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2014年4月22日 (火)

スダーン シューベルト 交響曲第2番/ベートーベン ピアノ協奏曲第5番 東京交響楽団 川崎定期 3/30

【序】

2004年に秋山和慶が勇退し、それまで首席客演指揮者として関係を温めていたユベール・スダーンを音楽監督に据えて10年というもの、少なくとも聴き手の耳や目からみた範囲では、東京交響楽団は黄金期を迎えた。内部事情はそれほど単純なものではないという噂も耳にするが、経験ある有能な団員が次々に一線を退き、川崎にフランチャイズを移す変革期を上手にカヴァーして、2011年には震災と粗忽な施工の影響でフランチャイズ・ホールが使えなくなる物心両面の危機を乗り越えた。演奏面では、秋山時代とは根本的に異なるピリオド奏法を徹底し、運営面でも年間を通してテーマを設定し、客演指揮者にも協力を求める徹底ぶりでハイドン、シューベルト、シェーンベルク、マーラーなどの曲目で、意義ぶかい成果を残す。オペラにおける成果や、モーツァルト・マチネの定着など、スダーン時代の東響が成し遂げた様々な意味でのグレード・アップは、在京9楽団のなかでも傑出した財産となっている。

3月の定期をもって、そのスダーン時代もひとつの区切りを迎えた。今後とも客演はつづくだろうが、楽団の未来は後任のジョナサン・ノットに引き継がれる。その本当の、最後の公演に接してきた。なお、この公演に先立って、楽団所属の若いチェリスト、井伊準氏が心臓疾患によって急逝するという悲報が流れたことを付記しておきたい。新日本フィルの首席オーボエ奏者だったルンブレラス氏のときとは異なり、以前からずっと患っていたというのではなく、亡くなる直前までは元気に演奏をしていたというのだから驚きである。私より1世代以上も若く、健康的だったはずなのに!

【すべてがあったベートーベン】

前半はゲルハルト・オピッツを独奏に迎えて、ベートーベンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」を演奏した。オピッツは以前、オペラシティのプロジェクトで、ベートーベンの初期のソナタ3曲を聴いたことがあり、それほど強烈な印象は抱かなかったが、丹念に磨き上げられた丁寧なピアニズムが印象に残った。そのときと比べて、当方の趣味もすこしは良くなったせいか、この日のパフォーマンスはより鋭く、核心を突くものと思われたのである。ピアニズムの系譜を辿っていくと、リスト、チェルニー、そして、ベートーベン自身にまで行き着く正統中の正統を守るウィルヘルム・ケンプ・クラスを受け継ぐ存在でありながら、我を張ることなく、オーケストラのやりたいことに寄り添ってくれる紳士的な面が強調された。

それというのも、スダーンの描くベートーベンの「皇帝」にはすべてがあったのだ。第1音から腹に響くふくよかな和音が私を鋭く捉えた。それに続くシーケンスで手際よく姿を現す特徴的な響き、汽車が象徴するような産業のゆたかさ、また、木管の響きが代表する自然の恵み、時代を象徴する舞踊の優雅な雰囲気。荘厳な宗教的神威。そして、ベートーベンを危ういバランスで成り立たせた2つのもの、革命と保守のエネルギー。正に皇帝が統べるべき、すべてのものが作品のなかに詰まっているのである。

演奏としては、1曲の間じゅう、ずっと緊張が強いられるようなものではなく、緩急がついて、だらっとした部分がいつもより多めにとられているのに気づく。東響というと、どちらかというと熱演型パフォーマンスを得意とし、一生懸命に弾くのが取り柄みたいなところがあるが、スダーンはその特徴を知りながら、この最後の定期では、敢えて休むことを課題にしたような気がするのだ。実際、この作品ではそのような波が重大な役割を担っており、ほかのベートーベンの作品と比べて、遊びが多いようにも思われる。このようにフォルムが呼吸するかのような演奏は、ここのところ、硬直的なピリオド主義の蔓延により少なくなった。それは実のところ、真正のピリオド主義とは異なるものであることを、賢明な聴き手は理解しているはずだ。

突き詰めていえば、スダーンが目指したのは室内楽的なアンサンブルの構成だろう。互いによく聴きあい、楽曲のフォルムを自由に作り上げていくこと。もちろん、それには失敗も、成功もあるが、それはそれで構わないというのだ。そのためか、細部における特徴的なことなどは、あまり声高に指摘する部分もなく、それは私の力不足だが、上手に言葉に示してみることも難しい。弦楽四重奏の演奏などで、しばしば私は、このようなジレンマに悩まされる。ところで、オピッツが素晴らしいのは、自ら権威者でありながら、このような試みに寛容にこころを開いているということだろう。その分、ピアニスト自身への賞賛は減ったとしても、彼はそのことを気にしないのだ。

10年間での成長を如実に印象づける見事なパフォーマンスに、前半ながら、ミューザの会場はこころからの賞賛を手厚く示していた。この楽団の演奏会、特に本拠地であるミューザ川崎でのパフォーマンスに足を運ぶと、サッカーでいうところの、「サポーター」の雰囲気があるのに気づくが、ほかの楽団では札響を例外にして、そのようなムードはあまりない。都響などにも熱狂的なサポーターはいるが、彼らはいわば、「ジャイアンツ・ファン」だからである(ごく個人的な印象です)。

【掘り下げられたスダーンの音楽】

後半のシューベルトは、過去の演奏会のアンコール・プログラムになっている。シューベルト・ツィクルスの成功は、楽団を囲むサポーターたちにとっても、去り行くスダーン自身にとっても特別な出来事として記憶されるだろう。だが、2013年、私はヴォルフ・ディーター・ハウシルトによるシューベルトの交響曲を聴いてから、それに対する微かな疑問を感じ始めていた。もちろん、あのとき(2008/09シーズン)、スダーンが示したパフォーマンスが文句なく、日本における「ルネッサンス」をもたらしたことは否定のしようもないことだ。「未完成」「グレート」以外の作品も以後、日本のオーケストラのプログラムに、より頻繁にのぼるようになってきたのである。また、フィジカルで、筋肉と神経の張り巡らされたパフォーマンス、かつ、楽天的で優雅な演奏スタイルは、この時期の東響を象徴するものにもなっている。だが、ハウシルトと新日本フィルは、これを「瞬時に相対化」してしまうほど、「求心力のつよい」演奏をした。

しかし、2度目の演奏を通じて、スダーンは当時のレヴェルで、表現できたそれだけのことを目指していたのではないことが明らかになった。表現のエッジはより深くなり、時代的にもベートーベンの時代からひとつ進み、新しい社会構成のなかで、伸びやかなアンサンブルが求められていることを示すアンサンブルになっている。前回の演奏と比べれば、全体的に落ち着いた雰囲気となり、楽団にとってのレパートリーとして、完全に定着している様子がわかる。実のところ、彼が愛しているのは、こうした静かさなのである。スダーンには、このような二面性がある。イタリア人的に活き活きとテンションを上げるときがあったかと思えば、また別のときには、世捨て人か坊主のように静かなのである。

井伊君を贈るために、スダーンが選んだのもそうした音楽だ。劇付随音楽『キプロスの女王ロザムンデ』第3幕への間奏曲は、スダーンが好んでアンコール・ピースに選んでいる作品で、とっても静かだ。

さて、この日の2曲の演奏で共通しているのは、いずれも室内楽的な構成が効いていることである。そして、クリアでまじりけのない響きの美しさ。そこから生じる音楽の活力の素晴らしさ。東響は実に、この指揮者から多くのものを学んだのだと感じる。そして、世界じゅうのどこのオーケストラよりも、多分、彼の音楽をもっとも忠実に表現できるようになった。ブルックナーなどの大きな演目で課題は残ったと思われるが、ウィーン古典派の演奏では、読響、新日本フィル、東響のトレーニングが、最近ではもっともよく実を結んだといえる。

【まとめ】

10年を総括する演奏会はコンチェルトを含むたったの2曲、90分程度のものでおわった。しかし、その濃厚な時間は、いつまでも胸に残るだろう。そして、本来は指揮者の勇退を飾る祝祭的なプログラムなので、死者を弔うような内容ではないのだが、井伊君の悲報がこの演奏会にもう一味を付け足してくれたことは否めない事実でもある。その雰囲気がホームの温かみを増し、合奏の一体感をいっそう高みに導いた。この演奏会がおわってしまうことを演奏する側、聴く側の誰一人として望んでいなかったであろう。でも、そのときは来るのである。別れは、必ずやってくる!

このレヴューを書くまでに、東響は既に新しい出発を切ってしまった。ジョナサン・ノット新監督は、マーラーの交響曲第9番と武満徹の『セレモニアル』で、順風満帆の船出を賞賛されている。この世に別れを告げるかのようなマーラーの9番が「出発」とは、なかなか気の利いた発想だ。蓋し、大事なことは、この別れを忘れないこと。ノット氏も、そのことを訴えたいのだろう。私の場合、彼との「邂逅」はまだだが、間近に迫っている。そこではシューベルトが取り上げられ、この日のスダーンのパフォーマンスと比較的に見られるだろう。たとえ、そうであっても、東響のそれまでに敬意を表するかのようなプログラムが、私の気を惹いた。

しかし、まずはスダーン氏への感謝の念を丁重に表することだ。首席客演のとき、モーツァルトの交響曲第40番を聴いたのが初めだった。その優しく気品溢れる演奏に、涙したにも記憶に新しい。それ以来の思い出が、一区切りを迎えるのである。

【プログラム】 2014年3月30日

1、ベートーベン ピアノ協奏曲第5番
 (pf:ゲルハルト・オピッツ)
2、シューベルト 交響曲第2番

 コンサートマスター:ニキティン・グレブ

 於:ミューザ川崎(シンフォニー・ホール)

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