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2015年2月26日 (木)

山澤慧 チェロ・リサイタル with 大伏啓太 B.A.ツィンマーマン チェロ・ソナタ/バッハ 無伴奏チェロ組曲第3番 ほか 2/15

【概要】

チェリストの山澤慧の演奏には、あまり意識しなくともよくぶつかった。私が選ぶ古楽や現代音楽の演奏会に、彼が多く出演していたからである。ゲンオンはともかくとして、古楽の演奏会でコンティヌオを務める彼のパフォーマンスはいつも手堅く、ときに驚きに満ちていた。だから、先日の「競楽」におけるパフォーマンスが思うほど魅力的なものではなかったにしろ、既に彼の実力を私は認めていたし、この日のやなか音楽ホール(西日暮里)でのリサイタルを見つけたときには、一も二もなく興味を惹かれたのである。先日のレビューにも書いたように、コンペティションにおける彼のパフォーマンスは、彼自身にとっても不本意なものだったと思うから、同じ曲をこのリサイタルで改めて耳にできるのも魅力的なことと思われた。実際に足を運んで演奏を聴いてみると、この選択が予想以上に素晴らしかったことに身震いした。

この演奏会の面白さのひとつは、ホールにも関連している。やなか音楽ホールは、西日暮里方面からいわゆる「谷中銀座」方面に通じる「よみせ通り」の道灌山通り側の入口のところに位置している。狭いホワイエを抜けてホール内に入ると、猫の額ほどの客席が設置できて小上がりの舞台がある天井の高い空間になっていた。出入口のすぐ左手から2階席につづく階段があり、舞台からみて右上部に当たるが、5-6mほどの高さだ。この日、私は上にあがることはなかったが、さらにそこから階段がつづき、上階がギャラリー・スペースになっているらしい。ここから舞台を見下ろすことも可能だろう。舞台からみて正面は出入口で、左上部のフロアはキャットウォークになっており、客席は設置できない。ホールのHPによれば「100席」となっており、商業的な使用は不可能だろう。エンドピンを立てるせいか、「原則、チェロ・コントラバスのコンサートはお引き受けできません」と書いてあるが、フロアを傷つけない敷き物をするなどしたおかげで許可が下りたのだと思われる。このようなホールを会場としたことからも分かるように、この演奏会はとにかく小さな舞台でも、一からコンサートを作り上げていく経験値を積むための機会だったと思われる。

私は2列ぐらいしか設置できない1階席に陣取ることができ、前に1列あるものの、演奏者とほぼ対面で座った。この距離でどう聴こえるのかは、コーラスだけで、楽器の経験のない私には未知数だったが、直接音がぶつかってくるのではという懸念は杞憂に終わり、高さのある空間にいちど染み込んだ響きが、親密に語りかけてくるようにできていた。古賀政男記念館の「けやきホール」も音響はよいと思うが、この空間で聴く響きはまったくの別物だ。山澤の繊細な音楽は、こうした空間でいよいよ爽やかに響いたのである。

【進取の気性】

演奏はベートーベンに始まり、バッハとブラームス、現代ものでは藝大の同窓生である平川加恵と、B.A.ツィンマーマンの作品でプログラムされた。古典派、ロマン派、現代までを突き刺すワイドな内容である。このうち、ベートーベンの作品は作曲家自身が作品番号をつけなかった作品で、モーツァルトの歌劇『魔笛』のアリア「恋を知るオトコたちは」に基づく変奏曲である。10分もない小品で、チェロ・ソナタのツィクルス公演などで「スペース」の埋め合わせによく使われる1曲だ。ソナタ5曲のほか、『魔笛』の変奏曲2つと、ヘンデルの作品から素材を採ったヴァリエーションを弾くと、それでベートーベンのチェロ作品はすべてを数えるということもある。しかし、この日はブラームスをメインに組んだ都合上、ベートーベンのソナタを弾けないことの穴埋めという意味合いになっていた。

よく聴くと、この作品は番号なし作品ではあるが、よくできている。通常、変奏曲は特に古い時代において、主題がハッキリ奏でられ、そこから変奏を重ねていく場合が多い。しかし、この作品ではピアノによる主題の演奏と、伝統的な対位法的和声づけに擬したチェロの変奏が同時に始まる。チェロが最初にハッキリとした主題の旋律を奏でるところで役割が交代するが、以後も2つの楽器は主従関係をとらず、フラットな関係で進む。こうして変奏曲における余分な形式的過程をカットし、ベートーベンは対位法の高度な技術を披見し、手際よく効果的な変奏を積み上げていくのである。コンパクトでも、この作曲家が常に持ち続けた進取の気性は、この作品にも明らかに表現されていた。

作品の書かれた1801年は例の「遺書」を書く1年前のことで、既に後世にも残る傑作がいくつも生み出され、筆力は十分だったが、ベートーベンにとっては失明や家族の問題があり、難しい時期に当たっている。反面、作品は充実期の精華をたっぷりと謳っており、この作品におけるチェロは、ピアノに勝るとも劣らない独特のゆたかな表現力を示している。山澤は名刺代わりの1曲にたっぷりと愛情を注いで育て上げ、作品の独創性や優雅な魅力を遺憾なく描き出していた。大伏啓太のピアノは序盤、若干、硬さを感じさせたものの、これも山澤の高い表現力に見合うものを醸し出せる堂々としたパフォーマンスだったと報告しておこう。

【無伴奏曲二題】

ここからつづく2曲の無伴奏曲は、素晴らしい出来だった。もっとも、ここから休憩をはさんで演奏される4曲は、そのすべてがリサイタルの柱ともいうべき存在で、どの曲にも深い思慮がめぐらされ、愛情に基づいた演奏であることはひしひしと感じられた。だが、無伴奏の2曲はそのなかでも、彼のライフワークになっていくような曲目にちがいない。これらの作品にはいくつかの共通性があるが、特に「舞踊性」という言葉がキーワードとなる。ただ、山澤はそのキーワードを直接、音にしたわけではなく、さらにワン・ステップをかけて熟成している点が面白いのだ。「競楽」のコンサートでも見せたように、それらの表現の奥にあるのは静寂だ。B.A.ツィンマーマンの演奏では、そのコントラストが、先日よりもハッキリした。

形式的にも、ひとつひとつの楽章というよりは全体が一枚の絵のようなフォルムを示した前回と比べれば、短くとも、各楽章に込められた繊細なエネルギーをしっかりと引き出してみせたのが成功の原因である。B.A.ツィンマーマンのチェロ・ソナタは全5楽章からなり、ひとつの楽章は長くとも3分程である。その間のエピソードを文字にしてしまえば身も蓋もないので止すが、すべての部分がハッキリとしすぎていた先日の演奏と比べると、力の抜き方が巧みになった印象を受け、その分、表現に柔らかみと運動性が生じて、各エピソードの性格がより浮き彫りになった点で演奏のインプルーヴが顕著だったといえる。

B.A.ツィンマーマンにしろ、J.S.バッハにしろ、無伴奏の作品はギチギチの密な組成によって構築され、一見、どこにも入り込む隙がないインカの石組みのような印象をもたらすが、実際、すべてのものは原子レヴェルではスカスカにできているのだ。この秘密に気づいた音楽家だけが、ほんの僅かな自由を無限へと高めて、聴き手の予想もつかないような味わいぶかい演奏をすることができる。だが、結局のところ、その秘密は演奏することによってしか開かない。その点で、3曲目のバッハのほうが、よりオープンな幅をもっていたのは偶然ではないのである。

全体を抑制しつつ、第1楽章冒頭につよいインパクトを置いたB.A.ツィンマーマンの演奏と同様に、バッハでも冒頭部分に特徴がある。音階が上向/下向を重ねて連続的に組み合わされているが、この部分で山澤は単にそれを精確になぞるだけではなく、ふかい揺れを引き起こすように膨らみをもたせ、作品にまずは壮大な幅を与えた。正に地震のような、そのエネルギーを利用して、5つの楽章が切り開かれていくわけだが、ここで安定した音階旋律に、どれだけ豊富なメッセージを詰められるかはチェリストの腕とこころを試すことになる。山澤の場合は、まず誠実の上にも誠実な演奏だが、それが杓子定規なものとはならず、形式的なものの繊細なデザインを味方につけて、晴れ晴れとしたフォルムへと化けさせることができた点で優れている。

【下向運動エネルギーに基づく2曲】

平川加恵は在学中から一定の実績を挙げた学生であったらしいが、2012年の日本音楽コンクールで第1位をとるなどして、将来を嘱望される若手の作曲家で、現在は藝高の指導員にも採られている。その作曲イディオムは一見、前衛的な風潮とはまったく関係がなく、委嘱新作”:Valentine Dance for Violoncello Piano”では、特にフランス近現代音楽への傾倒が窺われる。ヴァレンタイン・デイにちかいリサイタル日程に引っ掛けたようなタイトルだが、そのイメージから、素直に自らの愛するものにリスペクトを与える作風を採ったのではないかと思われる。

第1楽章はすこし気骨ばったロマン性と傾きのある音楽性からはラフマニノフ、ときにジャズ風の味わいをもったラヴェル、そして、グリッサンド(ポルタメント)の多用とパッションに満ちたタイトな動きからはショーソンを思わせる味わいがあった。第2楽章の湿っぽく、柔らかい詩情はフォーレの歌曲を思わせる。そして、第3楽章はプロコフィエフのようなワイルドなエネルギーをもち、動的なモティーフが自由に、開け広げに展開する作品であった。この作品もタイトルだけからもわかるように、「舞踊性」をキーワードにしており、また冒頭の作り方に印象ぶかさがある。この作品のダイナモを形成するのは、チェロにとってはほとんど限界的な超高音から急速に落下する冒頭部分から生じる位置エネルギーである。

メインは、ブラームスのチェロ・ソナタ第2番だが、平川はこの作品の冒頭部分にオマージュを表して、自分の作品を書いた可能性がある。激しいピアノのトレモロとザクザクッと刻まれるチェロの下向音型。この作品に関しては、唯一、演奏者の若さというものを感じてしまって、まだ課題が多い演奏だとは感じる。特に高音の余裕のない響きがしばしば見られたのは、山澤らしくもないことだと思う。例えば、聴き手にわからないほど、テンポをすこしだけ抑えたり、彼ならば、もっと気の利いたソリューションを見つけられるはずだし、直線的なパッションだけで、そうした壁が乗り越えられるはずはないと知っているはずだ。そのことは、アンコールで答えあわせのように弾いた歌曲の演奏からも明らかである。今回は自分の未熟さを見つめるように、真正面からぶつかってみた山澤だが、自分がこれからどうすればよいか、しっかりと分かっている証拠だ。

もちろん、この演奏にしても、完成度が著しく低かったというわけではなく、繊細な歌いまわしを丁寧に組み立てて、聴き手に対して十分な満足を与えるものだったことは変わらない。また、先々に期待感を抱かせるスケールの大きな演奏だった。

【まとめ】

よく知らないが、これが山澤にとっては最初の単独自主公演だったのではないかと思う。冒頭にインパクトの多い作品がつづいたのも多分、彼が自らの出発点をそうした形でインパクトあるものにしたいという願いを込めたことの結果である。目下、規模の大きな音楽事務所のサポートも受けていないようだし、コンペティション以外で活動を広げてきたことからも、マスコミからの注目も遅れている。当面はこの100人の支持を背景に翼を広げていかねばならないチェリストということになるが、この若者は先行き、鳳凰となってもおかしくないような可能性を秘めているのは確かだろう。いまのうちに、このように贅沢な空間で聴けたのは幸運だった。ヤン・リシエツキのように高貴な才能をもつ者が「まだピアニストになるとは決めていない」というように、音楽家として生きるのは決して楽ではない世の中だが、プロのチェリストとしての第一歩を、彼はこうして堂々と示すことができたのである。(もっとも、アンサンブルでは、彼は既に一定の成功を収めているのであるが。)

【プログラム】 2015年2月15日

1、ベートーベン モーツァルトの歌劇『魔笛』の
             アリア「恋を知るオトコたちは」に基づく7つの変奏曲
2、B.A.ツィンマーマン チェロ・ソナタ
3、バッハ 無伴奏チェロ組曲第3番
4、平川加恵 Valentine Dance for Violoncello Piano
5、ブラームス チェロ・ソナタ第2番

 pf:大伏 啓太

 於:やなか音楽ホール

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