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2014年8月24日 (日)

オーボエの祭典 国際オーボエコンクール・東京/軽井沢 最高位入賞者による 8/2、3

【概要】

オーボエの歴史は古く、ホルンやファゴット、弦楽器と並び、最古参の部類に入っている。響きの根幹をつくるダブル・リードの起源は葦笛にあるとされ、オーボエの先祖とされるショーロという楽器でも13世紀まで遡る。リードは口唇の形にあわせて奏者自身が用意するのが普通で、しっかりした音を出すのは難しいことから、優れたオーボエ奏者は周囲から一目置かれる存在で、オーケストラでも顔役になっていることが多い。ブルグやホリガーのレヴェルでは、ほとんど神さま扱いである。

かつてのグループ会長で、声楽家でもあった故大賀典雄氏の後押しもあり、1985年を第1回にソニー音楽財団が3年ごとに主催し、東京、のちに軽井沢でおこなわれるようになった国際コンペティションの出身者も、その多くは欧米の著名なオーケストラに重要な席を得ている。オーボエのレパートリーを演奏する場合、欧米では契約により、楽団の首席奏者がソロを担当することが多いため、若手の凄腕の持ち主も特別な名声を得るまではオーケストラに所属することが多く、さもなければ、指導者として身を立てるしかない。そのような事情はあるとしても、このコンペティションが果たしてきた役割は世界のなかでも、決して小さくはないものだろう。今回は財団の30周年に寄せて、このコンペの過去のプライズ・ウィナーから5人を選抜し、リサイタルと協奏曲の両方で演奏してもらう企画が組まれた。これらの奏者はいずれも現役で、ルツェルン祝祭管、パリ管、バンベルク響、ブルノ・フィルなどのトップ・オーケストラで重い位置を占め、あるいは、著名な音大で教授職を得ていたり、過去にバイエルン放送響で副主席を務めたりした奏者が含まれている。

いずれも世界のトップ・オーケストラといえる存在であることは言うまでもない。

最初に言っておくと、すべての奏者が素晴らしかった。場合によって、能力を出しきれた人も、そうではない人もいたが、特に技術的な面では難しいアーティキュレーションを苦もなく決めており、音色や音程もクリアーで、これらの奏者がいずれ劣らぬ凄腕であることは疑いもない。あとは表現をめぐる感性で、いくつかの議論のポイントがあるとしても、それさえも十分な敬意をもって論ずることが必要である。ただ、ひとつ言わせてもらうなら、我が国にも優れたオーボエの演奏者は存在し、それらの奏者の演奏を普段、平気で楽しむことができている環境からすれば、このレヴェルでも驚きは限定的なものでしかない。過去には宮本文昭という不世出の天才がいたし、いまも広田智之、古部賢一、バロック以前のレパートリーなら三宮正満のような特別な才能の持ち主が、当たり前のように目の前の演奏会を彩っているのだから。

リサイタルの日には、そのことをつよく感じたのであるが、ここでひとりに与えられた時間は概ね数十分というところであり、全体では3時間を超える長丁場だったが、各個人をみれば、実力を出しきる前にステージを終えた奏者たちもいたように思う。特にバロック以前の演目を吹く場合、必要なスキルや音楽的な感性、スタイルの調整は難しい。バロック以前の曲目と、ロマン派以降の作品をともに高いレヴェルで引きこなすような逸材といったら、H.J.シェレンベルガーなど、ほんの一握りの存在でしかなく、下手にチェンバロ、上手にピアノを置いて、ほんの些細なインターバルのみを置いて吹くなどという神業をこなすのは無理なはなしなのかもしれない。それこそコンペティションにおいては、古典的な演目で基本的な技術や表現の安定度だけを調べ、より新しい時代の演目で技術性や表現性について試すことがあっても不思議でないが、この日のような舞台ではいささかアラが目立ってしまうだろう。

既述のように、オーボエは古くからつづく楽器だが、演奏法や様式までもがまったく変わっていないというわけではないようだ。バロック以前のレパートリーで示すオーボエの素朴で、艶消しされた響きの魅力は、近・現代のレパートリーで要求されるクリアで、輝きがあり、タフな音色とはまた別ものというわけである。

【ハースとヴェヴェルカ】

ミニ・リサイタルにおいて、5人のなかで最高のパフォーマンスを示したのはヴィレム・ヴェヴェルカだったのではなかろうか。現在、チェコで最高のオーボエ奏者とも称されるという彼だが、チェコ・フィルや外国の著名なオーケストラではなく、それらと比べると、やや名声では劣るブルノ・フィルを選択しているのは興味ぶかいことだと思う。その理由は様々あるものと想像できるが、そのうち、ひとつの理由はこの日の演目の2曲目に示されているように思われた。それはブルノ出身のユダヤ人で、WWⅡのとき、ガス室送りになって40代半ばでいのちを落としたパヴェル・ハースの作品である。

ほかの演奏者たちがどちらかといえば、個性や名技性のアピールに「スペース」を割いていたのに対して、ヴェヴェルカは自分なりに、今回のシリーズにテーマをもって臨んできたように見える。その中心に鎮座するのは明らかにハースの作品であり、対照的に、WWⅡを経たあと、独特の発展を遂げた2人のモダーニストが別に取り上げられた。もっともブリテンの作品は戦前(1936年)のものであり、1939年のハースの作品とは時代的に共通性がある。これら2曲がリサイタルで組み合わされ、1952年のB.A.ツィンマーマンの協奏曲が翌日に演奏されたというわけで、これらの時代的関係はもちろん、意味のあるものである。

ハースの作品は、八方ふさがりのイライラしたようなサウンドから始まる。時折、ジャズ的要素によって、方向性の拡大が試みられているようだが、その可能性も次第に閉ざされていき、結局、祈りのようなサウンドに収束していく。静かに浮かび上がる古典的な、それも大分、古いイメージを感じさせるモティーフが最後は信仰のエネルギーを呼び起こし、なんとか最後まで生き抜こうとするポジティヴなサウンドで幕を閉じる感動的な作品だ。ヴェヴェルカはこうしたストーリー・テリングには長けており、作品の背景をもろに音楽的な表情として実現させるという強烈な表現特性をもっている。こうした表現からはショスタコーヴィチの作品がもつクオリティを思い出させるかもしれないが、よりまっすぐで、率直な表現はなるほど、ハースらしいものとみられる。

骨太で、ブレスを極限まで使いきる奏法も、そうした印象をいや増しにするのだろう。ハースの作品にはもっと繊細な語りくちもあり、全体的にはやや大味な面も感じないわけではないが、それでも、彼自身と神さまとの間だけで成立した深い対話を読み取り、聴き手が受け取り可能な音として示し得るほどには、十分、作曲家の内面性に向き合った表現やアーティキュレーションが工夫されているように聴こえる。ここでおかしな話をするようだが、タレントの松村邦洋氏が自身の「ものまね」芸について語っていたことを思い出した。彼のものまねはどう頑張っても、50%しか似ていないので、あとの半分を埋めるためには、本人のほうから(自分のものまねに)似てもらうことが必要だと言っていたのである。トリッキーな発言ではあるが、芸術的表現にも適用できる考え方だ。つまり、ここでヴェヴェルカは自ら似ることと、相手の個性を自分に近づけてもらうことの両方を試みた気がするのである。

古典芸術において「個性的」であるということは、そういうことなのかもしれない。

【個性とピリオド的真実】

例えば、リサイタルの日に演奏された古典派以前の曲目で、もっともすばらしい印象を残したのは、カク・ヨンヒの吹いたバッハのシンフォニアだった。しかし、カクは先にF.クープランやC.P.E.バッハを吹いたボディヨモフやガテとは異なり、伴奏をピリオド楽器のチェンバロではなく、モダン・ピアノにしていた。彼女の見識は、自分の奏法がピリオド的な真実性を追うよりも、より宗教的なロマンティシズムを追う方向にむいていることをハッキリと認識しているところに表れている。所詮、自分はまだ、シェレンベルガーにはなれないのだ。シューマンの有名な曲目では十分に成功していないが、バッハでは、向こうからこちらに似てもらうという方法がうまく嵌ってくる。これは翌日の、モーツァルトのコンチェルトにも言えたことだろう。

ある意味、ガテは彼女が避けたような無理を、むしろ、一身に負わねばならないような立場にあったというべきだ。パリ管の第1ソロ奏者というのは、特別なポジションを要求されるものなのか。しかし、そのプライドが真に報いられたのは翌日のミヨーの協奏曲においてだった。演奏機会の著しく少ない作品ゆえに、出版社でも管理が甘くなっており、楽譜は散逸し、ようやく見つかったものもコンディションも悪かったという。指揮を務めた大井剛史氏によれば、総譜は汚損が酷いために、ピアノ譜を頼りに音を読み取るしか方法がなかったということである。そんな状態であっても、ガテはそこに、かつて名品といえる代物があったことを教えてくれたのだ。

その華やかな地位にもかかわらず、ガテのもつ最大の長所は、当たり前のことを当たり前にこなす粘りづよい表現性にあった。ミヨーについて、我々には驚くほど知識がない。この作品も op.365 という驚くべき数字であり、多作家だったことはまず間違いないが、それほどの作品を積み上げたにしても、彼の遺した佳品のうちの大部分はまだ、この世のなかでほとんど紹介されていないというべきだろう。特に日本では。例えば、13を数える交響曲のひとつでも、日本で聴くことはまず望み得ない。しかし、ガテの演奏によって示されたのは、幾度にわたって汲めども汲め尽くせないようなミヨーの豊富なアイディアである。しかし、そのアイディアはどこかから突然、魔法のように生じるという性質のものではなく、一歩一歩、職人的に、丁寧に紡がれていくような性質のものである。ミヨーとガテの個性はどこか重なってみえるし、ガテ自身がきっと、そのように感じているのではなかろうか。

これをきっかけに、ミヨーの作品については粘りづよく研究してみたい。

【異なるものをひとつに】

全プログラムの最後に演奏されたのが、リヒャルト・シュトラウスの『オーボエと小管弦楽のための協奏曲』で、オーボエのレパートリーのなかでは比較的、演奏機会の豊富な作品といえるだろう。録音ではリンクのように、ハインツ・ホリガーの独奏によるものもある。しかし、この日のナバロの演奏はもっと自由で、喜びに満ちたものだった。先のハースでもそうだし、ここでは触れないが、B.A.ツィンマーマンの作品もまた然り、そして、戦後・・・つまり、シュトラウスにとっては厳しい敗戦の直後に書かれたこの作品も、すべて明るさの感じられる仕上げになっている。しかし、よく聴くと、シュトラウスはそれまで自ら美しいと信じてきたウィーン的な華やかさと、そうではない構造的な完成を厳しく突きつけることで、新しい地平への出口を探ったことが窺われるのである。

ナバロの音色はふくよかで、誰にも真似のできない活き活きとした呼吸に満ちている。これはホリガーと比べても、明らかに傑出している。巨匠ホリガーの演奏はドイツ語の芝居を聴いているような感じだが、今回はもっと優しく、内側に忍び込んでくる神の言葉の肌触りを感じさせる。そこからは、いろいろなことを想像させる。例えば、この作品を書くきっかけになった、従軍のオーボエ楽士(戦後、30年以上もフィラデルフィア管の首席を務め、カーティス音楽院学長にもなったジョン・デ・ランシー)との逸話など。しかし、私の耳にいちばん趣ぶかく残るのは、ハースと同じように、自分の音楽が死ぬか生きるかのところで、ギリギリ立ち止まった老巨匠の味わいぶかい書法である。

私はこの作曲家の交響詩『ドン・キホーテ』という作品を愛しているが、それとネガポジで、このオーボエ・コンチェルトが位置するような感覚を得た。もっとも、キホーテはシュトラウスにとって初期のうちに書かれたものだが、時空を超えて、2つの作品は美しく照合しあっている。彼は常に、異なる2つのものを突き合わせることから、新しい光を導く。キホーテは眠っていくが、オーボエ協奏曲のほうは目覚めていくというちがいがあるだけだ。ナバロほど、その光を眩しく感じさせることができる奏者も少ない。その光の正体とは実に、作品の新しさなのであるが、この2日間は世界でも有数の才能をもった奏者たちが、それらの新しさを高いレヴェルで競った稀な機会なのであった。

ここでは一部の内容しか触れられないのは残念なことと思うが、代わりに、可能性ゆたかな若い奏者たちに、改めて畏敬の念を表することができるのは幸いである。

【プログラム】 2014年8月2、3日

第1日:リサイタルの日

1、F.クープラン コンセール第14番 ニ短調~趣味の融合または新しいコンセール集
2、A.デランドル 序奏とポロネーズ
3、ボザ ファンタジー・パストラール
4、メシアン ヴォカリーズ=エチュード
 (ob:アレクサンドル・ガテ)

5、C.P.E.バッハ オーボエ・ソナタ Wq78
6、サン・サーンス オーボエ・ソナタ 
 (ob:イヴァン・ボディヨモフ)

7、シューマン アダージョとアレグロ op.70
8、バッハ シンフォニア~カンタータ BWV156
9、シュニーダー オーボエ・ソナタ
 (ob:カク・ヨンヒ)

10、ドラティ オーボエのための5つの小品
11、カリヴォダ サロンのための小品 op.228
 (ob:ルーカス・マシアス・ナバロ)

12、ブリテン テンポラル・ヴァリエーション
13、P.ハース オーボエとピアノのための組曲 op.17
 (ob:ヴィレム・ヴェヴェルカ) 

 cemb(1、5):桒形亜樹子

 pf(2、3、4、6、11):今仁 喜美子

 pf(7、8、9、12、13):江口 雅子

 於:トッパンホール

第2日:協奏曲の日

1、マルティヌー オーボエと小管弦楽のための協奏曲
 (ob:I.ボディヨモフ)
2、B.A.ツィンマーマン オーボエと小管弦楽のための協奏曲
 (ob:W.ヴェヴェルカ)
3、ミヨー オーボエ協奏曲
 (ob:A.ガテ)
4、モーツァルト オーボエ協奏曲 KV314
 (ob:カク・ヨンヒ)
5、R.シュトラウス オーボエと小管弦楽のための協奏曲
 (ob:L.M.ナバロ)

 orch:東京フィル(コンサートマスター:青木 高志)

 cond:大井 剛史

 於:紀尾井ホール

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コメント

すみません、一つだけ指摘(?)させて下さい。
最初の方に出て来る「ストルツマン」はオーボエではなくクラリネット奏者ですね。

ミヨーの協奏曲はパート譜が長く紛失していたためピアノ伴奏だけの形で知られる存在でしたが、実は紛失前の1970年に若きホリガーによって日本初演されています。指揮は最後まで現代作品に情熱を注いだ、晩年の近衛秀麿でした。
(蛇足ながら、やはりピアノ伴奏だけで知られていたシュトラウスの協奏曲を正式なオケ伴奏で日本に初紹介した(1962年)のも近衞でした。その時のソロは読響に来ていたオットー・ヴィンター、後にバンベルク首席)

もう8か月も前の事になってしまったコンサートですが、偶然、楽屋でヴェヴェルカさんとお話しする機会があり、チェコ語のKrtek(モグラ)の発音が外国人には絶対にできないという、変な話題で盛り上がりました。またビロード革命の後にやっと祖国復帰が叶ったオーボエ奏者タンチブデク(←Wiki)のレッスンを受けた時の話もしました。

カクさんはコンクールの時にお世話になったという似鳥健彦先生(1967年に「トリスタン」第三幕前奏曲を日本人として最初に演奏し、ブーレーズから賞賛の手紙が届いた)と再会を喜んでいましたが、退院直後という説明にOh,No! と叫んで涙ながらにハグしていた姿が忘れられません。あの時は小康状態だった似鳥先生も、今年の3月に亡くなられてしまいました。

湿っぽい話ばかりで、すみませんでした。

あら、間違えましたね。該当箇所、削除しておきます。ときどき、クラ吹きとオーボエ吹きのことを混同するときがあります。青山聖樹さんって、どっちだったっけ・・・とか。記銘力が弱ってるのでしょうか。

間違いもある駄文に寄せて、貴重なおはなし、ありがとうございます。krtekに限らず、チェコ語は日本人には難しいと思います。ドヴォルザーク・・・ドヴォッジアク?ドヴォジャーク?すら、いえません。こうしたものは、当ページでは結局、もっとも一般的と思われる表記に従っていることが多いです。

意外なことに、オーボエの歴史に日本人が貢献していることを知って面白かったです。

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