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2015年3月22日 (日)

ジョナサン・ノット 歌劇『パルジファル』(抜粋) ほか 東京交響楽団 サントリー定期 3/14

【ベルクの凝縮】

楽団期初は4月で変わらないが、昨年9月、正式にジョナサン・ノットが音楽監督となってから半年ほどを迎える期末の公演である。新体制がどういう方向にいくのか、ファンは固唾を呑んで見守っていることだろうが、目下のところ、ノットはうまくやっているというべきだろう。今回の公演でも新国立劇場でのピットワークが並行し、この定期公演とぶつかっている点で先方に不満をもたれる可能性はあるものの、そのような状況でも恥ずかしくない立派な音楽づくりを披露したのも立派なことである。ノットが手際よく、通常、必要ないくつかの手順を省いても、オーケストラを上手に導いてくれたのは正にワールド・クラスの仕事ぶりだ。もうすこし時間があれば、よりふくよかな響きに膨らませることもできただろうし、歌手へのサポートも繊細につくり込むことができた可能性は残っていた。その点を割り引いたとしても、演奏会のクオリティは十分に満足なものに仕上がったといえるだろう。

今回の演奏会は、そんなところからもう皮肉が始まっているのは偶然なのであろうか。

演奏会は、ベルクの『抒情組曲』の弦楽合奏版の編曲ものから始まった。これはオリジナルのSQ版に対し、ベルクが出版社の依頼を受けて編曲したもので、オリジナル6楽章から冒頭の第1楽章と後半2楽章が削られて、3つの楽章だけによって構成されている。ベルクにとっては不本意な編曲ではあろうが、シェーンベルク楽派の流儀で縮めてメッセージを凝結した点が面白い作品だ。楽器の数が増え、素材の舌鋒鋭さが鈍るのを確信していた作曲家は、作品のもつ官能的なフォルムの完成度を捨てても、12音や無調といった表現の革新的な部分に焦点を絞った。ここで注意しなくてはならないのは、ベルクの師で、同志でもあるシェーンベルクは新しさのための新しさを戒め、表現の内的な熟成として新しい技法が生まれるべきことを教えていることだ。つまり、ベルクは表現を捨てて、新しさを際立たせたのではなく、まったく逆の選択をしたというほかないわけである。

ノットの表現は、3つの楽章を明確に表現の上で描き分けていた。顔となる第1楽章から判断すると、上記のような推察とは別に、基本的に弦楽合奏版の性格をSQ版と変わりないものとして演奏している。例えば、その音量も楽器の数が増えたことによって倍にしてはならない。楽器の数に合わせて、ホールが広いことも関係ない。いま、楽団の首席4人を抜き出して演奏したとき、同じ風になるようにバランスをつくったことで、どんな批判に曝されても構わないとでもいうかのようであった。だが、唯一、運動性がSQに対して勝り、自然に生じるエネルギーの行き場は結局のところ、リズムに横溢した。

第2楽章はその意味で、ガス抜きの意味がある。まだ動的だが、そのエネルギーはピッチカートで適度に拡散され、徐々にその本性が姿を現した。全体の肝は、SQ第4楽章=合奏版の第3楽章にあるツェムリンスキーの引用部分に詰め込まれている。この部分では、もはや動的なリズムは一切が内省化され、1枚の絵のように凝縮している。全楽章でもっとも自然な音量と、生きた機能が感じられるが、最初の楽章のように、聴き手の身体を動かしてしまうような喚起力は、より高次のレヴェルに格納された。代わって、シェーンベルクが言うように、どこを突き刺しても人間の血が噴き出すというようなテクスチャーの濃密さが感じ取れる。これらのすべてを象徴するように、ヴィオラ独奏が空間を厳しく支配すると、それを境にエネルギーは急速に凝縮して止まった。

【ワーグナーの光と影】

後半の『パルジファル』も、現実的な妥協の産物と言えば言えないこともない。壮大な作品のなかで、演奏されるのは前奏曲、第2幕後半の題名役とクンドリの対決シーン(花の乙女たちは抜き)、そして、終幕の聖金曜日の音楽(編曲エンディング)だけだ。しかし、この短い40-50分くらいのパフォーマンスのなかで、なんとメッセージゆたかに語った演奏だったことだろう。響きの面では、限界まで絞りきったマラソン選手のような肉体性が特徴で、ワーグナーらしいふくよかさには欠けている。その点はやはり、稽古不足も影響しているのだろうが、同時にノットの解釈によるものでもあった。彼はいわば、この作品にしかない、独特のフォルムというのを感じ取っていたのだ。幾何学的な細いラインで構築される繊細なフォルムは、過去のワーグナー作品のどれにも含まれない新しい要素といえる。ノットはそうした部分が、のちの新ウィーン楽派と照応する新しいものだったとして注目しているのだ。

面白いことに、彼はそうした良い部分だけを見ているのではない。かつて最高の支持者であったニーチェがこの作品において、決定的にワーグナーを批判するようになった、その理由も明らかにしているのである。確かに、当時のニーチェはもう、アタマが大分おかしくなっていたかもしれぬ。しかし、『ニーチェ対ワーグナー』で述べられるような問題は、『パルジファル』のなかにまったく存在しないということはできない。繰り返しが多く、ワン・パターンで、過去の作品を含めた継ぎ接ぎだらけの構成も醜い。そして、肝心なところで突き抜けず、理性的になってしまうパルジファルの知的頽廃は明らかだからだ。彼がビゼーの『カルメン』を高く評価したように、ニーチェが期待するのはカルメンのために身を持ち崩すジョゼのように、クンドリの誘惑を誘惑と知りながら、むしろ、そこに飛び込んで、聖杯や信仰のことなどどうでもよくなってしまうような男の存在であったと思う。ところが、実際にはどうだろう!パルジファルは寸でのところでハッと目覚め、超然たる聖人君子としてクンドリに説教を始めてしまう。その決定的なシーンが、第2幕の最後である。

第2幕は、あらゆる意味で象徴的な部分だ。ノットは花の乙女たちの雰囲気を十分に残しながら、まずクンドリにパルジファルへと呼びかけさせた。このとき鳴っているのは、その前に演奏した前奏曲には影も形もない『マイスタージンガー』のような音楽だ。亡霊たちのカーニヴァルのような音楽がクンドリと花の乙女のシンボルとして響く導入部につづき、ワーグナーはクンドリとパルジファルの関係を徐々に、しかし、露骨に『トリスタンとイゾルデ』の音楽で彩るようになり、さらに、『リング』の英雄的な響きの展開によってパルジファルの目覚めを飾っていくのだ。しかし、『パルジファル』はこれら異なるタイプの傑作の影から逃れることはできず、この公演でなくともクリングゾルは無言のまま斃れて聖槍を奪われ、神聖な雰囲気のまま幕が切れる。パルジファルの強さ・・・正体不明の強さは、観客にとって相当、物足りない。

第3幕に入り、いわゆる「聖金曜日の音楽」になる。抜粋版での特徴はグリューネマンツの歌が載らず、単調な宗教的和音で終結することが挙げられる。これはもちろん、ワーグナーの作曲意図とは無関係だが、それにもかかわらず、きわめて象徴的な意味をもって響く。まず、歌を抜いて聴く音楽そのものの響きは、序盤の清浄な流れができてしまうと、後半はまたも繰り返しの音楽になってしまう。効果的だが、『タンホイザー』の合唱のような響きも聴こえてくる。これはメンデルスゾーンなどの作品でも登場する、「ドレスデン・アーメン」としてよく知られているものだろう。そして、極めつけは最後の和音で、もしもこの終結をワーグナー自身が選んだとするなら、ニーチェの言葉は明らかに正しいだろう。「聖金曜日の音楽」を独立で演奏する場合、十分に伝統的なものとはいえ、この終結をいっさい変えようとしなかったのは、ノットがワーグナーの書法に完全には納得していないことの証拠である。確かに、この終結の単純な和音は、この作品の真実の姿を物語っているような気がする。ワーグナーでさえも、完璧ではなかった。だからこそ、演奏会前半のような新しい創作スタイルが出現してくる余地があると言いたいのだろう。

全体的にはもちろん、ノット&東響はワーグナーの音楽に対する深い敬慕を胸に演奏していることは間違いない。コラージュ的な特徴を揶揄しながらも、彼らは後世につながる「ワーグナー全体」ではなく、『パルジファル』そのものの美しく、シンプルな特徴を肯定的に描いているからだ。特に、前奏曲(第1幕)における心のこもった優しい演奏は何物にも代えがたいものだろう。ほんの僅かずつしか語らず、ときどき押し黙ったように動かなくなり、そこからまた、静かに開いていく音楽の特徴もよく捉えている。ケーゲルのように、わざと大きなトレモロをかけ、響きに生じる揺れを有効に利用した演奏である。これが真っすぐになるときは、音楽上の発展を意味している。一方、ウェットな表現は極力避けているものの、素材の美しさには徹底的にこだわり、ギリギリ自然な、のんびりしたテンポを厳しくとった。そのわりには、素材ごとのつながりがバラバラになってしまうことはなく、ひとつひとつの素材がゆったりした輝きを放って、聴き手の胸に刻まれていくのである。

ノットは、ワーグナーの光と影をしっかり捉えて演奏した。

【エルスナーの凄さ】

第2幕のシーンでは、言葉にあわせた活き活きした流れを導入し、流れが速い。題名役は経験豊富なクリスチャン・エルスナーで、クンドリ役がアレックス・ペンダ。エルスナーはいわゆる「ヘルデン・テノール」の声質ではなく、リート歌手の延長戦で歌っているが、そのタイプでは例えば、イアン・ボストリッジがオペラの主要役を歌い出してから大きく崩れてしまったのとは対照的に、圧倒的にフォルムが堅固である。見かけはグリューネマンツのようで、巨体を誇るテノール歌手だが、ガッシリした土台を武器にしてサントリーホールでも、トッパンホールのように響かせてしまう豊潤な歌声は圧巻だ。しかし、単純にパワフルというのではなく、どこにも力んだところのない柔らかい発声には驚かされ、相手役を圧迫しない真摯なコミュニケーションを求めていく役柄をつくることができる。エルスナーの録音、特にリートのものにつよい敬意を感じていた私だが、現実にはもっとスケールの大きな正統派の歌手だった。

これに比べると、ペンダは普通の歌手にすぎない。ただ、彼女の機動性の高い歌唱は、こうした言葉の抑揚にあわせたキビキビした表現には得難いものだろう。音程もかなり精確で、バックに助奏的なものがついた場合は、その揺るぎない歌唱テクニックに驚嘆した。堅実なエルスナーと比べれば、爆発力を感じる歌手だが、その表現はまだ表面的で、聴き手の内側に届かない。技術的な優位点がクンドリのような魅力的な役まわりで、あまり効果的に生きていないのである。ただ、それも欲を言えば・・・というところであり、彼女の歌唱に決定的に物足りないものがあったということではない。彼女の個性を生かすためには、オーケストラの側の更なる柔軟な動きや、特徴の出し方もなくてはならないはずだから、ひとりの歌手を殊更、問題にすることはない。

衝撃的だったのは、クンドリがパルジファルに接吻してからの音楽で、エルスナーの圧倒的なひと声につづき、直後の世界がすっかり変わったような表現は、ワーグナーの真骨頂とでもいうべきものだろう。だからこそ、そのあとでパルジファルがまったく異世界に羽ばたくことを選択せず、少しずつ大人しい安定に落ち着いてきてしまうことが意外なのである。以上のような特徴は、短い抜粋版だからこそ、より印象的に示すことができたものだ。また、このプログラム構成はきわめて贅沢なものであり、長大なワーグナー作品の最後の光と影を、その象徴的な場面だけによって鋭く捉えたものである。

【まとめ】

もちろん、全曲が演奏ができれば、それに越したことはないが、昨今、オペラ公演を一介のオーケストラが主催するには、経済的に難しい状況があるのもまた事実だ。だから、このように抜粋、あるいは、1幕だけなどの形で取り上げるよりないわけだが、近年、特に多いのはワーグナーの歌劇『ワルキューレ』第1幕だけの抜粋上演である。今回の『パルジファル』は作品の肝となる第2幕を中心に、ベルクと組み合わせて、その新しさと限界を確かめる構成で知的である。『パルジファル』は前述のように、哲学者ニーチェの鋭い批判に曝された一方、後世の作曲家たちからリスペクトを抱かれることも多く、彼らの作品を紹介する演奏会で、第1幕および第3幕への前奏曲や聖金曜日の音楽が象徴物として演奏されることも稀ではない。現在ではニーチェのように言う人はあまりなく、かえってニーチェが狂人扱いされる場合が多いようである。

ノットはそうした両方の思潮を踏まえて、自分なりのワーグナーのイメージを静かに示したのだと言える。彼の思うイメージのなかで、今回は一体、どれだけのものを表現できたか、わかったものではない。しかし、与えられた条件のなかで、ノットと彼のオーケストラが最高の仕事をしたことだけは疑いがないであろう。東響はノットのことを信じ、よくついてきている。彼らがこれまで積み上げてきた演奏ベースを生かしながら、正しい方向に進んでいるのを確認できて嬉しかった。いっそうの関係の進化に期待して、4月から始まる二季目を見守りたいと思っている。音楽監督の公演としてはまず、6月のブルックナー『交響曲第7番』&リヒャルト・シュトラウス『変容』が注目されるところだろう。

【プログラム】 2015年3月14日

1、ベルク 3つの小品~抒情組曲
2、ワーグナー 第1幕への前奏曲・・・第2幕後半・・・聖金曜日の音楽
           ~歌劇『パルジファル』

 コンサートマスター:ニキティン・グレブ

 於:サントリーホール

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