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2014年9月12日 (金)

三善晃 歌劇『遠い帆』 仙台市主催 慶長遣欧使節出帆400年記念事業 東京公演 8月24日

【歴史的背景】

慶長18年(1613年)10月、支倉六右衛門(常長/長経)とルイス・ソテロ神父らを乗せて、サン・フアン・バウティスタ号は牡鹿半島の月浦を出帆した。支倉が再び日本の土を踏んだのは、それから7年後の元和6年(1620年)のことで、この年月を見るだけでも、支倉の旅が困難なものであったことが窺われる。役割をおえた六右衛門は翌年に亡くなり、ソテロものちに禁教下の日本に再度わたり、鹿児島で捕縛されて、2年後の寛永元年(1624年)に、江戸幕府によって火あぶりの刑に処された。

六右衛門の父は山口常成といい、兄の支倉時正とともに武功に優れ、1200石まで加増されたなかなかの大身である。時正は郷土に並び立つ歴史ある有力土豪で、同族ともみられる砂金氏から正室を迎えたが、嗣子は生まれず、六右衛門が養子となったが、後妻に子が生まれ、遺領はそれぞれが600石ずつ相続することになって、六右衛門は分家した。やがて、砂金氏と常成・時正が争乱を起こし(鍋丸事件)、当事者の常成は政宗によって切腹させられた。その後、相続した六右衛門がどのような境遇にあったは定かでなく、父同様に軍役で活躍した記録もあるという。父の切腹後(1600年)、支倉家が罪を得て閉門などになった事情は窺えるが、六右衛門が主君の政宗からどのような扱いを受け、ある時点で赦されて武士の勤めを続けていたのか、閉門のままで不遇をかこっていたのかはよくわからない。

そのこともあり、支倉の遣欧使節がある意味、罪人ゆえに困難な役割に回された懲罰的な意味をもっていたのか、反対に、主君からの十分な信頼を得て勝ち取った名誉の大任だったのかはよくわからない。そのわからなさは、当時の時代背景とも関連している。なぜなら、この頃、徳川家康の江戸幕府は徐々に禁令に傾いていた。六右衛門を導いたソテロ神父も、もとは江戸で捕縛された宣教師のひとりである。政宗はこれを助け、家康を口説いて幕府の使者も同船させる形にして、正式な日本使節として支倉らを出航させたものの、家康のこころは変わらず、以後、幕府は徐々に禁令を強めていくことになる。なぜ、家康は政宗に許可を出したのだろうか。このタイミングをみても、支倉が捨て石にされたような印象があるし、しかし、同時に幕府の役人も乗った正式な使節の代表に、わざわざ罪人を当てるとも考えにくいのだ。

まったくの想像だが、伊達政宗は国を開き、通商をしながら国力を高め、イスパニアなどの欧州国家に追いついていく明治維新的な構想をもっていて、家康も一時はそれに傾いたが、結局、幕府の利益独占を優先し、オランダを相手とした限定的な交易関係に留まることを選択したといえそうである。政宗の想いからして、支倉は十分に信頼のおける家臣であったはずで、罪を贖うために必死になることを狙ったのではなく、既に有能な家臣として頭角を現している彼に、この役割で大功を立てさせ、支倉家を従来の重臣の位置に戻すことを狙った積極的な器用だったことが窺われる。

【必要だった最悪のシナリオ】

だが、作曲者の三善晃や、歌劇『遠い帆』の制作チームはまったくちがう歴史的解釈を選んでいた。幕が開くと、百姓同然の姿に身をやつして重荷を背負う六右衛門が、貧困に苦しむ民たちのなかで、政宗からの呼び出しに怯え、いよいよ切腹させられるのではないかと覚悟を決めようとしているのである。民たちの貧困はあるいは、出航の2年前、仙台を襲った地震と津波の影響が残ることの暗喩だったかもしれないが、三善の全体の構想をみると、伊達家、もしくは武家権力者の治世全体に暗澹たるイメージを放っていることから、民たちの困窮は必ずしも、天変地異とは関係しないとみても差し支えない。とにかく、六右衛門の境遇は考え得る可能性のなかで、もっとも手厳しいものだ。

支倉家は罪人の家として、一揆勢や朝鮮半島などの前線に送られ、多少の功を挙げたぐらいでは赦されずに、事件の当事者でもない六右衛門が連座のまま、いつ切腹させれてもおかしくない境遇がつづいていたということになる。父の死去から、10年ちかくが経ったとしても。それで、今度はまた功の挙げがたい困難な役割につけられるというのだから、気の毒なはなしである。この公演は仙台市の肝煎りでつくられ、歴史的検証も専門家の見地から十分になされたはずであるが、私のような素人からみて、作品の背景をつくる歴史的な解釈はいささか脚色が強すぎる印象を受ける。しかしながら、そのことは作品の性格からみて、必ずしも失敗といえるようなものではない。むしろ、必要なものだ。三善晃がこれほど根源的にアイロニカルで、痛切なドラマを書ける人だというイメージはこれまでなかったが、彼にとって、このような光なき暗闇は願ってもないものだった。

近年、オペラというジャンルは再び活性化しているようにも見受けられるが、三善のような世代の人にとってオペラを書くということは、いささか時代遅れの感覚があり、リソースを大量に使うのは必定ながら、あまり可能性のないジャンルとみなされていたと思う。黛敏郎の言うように日本語のデクラーメションを確立するのもきわめて困難で、今日まで著名な作品として残ったのは、黛の『古事記伝』(言語は特殊なドイツ語)のほか、松村禎三の『沈黙』、山田耕筰の『夜明け』、そして、團伊玖磨の『夕鶴』ぐらいのものである。1990年の委嘱で、三善が製作を決断したとすれば、それは並々ならぬ決意だったに相違ない。

【全否定の音楽】

諸外国との関係が当たり前のようにあり、宗教的にも寛容・・・というよりは、ほとんど無節操な状態を呈している今日の日本からすれば、「慶長遣欧使節出帆400周年」などというと、日本が世界に開かれた記念日のような、祝祭的な印象を抱きがちだが、実際には酷い結果が待っていた。高橋睦郎の脚本も脚本だが、三善の音楽はこの結果にさらなるアナーキーな印象をもたらしている。彼らは遣欧使節を矛盾だらけのものと考え、支倉やソテロの役割を不条理なものとみているし、郷土の英雄である伊達政宗も家康と何ら択ぶところない、横暴な権力者としてしか描いていない。全否定の、驚くべき音楽だ。その想いは最初の場面で、強烈に告白される。

幕開きは能や歌舞伎のような雰囲気で始まり、その流れから自然に響く児童合唱による数え唄が最初の深いインパクトを放つ。この瞬間、私はこの歌劇が只ならぬ、底知れない厚みをもつ意志に固められたものであることを知った。開幕に先んじて、プログラムと一緒に配られた歌詞の抜書きは半分ほど読んでいたにしても、これが実際、どう使われ、何に使われるかはまだ十分にわからない段階で、これはもう容赦なく、手ごわい作品だと実感し、涙を誘った。だが、私の考えでは、涙はある種の甘さに裏打ちされるもので、この場合は、子どもたちの歌声のなんとも言えない優しさや透明感、また同時に、そこから窺い知られる周到な準備が一挙に感得できたせいであり、その旋律が予期に反して、典型的に日本的なものだったことによるのだろう。

先日のスイス・ロマンド管の演奏会に際しても述べたように、私は武満に比べて、三善は日本的という感じはしていなかった。今回のオペラでも、いま触れた場面のあとで日本的音響が突如として打ち破られ、西洋前衛音楽のクラウドな音響が数え唄に残る長閑さを打ち消し、全体はいよいよ闇に迫っていくが、こちらこそが私のイメージする三善らしい音響なのである。この段階で三善が何を言いたいのかは、大体、明らかになってきた。作品は慶長の昔の歴史的事実をもとにしているが、その作品を構成するエネルギーは三善自身の自伝的な煩悶から来ていて、支倉の物語は、三善のワタクシ小説のようにもなっている。自分がどっぷりと浸かった西洋音楽、特に前衛音楽の著しい凶暴性が、この場面では象徴的に描かれており、そのなかで筆をとる日本人音楽家の不条理というものが、痛いほどに伝わってきた。

日本人として文化的背景や宗教を踏まえて、西洋音楽に関わるものがどのような態度をとるべきかということについては、しばしば、様々な議論がなされている。それは聴き手にとっても同じ問題であり、例えば、キリスト教徒でもないのに、バッハの受難曲を聴いて十字を切りたくなるような気持ちは、どのように扱えばよいのだろうか。それが私の場合なら、別に本能のままに、感じたままに振る舞えばよかろう。しかし、それを生業(なりわい)とするような者にとっては、ときに重大な精神的重荷となる。この作品を聴くかぎり、三善はこの重荷を一気に吹き飛ばすような仕事をした。音楽的には、これは三善の自殺行為ともいえようか。

【美しいフォルムのもつ意味】

作品のフォルムは、きわめて美しい。例の数え唄で全体がサンドウィッチされたシンメトリカル構造で、最後、「十は重代閉門竹矢来」でオチがつく。支倉は初めから、この数え唄の冷笑に曝され、罪人という立場からいちども身を起こすことはない。彼は異国の教会で、イエスの受難像をみることによって、自らを鏡に映した。宗教的カンタータとしても、よくできている。権力者のモティーフでつながれた政宗&家康、スペイン国王夫妻、そして、パーパ様(ローマ法王)は、いずれも操り人形。日本の大名は赤い紐につながれ、外国の権力者は既にパペット・・・巨大なパペットである。

このハリボテのアイディアはパッと見では違和感を禁じ得なかったものの、そこを表現する音楽の移り変わり(主に合唱)やパペットを操作する仕種をみるうちに、次第に惹き込まれていった。このアイディアには明らかに東北的な・・・五所川原のねぷた祭りや仙台の七夕祭りを飾るスケール感が乗り移っており、観る者を圧倒する迫力がある。特にパーパ様が国王夫妻を上回る巨大さで出現するときには息を呑んだ。同時に、これらの表現には当時の西欧の権力基盤に対する痛切な皮肉が含まれており、この時期がちょうど、西洋クラシック音楽の最初の円熟期を迎えていたこと(例えば、1613年にはジェズアルドは死去し、モンテヴェルディなどが活躍している)をも踏まえると、アイロニーはさらに複層的なものになっていく。しかし、アイロニーとはいっても、この場合はきわめて愉快な気持ちになる性質のものだ。それだけに、前の場で「影」によって予め読まれていたビスカイーノらによる誣告状が届くや、我々は支倉自身を追いかけるような暗い情念に包まれてしまうのである。

三善がどのような信仰をもっていたか、私は何も知らないが、多分、キリスト教に対しては一定の距離を保っていたのではなかろうか。しかしながら、彼は何の予備知識もなく西洋に渡り、運命が決まっていたように行動し、改宗した支倉というキャラクターを通じて、原始的なキリスト教的引力のエネルギーに迫っている。作中のソテロも序盤は野心家の活動的な宣教師として描かれており、つまりは、『ファウスト』のメフィストのような役割を演じているようにも描かれるが、見知らぬ土地で聖人のようになっていく支倉を通して生まれ変わり(浄化され)、史実のように、禁教下の日本に舞い戻るような情熱的な宗教家として描きなおされているのがわかる。ソテロが出会ったのは当時、欧州にも、もはや存在しなかったキリスト教のもつ本当の意味であった。それは弱者のための救済という一点に焦点が絞られていて、その点で「権力」がまた瓜二つであるように、弱者の在り方もまた洋の東西を問わない。

彼らはときに支倉を讃美したが、またある面では馬鹿にしていた。欧州の土地では、その孤独さはさらに鋭さを増したが、これもまた、三善自身の立場と無関係ではない。だが、それを経過して、さらに祖国で受ける「重代閉門竹矢来」の屈辱はなおさら過酷である。全場面が一続きになっている作品は冒頭と同じ数え唄の回帰によって、いよいよ解決が迫ったと知らされることになった。その直前に、六右衛門の影が次のようにいう場面がある。「彼らはもはや/争うことはない/後に続く者たちが/つぎつぎに生まれては/また争いに明け暮れる/世界のおわるその日まで」。先の戦争に原体験を置いた、三善らしい結語の言葉である。これを機に、また繰り返しが来る・・・また、メッセージが増える。

終幕は数え唄のつづき「十は重代竹矢来/後に残るは死失帳」、そして、おらしょを引いた言葉遊び「あんめんぜんす/さんたまりあ」と、「さよう、しからば/あわばよ」のちょっとあり得ない多重フーガになる。これが、最後のメッセージとなろう。この結末は、三善の書いたすべての作品のなかでも多分、もっとも衝撃的で、壮絶なものだと思う。無論、私の知る範囲での話でしかないのは断ったうえで。

【まとめ】

さて、この公演は地元の仙台での公演を含め、丁寧に準備と上演を重ねて来ただけあって、全体のパフォーマンス水準、コラボレーションのレヴェルが際限まで高められているのが明らかだった。こうした場合、その公演だけに集中できるわけではなく、中途から参加するプロ音楽家のほうが押されてしまう場合が多々あるが、今回の場合、一線級の歌手が参加したにもかかわらず、その懸念には及ばなかった。六右衛門役の小森輝彦とソテロ役の小山陽二郎という二枚看板を中心に、「影」役の平野雅世なども立派に役割を果たしたからである。そのなかでも特筆すべきは小山のパフォーマンスであるが、基本的に日本語を歌うソテロでも、例えば「イエズス・キリスト」などカタカナ語をはなす場合、台本の表記に関わらず、外国語の正しい発音になおして歌っているところに工夫があった。

やや硬いデクラメーションであっても、それを固有の魅力として几帳面に守った小森とはまた対照的である。だが、彼がもうすこし日本の古典芸能に関心があったなら、より深いパフォーマンスができたのではないかという残念さもまるでないと言えば嘘になる。私はこの優秀なバリトン歌手のことを前から贔屓にしてきたが、その点では、今公演に際して課題はあった。彼なりにベストは尽くしているのはわかるが、日本人が日本人の歌をうたいながら、彼の歌はどこか西洋人が歌っているようなものであった場面も少なくなかったのは反省すべきところだろう。もっともドイツ暮らしの長い小森に、日本語デクラメーションを磨く経験があまりなかったであろうことは考慮に値する。

カーテンコールでは昨年、惜しまれながらもこの世を去った三善晃氏の遺影が登場。正に、彼のワタクシ小説的作品であることを踏まえれば、なんとなく、この写真をみるために席についていた感じもなくはない。先に書いたような悩みも、多くの音楽家はみないことにして自らのキャリアをつくっていくものだ。その点、三善氏の倫理観というものは昔の文士の律義さを思わせるものがあり、驚異的だろう。いまはもう、「包み隠さず書く」文士なんているものではない。音楽家ともなれば、なおさらのことだ。もっとも、このモラルの高さによって、彼が得るべき多くのものは放棄せねばならなかったとすれば、皮肉なことであるが。

管弦楽は佐藤正浩率いる仙台フィルで、この指揮者のパフォーマンスはイタリア・オペラ以外では初めての体験となるが、基本的にはそのスキルを生かしてキャラクターの心情に寄り添い、歌のなかから内面を浮き彫りにする指揮ぶりで変わらない。全体的に息が入らず、それはそれで面白いのだが、否、本当はこういうのではなくて、もうすこし呼吸が深いほうが味が出るのではないかと思わせる部分がいくつかあった。何より、聴いていて疲れてしまうので、こういう書法は三善的なものとは思えない。確かに『遠い帆』は一聴して凄い作品だが、オペラはやはり、上演を重ねていくことも重要になるのだろう。しかし、最初の試みとしては、今回のペースも良いのではないかと思う。

素晴らしかったプロダクションも、この公演で最後になるのだろうか。是非、再演が観たいのだが・・・。

あのパペットとか、新国立劇場が買い上げても、保管しておくべきものなのに!

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「アリスの音楽館」をいつも興味深く読んでいます。このエッセイを読んで三善晃の「遠い帆」を是非鑑賞したいと思いました。ありがとうございます。

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