2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ

« 第11回現代音楽演奏コンクール 競楽Ⅺ 山澤慧/松岡麻衣子/本條秀慈郎 ほか 本選(11/8) | トップページ | オリヴィエ・スタンキエーヴィチ ob ドイツ・リート4曲、プーランク ソナタ ほか with アルヴィーゼ・シニーヴィア pf 12/14 »

2015年1月 3日 (土)

B.アタイール NUR Ⅱ with オリヴィエ・スタンキエーヴィチ ob 東京シンフォニエッタ 36th 定期演奏会 「私たちの新たな哲学」 12/11

【はじめに】

この日の演奏会は当日の世界初演を含め、すべてが東京シンフォニエッタによる委嘱曲である。現代音楽アンサンブルにも一定のカラーがあるが、その演目をみると、ある意味では当然のことながら、イメージはあくまでイメージでしかなく、実像はより多様なものであることがわかる。権代敦彦に始まり、一柳慧、ユーイ・ラウケンス、そして、世界初演のバンジャマン・アタイールのそれぞれの作品は、スティーヴ・ライヒ的に単純なものではないにせよ、反復がキーワードとなる作品であったからだ。IRCAM系の作曲家を多く取り上げ、作品の新しさにこだわっているかのような東京シンフォニエッタの活動からみれば、あまりイメージどおりではない。そうしたものと距離を置き、作品のもつ活力に焦点を絞ったライバルのアンサンブル・ノマド的なプログラムである。

【特定した倍音を使った作品】

さて、この4曲のなかで、私が特に深く取り上げたいと思うのは、アタイールの”NUR Ⅱ”である。オーボエとアンサンブルのための作品で、彼の友人で、フランスの時代を担うであろう天才的なオーボイスト、オリヴィエ・スタンキエーヴィチとの共同作業によって生まれた。オーボエは倍音が多く、音程を固定することは難しいそうだが、彼らはそれを綿密に位置づけて、例えば長三度のような感じに固定できるように工夫することで作品として再現可能なように構成していく。題名の’NUR’はアラビア語とドイツ語に同じスペルがあり、それぞれ「光」「・・・だけ」という異なった意味をもっている。作品は4つだけの音を使い、それを倍音による光が照らすことで作品世界が広がっていくという構想に基づいているそうだ。

私は楽器の演奏法について詳しくないが、見たところ、スタンキエーヴィチは1曲の演奏中に、何度もリードを抜き差しして調整し、前後を入れ替えたり、吹き込む息の量を変えたりして、倍音をコントロールしているようであった。確かに、それらのアクションを通じて、別々の風合いの響きが生まれ、それと関係して、作品は変容していったようである。この間に反復が用いられるが、それは聴き手が印象を身体のなかに擦り込んでいくのに必要な時間を提供するだけで、くどい感じはしない。ただし、この1曲のためにアタイールが用意した素材はかなり多く、これを消化していくには相当の時間が必要であったことは言うまでもない。そろそろコーダかと思っても、作品は延々と引き伸ばされ、また別の素材が引き出されてくる。彼の作品が素晴らしいのは、こうして半永久的と感じられる素材の創出と再生のなかで、ひとつひとつのコンポーネントがハッキリと手の込んだ形で細胞化され、聴き手に語りかけるエネルギーを有していることである。

【特徴】

作品はスタンキエーヴィチの驚異的なテクニックの鮮やかさと、神秘的な楽器の響きのコントロールを背景に、これによって生じる多様な音響的メッセージを中心にしながら、重層的、あるいは、綜合的なコミュニケーションを呼び掛けてきた。バックのアンサンブルも単純なエコーや、追従として用いられているのではなく、いわば自己としての意志をもちつつも相手を映すミラーの役割を果たしているが、そこに投映される色鮮やかなアイディアのおかげで、彼らもまた独創的な共生のなかに生かされている。演奏前のトークからも窺われたことだが、なによりも、こうしたすべての音像が作曲者のゆたかで、好奇心に満ちた人格を象徴しているようだった。

序盤はアラビア語タイトルからも連想されるとおりのオリエンタルな響きも感じ取れたのだが、半ば過ぎからは既存の音響システムからは離れ、まったく未知の世界に飛び出していく。シンフォニックな構造もなくはないが、過去に出た素材は大抵、ほとんど響きとして感じられないような柔らかさで、少しずつ塗り込められていって、作品が厚みを増していく点も特徴を成している。こうした点は主にアンサンブルの側へと吸収され、それがまた、ソロ・オーボエの吹く新しい素材と、静かに突き合わされていった。なお、スタンキエーヴィチの演奏の凄さについては、楽器によく精通した者ほど、ハッキリとした驚きを覚えるにちがいないが、私のように無知の者であっても、あれほど短いスパンで、複雑、かつ精確なコントロールと切り替えをみせるのが難しいことは理解できる。それを苦もなく、当たり前のようにこなしていくスタンキエーヴィチは、正しく化け物のパフォーマンスをした。

この作品は近年、私が聴いてきた現代作品のなかでも、特に印象的なもののうちに入る。ちなみに、そのほかでは陳銀叔やドナトーニの作品がこれに匹敵したと思う。一口にいって、個が現代を突き破るようなエネルギーを発しているというべきだろう。

【他の作品について】

これほど印象ぶかい作品を前にしては、旧作の3作品は霧の向こうに霞んだというほかないが、そのなかでは、権代敦彦の「沈黙のための七つのコラール変奏曲」は社会的な意味をもった佳作である。今日、権代の作風は大きくシフトしている感もあるが、この作品は作曲当時(1995年)よりは多少、遡ったところに基点をもつ描写を含み、それに相応しく、重々しい反復語法が用いられている。一柳慧の作品は先の大震災と津波を明確に意識した作品だが、静的で海の底に沈むような淡泊な表現性に徹していた。その意義は認めるものの、いささか退屈な作品である印象も拭えない。ラウケンスの作品については敢えて経験の浅いメンバーを中心に組んでいたが、いまや印象が散逸しているので、コメントを割愛する。

なお、演奏会は「私たちの新しい哲学」と副題されていたが、その意味は正直、上手に読み解くことはできなかった。

また、オーボエのスタンキエーヴィチについては、その才能が傑出して凄いことは明らかだったので、この週末にトッパンホールにおいてリサイタルがあったのを急遽、予定に追加して聴くことができた。その模様については、別にレヴューを書くことにする。

【プログラム】 2014年12月11日

1、権代敦彦 沈黙のための7つのコラール変奏曲
2、一柳慧 交響曲第8番 -レヴェレーション2011/平成黙示録-
3、ラウケンス 第1楽章と結語
4、アタイール NUR Ⅱ~オーボエとアンサンブルのための

 於:サントリーホール(ブルーローズ)

« 第11回現代音楽演奏コンクール 競楽Ⅺ 山澤慧/松岡麻衣子/本條秀慈郎 ほか 本選(11/8) | トップページ | オリヴィエ・スタンキエーヴィチ ob ドイツ・リート4曲、プーランク ソナタ ほか with アルヴィーゼ・シニーヴィア pf 12/14 »

室内楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/543421/60912949

この記事へのトラックバック一覧です: B.アタイール NUR Ⅱ with オリヴィエ・スタンキエーヴィチ ob 東京シンフォニエッタ 36th 定期演奏会 「私たちの新たな哲学」 12/11:

« 第11回現代音楽演奏コンクール 競楽Ⅺ 山澤慧/松岡麻衣子/本條秀慈郎 ほか 本選(11/8) | トップページ | オリヴィエ・スタンキエーヴィチ ob ドイツ・リート4曲、プーランク ソナタ ほか with アルヴィーゼ・シニーヴィア pf 12/14 »

ツイッター

  • ツイッター

最近のコメント