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2015年1月19日 (月)

オリヴィエ・スタンキエーヴィチ ob ドイツ・リート4曲、プーランク ソナタ ほか with アルヴィーゼ・シニーヴィア pf 12/14

【概要】

オーボイストとしてのオリヴィエ・スタンキエーヴィチは遠からず、同時代を代表する演奏家として名前を馳せることは間違いない。東京シンフォニエッタにおける世界初演の作品では、この楽器があたかもリコーダーのように使いやすい楽器であるという誤解を生むかもしれない。演奏中、僅かな時間でリードを抜き差しし、ときには反対向きにしたりするなかで、厳密な響きを得るというのは神業というほかなかった。しかしながら、ときに演奏家は技術的な精度が高ければ高いほど、その他の表現要素に無関心になることも多く、例えば、コンペティションを渡り歩いて入賞をつづけ、あたかも賞金稼ぎのようになっている若い音楽家などは、もはや、人々のこころに深く根ざすような音楽はつくれないものだ。既に世界初演の舞台で、スタンキエーヴィチがそのようなタイプのテクニシャンでないことは理解できたが、週末のトッパンホールにおけるリサイタルは、その印象をさらに上塗りするものであった。

今回、スタンキエーヴィチが用意したプログラムは、歌曲を柱に置いたものである。曲数だけをみると4曲だけにすぎないが、アンコール・ステージでもシューマンの『リーダークライス』(op.39)の第1曲を吹くなど、その印象を深める細工も粒々だった。フランス人は欧州のなかでもナショナリズムの強い国民性で知られるが、彼が今回、取り上げたのはラヴェルやショーソン、プーランク、マスネーといったフランス歌曲の名品ではなく、彼らにとって宿命のライバルともいえるドイツ・リートの作品であった点も面白いのではないか。ブラームスとシューマン。ブラームスもそうだが、特にシューマンはロマン主義のもっとも典型的な作曲家である。

大抵の場合、人間が苦労して歌うものについて、楽器で音符を追うこと自体は易しいから、このようにオーボエで編曲された歌曲をうたうということは、さほど歓心を誘うはずのものではない。だが、スタンキエーヴィチの場合は、このリサイタルでも歌曲の演奏がいっそう味わいぶかく印象に残ったのだ。この秘密について、今回のレヴューでは主たる素材としたいと思っている。

【プーランクで謎が解けた愛のテーマ】

しかし、その前にメインに置かれたプーランクのソナタについて触れておく必要がある。シューマンが古典や古典派の時代が終わり、ロマン主義が爛熟するなかで生まれた存在だとするなら、プーランクはさしずめ、その終焉に置かれるべき作曲家のひとりだろう。ヒンデミット、ブリテン、コルンゴルト、そして、プーランクなどは各々の拠って立つところこそ違えど、そうした時代の鍵を握った人たちである。プーランクの場合は、さほど目立った新しさを生み出さなかったにもかかわらず、例えば、コルンゴルトに対するような不当な批判には曝されなかった。1899年に生まれ、1963年に亡くなるまで、彼が一貫して評価されたわけではなかろうが、前衛主義や新しさに対する執拗な議論に対して、彼は上手に身をかわし続けて己の作風を守った。だから、最晩年に書かれたこのオーボエ・ソナタと、ほぼ同時に同じ鍋で煮られたというクラリネット・ソナタにも、我々が想うような、20世紀典型のフランス的酒脱さが存分に詰まっているのである。

昨年のある演奏会において、私は幸いにもスタンキエーヴィチと同じように若く、才能にあふれたクラリネット奏者であるフローラン・エオーの演奏により、クラリネットのほうを聴くことを得たので、2つの作品を比べて論じることにはある程度の必然性を感じる。そのなかでも、特に強調して言いたいことは、兄弟のようなこれらの作品にもかかわらず、そこから受ける印象はまったく対照的ということだ。つまり、クラリネットのほうは暗い闇から光のなかへと飛び込んでいく希望と活力に満ちた作品だが、オーボエのほうは一見、親しみやすい映画音楽のようなところから出発して、絶望や孤独により近しく、なによりも終焉に向かっていく作品だからである。

スタンキエーヴィチの演奏は、この作品に関しては特別なことは何もしていないし、1曲のみによって、なにかを語ることはとても難しい。

プログラムの構成全体をみると、前半は古典および古典派から1曲ずつ、さらに、先に述べたブラームスとシューマンの歌曲=編曲ものに4つに加え、シューマンの名品『幻想小曲集』(op.73)が当て嵌められていた。サブ・テーマにしか過ぎないだろうが、これらの作品はすべて編曲ものであり、最古の楽器のひとつであるオーボエを吹きながら、フルートやヴァイオリン、クラリネット、それに、人声という他の楽器へのオマージュを含んでいる。『幻想小曲集』では原曲の音域に合わないことから、オーボエ・ダモーレを使用したが、これにも多少の意味がありそうだ。ひとつには先日の世界初演の曲目でダモーレと2本を使ったことに対する追憶であろうし、また、この演奏会を彩るひとつのテーマが「愛」であることも指し示している。

後半にいくと、作品は社会的な色合いを帯びてくる。故テオ・アンゲロプーロス監督の映画にも描かれていたように、欧州における20世紀の悲劇をすべて詰め込んだような欧州文化の故郷、ギリシアのスカルコッタスの作品が最初に置かれた。1939年作で、スカルコッタスらしいシステマティックな作風だが、例えば、最初の楽章の仄暗さと前のめりで小刻みなリズムがよく時代柄を反映した作品である。また、ブリテンの『テンポラル・ヴァリエーションズ』も、WWⅡの時代にひた走っていく時代の陰鬱さを風刺した作品とみられよう。プーランクも、こうした時代を生き抜いてきて、戦争の厳しい現実を目前にして風刺の感覚を強めたが、その象徴として、ド・ゴールによる戦後の人口増殖計画を皮肉った歌劇『ティレジアスの乳房』が挙げられるかもしれない。社会政策としての「子どもを産もう」という言葉が、人間が本来、大事にすべき愛に基づく言葉としてすり替わる構造は見事である。

プーランクのオーボエ・ソナタは、こうしたいくつかのストリームを堂々、受け継ぐものであったのは言うまでもない。演奏会の内容に含まれていたすべてのことの謎解きが、ほんの10分強の作品のなかに詰め込まれていることを彼は教えてくれたのだ。

【終焉の意味】

歌曲について言えば、それらに共通するテーマになっているのは、もちろん、愛である。しかし、例えば、妖精ローレライが登場するシューマンの『森の語らい』は、その危うさをも物語っているはずだ。彼が選んだ作品はどれも、なにかひと癖がある。例えば、ブラームスの『私の恋は緑に燃え』は、シューマンの末嬢フェリックスの詩につけて、彼女に贈ったものだ。フェリックスはブラームスが名付け親になり、父ロベルトの影響からか、文才に優れていたようだが、24歳の若さで亡くなり、その思い出はブラームスの名品のひとつ、ヴァイオリン・ソナタ op.78 に閉じ込められた。『愛の誠』では若い恋が親の反対にぶつかり、直接は書かれていない何らかの事情を思わせる。シューマンの『献呈』は、ブラームスも憧れたクララとの婚礼に先立って書かれた思い出の作品である。

これら若々しい時期の作品と比べるように配置されたプーランクの晩年の作品につづけて、アンコールのなかで、『リーダークライス』の第1曲「異郷にて」が歌われたのは、また示唆的・・・というか、シニカルなことだろう。作品自体は終焉を物語っているが、シューマンはこの作品集の第1曲にまず、終焉を置いたのである。同じように、異郷=日本におけるほぼデヴューのコンサートにおいて、彼は「ここでも私を知る者はもうない」と歌ったのだから、皮肉である。ここから、彼の想いは次のように推し量ることができる。終焉こそ、出発の第一歩。すべての人が自分を忘れ去ったところから、始めたい!

【まとめ】

ここまで書いてきて、私は彼の演奏について何も書いてないような気がする。しかし、同時に、分厚く書いてきたような印象もある。歌曲の編曲ものを吹いて、彼がどうして、これほどの深い印象を与えることができるのか。その答えは、いま書かれねばならないだろう。つまり、それは言葉を越えて、彼がシューマンやブラームスの書いた音の意味に、誰よりも厳しく迫ったからにほかならない。作曲家たちがそう書いたように、もちろん、リートは人の声によって歌われるのを聴くのがもっとも印象深いはずである。だが、それは我々の鑑賞力の低さ、もしくは平凡さを物語るものだが、ときに言葉や発声といった表現要素に隠れて、響きそのものが聴こえてこないこともあるのではなかろうか。その場合、こうして鑑賞するのもアジなものである。歌曲の場合とは若干、異なるアーティキュレーションもあり、スタンキエーヴィチはときに歌曲の構造をそのまま吹奏してはいないが、それにもかかわらず、彼の演奏を聴くと、言葉があろうがなかろうが、同じようなこころが空間に響くのを感じることができるだろう。

そして、多くの作曲家にとっては、愛こそが、こころの核心にあった。「愛」とは平和であり、友情であり、優しさや思いやり、尊敬であり、また嫉妬であり、恐怖であり、そして、後悔、哀しみ、死にも通じていく。スタンキエーヴィチはこうしたものを描き上げるために、数々のヒントを散らさねばならないと思ったし、実際、これほど豊富なメッセージに満ちた演奏会も少ないだろう。コンペティションの課題曲2つを含めて、アイディアゆたかに現在の彼自身を彩ってみせたのである。技術的には、先日の世界初演で、誰もが度肝を抜かれた印象のままである。そして、リサイタルでは、それに倍する表現のヴァリエーションと奥深さを印象づけた。もはや、彼にとって証明づけねばならない、なにかの要素はないだろう。結論として、私は書いた。「スタンキエーヴィチは遠からず、同時代を代表する演奏家として名前を馳せることは間違いない」。さらにつづけよう。すべての人が、彼の演奏には跪いて敬意を捧げるようになるはずである。

なお、伴奏者はアルヴィーゼ・シニーヴィアという無名のピアニストだったが、アンサンブル・ピアニストとしては、これも顕著に優れた弾き手で、スタンキエーヴィチが特に選んで連れてきたのも納得のパフォーマンスである。彼らは曲がおわるごとに大抵は抱き合って、お互いを讃え合っていたが、ここにも一種の愛があった。そうメジャーにはなりそうもないとはいえ、このシニーヴィアの名前もよく憶えておかねばならないと思う。

【プログラム】 2014年12月14日

1、テレマン 幻想曲 TWV40:9 (12曲中第8番)
2、モーツァルト ソナタ K304 (原曲:vn)
3、ブラームス 私の恋は緑に燃え(青春の歌1)~9つの歌 op.63
4、ブラームス 愛の誠~6つの歌 op.3
5、シューマン 3つのロマンス op.94
6、シューマン 献呈~歌曲集『ミルテの花』(op.25)
7、シューマン 森の語らい~『リーダークライス』(op.39)
8、シューマン 幻想小曲集 op.73 (原曲:cl)
9、スカルコッタス ソロ・オーボエとピアノ伴奏のためのコンチェルティーノ
10、ブリテン テンポラル・ヴァリエーション
11、プーランク オーボエ・ソナタ FP185

 pf:アルヴィーゼ・シニーヴィア

 於:トッパンホール

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