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2014年4月14日 (月)

コルンゴルト 歌劇『死の都市』 @新国立劇場 3/18

【ホールテン演出の死の都市】

エーリッヒ・コルンゴールト(以下、コルンゴルト)に対する評価は、ジェット・コースターのように乱高下を繰り返した。人生の序盤は幸運で、時代の寵児だったかもしれない。彼にとって揺るぎない代表作となった歌劇『死の都市』は、そんな絶頂期に発表され、コルンゴルトの名声を確かなものにしたはずだったのに、戦争が、ユダヤ人という彼の出自が、行く道を暗く閉ざしてしまった。米国に亡命し、ナチスへの反発から芸術的な作品の発表を控えた彼の「帰還」は、戦後、まったく異なる「目」で評価されたのである。商業音楽でも、ハリウッド映画のための音楽で2度のアカデミー賞を受賞(1度目は個人としての受賞ではない)。後にも先にも例がない快挙を味わいながら、戦争がおわると、ワーナーとの契約を打ち切ってクラシック音楽での再出発を志した。しかし、戦後モダーニズムの風潮のなかでは、芸術分野への戦列復帰は永遠に認められなかった。死後、彼の作品の再評価は進んで、いま、『死の都市』といえば、ドル箱の演目である。とにかく音楽が典雅で美しく、アイロニーに満ちて演出的ないじりどころも多ければ、声楽的にもチャレンジングだからだ。

これが日本で2回目の上演、舞台上演としての日本初演の栄誉はわずかに早く、びわ湖ホールにとられた。もっとも新国立劇場の「新制作」公演は、ヘルシンキ歌劇場(2010年プレミエ)からのレンタルで、カスパー・ホールテンの演出。現地でも成功の演目で、2013年に再演されたという。マジックのような手法を使い、人間の動きを神秘的に工夫して、ブリュージュ(ブリュッへ)の街をタイトルどおりにフィーチャリングして、上手に模型を使って表現した美術的センスの優れた公演だった。また、助演の女優が効果的に用いられ、ほぼ全編にわたって主人公とともに暮らす機知が評判を集める。全場は亡くなったマリーの部屋のなかで起こり、ほとんどがパウルの夢想のなかで起こる物語であることをストレートに強調しながら、ベッドのなかからマリエッタの仲間たちが現れたり、それとはわからないように、床にあけられたホールから巡礼の人々が出てきたりするギミックで驚かせて、すべてはパウルの夢想だということが明確に表現された舞台である。

ホールテンの演出は手際がよく、コンパクトで、極端にいじくらないのもよいが、反面、ドラマトゥルギーからみて重要な細部への印象はやや弱い感じがして、満足がいかない点があった。例えば、マリーの肖像画だが、使用人のブリギッタに紹介されて、友人のフランクが手にする上手の写真立ては、台詞とはちがって特別に飾られてもいなければ、ほかのところにおいてあるのと変わらない。また、マリエッタが去り際に目にする肖像は、それとは別のもので、下手の入口付近に置いてあり、先刻のものとは異なっていた。一体、どういうことなのか、私には不可解だ。

パウルが大切にする亡き妻の髪の毛もどこにあるのか、よくわからなかった。最後の幕では、幻想のマリエッタと決定的な衝突の原因になるのに、肝心の髪の毛は効果的に視覚化されていない。これに関連して、助演の長い髪がバッサリ刈り込まれるのは驚きだが、これほど大事なエピソードを、思いつきのマジックで解決してほしくはないのだ。

【期限は切れた】

第2幕、舞台奥のブラインドのような大きな格子が取り払われ、暗闇から浮かび上がったのは、ブリュッへと思われる都市の模型である。マリーの部屋には、一軒家の形をした宝石箱が多数並び、きらきらと輝かしい。この対比が非常に重要な意味をもち、作品全体を律するコントラストであることがわかるだろう。あまりにも妻の存在に依存した異常な主人公だが、思い入れが詰まった部屋の「美しさ」については、第1幕で、家政婦のブリギッタが端的に語っている。ここには愛情が満ちていて、それさえあれば、自分のような寡婦であっても寂しくはないというのである。この言葉には清らかな音楽が寄り添い、全編から見ても重要なモティーフであることがわかる。

彼女の証言があればこそ、私たちはパウルのことを遠ざけずに作品に接することができるのだろう。面白いことに、ブリギッタには低声が当てられ、パウルやマリエッタ/マリーに高声が配置されていることから、自然とこの役に共感がいくように作品がつくられている。

コルンゴルトは皮肉に満ちた喜劇的設定をつくったが、パウルを嘲笑うには忍びなかった。これには深い理由があり、それこそがこの作品における本論となるものだ。まず、コルンゴルトの生年を確認しておこう。コルンゴルトは1897年に、ブラームスと入れ替わるように、モラヴィアのブルノ(ブリュン)に生まれたユダヤ人である。20世紀初頭に、前世紀の遺産をすべて引き継ぐようにしてコルンゴルトは神童時代を送った。そうなるのが天命であったかのように、彼はトントン拍子に高い評価を得て、僅か23歳で傑作の歌劇『死の都市』をものにするという、その才能に相応しい幸運を得た。

しかし、彼の音楽は基本的に、前世紀の遺産に立脚していたのは疑うべくもない。その名声が10-20代の間に一挙に燃え尽きて、これをピークに凋落していくのもまた運命であったような気がする。否、正確にいえば、彼の才能はなにも燃え尽きたりしたのではなかった。『死の都市』を観ていて、最初に凄いと思うことは、僅か23歳にして、これほどゆたかな音楽的教養に恵まれ、それらを自由に使いこなせるような技術をもっていたという事実である。そのような才能がほんの一時期だけ輝いて、終わるということはあり得ない。問題は、時代がコルンゴルトの大事にしていたような要素には、敬意を払わなくなるということにあったのだ。正に、期限は切れた。それまで価値があると思っていた債権が、状況の変化で十数年後には紙くず同様になっていたのである。

コルンゴルトはもちろん、ただの時代遅れの作曲家ではない。それをいうなら、後期ロマン派以降の作曲家は、多かれ少なかれ、時代遅れになるが、若い作曲家の藤倉大のように、私にはそれらの「時代遅れ」を直ちに無価値と見做すことには忍びないのである。少なくともリヒャルト・シュトラウスの時代には、時代遅れであることがそのまま、時代そのものを表していたからだ。つまり、彼の音楽が時代遅れなものであることは、それだけで一種の風刺たり得たのである。この巨匠の凄さは、恥じ入って、普通なら書けないようなことを曝け出して作品にしても、なお、優雅な雰囲気を失わないところにあった。この点では他にヒンデミット、ブリテンに、コルンゴルトを加えて、4強が形成される。これらの作品はどれも、現在の欧米の劇場では、非常に重く尊重されるレパートリーに成長した。

先日、『ナクソス島のアリアドネ』をみたせいなのか、私は『死の都市』がそれの続きであるような感覚を抱きながら観ていたものだ。その理由のひとつは、もちろん音楽的な継承が濃厚だからである。リヒャルト・シュトラウスをはじめ、マーラーやワーグナー、その他、様々な先達が積み上げてきた音楽的成果を見事に組み上げることで、コルンゴルトは自らの「天才」を自由自在に構築することができた。バッハがそのような役割を担ったように、コルンゴルトも前時代までのあまりにも豊穣な成果を総括して、次代に引き渡すような地位を築こうとしていたのであるが、バッハが一生かけて、その課題にじっくり取り組んだのに対して、コルンゴルトに与えられたのはごく僅かな期間でしかなかった。

【シェーンベルクとコルンゴルト】

ほぼ10年で、がらりと様相を変えたシェーンベルクの例と比べてみるとよい。1900年から10年以上を隔てて完成した『グレの歌』の変容を見るだけでもよいが、初期には後期ロマン派の最後の残り香を思いのままに操るだけだった魔術師は、その見事なまでの腕前には決して満足していなかった。新しい魔術の体系そのものを自分で生み出すことなしに、その時代に相応しい表現を探る道はないと考えた彼の精神は、社会と文化の両面で進歩的な歩みが是非とも求められるような以後100年の歴史を通じて、常に正統的に見られてきた。12音技法が必ずしも正しい道ではなく、結局のところ、既存の体系に対する一種のすり替えにすぎないとしても、これまでの調性が絶対的なものではなく、単に使い慣れたものにすぎないことを明らかにしたほか、強弱やリズムの観念に新しい発想を生み出し、歌劇においては、シュプレッヒゲザンクといったような新しい朗唱法(デクラメーション)を確立したことで、彼の功績は揺るぎないものになっている。

ところが、コルンゴルトが追い求めたのは、あくまでシェーンベルクが放棄したものの美しさのなかにあった。歌劇『死の都市』は亡き妻の肖像や髪の毛を異常なほど大事にし、彼女が亡くなった部屋もそのままなら、彼女がいた街から離れることさえできないという、過度な依存に「悩む」中年男性の滑稽劇である。正確には、彼は悩んでなどおらず、マリエッタが出現するまでは、そのことに少しも気後れを感じてなどいなかった。そのような態度が、作曲家自身の姿と重なってくるのは明らかだ。音楽の世界の話としてみれば、「亡き妻」はコルンゴルトが愛するような、過去の巨匠たちの作品と対応している。官能的で、美しい。そして、死んでいる。新たに美しいマリエッタ(作品)が生まれたとしても、それは死んだ女性の肖像(先達の作品)と瓜ふたつだ。

こうしてみると、作品は自虐的な肖像としてみえないこともない。パウルはマリエッタに亡妻と同じ格好をさせ、同じ持ち物をもたせて、マリエッタから「絵描きさんなの、モデルが必要なのね」と言われている。さらっと流しているが、大事な場面である(ホールテン演出では無反応)。コルンゴルトはこうした作品を書いて、少しも悪びれていないが、モティーフからみると、自らを嘲笑うのと、擁護する要素が相半ばしている。この時点で、彼は自分が正しいと思うスタイルで書いたのだが、未来において、同じ道を進むかどうかはわからないと宣言しているようなものだ。あるいは、コルンゴルトにもシェーンベルクのような可能性があったのかもしれない。

ただ、その可能性は第2幕から第3幕の前半で実際に試され、使いものにならないことも明らかにされている。このあたりを論理的に詳しく述べることは差し控えたいが(それを実現すれば、学士論文ぐらいにはなりそうだ)、ごくかいつまんで言えば、コルンゴルトが捉えた同時代の手法で、官能性や宗教的神秘について描くなら、あのように可笑しな表現にならざるを得ない、というのが結論になるだろう。もしも、コルンゴルトがユダヤ人ではなく、もっと豊富な時間を自由に使うことができたなら、この問題をクリアにする何らかの発想をつかめたかもしれない。

【様々な視点】

ここまでは、専ら裏側からテーマを掘り下げているが、表側のテーマについても触れておく必要があるだろう。つまり、それは死者を喪った悲しみとどのように向き合うのか、という普遍的な問題である。私にはまだ、それに類する決定的な体験が欠けているが、実は私が小学校にいた頃、クラスで仲良くしていた友人のひとりが走行中のバスから首を外に出していたところ、電柱かなにかに当たって亡くなるという死亡事故があって、テレビなど報道でも取り上げられたことがある。長じて別の友人たちにあったとき、私よりも、彼らがその事件に強い衝撃を受けていたことを知り、恥ずかしながら、私はその重さに改めて気づくことになった。この劇を観ているとき、ふと、そのことについても思い出すことがあった。

作品が初演された1920年は、1914年から始まったWWⅠが1919年の講和条約で、一応の終結をみたあとに当たっている。総力戦で多くのもの(存在)を喪った人々は、この作品のテーマに強く引き寄せられたのではないかと、しばしば説明されているが、そうでなくとも、この問題は古くからままある問題だと言うべきかもしれない。クラシック最初期のオペラ、モンテヴェルディの『オルフェーオ』以来、延々と続いてきたありがちなテーマともいえるし、身近な人が亡くなって、どうしようもなく寂しいというのは、人々にとって切実な問題である。

私の母も、60代で再婚した義父の突然の死には強い衝撃を受け、それから1年後、精神的にも肉体的にも大きな試練に向かい合わねばならなくて、ICUに入ったこともあった。多分、彼女の肉体やこころを支えたのは息子の私ではなく、姉の産んだ孫の可愛さと、こころの隙を埋めるように飼い始めた犬のおかげではなかったかと思う。彼女は幸運だったが、いのちを奪われる可能性も、精神を病んでしまう可能性もなくはなかった。そうした危機を、人々がどのように乗り越えるか。あるいは、乗り越えられないのかについては、個人差がある。昭和20年生まれで、まだ比較的、若かったことも幸いだったのだろう。コルンゴルトの作品は、そういう人たちに希望を与えることができたのかどうか、私には疑問が残る。

しかし、世代や境遇の差によって、彼の作品をみる視点は微妙にずれてくるのではないかという感想は自然に抱くことができた。私と母では視点が異なるだろうし、私と先ほどの友人たちとでは、また見方がちがっているはずだ。実に、この問題は先程の裏側のテーマにとっても大事なことなのである。当たり前のことを言っているように思えるが、例えば、プッチーニの『蝶々夫人』なら、『死の都市』ほど決定的な視点の差は生まれるはずがない。大体の人は蝶々さんが可愛そうで、ピンカートンは自分勝手な悪人だと思うだろう。ワーグナーでも、その点ではなんら選ぶところがない。ハーゲンはどの世代からみてもワルだろうし、ブリュンヒルデはいつも神々しくみえる。こうしたなかで、この作品のパウルは誰からみても病的な、「いっちゃってる」人というわけにはいかない。実際、ブリギッテなどは主人のことを批判せず、賛辞さえ示しているぐらいだ。

ホールテンはむしろ、周囲の人がおかしいという視点で演出をしたと語っている。それは、ひとつの見方だろう。身近な人を喪った経験があり、それを切実に感じたことのあるすべての人がホルテンに共感を示すはずだ。一方、現在の結婚生活には十分に満足せず、表面上、平凡で穏やかとはいっても、配偶者について、いつも酒場でとぐろを巻いているような人たちにとっては、いささか虫唾が走る内容と見えるかもしれない。この差が決定的で、『死の都市』ほど明確な作品は、それほどないのではなかろうか。男女の差については、リヒャルト・シュトラウスやヴェルディもうまく描いた。市民と貴族のちがいについては、モーツァルトもロッシーニもうまく描いている。世代をはじめて問題にしたのは、プッチーニの『ジャンニ・スキッキ』かもしれない。あるいは、『パルジファル』か。ワーグナーは人間と、そうでないものという幻想的なテーマでほとんどの作品を書いたが、「そうでないもの」が欧州における人間の体系を形づくるギリシア神話とは関係がないところで面白かったのだ。

この作品の登場人物は、実にいろいろな見え方をする。パウルもそうだが、マリー/マリエッタも、フランツ/フリッツも、その他の人物も同様に多重的なイメージで乱視を引き起こす。フランツ/フリッツの場合は、フランツがさらに第1幕と第3幕の現実部分で登場する彼と、第2幕の夢想で登場する彼の間で分裂しており、さらに枝分かれしてプリズム効果を発する。第2幕の滑稽劇のなかで、彼は有名な『ピエロの歌』をうたうが、鮮鋭なロマン主義の最後の輝きが、このような形で発現するのも示唆的なことである。

プリズムによる枝分かれも、反対からみれば、収束に向かっているように見えるだろう。それがマリーとマリエッタの身に起こる。第3幕で、パウルの言葉のなかだけにいたマリー(の美しい髪)を決定的に見出したマリエッタは嫉妬に狂ったようにこれを弄び、逆上したパウルは彼女を絞め殺してしまう。ヴェリズモの世界だ。斃れたマリエッタをみて、パウルはいう。「これぞ、本当の瓜ふたつ」。ヴェルディ『リゴレット』のアリア「2人は同じ」を思い出す台詞だ。人々はあるときは重なり、またあるときは分裂している。かつて、イタリアの巨匠による代表作のなかで、殺し屋と道化師が折り重なるように生きていたように、誰もが自分以外の誰かと寄り添って生きていかねばならない事情は、いつの世でも変化することがない。自分だけでは空想のなかでさえ、何事も実現することができないのだ。この点についていえば、こと音楽の問題でも、人生の問題でもあまり変わりはないはずである。

2つのテーマは、最後に強烈なロマン主義で締め括られる。ロマン主義? そのもっとも典型的な発露は、別れとして表現される。コルンゴルトの書いた至上の言葉、告別の辞、そして、もっとも毒に満ちた皮肉な文句は次のようになる。「この身にとどまる しあわせよ/永遠にさらば いとしい人よ/死から 生が別たれる/憐れみなき 避けられぬ定め/光溢れる高みで この身を待て/ここで 死者が蘇ることはない」。時代、宗教、人間、芸術というテーマがこの文句のなかに美しく凝縮していくのを私たちは目撃した。

【コルンゴルトの独創性】

コルンゴルトに独創性があるとすれば、正に、このようなところに鍵がある。しばしば、お節介ともいえる父親・・・多分、レオポールト・モーツァルトを規範とした口うるさい父君と共同でつくられた架空の人格「パウル・ショット」による台本の美しさ、緩急に満ち、それに音楽がぴったりと寄り添う形が、誰にも真似のできない世界であり、恐らくは、この時代にしか生み出し得ないものであったのだ。私は最初から最後まで、この言葉と音楽の関係にこころ揺さぶられていた。歌唱がどうの、演出がどうのというレヴェルではない。

歌手たちは、ブリギッテの山下牧子が優しく、宗教的な温かみがある歌唱の持ち味を生かして光り輝いた以外、特筆すべきものは感じない。ワーグナー歌手のトルステン・ケールも、ヒロイン役のミーガン・ミラーも、このような作品では一本調子というほかはなく、フランク/フリッツ役のアントン・ケレミチェフも、この役を歌うにはやや技術的な安定感に頼りすぎている。指揮のヤロスラフ・キズリンクを含め、これといった批判点はひとつもないが、かといって、強い賞賛に値するような出来ともいえない。演出は人の動かし方が巧みなだけで、内面的表現は杜撰である。だが、全体のパッケージはよくまとまっていた。少なくとも、作品のもつ高貴な価値が表現されるには、それで十分だったろう。

リブレットの要所に置かれ、ぐっと観客のこころをつかむ警句の面白さに、私などはずっと感動しっぱなしだった。序盤の舞台を見てみると、まず、既述だが、ブリギッタが奇妙な主人の想いに共感するところ。「ここにあるのは愛(略)愛があるところなら/こんな貧しい女でも満足できますわ」。その後、パウルと久しぶりに語らい、その異常な執心に驚きながら、フランクが立ち去るシーン。「俺も然るべきときに旅立ち/おまえのもとに立ち寄ったものだ(略)いまは行くが すぐに戻ってくる/幻もいずれ消え 霧も晴れるだろう」。

だが、次第にわかってくるのは、言葉と音楽がちょうど和歌の本歌取りのように、少しずつ過去の遺産と関係しつつ、歌枕が互いに互いを支えるような構造である。わかりやすいのは、第3幕だろう。この幕を支配するのは、マーラーが『大地の歌』など、要所で愛用した ewig 主題で、これが最初からずっと残るモティーフである。マーラーの作品を知る者なら、この幕が当然、何らかの別れで締め括られることを瞬時に理解するが、コルンゴルトはこれを思いがけないポエジーで上回る発想を見せなければならない。実際、作品は ewig 主題が作り出すムードを上手にクリアしながら、こころを洗う新しい響きへと昇華していく。甘み満載と思えた第1幕から比べれば、適度な苦味が全体の甘さをきっちりと引き締め、人々を夢から醒ます。やや前後するが、社会的テーマと混ぜあわせ、「ゆっくりと厳粛に」と指定して、コルンゴルトはこんな風にも歌わせている。

「友よ あの人にはもう2度と会わないつもりだよ(略)亡くなった人たちが、僕らに夢を与えてくれるのは/死者とともに、いいや、死者のなかで生きているときだけなのさ/いつまで僕らの嘆きは続くのだろうか」。

もしも会場全体がすぐに拍手なんかせずに、幕が閉じても、もうすこし余韻を抱きしめるように静かだったら、作品の感興はもっと深いものとして残っただろう。確かに、この作品は20世紀の前半に生き、死んでいった人たちのためにつくられたレクイエムだった。そして、皮肉にも、そのレクイエムは未来と対話してもいる。この作品を書いたことは、ひとりの作曲家にとって通過点にすぎないはずだったが、実際には、彼はその駅に何度も立ち寄ることになっただけでなく、彼の人生にとってあまりにも象徴的な場所になったのである。作品はコルンゴルトの未来を、なんとなく指し示している。本人はもっとちがう人生を望んでいたろうが、皮肉な結末は彼自身の書いた作品とソックリ同じであったのだ。

しかし、当然のことだが、創作の時点では、コルンゴルト自身が未来を知っていたということはあり得ないのである。最近、ツイッターで、ピンとくる言葉を拾った。曰く、手放したものだけが、自分の手もとに残る。コルンゴルトもそういう気持ちで、作品を書いたのは間違いない。彼にはもっとゆたかな可能性が残されていたし、それを試す時間もたくさんあったはずなのに。最近のいろいろなニュースや、西原稔氏の書いた本を読んでいると、自分なりの解釈、周りから影響されない独自の感覚を磨くことがどれだけ大事かを思い知らされる。コルンゴルトの芸術性の素晴らしさは、いまや完全に復権したようにみえるが、ホールテンの演出をみていると、まだまだ隙がないといえば嘘になる。

彼の遺した完璧な仕事が、マジックで茶化されるようなことになってはいけないのだ!

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