2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ

« 三善晃 歌劇『遠い帆』 仙台市主催 慶長遣欧使節出帆400年記念事業 東京公演 8月24日 | トップページ | 二期会 モーツァルト 歌劇『イドメネオ』 Aキャスト 与儀巧、山下牧子 ほか 初日 9/12 »

2014年9月16日 (火)

芥川作曲賞 公開審査会 新井健歩 TACTUS/鈴木純明 ラ・ロマネスカⅡ ほか 8/31

【新井健歩の主張】

今年の芥川作曲賞の公開審査会に足を運んだのは、デュサパンのときに貰ったプログラムのなかで、今回、委嘱新作を発表する新井健歩氏の文章に、多少、引っかかるものを感じたからである。彼によれば、現代の奏者たちは細かく数えすぎていて、古い録音などを調べていくと必ずしもそうではないのに、いまはピリオド主義を志向する人たちであっても、やっぱり細かく数えているのがつまらないというのであった。この警句は、私にとっても実感のあるところで、新井氏とまったく同じ感覚だったかどうかはわからないが、東西両陣営のいずれの側においても、かつてのほうが、オーケストラやアンサンブルに対する締めつけは厳しかったにもかかわらず、時代を遡れば遡るほど、演奏の自由さが増しているのが興味ぶかいと思っていたところである。

かといって、まったく数えられない作品を書けたわけでもないというのにはガッカリするが、「自分の楽曲を改めて見てみると、特定の要素がとことん簡素に仕上がっている」という点にはまた興味をもった。「今までは現代音楽を書くとき、現代音楽らしい響きにすることを意識していたように思うが、今回は吹っ切れていた」というのは、実際に作品を耳にした感覚と同じだった。確かに、吹っ切れていたようである。彼の音楽には普通、西洋音楽がもつキッチリした構造性が欠けていた。正確には、柱も壁もない状態で、構造が宙に浮いている感じがする。

オーケストラ組織をみると、プログラムの解説にあるように、キー・システムが西洋音楽の12平均律や既存の音律と切っても切れない関係にある木管は除き、左右後方に配置された各3本のホルン(下手)とトランペット(上手)、3人の打楽器奏者と、弦楽五部によって構成されていた。木管楽器の排除によって、楽器の組み合わせなど、作品を多様化させるヴァリエーションには不足したが、かえって、それが作品にシンプルな味わいをもたらすことにもつながった。ダイナミズムも厳しく絞り、ほとんどの場合、メゾ・ピアノまでで抑えられており、静かな音楽だ。正に肩の力を抜いて演奏されるべき音楽であり、それにもかかわらず、深い緊張感が全体に染みわたっているのは興味ぶかい。音楽の優しく、透明な特徴に加えて、あらゆる種類の音楽的示唆に富み、これは指揮台に立っているのが杉山洋一氏である分、いっそう豊かに感じられるのである。

惜しむらくは、公開審査の公平で、適切なコンディションを確保すべく、新作にかける準備は後回しになっているようで、最初の弱く、複雑な金管アンサンブル(コラール)の意味が十分には掴めない状態で演奏された。そうであっても、この作品は近年、私が聴いた現代作品のなかでも特に衝撃的なもののうちに入っている。新井氏の受賞作品については当時、「搦め手」「逃げの精神」「様々な技法的工夫にもかかわらず、響きの特徴はきわめて保守的」として、厳しい評価を書いていたが、その後、飛躍的な成長を遂げたことを素直に喜びたい(受賞作より良い委嘱作を書いた人は、実に少ない)。未だ桐朋の院生であり、伸びしろはきわめて大きそうである。 

【旋律のもつ複雑さ】

さて、第24回の受賞者は、その新井を桐朋時代に指導した経験もある鈴木純明氏に決まった。作品名は『ラ・ロマネスカⅡ』で、冒頭と終結部をサンドウィッチするフレスコバルディのほか、ツェムリンスキーや自作からの引用を含むユニークな作品である。審査員の小鍛冶邦隆氏も指摘するようにポップなサウンドに特徴があり、過去の受賞者では山根明季子や小出稚子と印象が同じだ。例えば、題名ひとつをとってみても、敢えて中黒をとって読んでみると「ラロ、真似すっか」となっており、ある程度、洒落から出てきた発想であることは明らかである。すべてのシーケンスが終わり、ユーモアたっぷりの断片で作品が終結すると、私は思わず、噴き出すような笑いをこぼすのを我慢できなかったほどである。少なくとも、藝大や桐朋で教鞭をとる人物だとは思えない。

しかし、ご多分に漏れず、鈴木氏も前衛のグリゼイに学び、その研究で論文を書いているアカデミックな背景をもっている。周知のように、ジェラール・グリゼイといえば、「スペクトル楽派」の巨魁であった人物で、鈴木もその影響を受けたのであれば、もとは前衛的な思考をもっていたはずである。このような作曲家がより軟化した作風に転じている場合、私はその人の腹の底から出ている音楽なのかどうかに注目する。この作品に関しては、鈴木にとってほとんど無欲の産物であるように思えた。もっとも、鈴木の旧作の題名をみると、バロック作品をモティーフにしたようなスタイルの作品は重ねて作製されている。とはいえ、応募式のコンペティションであれば、絶対に書かれないようなタイプの作品で、仲間うちにしか通じないジョークのような味わいをも備えていた。しかし、それにもかかわらず、この作品が示唆するものは普遍的で、奥深いものを感じさせる。

そのために、もっとも根本的な役割を果たしているのは、最初と最後に登場するフレスコバルディの音楽である。フレスコバルディはバロック初期を代表する作曲家、演奏家であり、特に鍵盤に膨大な作品を残している。過去に指導を受けた新井が奇しくも新作の題名とした”TACTUS”による記譜法で表現される素朴な音楽から、加減速を含むテンポ・ルバート方式による音楽表現を先導した人物とされているようだ。先に示したような新井の発想も、実のところは鈴木からの示唆によるところが大きいような気もする。しかし、鈴木が注目したのはテンポや拍の問題ではなく、心臓を射るように強烈なバロック旋律の輝かしいインパクトと、緊張感である。これをチェレスタだけで無装飾に演奏したことがポイントであり、といっても、薄く低音弦の支えを入れて厚みを増している点に特徴がある。

その後、音楽は明らかに(宗教に根ざした)象徴的メッセージに満ちたフレスコバルディの音楽に激しく動揺するような感じで生じる衝撃音から、一挙に新しい展開を迎えることになる。全体の動きをみれば、先の2曲と比べれば、はるかにわかりやすい展開を辿り、特に後半に行くにしたがって引用部分が露骨に浮き上がるようにできている野には驚いた。これで私は、演劇やオペラなどに出てくる「デウス・エクス・マキナ」のシステムを思い出したが、引用旋律が単純に浮き上がれば浮き上がるほど、その構造はむしろシンプルさを失い、不安定になってしまう点が示唆的に思われた。この流れで最後にもういちどフレスコバルディの最初の旋律を聴くと、実は旋律というものがどれほど意味ぶかく、複雑に構築され、我々をいかに惑わすのかというのがよくわかろうというものである。

ここでも、新井健歩が自分の作品が出来上がったのを見直してみたときに、「とことん簡素に仕上がっている」と述べている点と、旋律の簡素さを問う以上のような鈴木の意図とは面白いように符合しているようにみえた。2つの作品がこのように不思議な縁で、同じ年にぶつかったというのは偶然ではないような気もするのである。かつてのディレクター、湯浅譲二のいうような新奇さには欠けているものの、作品は今日における作曲家の立ち位置というのを浮き彫りにするものでもある。その立場で鈴木を支持したのは作曲以外に、演奏家の視点も備える小鍛冶邦隆氏であった。

【ラッヘンマンによく似た大西作品】

審査委員の福士則夫や望月京がともに、驚きを感じたというのが大西義明の『トラムスパースⅠ』である。序盤からとにかく、それぞれの楽器がもつそれらしい響きというものを絶対に出さないのがルールのように進んでいくのである。望月は「かえるが鳴くような響き」「野生的」というようなキーワードを使っていたが、私の経験上は、ヘルムート・ラッヘンマンが用いるようなノイズ・サウンドとイメージが直結し、特に目新しい感じはしなかった。私のちかくの席で喋っていた音大生らしき人たちも、大西の作品に新しさを感じ、鈴木の作品は「大学の先生がつくるような作品」ということに聴こえたらしい(そんな声が耳に入った)。しかし、私からみると、むしろ大西作品のほうが現代音楽ではありがちで、鈴木作品はサウンド構成の奇抜さこそないものの、現代音楽にはあまりない発想からつくられているように思われたのだ。

今回の審査員も、いま申し述べたような発想のユーモアに支持を与えるタイプの人だったということができるかもしれない。例えば、審査員が湯浅譲二、近藤譲、藤倉大だったら、当たり前のことだが、また別の結果が出たかもしれないとは思う。実は今回の審査会では、娘のマリ子さんのリサイタルで作品を耳にし、親子の対談も聞いた福士氏がどのような判断を下すのかという点にも興味をもっていた。福士氏はISCM系の日本現代音楽協会で会長を務めた経験もあり、作品にもユニークな特徴がある。ここには多くを書かないが、低い声で静かに、慎重な話し方をする福士の弁舌は大いに参考になるものだった。例えば、鈴木作品に対しては、「引用は嫌い」と断言し、ひとの音楽を使うくらいなら、自分の言いたいことを言えと強弁しながらも、最終的には自説を曲げ、鈴木の発想に支持を表明した。

大西作品に戻れば、例えば、大太鼓さえも「そこを使うの?」という徹底したアンチ・オリジナル・サウンドが中途まで徹底されたが、たしかフルートだったろうか、ひとつの楽器がついに我々に馴染みのある響きをうっかり出したところから、パンドラの箱を開けたようにして、音楽はカオスを演じることになった。このカオスに十分、知的なユーモアが感じられず、ただただ凶暴な、混乱した音響だけを残してしまうのは大きく印象を損なうことにつながった。長いパニックを経て、音楽がまた落ち着きを取り戻したときには、再びサウンドはゆたかなイメージを紡ぎだすのだから、中間の構成により緻密なデザインが求められたのではなかろうか。このサウンドがいつまで続くのか、私は不安になってしまった。しかし、最初の清新なイメージを支持し、望月は最初、次作への期待も込めて大西作品を推した。

この作品に対しては、ピアノの内部奏法にも新しい視点がみられた。これまで、私が目にした内部奏法は、鍵盤の前に座ったピアノの弾き手が、片手で弦を押さえながら、もう片方の手で鍵盤を弾くというものだった。しかし、今回は弾き手が長い棒(ヴァイオリンのボウ?)のようなものを持ち、かなり遠くの弦を押さえたりするのが特徴的である。また、ときには他の奏者がもうひとりついて、やはり、鍵盤から遠い弦を押さえることもあった。こうして生じるサウンドはユニークなもので、通常の内部奏法のビヨーンとしなるような響きともまた異なり、繊細で、透明感のある響きを生じるのである。

【コピー&ぺ-ストの作品】

最初の稲森作品は、新井と同じようなふわふわしたイメージをもつ作品だった。しかしながら、それと比べると、全体的に変化に乏しく、コピー&ペースト的な同質の響きがあまりに長くつづくのは、大西作品よりもさらに露骨であった点がマイナスだ。審査員も指摘したように、「フーガの亡霊」という作品のサブ・タイトルは序盤、中盤はほとんど気にならず、最後、パッとヴィジョンが開けるときにだけ思い出される。言いたいことを最後まで隠す姿勢は決してネガティヴではないが、そこに至るまでにもうすこし魅力的な伏線が張り巡らされていれば、より緻密な書法を感じさせることができたはずだ。審査員からは意外に好意的な評価は聞かれたものの、最終的に支持する人はなかった。

【まとめ】

一長一短はあるものの、今季のノミネート作品はほかの年と比べて、しっかりとした聴きごたえがあり、新井健歩の新作が正直、もっとも素晴らしかったが、それを含めて、日本の作曲界の1年を締め括るに相応しい内容を備えていたのではなかろうか。ただ、福士氏の意中の作品で、もっともつよい思い入れのある作品は、三者の協議によって、この場所で発表されることがなかったということなので、その点ではどんな作品だったのか、興味も沸いてくるというものだ。しかし、そのパターンは三枝成彰氏が「佐村河内作品」の名前を敢えて出したときと同じなので、内心、ドキリとした。ただ、慎重な見識をもつ福士氏は、不用意に名前を出したりはなさらない。

いずれにしても、この演奏会の面白さに大きく寄与したのは、杉山洋一氏の指揮の素晴らしさによるところも大きかった。以前、ドナトーニの作品をあれほど活き活きと紹介できたのも、彼のおかげだったが、ある意味、彼の指揮に曝されると、作品の特徴や大まかな価値はたちどころに印象づけられてしまう。今回、審査員の言うことは、ほとんど私が感じたことと大差なかったが、それは私の聴き方が別段、優れているというのではなく、杉山の指揮に込められたメッセージが我々をそのように導いてしまったという側面もあろう。ある意味、賞の選定には、杉山のイメージした作品像が十分に反映され、彼が第4の審査員となっていた。また、今回は司会に、湯浅時代からフェスに深く携わる音楽学者の岡部真一郎氏が初めて参加し、独特の雰囲気で選考が進んだ。最後、若干の暴走は見られたが、イベントのルールブックを書いているかのような彼の存在が不可欠の、掘り下げたスタイルは審査をより奥深いものにしたことだろう。

新井健歩、鈴木純明の師弟には、今後とも期待を寄せたいと思う。特に新井作品については、私には何の影響力もないものの、是非、各オーケストラに対して再演を薦めたいと思うような佳品であった。

« 三善晃 歌劇『遠い帆』 仙台市主催 慶長遣欧使節出帆400年記念事業 東京公演 8月24日 | トップページ | 二期会 モーツァルト 歌劇『イドメネオ』 Aキャスト 与儀巧、山下牧子 ほか 初日 9/12 »

オーケストラ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/543421/60305548

この記事へのトラックバック一覧です: 芥川作曲賞 公開審査会 新井健歩 TACTUS/鈴木純明 ラ・ロマネスカⅡ ほか 8/31:

« 三善晃 歌劇『遠い帆』 仙台市主催 慶長遣欧使節出帆400年記念事業 東京公演 8月24日 | トップページ | 二期会 モーツァルト 歌劇『イドメネオ』 Aキャスト 与儀巧、山下牧子 ほか 初日 9/12 »

ツイッター

  • ツイッター

最近のコメント