言葉の意味はいま、エリシュカの演奏を経て、初めて実感として分かったように思う。

第3楽章では、先に述べたような解釈だけではなく、特に後半、大分、艶かしい場面も想像することができた。つまりは、ベッドの上でのことである。よく知られているように、チャイコフスキーは同性愛者だった可能性が高い。そんなことを含めると、私の笑いはもっと高まり、複雑になった。第1楽章の模倣に始まり、チャイコフスキーはベルリオーズの幻想交響曲を下敷きに、その独特な精神構造を時代や、それを生きる人間たちの群像と重ね合わせながら、作品を組み上げていく。彼にとって、幻想交響曲の主人公こそが唯一、共感できる他人だった。それほど孤独だったのである。なるほど「孤独」というのも、エリシュカの表現では欠かせないキーワードだったかもしれない。でも、なぜ孤独なのか。サーヴィス精神ゆたかで、友人も多く、社会的ステイタスも高かったのに、こころから共感しあえるような関係には欠けていたということだろうか?

恐らくは、彼にとって現実的な人間関係は皆無で、人生のすべてが幻想のようだったのではなかろうか。ベルリオーズの幻想交響曲の凄さは、幻想即現実だからである。チャイコフスキーは正に、それこそが自分だと思ったにちがいない。交響曲第6番、その核心にあるスケルッツォは狂気の沙汰だ。いままで、そんなことは思ってもみなかった。もっと単純で、力づよい音楽だと思っていた。チャイコフスキーはロシアの作曲家であり、近現代のロシア=ソ連はその高度な組織力で、資本主義の野蛮な拡張主義に抵抗しようとしていたのだから、チャイコフスキーの音楽をまったく別の器に嵌め込んでしまうのも、ある意味、合理的なことだった。その見事さを体現したムラヴィンスキーやスヴェトラーノフのパフォーマンスには私たちも驚嘆、あるいは共感を抱かずにはいられなかったが、その裏で、真実は長く眠っていた。エリシュカだけがその真実を見抜き、ようやくにして、それを白日の下に晒し出してくれたのである。

私は、物凄い瞬間に立ち会ったのだと思う。常々いうように、私が音楽を聴くとき、娯楽、あるいは知的刺激を得るために、すこしでも良い演奏に接したいという想いはない。究極的には、その演奏を通じて作曲家自身、もしくは、それを演奏する音楽家と直接結びつきたい、その真実を知りたいというところに目的を置いているということは知っておいて頂きたいのだ。いま、私がこのように多少、興奮ぎみで話しているのも、また一歩、私の知らないチャイコフスキーのイメージに辿り着き得たことを確信するからである。NMLの録音をひとつひとつ辿ってみても、多分、エリシュカの描き出した真実を同じように見つけることは難しい。

このような真実を80年あまりの間、氏がどのような気もちで保持してきたかを考えると、もちろん、想像もつかないことだが、ズキズキとこころが痛むのを止められない。本当にいろいろなものが詰まった演奏だったけれど、結論は力づよく、負けない意思だった。それこそがいま、多くの人たちに求められているものなのであろう。老匠は見事に、応えたのである。ハレルヤ!

【プログラム】 2014年4月12日

1、ベルリオーズ 序曲『ローマの謝肉祭』
2、ヴォジーシェク 交響曲
3、チャイコフスキー 交響曲第6番

 コンサートマスター:伊藤 亮太郎

 於;札幌コンサートホールKITARA

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