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2014年4月28日 (月)

鶴園紫磯子&七島晶子 ほか 大戦期を生きた音楽家たち ストラヴィンスキー/プーランク/オーリック 20世紀のフランス音楽・シリーズ6 4/22

【概要】

ピアニストの鶴園紫磯子(つるそのしきこ)とヴァイオリニストの七島晶子は、これまで5回にわたり、フランスの有望な音楽家を招き、「20世紀のフランス音楽」を紹介してきたという。第6回は今年が第1次世界大戦から100年後のメモリアルということを踏まえて、「1910年代、大戦期を生きた音楽家たち」との副題し、テーマとなる3人の作曲家、ストラヴィンスキー、プーランク、オーリックの作品を通して、当時、否応なく世界を包み込んだ歴史のなかで音楽家がどのように影響を受け、作風を変えていったかというところに焦点が置かれている。ゲストはミシェル・アリニョンの弟子のクラリネット奏者で、パリで教育にも携わるフローラン・エオー、鶴園らとは継続的なパートナシップを組むピアニストのジャック・ゴーティエ。そして、日本側から声楽家(S)の駒井ゆり子であった。

1914年の開戦時、ストラヴィンスキーは32歳、プーランクは15歳であったという。オーリックはいわゆるフランス「6人組」のひとりで、プーランクの親友であるが、日本ではデュレタイユーフェールと並んで知名度が低い。もっとも、ミヨー、オネゲル、プーランクを含めて、6人組の誰一人として、日本ではよく知られていないというほうが正解であるが。オーリックはプーランクと同年の生まれで、もちろん、開戦時は15歳だったことになる。昨年はストラヴィンスキーの『春の祭典』が初演から100年ということで頻りに演奏されたが、その翌年が第1次世界大戦から100年であり、なんだか100年の時代を隔てて、ストラヴィンスキーと同じ道を歩いているような気がして面白いと思う。

ここで取り上げられたのは、概ね1910年代のWWⅠ前後の作品であるが、後半はそのテーマに縛られず、時代の流れを感じさせるような自由な構成に変化した。戦前は正に『春の祭典』に代表されるような強烈なモダーニズムの時代であり、破壊的なエネルギーが充満していたようである(一方では、シェーンベルクやウェーベルンのような形式の刷新も進んでいる)。1919年に一応の戦争終結を迎えると、時代は楽天的な傾向を示すようになるが、そのなかにも大きな悲しみや痛恨が密かにこめられたような作品がつくられた、というのがグループの考え方である。

【皮肉なプーランクの連弾作品】

まず、プーランクによる1918年の作品『四手のためのソナタ』(FP8)が取り上げられたが、これはかなり皮肉な意図をもった作品であることは確かである。四手連弾ということで、時折、互いの手がすりあったり、交錯するようなことはよくあるのだが、それをさらにコミカルに仕組んで、風刺性を高めた作品になっているのだ。早速、作品は高音部を担当する奏者がもうひとりの前を横切って、大胆な低音を打つことから始まって、互いは領域を奪い合うようにして、自分たちの響きを奏でようとする。隣の奏者が自分の音域を使うなか、なかなかどいてくれないなかでシュールに見つめる微妙な時間。旋律は単純で、繰り返しが多く、スイートな民謡調のものだが、2人が密かにバチバチ亙りあうことで、聴き手にとって、そんなものはどうでもよくなってしまう。

もちろん、こうしたやりとりが領土や資源、消費地を奪い合う植民地戦争、帝国主義に対する社会風刺につながっているのは言うまでもない。上のリンクの録音のようにシリアスなアイロニーに仕立てることもできようが、今回のように、夫婦喧嘩を覗かせるようにクスリとさせるのが合っている。

【2つの作品を組み合わせて】

つづいては、ストラヴィンスキーの作品を2つ組み合わせて一緒に表現する特別な試みである。1919年の『クラリネット・ソロのための3つの小品』(A)と、1913年の『3つの日本の抒情詩』(B)を、A(第1曲)B(山部赤人)A(第2曲)B(源當純)B(紀貫之)A(第3曲)という順番で演奏する。いずれも完成度の高い作品ではあるものの、単独ではあまりに簡潔で、その価値がなかなか表現しづらいことから、互いに通じる点もあって面白いうというエオーの提案を受けたものであるという。確かに、2つの作品は有機的に響きあう印象をもっているが、声楽作品のほうが音楽としてフィジカルな部分をもっていることから、短い無伴奏作品はそれを彩る風景のように見做されるだろう。これはまるで浮世絵の構図を見るようで、多重に示唆的だ。

『抒情詩』については、ストラヴィンスキーはブランタによるロシア語訳の和歌に接したにすぎず、それがどのような訳になっているのかはよくわからないが、なんとなく、3人の歌人の特徴が端的によく表れているように思われる。山部赤人は「吾兄子に/見せむと思ひし/梅の花/それとも見えず/雪のふれれば」で、いかにも人情ぶかい歌である。赤人の作で有名なのは万葉集の「田子の浦ゆ...」で、この句をみるだけでも見事なテクニシャンで、絵画的な風景描写的表現はのちの浮世絵にも通じてくるが、ストラヴィンスキーは単純に件の歌のもつホーム・メイドな感覚を冷徹な伴奏の上にではあるが、見事に写し取っているのがわかる。これとは対照的なのが、ひとつ飛んで、柿本人麻呂の歌である。「桜花/咲きにけらし/あしひきの/山のかひより/見ゆる白雲」。枕詞を上の句の最後に置き、桜と山・雪を技巧的に美しく結びつけた傑作である。五七五七七の感覚がもっともよく感じられ、多分、向こうには定型詩としては紹介されていないにもかかわらず、人麻呂らしい完成されたフォルムの美しさを、ストラヴィンスキーもしっかりと感じているようだった。

これらの歌は、フランス語表現に定評ある駒井ゆり子が、きれいに特徴を捉えて歌う。駒井はこれまでにも、私の気を惹くような独特の知的センスに基づくプログラムを歌っており、いつかは聴いてみたいと思っていた歌い手だったが、ここでようやく機会を得た幸運を喜びたい。予想どおり、その歌唱は清らかで、言葉に対しては柔らかく、素直な表現をできるソプラノであった。この曲では叙情的な歌曲をうたい、『兵士の物語』ではナレーションを、プーランクの劇付随音楽では挿入のシャンソンをあでやかに歌い、様々な役割を上手にこなしてくれたのも特筆に価する。

【兵士の物語】

前半の締めは、ストラヴィンスキーによる1918年の作品『兵士の物語』。今回はヴァイオリン、ピアノ、クラリネットによるトリオ版に、ここから排除されたナレーションを戻し、あらすじを民話風にして、読み上げるような役割を付け足したスペシャル・エディションとなっている(言語は日本語訳)。ナレーションは駒井が担当し、歌声とはまた一味異なり、優しくかわいらしい声が聴けて、愉しかった。『兵士の物語』は私としても愛着のある作品で、実演があれば、よく聴かせていただくが、トリオ版は大分、趣が異なる。ヴァイオリンのヴィルトゥオージティが拡大され、一見、サロン向け音楽に様相を変えているものの、その技術的レヴェルはきわめて高く、実際には、上流階級の娯楽趣味としての需要には決して見合うものではない。

一方、オリジナルに見られるようなシニカルさは隠蔽され、一体、彼がどんな気持ちで、このトリオ版を編んだのかはなかなかよく理解できない。七島のヴァイオリンが聴きどころとなるが、この作品では力も抜けて、ヴァイオリンが柔らかく響く。クラリネットも同様に、柔和な表情を押し出して、全体的に温かさがしみる演奏になっていた。

【オーリックとプーランク晩年】

後半は、オーリックの作品に始まった。1926年の作品『四手のための5つのバガテル』は、何の変哲もない作品で、それと意識して聴かなければ、鶴園のいうような「ペーソス」など感じずに過ぎてしまうだろう。だが、確かに、そう言われてみると、音楽の節々にごく小さな感情が託されていることに気づく。

それが1963年のプーランク晩年の代表作『クラリネット・ソナタ』ともなれば、話がちがってくる。時代は大分、下っているが、プーランクはもうひとつの大戦と、ヴィシー政権という屈辱的な時代をも体験し、晩年に入って、それらを総括するような作品を書いていたからだ。今回はフランスからわざわざ足を運んでくれたエオーのために、用意された見せ場という位置づけにすぎないが、それにもかかわらず、私はこの傑作から多くのものを感じたのである。細かく切り刻まれ、死と再生を繰り返しながら、「ソナタ」としか言いようのない形式で、少しずつ進んでいく作品は、この流れのなかで、私のこころを強く惹きつけた。

エオーの師、ミシェル・アリニョンとモルゴーアQによる演奏会は近年のものでも、特に印象の強いもののひとつだ。このコンサートはちょっと独特なものであり、その様子については過去の記事を参照されたいと思うが、エオーはアリニョンよりもずっと動じない音楽家であるように見えた。もちろん、彼は硬直的なアカデミシャンではなく、それは先のストラヴィンスキーにおける提案からみても明らかである。フランスの若い世代によくみられるように、やっぱり、音楽を愉しむことが好きだし、そのために、柔軟に音楽を使うことを排除しない。だが、彼の特徴は、どんな曲を吹くときでも揺るがない。最大の特徴は、もう、あり得ないほどに柔らかい音色の手触りだ。ふわふわとして、その優しさが聴き手の心臓を素手でまさぐるようなのである。

この作品はクラリネット奏者にとって欠かせない名品なので、良い録音には事欠かないが、この日、エオーが示したような柔らかさと、優しさを第2楽章で十分に示したのは、ほかにマイケル・コリンズくらいのものぐらいしかない。例えば、カール・ハインツ・シュテフェンスの録音も素晴らしいのだが、プーランクというよりは、どこか独特なドイツ音楽を聴くような感覚がつきまとっている。エッジが鋭く、ドラマの流れが明瞭で、悲劇的な時代を顕著に物語る辛口の表現には敬服しないわけにはいかない。しかし、すごく辛辣なことを言っていても、どこか隙があって、それがまた、かえって辛辣に響くという歌劇『ティレジアスの乳房』のような遊びのある印象は、コリンズやエオーのような感じでないと表現できないものだ。

一口でいうと、プーランクにはある種の弱さがある。人々はそれを補いながら聴こうとするのだが、あるとき、彼の描く穴があまりにも大きすぎて埋めきれないものだと気づいたときに、ぐっと落ち込んでしまうというような音楽なのだ。エオーがもっているのは、そのような弱さだ。第一には、ピアノが埋めてくれる。第二にはオーディエンス自身の理性と経験が。しかし、それでも、埋めきれないものは涙として流れていく。コリンズとも異なるのは、両端楽章においてさえ、エオーの表現には弱みがあるということだ。

WWⅡの占領下でも、ドイツにもヴィシー政権にも反対し、粘りづよくプロテストを続けるというような、理想的行動を採ったわけではない(参考資料PDF)。鋭い風刺と、モーツァルト的な明るさをもって音楽を書き続けたプーランクだが、人は誰しもベートーベンになれるとは限らないものだ。この作品はそんな人生の、あらゆる起伏を描いたものにちがいない。正しさもあれば、過ちもある。このような大作曲家においてさえ!

【プーランクの珍しい劇付随音楽】

最後は1940年に戻り、劇付随音楽『レオカディア』からの音楽である。プーランクの劇付随音楽の演奏はきわめて珍しく、今回はトリオ編成でのものとなったが、さらに工夫を施し、『レオカディア』以外の劇作品からも魅力的なものを選んで一緒に演奏し、間に劇中で歌われて有名になった代表的なシャンソン(歌曲)『愛の小径』を挟むという凝った内容であった。アモイの戯曲『レオカディア』の全体像については、リンクのページに詳しいが、音楽はその内容とさして独特な関係はないように思われた。時々、ちょっとした台詞を挟みながら、そんなに練習は重ねていない感じだが、演奏者が自ら楽しんでのパフォーマンス。やはり、ヴァイオリンの名技性が目立つものの、ここでは七島の音程にはしばしば疑問が残った。

シャンソンでは、リヒャルト・シュトラウスの影響が濃厚で、実は、これは最初の風刺的なソナタでも感じたことだ。だが、さらに言葉の殻はこわれ、先に述べたようなプーランクの弱みがきれいに浮かび上がる。プーランクの音楽は牧歌的なものや、ジャズ的な要素、サロン的なヴィルトゥオーゾ音楽の系譜など、異なる背景をもつ要素を上手に引いており、まことに多彩で、飽きが来ない。中には、ラヴェルの『夜のガスパール』の「オンディーヌ」を思わせるようなものも。バッハ風、リヒャルト・シュトラウス風、ラヴェル風など、豊富な音楽的教養を生かしての酒脱な運びは戦時下でも多くの人たちを喜ばせただろう。アンコールは再びシャンソン。大学の講義のような形で始まり、最初、音大生らしき客はゲンナリしていて心配したが、おわってみれば、とても工夫された面白いコンサートだった。

【プログラム】 2014年4月22日

1、プーランク 四手のためのソナタ
(pf:ジャック・ゴーティエ、鶴園 紫磯子)
2、ストラヴィンスキー クラリネット・ソロのための3つの小品
                 +3つの日本の抒情詩
 (cl:フローラン・エオー S:駒井 ゆり子 pf:鶴園 紫磯子)
3、ストラヴィンスキー 兵士の物語
 (vn:七島 晶子 cl:F.エオー pf:鶴園 紫磯子 ナレーター:駒井 ゆり子)
4、オーリック 四手のための5つのバガテル
 (pf:J.ゴーティエ、鶴園 紫磯子)
5、プーランク クラリネット・ソナタ
 (cl:F.エオー pf:J.ゴーティエ)
6、プーランク 劇付随音楽『レオカディア』より
 (全員)

 於:カワイ表参道店 コンサートサロン「パウゼ」

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コメント

「20世紀のフランス音楽」にお越しいただき、丁寧な長い批評をいただき、ありがとうございました。私、鶴園はしきこともうします。東京在住で教育、演奏とともに講演活動もしております。このシリーズコンサートは名曲を並べるだけのものにならないようにと、毎回テーマを掲げ、一定のリサーチの結果をお話と演奏に載せてお届けしております。さまざまな意図をお汲み取りくださり、意外なユーモアあふれるコメントを読ませていただき、感謝申します。今後もまたよろしければ、私どものコンサートにお出かけください。

コメントありがとうございます。また、趣向を凝らした演奏会を聴かせていただいたことに対しても、重ねて敬意を表します。お名前の読み方など、一部、プロフィールの読み違えに基づく文言がありましたことはお詫びして、誤解のないように訂正いたします。

音楽と無関係な事項で申し訳ありません。
武蔵中学高校で鶴園哲久君と同級だった者ですが、同君と連絡が取れません。
WEBで手掛かりを探した所、ここで姉上様と思われる投稿を見つけました。
紫磯子という珍しい字をあてられていること、ピアノを本格的に勉強されたいた事から、ほぼ同一人とお見受けしました。

差し支えなければ、(1)9/6に49期の同期会ある (2)kyuno.takayuki@swing-w.com へ連絡乞う 旨を紫磯子さん経由、哲久君へ伝言お願いできませんでしょうか。

私は演奏会の客席に座っただけで、鶴園さんのご一家といかなる関係にもありません。江古田の武蔵高校はよく知ってますけどね!

公式にはフェイスブックのページもあるようですし、
https://www.facebook.com/shikiko.moritatsuruzono

桐朋で講師をお務めのはずなので、ワタクシなどに頼むよりは、そちらの伝手を辿るほうが早いかと存じます。

しかしながら、会のご成功をお祈り申し上げます。

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